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ルノと旅する吸血鬼  作者: 立木ヌエ
パンドラ編
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再燃

 時はクラナタールとルノの対話より前、アリナと共に部屋を出たメルトは、そのまま家の外に出ていた。


 アリナは少し庭の手入れをすると言っていたため、メルトは現在一人だ。


 広い庭の端に立ち尽くし、遠くの街と空を見ていると、自然と心の声が口に出た。


「……二人とも、何話すんだろ」


 家に残ったルノとクラナタールの事を考えつつ、ゆっくりとフードを外すと、程よい風が白い髪を揺らした。

 息を吸い、新鮮な空気を肺に入れると、不安が少し和らいだように思えた。


 疲れた心を休ませ、ルノのために仮面を被るための、一時の休息だった。


 ――夕空、焼ける橙色。これはメルトにとって一番好きな空だ。

 沢山の人々が笑い合う昼、安寧の家で家族と笑い合う夜。


 そんな二つの空が混じり合い、世界が曖昧になる。その様がどこまでも美しい。


 体に降りかかる日光による気怠さも、そんな美しさに比べれば、些細なものだ。


「メルトちゃん。少ししたら雨が振りますよ」


 後ろから穏やかな声がした。

 メルトが振り返ると、アリナが傘を持って歩いてきた。


 気づけば空気から雨の湿った匂いが鼻をくすぐった。

 そのままクラナタール宅方面の空を見れば、黒い雲が空を覆い尽くしている。


「あら、綺麗な髪……」


 アリナがメルトの髪を凝視した。

 メルトは一瞬顔を引きつらせると、笑顔を取り繕う。


「でしょ……珍しいよね」


 メルトがフードを被り直そうとすると、アリナはメルトの横に立った。


「隠してしまうの? ああ、こんなに綺麗だと、目を引いてしまうものね」

「……そう。変な目で見られるし、いい事ないよ」


 メルトがフードを深く被ると、アリナは困ったように微笑んだ。


「苦労したみたいね。ごめんなさい。あまり触れられたくなったですよね」

「いいよ。慣れてるし」

「でも、メルトちゃんの大切な髪なんだから、そんな顔したら悲しいわ」

「……ッ」


 アリナはメルトの顔を見ずに言った。全て見透かしたような言葉だ。

 メルトはフードの下で唇を噛んだ。

 フードを掴んだ手が小さく震えて止まらない。


 あまりに聞き慣れない言葉だった。

 しかし、その包み込むような優しさに言いようのない懐かしさを感じた。


「自分を好きになってあげなさい。メルトちゃんは可愛いんだから」

「なに、言ってるか……分かんない」


 メルトがアリナに見えないように手に力を込めると、アリナは傘を差し、メルトと同じ遠くの空を見た。


「……あの人に似てると思ったからつい言ってしまいました。聞き流してくださっても構いません」


 アリナの少し暗い声音に、メルトがチラリとアリナの顔を見た。

 いつも通り穏やかに笑った顔だが、少し頬が下がっていた。


「クラナタールとうちが似てるって?」

「ええ、自分の良いところを必死に隠したがる所が」

「……似てないよ」


 メルトが顔を伏せると、ポツポツという音が傘を鳴らす。

 アリナはメルトの方に傘を寄せると、そのままメルトの肩を優しく包み、家の方を向いた。


「さあ、家に戻りましょう。息子がいた部屋が空いてます」


 アリナに従いメルトが家を見た時、メルトは扉の隙間から透明な三羽の鳥形が飛び出すのを見た。

 そのうちの一羽は、真っ直ぐにアリナの方へと飛んでくると、その肩に止まった。


「クラナタールの魔法? 一体なんの……」


 メルトが魔法を見つめると間もなく、鳥はアリナの肩で小さくさえずった。


「…………! これは……あなた………………!」


 アリナは顔が青ざめて、想像がつかないほどに狼狽た。

 そして、メルトの手に傘を握らせると、家へと走った。


「ちょ、アリナ……!」

「……っもう!」


 雨にうたれながら地を蹴るアリナを見ると、メルトは口を歪め後を追っていった。





 騒がしい声と共に、ルノは目を覚ます。

 泣き疲れて目がボヤけている。それでも声はしっかりと耳に入った。


「あなた……しっかり! ……クラナタール!」

「とりあえず喉元に溜まった血は何とかした。医者を呼んでくる」


 尋常でない取り乱し方をするアリナの声と、異常と感じる程にいつも通り……いや冷たいメルトの声だ。


 重いまぶたを開ききる前にルノは背負われた。


「ルノくん起き抜けでごめんね。ちょっと宿に帰すから」

「メルトさん……何が……」


 だんだんと頭が冴えてくる。クラナタールに何かあったのだ。


「……ちょっと今は無理かも」


 メルトは外へ飛び出ると、宿へ向かって一目散に走り出した。

 魔法で風を巻き起こして雨風を防ぎながら、あっという間にクラナタールの家を離れていく。


 ルノは振り向きざま悪寒に襲われる。メルトの肩を掴む手が冷えていき、そのまま体の内側も氷のように冷たくなってしまいそうだった。


 宿へ辿り着くと、メルトはルノを宿屋のエントランスで降ろし頭を撫でた。


「部屋で待ってて。すぐに戻るから」

「待って、メルトさ――」


 言い切るよりも早く、その場にはふわりと風が巻き起こりルノは目を瞑った。

 ルノが目を開けた時、既にメルトの姿は無かった。


「また……まただ…………」


 また、メルトは分身も残さずに離れていったのだ。

 ルノは言われた通りに部屋へと向かい、体全体で押すように扉を開いた。

 そのままベッドに倒れ、シーツに顔を埋める。


「ぼくじゃ、何も出来ないの」


 鉛のように重い体が、それ以上ピクリとも動かせなかった。

 体の疲れか、心の疲れかを判断する余裕もない。


 今の自分では何をしようにも邪魔になってしまうのだと、無気力になってしまった。


 シーツに埋もれていると息苦しい。

 ルノは顔を逸らし、息を吸い込んだ。


 その時、机の上に置かれた本を見た。


『それは魔法の瞳を持つある国の男が、その力で隣国のお姫様を助ける物語だ。とても良い物語だ。男の純粋な善意が凍りついたお姫様の心を溶かす過程が素晴らしい。どんな結末を迎えるか、是非読んでもらいたいね』


 クラナタールがそう言って買ってくれた本『瞳の男とお姫様』だ。

 湧き出る好奇心のまま、ゼーヴェルトを優先して後回しにして放置していた。


 無力感の中、縋るように、不安を打ち消すように、何かをする事で価値を得ようとするように、ルノはおもむろに手を伸ばし表紙をめくった。


「『むかしむかし、あるところに魔法の瞳を持つ男がいました。


 その魔法の瞳は人の心をあたためて、優しい気持ちにさせる、優しい瞳でした。


 男はその瞳が彼のためにあると思えるほどに優しく、人々の悩みに寄り添い、手を差し伸べる素晴らしい人でした――』」


 ――物語はそんな男が森で記憶を失った少女に出会うところから始まります。男はそんな彼女を家に帰すため、二人旅に出ました。


 町を巡る度悩める人々と触れ合った少女は、男との信頼を深めつつ、離れても変わらない親子の絆、役割に縛られない夫婦の愛、

未来を変えようとする少年の決意といった価値観を学びました。


 しかし、どこにも少女の家はありません。

 男が絶望する彼女を励ますと、男の瞳が光り、少女の脳裏に真っ白な城の記憶を思い出させました。

 それは隣国の王城でした。二人はそうして王城を目指すこととなりました。


 王城へと辿り着いた二人は、王に謁見することに成功します。すると、そこには少女に瓜二つな顔をした姫がいたのです。

 それは白い魔法使いで、退屈な日常を嘆いた少女――姫の記憶を奪い、自分が姫に成り代わっていたのです。

 そんな魔法使いに対し、姫は叫びました。


『わたしは確かに退屈な暮らしだと言ったわ。でも、それはもう違う! わたしはどこにいてもわたしなの!』


 旅を通して自分が何者かの答えを決めた姫の強い意志に魔法使いは歯を食いしばると、成り代わりの魔法の代償によって消え去ったのでした――。


「それから、男とお姫様はまた旅に出た……」


 本を閉じると、ルノは胸が熱くなるのを感じた。


「……」


 何故、お姫様は男とまた旅へ出る事にしたのだろう。


「……」


 何故、クラナタールはこれを良い物語と言うのだろう。


「……」


 何故、こんなにもルノの心に響くのだろう。


「……旅が大切だから」


 旅で得た出会いが、迷いが、答えが、姫の強い意志を生んだのだ。


 物語が終わるまでのその過程が、何よりも大切だったのだ。

 矛盾だろうと関係ない。それらは全て、強い意志を持つための素となるのだ。


 では、今のルノがすべきことはなんなのだろうか。


「……人を知りたい。まだ、クラナタールさんの事が知りたいんだ……」


 熱が新たに燃え盛る。

 気持ちが晴れ渡る。

 体が軽くなる。

 視界が明るく澄み渡る。


 ルノは部屋を飛び出した。空は雲が薄れて雨は止み、夜の晴空が顔を出していた。


「知らないままは嫌だ……!」


 濡れた道、腕を必死に振りながら、ルノはクラナタールの家へと駆け出した。

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