選択と結果
上下を本棚に囲まれた空間にて、アルベールが今にも叫び出しそうな程に顔を歪め、突如現れた少年ルノを見つめていた。
「え、なんでって……ぼくは……」
「扉が出て来て、『来い』って言われて……」
困惑するルノを見下ろしながら、アルベールは尋常でないほどに取り乱した。
近くの本棚に手をついてずるずると崩れ落ちる姿からは、これまで見た二面性とも違うアルベールの根幹が見えたようだった。
「……は、はは……そうか。お前も禁書庫に……」
アルベールは手に持っていた本に額を押し付けると、何も言わずに固まってしまった。
「アルベールさ――」
「近づくな」
ルノが手を差し出そうとすると、アルベールは酷く冷たい声で言い放った。
「ふぅ…………すまないが、俺は仕事があるんだ。そこに隠れている不届き者を捕えなければならない」
アルベールはゆっくりと立ち上がると本を開き、ルノを一冊の本から生み出した縄のようなもので囲む。
「アルベールさん。ぼく、なにか――」
「うるさい。とっとと出ていけ………………父さんの所にでも遊びに行け」
アルベールはそう言うと、縄を操りルノをグイグイと外に追いやった。
顔を手で覆っているせいで表情は欠片しか見えない。
――指の隙間から見えた目には生気が感じられないほどの絶望が映っていた。
それでもアルベールは眉間を抑え、凛然と立つ。
無理やりに外側を繕っているようだ。
「まだ残っているようだな。とっとと姿を現せ」
アルベールが向いた先からは何の返事もかえってこなかった。
ルノが部屋から追い出される直前、アルベールの見た先を見つめても、そこにいるという人は顔を出さなかった。
◆
「……隙が無かった」
宙に浮かぶ本棚の陰に潜みながら、メルトはルノとアルベールの様子を観察していた。
なぜ禁書庫からルノが出てきたのかは分からない。
ただ言えることは、ルノならばおかしくはないという純然たる確信をメルトは持っていた。
「人に化けられたら良かったのに……動物……ダメだ。不自然すぎる……」
「アーヴァンスにしたみたいな……いや、あれは時間がかかるし輸血中に応援が来たら……」
「やっぱり殺すしか……」
ルノの登場によって一時的にブレた目的がまた脳内を占める。
しかし、メルトは頭を振ると、こめかみを手のひらで挟み込み、すぅーっと深呼吸した。
「ダメだ。冷静になれ。うちなら出来る。ルノくんのためにも、あいつは殺さない」
「何事もなく戻る……」
目を閉じ、拳をぎゅっと握りしめる。
こんな時、頼れる姉なら、天才吸血鬼なら、ここで人の命を奪うようなことはない。
誰も彼もを生かして、全てをルノの成長の糧にしてやるのだ。
「…………メルトさんとして、切り抜けてやる」
メルトはいくつもの本棚の上に飛び、アルベールの目の前に降り立った。
宙を舞う本棚が僅かに出す、何かが擦れる音が空間を支配している。
メルトもアルベールも互いの目、手、足全てをただ無言で観察している。
その間アルベールは攻撃することも驚いた様子も無かった。
ただ本を構え、粛々とした顔つきになり、メルトを見据えた。
「お前たちは3人揃いも揃って問題しか起こさないようだな」
沈黙を破ったのはアルベールだった。
「……うち、なんかした? ゴーレム壊したのユミアちゃんでしょ」
「っていうか、ルノくんを何で外に出したの? 禁書庫って立ち入り禁止なんじゃないの?」
メルトは後ろで手を組みながらアルベールと目を合わせる。
その手は何度も組み直され、手汗が滲んでいた。
「話を逸らすな。ルノに関して俺が話すことは無い。また、館内での破壊行為をしていないから罰せられないという主張のようだが、戦闘行為を行った形跡がある。図書館は争いの場ではないぞ」
「そうかなー? パンドラっていうのは言葉で戦ってるイメージなんだけどー?」
「屁理屈を言うな。この街は子供の口喧嘩をする場ではない。議論の場だ………………そこらの感情のぶつかり合いと同じにしてはいけない」
メルトがおどけて言うも、アルベールは微動だにしない。
「ふーん? あんたの親子喧嘩はパンドラですべきじゃないってこと?」
「……そう、だな。反論できない」
アルベールは声を一度喉に止めてから、ゆっくりと吐き出した。
「だが、それはプライベートの話だ。俺はゼーヴェルトの司書として、お前を見過ごす訳にはいかない」
「あんた司書だったんだー……司書ってそんなバトルする感じだっけ?」
「秩序を保つための最低限の嗜みだ。普通の図書館と比較するな」
どれだけ会話を続けても、アルベールが引く様子はない。
メルトは手櫛で髪を整えると、一層気を引き締めた。
「……その髪は地毛か?」
メルトの様子を見計らっていたアルベールが、唐突に切り出した。
「だったらなに」
「……いや、なんとも生きにくそうだ」
「は? それだけ? どーも! 心配は必要ないですよー!」
メルトの声が若干高くなる。
ユミアによって切られたフードに触れながら、メルトはかかとを鳴らした。
「あーもう! さっきからもーめんどくさい! いいや、もうハッキリ言うけど、見逃してくんない!? 謝るから!」
「……それを許すわけが無いだろう」
「じゃあ、なんか手伝いとかするから! ルノくんの迷惑にならないことなら頑張るから!」
焦れったくなりメルトが大声を出し始めた。
「結局うちってば、ぜんっぜんそんな捕まるほどの悪いことしてないし! せいぜい中でちょーっと戦ってみただけだよ!?」
「図書館内で戦闘していたことのどこが悪くないんだ。ありえないだろう。本を貸し借りする場だぞ。あと静かにしろ」
「う、うるさい!」
メルトが急に地団太を踏み出したのを見ると、アルベールは深いため息をつく。
やがて、眉間に皺を寄せつつ本を閉じると目元を指で押さえた。
「もういい。お前に構う時間のすべてが無駄だ。とっとと出ていけ。そしてもうここに戻るな」
「……え、いいの? うちが言うのもなんだけど」
メルトが呆気にとられていると、アルベールは荒れた本棚を整理し始めた。
本の埃を払い、背表紙を確認すると、本をパラパラとめくる。
確認し終えると、石版を操作して本棚に次々と戻していく。
「これは借りを返したまでだ。あの桃色髪に関してはゴーレム損壊の件があるが、ざっと見渡した感じ本に被害はない」
「……ルノのことをしっかりと見ておけ。後悔する前にな」
アルベールがそう言ってメルトの横を通り過ぎた。
「言われなくても」
メルトはその後ろ姿を見ると、急ぎ足で図書館を去った。
◆
メルトがゼーヴェルトを出ると、門をくぐりぬけてすぐのところにルノが立っていた。
「ルノくん!」
メルトはルノを見つけた瞬間に大きな声でその名を呼んだ。
遠くからそれに気づいたルノが、ぱっと笑顔になった。
「メルトさん! あれ、その服どうしたの。あ、ぼくがなんで外にいるかだよね。えっと色々あってアルベールさんに……ああでも、それよりも……」
メルトはルノの言葉を遮りぎゅっと抱きしめた。
「はぁーよかった……」
「メルト、さん?」
ルノが不思議そうに見上げるのを見て、メルトは安心とともに胸の痛みを感じた。
「(どうして禁書庫にいたのかとか……うちには聞く資格、ないかな)」
「……ごめんねー、急に。ちょっと寂しくなっちゃって」
「だいじょうぶ?」
「うん。もう大丈夫!」
メルトはいつも通りのメルトさんとしての仮面をぎゅっと顔に押し付けた。
「ルノくんの知りたいことは知れたの?」
メルトがルノから腕を離すと、穏やかで果てしない深さの濃紺の瞳がメルトの姿を反射した。
「うん。だから、ゼーヴェルトはもういいや」
「……え」
なにか、おかしくないか?
「どうしたの? メルトさん。えっと…………ユミアさんは? ぼくもメルトさんも外に出ちゃったよ」
ルノはゼーヴェルトの話題を過ぎ去った風のように流すと、一瞬言葉を詰まらせ、口をこわばらせた。
ユミアについての話も重要だが、メルトには何か別の言葉を飲み込んだ末のごまかしに感じられた。
「……あのね。ユミアちゃんにバレちゃったんだ」
「バレ……ほんとうに?」
ルノが不安そうにメルトを見る。
メルトはそんなルノの手を取り無理やりに笑顔を作った。
「うん、それで色々あって、ユミアちゃんはいなくなっちゃった」
「……そうなんだ」
ルノは目を伏せると、数秒して顔を上げた。
「メルトさんはユミアさんを探すの?」
「……無理、かな。もう敵になっちゃったし、どうしようもないや」
メルトの声が少し震えた。
思っていたよりもユミアとの対立が効いていたのかもしれない。
「仕方ないよ。言ったでしょ。うちは、吸血鬼でユミアちゃんは吸血鬼狩りなんだもん」
「……とにかくー! 今はこの後どうするか考えよ! あ、クラナタールのとこ行く? なーんか日課みたいになってるし!」
「……うん。ぼくも行きたいって思ってたんだ」
ルノはメルトの言葉に頷く。
二人は手を繋いで歩き出した。
パンドラの老賢者の元へと行くために。
パンドラ編後編開始です。残りもなんとか頑張って書きます。




