夢のおわり
「ノルムヴァンデの奴だ……!」
朽ちゆく屋敷を背に、白髪紅眼の優しい吸血鬼ノーデン・ブラドホワイトが歯を食いしばる。
ルノはノーデンに手を引かれながら激しい動悸に襲われていた。
この先どうなるのか。それを知ってどうするのか。彼らに教えるのか。
――本の再現した世界なのに。
そんなことをしたら取り込まれてしまうのに。
「ルノ……! しっかりしろ! おれたちはまだ生きてる!」
唇を震わせるルノの手を、ひんやりとした手がぎゅっと握った。
少し痛いくらいに力のこもった手はつめたくて、あたたかい。
「生きてりゃ終わらない! 吸血鬼も人間も!」
「今を乗り越えるんだ! おれが、おれがなんとかする!」
諦めない心。なによりも心を強く持つ一人のニンゲン。
助けたい。でも助けられない。
ここはルノにとっての今じゃない。ルノはメルトのためにここにいるのだ。
それでも、自分ならばどうにか出来るかもしれないという気持ちを抑えることは、ルノの胸の痛みとなった。
ルノはノーデンの顔を上手く見れなくなり、必死に手で胸を抑えた。
「ノーデン様! このまま国境付近へ向かうのは戦線が……!」
グラハムが汗を垂らしながら言った。
その背ではリディベルがぐったりと項垂れていた。足には布を引きちぎったと思われるものが巻き付けられており、赤く血が滲んでいた。
「わかってる! くそ、これも見越して今やりやがったのか……ノルムヴァンデ……!」
「東に小さな町があったよな! そっちを目指すぞ!」
トワイライトの東にある小さな町……ルノには覚えがない。
もしかしたら、ルノの時代にはもう……?
ルノは手を振り払おうと、口を開こうとしてしまう。
『そっちは危ない』
『もっと南の方がいいかもしれない』
『今を耐えればなんとかなる』
予言めいた言葉の何もかもが音にならず飲み込まれた。
分からないことと分かっていることが頭を巡る。
『じゃあ、ぼくが二人とかと話してどんどん仲良くなったら……』
『うん。一生この中。禁書のモブになる』
モニとの会話がルノのギリギリの精神を繋ぎ止める錨だった。
「ノーデンさん……」
「どうした! 足が疲れたか! 待ってろ、背中に……」
立ち止まり振り返ったノーデンが目を見開いた。
「ごめんなさい……ぼくじゃ、ぼくじゃだめだ……」
ルノが目に涙でいっぱいにし、嗚咽を我慢していたからだ。
ノーデンはそんなルノに何も言わず、さっと背負い込んだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「なに謝ってんだよ。こどもだってのに」
ノーデンが再び走り出す。広い背中にはどんどん大きな涙の海が広がる。
「ルノ。ひとついい言葉をやる」
「……なに、を……」
ノーデンが力強くルノを背負い、空を見上げた。
「間違えたって前には進むんだぜ。おれは止まったら死ぬからこれをモットーにしてんの」
「ルノがなんで謝るかわかんないし、なにを抱えてるかは知らない。でもな、おれ的にはそんなのどーだっていいんだ」
「さっきも言ったろ? おれたちは生きてる。おれたちは死んだ奴らの分も生きて、幸せになってやるんだ。それであいつらの思惑ぜーんぶぶち壊してやるんだよ!」
「そんでまた、トワイライトに戻って来る……!」
ノーデンのその言葉が頭に響いた瞬間、ルノの頭に旅の記憶がよみがえった。
『成功も、失敗も、行動しただけ一歩前進ってことさ。失敗は後退じゃない、成功とは別の道だが、前には進む』
アーカスで貴族バラムスの説得作戦への不安に押しつぶされそうな時、メルトがかけてくれた言葉だ。
ノーデンの語ったモットーは、ルノの大切な言葉と同じだった。
「……メルトさんと、同じだ」
ルノはそう呟くと、涙をぬぐい、晴々と笑った。
「ありがとう、ノーデンさん。ぼくも頑張って歩く」
「よし! よく言った! まー今は背負っていくけどな!」
優しい吸血鬼はそう言ってルノを背負う腕をいっそう大事に組みなおした。
このまま、何があろうと見届ける。ルノがそう決意した時、ぞわりといやな感覚が背中に走った。
視界も音も肌に触れる風も、ゆったりと感じる。
「これ以上先はマスターも知らない」
その声と共に音が完全になくなり、何もかもが動かなくなった。
「モニさん……?」
「正解」
ルノが振り返ると、モニがルノの目を覗き込んだ。
「もう、終わりなの」
「そう。終わり。ルノがモブになってたら、もう少し先が見れたかも?」
モニからは相変わらず感情が感じられない。
ルノはノーデンの背中から降りると、モニを見上げた。
その目は力強く、眉間に薄いしわを寄せていた。
「この本は『吸血鬼の秘された一族に関して』って名前だったよ。なんでノーデンさんたちの名前が隠されたのか分かってないよ」
ルノが不満をあらわにしても、モニは眉一つ動かさない。
「ワタシに言わないで。文句はマスターに……ってもう死んじゃったし無理か」
「とにかく終わり。もう外に返ってもらう」
モニがなにやらルノに手をかざす。
ルノはそれに反応してモニの手をつかもうとして――
「じゃあ、馬鹿二人によろしく」
――意識を失った。
◆
微かな環境音が耳に入り、ルノは目を覚ました。
机から顔を上げると、覚えのある香ばしい匂いとともに黒髪メガネの男、ナビが目に入った。
「……あれ、もどって……」
「起きたか。おはようルノ。いい夢は見れたかな?」
ナビは手元の黒い板から目を離すと、コーヒーをすすってからルノに問いかけた。
「ナビさん! 禁書ってなんなの! ルールって! モブになるって! ■■■■さんたちは!」
一気に疑問が滝のようにあふれて止まらない。
感情が好奇心と重なって興奮したルノに対し、ナビはいたって冷静にコーヒーカップを置くと、ため息をついた。
「落ち着きなよ。そんなに色々と質問されてもさ、僕の口は一個しかないから一回ずつしか答えられない」
ナビは口を指さして言うと、机を指でかたかたと鳴らした。
「コレもお口一個だよぉ! 目と鼻はないけど!」
「聞いてない。黙れ」
ナビはコレが飛び跳ねているのを冷ややかに睨みつけると、先ほどまでとは打って変わってルノに興味津々といった目を向けた。
「君の質問についてはたぶんモニがいい感じに説明してくれただろうからいいでしょ。それで、どうだった。禁書は」
ルノと同じ子供のようなナビの姿に、ルノは背もたれに背をぐっと押し付けた。
「えっと、大切なことを教えてもらった」
「なるほど、それで、他は」
「知りたいことが増えた」
「おお、尽きない好奇心。いいね」
ナビがほかにもと机に乗り出すのを見ながら、このままではずっと質問攻めにされると思い、ルノも自分の要望の一つを押し出すことにした。
「ナビさん、他の禁書は見れないの? ぼく、まだ知りたいことがあるんだ」
ルノは閉じ切った本に触れ名がながら、ナビを押し返すように立ち上がった。
そんなルノの様子を見ると、ナビは驚くほどに勢いを失い、脱力するように椅子に座りなおした。
「……はぁ、そこは説明してないわけ? あいつも大概だな」
何を言っているのかルノが理解する前に、ナビは部屋の本棚に置かれたたった一つの本を持ってくると、最新のページを開いてルノの前に差し出した。
ルノは視線をおろすと、一番新しい名前の欄を見て目を丸くした。
「これは、ぼくの名前……? あれ、クラナタールさんの名前もある」
「あれ、君あの傲慢君と知り合い? へー! 傲慢君は今も塔を研究してるのかな?」
「塔? わかんない……クラナタールさんは物語をよく読んでるよ」
ナビの言葉に覚えがなく、ルノが正直に答えると、ナビは心底あきれたといったように深く脱力した。
「……あー、まさかしてない…………そうか、つまらないな」
しかし、ナビはすぐに姿勢を正すと、ルノの名前の横の欄を指さした。
「まぁいいや。で、話を戻すと、そこに閲覧記録ってあるでしょ。みーんな一冊しかないの分かる?」
「うん……あれ、もしかして」
ルノがナビを改めて見ると、ナビは軽く頷いた。
「分かった? 禁書を見ることができるのはひとり一冊ってこと。あと――」
「代償もあるんだけど、たぶんモニは話してないだろうな」
ナビはあっさりと言い放った。そこには人を騙してやったというような感情は見えなかった。
「だい、しょう?」
ルノが口を震わせると、ナビはメガネを押し上げた。
「当たり前でしょ? 読む前に『自己責任もある』って言ったよね。っていうか、なんで禁書て呼ぶのか考えた? あんな人智を超えたシステムがあって誰でも使えるようになっていないのに疑問は持たなかった?」
「クラナタールはまず禁書関連のシステム、代償を聞いてきたし、『俺にはお膳立てなんかいらない』なんて言ってなんにも見なかったよ」
「ああでも、君は純粋な子供だからかな。疑いを知らないいかにもいい子だね。そのまますくすく育てるといいね」
ナビは皮肉めいた言葉すら、モニのようにただ淡々と言い放った。
ルノが抱いていた好意がぴきぴきと音を立てた。
「で、でもぼくはもっと知りたい! お願い。ほかにも……ほかにもたくさん!」
「知りたいことは知れたんだろう? これ以上探求する意味がどこにある?」
ルノは人とは思えないほどの冷たい瞳に、ナビへの好意が崩れた。
何も言えない。言い返せない。それでも納得できない。もっと知りたい。
いろいろな感情がぐるぐると頭を支配し、矛盾する思考にルノは混乱してしまった。
「……僕になにを期待してたのか知らないけど、僕らはシステムなんだ。融通なんてきかないよ」
「だからとっとと代償を払って退散してね。ほらコレ、出番」
ナビは放心状態のルノを指し、コレを呼びつけた。
「おぉおぉ! やっと!? うれしなつかしこうばしぃ!」
意味の分からない文言を叫びながらコレがルノに覆いかぶさる。
ルノがその異常に咄嗟に頭を手で押さえると、ナビが静かに指を立てた。
「代償は知識熱強奪。君はいろんなことを知りたがるから、一つを残して他の全部頂く」
「……! や、やだ! ぼくは、もっと賢くならないと! メルトさんのために!」
「うるさいな。こっちだってこれが仕事だってのに……生きる目的とかいうのを残しておいてあげるし安心しなよ。吸血鬼に関する熱もそれなら少しは残るんじゃない? 前回と違って少しだけ面白かったし、おまけってことで」
「それに、君ならまた辿り着くだろう?」
ナビはコーヒーをすすると、早くやれと言わんばかりに手を振った。
「それじゃぁ、いただきまぁす!」
その言葉を最後にルノは完全にコレの白い大きな服におおわれ、また意識を失った。
◆
不思議な感覚だった。一瞬の出来事がルノの熱のほとんどを奪ってしまった。
「(あんなに知りたかったはずなのに、トリト様とか大魔法使いサトウとか、全部どうでもいい)」
ルノは白く光る空間をぼーっと漂う。ぽっかりと空いた心の穴に喪失感を覚えたが、唯一残った「生きる目的」という指針だけを頼りになんとか穴を塞いだ。
やがて足が地につき、道が生まれ、扉が見えた。
「(歩かなきゃ)」
知りたかった気持ちの理由も、すべて覚えている。それなのに、知りたいという衝動だけがない。
それでも、歩みは止まらない。
「メルトさんのために、調べないとなんだ」
扉に着き、両手で触れた。
扉が崩れ、視界に色が戻っていく。
「なぜ――」
声が聞こえた。
「あれ、アルベールさん?」
ルノは首を傾げ、アルベールを見上げた。
「――お前がそこにいる……ルノ!」
震える声でルノを見つめるアルベールの目には、畏れのようなものが見えていた。
後編、頑張って書いてます。




