近い過去
「それはともかく連行する。抵抗するな」
光を放つ本を手に、アルベールがじりじりとユミアに詰め寄る。
「あ、あの待ってください! これには事情が……!」
「問答無用」
アルベールは本をなぞり低く声を響かせた。
「『束縛せよ』」
本から棘の生えた蔦が何本も飛び出しユミアを四方から囲んだ。
「『天抜喰!』」
ユミアは力の限りに蔦を切り裂くと、刀を床に突き刺し大きくひねった。
床にヒビが入り、がしゃんと音を鳴らしながら崩れた。
アルベールの正面が煙で満たされ視界が悪くなる。
「『吹き荒れよ』」
「『掴み取れ』」
アルベールが即座に魔法で風を起こし、黒い腕のようなものを本から延ばす。
ユミアは刀で腕を切り落とすと、メルトの血の弾丸を防いだ際と同じ構えをした。
そのまま刀の先に魔力を込め、素早く降り抜く。
「『多弧挙』」
ユミアの降り抜いた刀の先から魔力の斬撃が回転しながら飛び出した。
「『守護せよ』」
アルベールは本から飛び出た巨大な盾で身を守る。
盾が消えると、盾によって塞がれていた視界にユミアの顔がはっきりと見えた。
ユミアはまっすぐな瞳でアルベールを見つめていた。
「……ごめんなさい。今は捕まるわけにはいかないんです」
「わたしは、まだ『正解』を見つけてないんです」
桃色の髪が揺れた。
「『今は』だと、ふざけるな。知恵の殿堂を荒らした者に時間の猶予など必要ない!」
アルベールが次の魔法を放とうと本のページをめくった瞬間、ユミアが黒刀を投げ、本に突き刺した。
正確には本が飛び出しアルベールをかばうように自動で動いた。
ユミアの手元から離れた刀はすぐ砂のように崩れ落ちた。
アルベールは目を見開くと、舌打ちをした。
「予想外だ。ここまで戦闘慣れしてるとはな……! だが、本を貫くなど……!」
唇を噛みながら懐から新しく本を出そうとするアルベールに対し、ユミアは容赦なく黒刀を生成して投げつけた。
そして、申し訳なさそうに目を逸らすと、メルトの隠れた先に一瞬目を向けた。
「また、会いましょう」
力強く踏み込むと、ユミアの姿は一瞬にして消えた。
出口にあった別の本による蔦の拘束をも振り切ったようだ。
「……うちに言ってんの」
メルトは胸に手を当てぎゅっと服を握りしめた。
「チッ。一人には逃げられたか。もう一人は……」
アルベールは穴の開いた本を優しくなでると、宙に浮いた本棚の陰――メルトの位置を睨んだ。
すでに新しい本を手に抱えている。おそらくいくつものスペアを持ち歩いているのだろう。
「いるんだろう。そこに」
「(どうしよう。ここで見つかったら……)」
メルトは血の鎌を両手で構え、目を瞑った。
どんな手を考えても、確実に正体がバレる。
それではいけない。ルノと一緒にパンドラへ来たことはとっくに知られている。
自分がバレてしまえば、ルノの邪魔になってしまう。
そう考えた時、メルトの中の本能が囁いていた。
「――殺すしかない」
暗殺ならば容易である。絶対にバレないだろう。アルベールも強い。
しかし、メルトには及ばない。
「うちは、ルノくんのためなら……」
冷たい暁が天から人を見下ろそうとした時、ゆがんだ扉が音を立てる。
メルトはその音に驚き踏み出そうとした足を止めた。
「なぜ――」
「な、なんで――」
扉からゆっくりと現れたのは黒い髪に濃紺の瞳を持つ少年だった。
「あれ、アルベールさん?」
少年は不思議そうに首を傾げ、アルベールを見上げた。
「――お前がそこにいる……ルノ!」
「――そこから出てきたの……ルノくん!」
ルノが現れた後、扉は閉じて消え去ったのだった。
◇
優しい二人の吸血鬼ノーデンとリディベル。
そんな二人の前でメルトの話をするべきか否か、迷った挙句ルノは一つの結論を出した。
「(そうだ。ぼくは――)」
「あの、二人にまず聞きたいことがあって……」
「どうしてぼくに優しくしてくれるんですか?」
ルノは二人の吸血鬼にひとつ、確認したいことがあった。
魅惑の魔眼。その効力が二人に何か影響を与えてしまっていないのかという懸念が、ルノの心の重しとなっていた。
「うーん……あー、なるほどね」
ノーデンはニヤケながらルノの頭をわしわしと撫でた。
そしてルノの瞳をじっくりと眺めた。
「その魔眼のせいだと思っているのかー。まっさかーそんな訳ないでしょー! おれはあのブラドホワイト家の当主だぜー?」
「おれには効かないしすごく弱いから気にしてなかったわー。あ、でもー強いて言うなら、美味い肉を引き立たせるためのハーブ程度の力はあるかもなー」
ノーデンは自信満々に顎に手を置くと、にっこりと笑顔になった。
「あらほんとうね。私気づかなかったわ」
リディベルもまたルノの瞳を興味深く観察すると、珍しいものを見るようにグイっと顔を近づけた。
「ほんのちょっとの力でも不安になっちゃうものね」
「おれも時折おれの溢れんばかりの天才性に恐れを抱いているんだ……!」
「あらそう。すごいわねー」
二人は変わらず明るく温かい。
「……そうなんだ。よかった」
ルノは胸に手を当てた。ゆっくりと小さい鼓動が鳴っている。
まだ、完全に瞳への不安が消えたわけではない。それでも、今この時のルノにとっての救いだった。
正直に話したい。メルトと関係があるだろうということだけじゃない。
この優しい二人には正直に話したい。
「ノーデンさん、リディベルさん。あの、ぼくは――」
「ストップ。これ以上は干渉できない」
声とともに周囲の音が聞こえなくなる。目の前のノーデンとリディベルもまるで時が止まったかのように動かなくなってしまった。
そしてつい一秒前には誰もいなかったはずの吸血鬼二人の背後に、長い黒髪に口元を覆い隠した少女が立っていた。
「だれ!」
もう何度目かの謎の存在との邂逅に、ルノは退くことなく気を強く持った。
何より不思議と害をなす存在ではないと思えた。
「モニ。ナビとコレの同僚」
モニと名乗る少女は感情の感じられない瞳でルノを見下ろした。
「ナビさんたちの……?」
「ナビさんたちの」
モニはルノの言葉をそのまま返すと、ノーデンたちの体をすり抜けてルノの目の前に立つ。
「ルノだっけ。これ以上はだめ。言おうとしたことは諦めて。何とかするから」
「で、でもぼくは二人に嘘をつきたくない!」
ルノが声を荒らげると、モニは表情を変えずにしゃがみ、ルノと目線を合わせた。
「驚いた。もしかしてまた説明しないで放り込んだの。ナビもコレもいい加減。苛立ちが隠せない」
「……説明って」
ルノが問いかけると、モニはノーデンを指さした。
「これは世界の記憶。創造主が干渉できたものだけが禁書になった」
「過去じゃない。けど、現実に限りなく近い。だからたまに呑み込まれる人もいる」
呑み込まれる。そう聞いた瞬間、ルノはハッとした。
「じゃあ、ぼくが二人とかと話してどんどん仲良くなったら……」
「うん。一生この中。禁書のモブになる」
「今回はノーデン・ブラドホワイトにたまたま見初められた程度の一般人Aになって、探し人は見つからず、今後の人生を緩やかに過ごして死ぬんじゃない」
ルノは手を震わせ、戦慄した。
想像するだけで恐ろしい。下手したらルノは二度とメルトと旅が出来なかったのだ。
「あと、その日記も外に出たらここの事を書いたやつは全部消える。ルノも口に出せない。中でのルールはこれくらい」
「こっちで少し認識をずらすからルノは干渉しすぎないように、観察者になること」
モニは淡々と言い放つ。
モニの言うことが本当なら、ナビはこんな大事な事を隠していたことになる。
「……ほんとうにそうなら、モニさんはなんでぼくを助けたの?」
そこには吸血鬼二人のような優しさがあるとは思えなかった。
「知りたい?」
モニは一瞬にしてルノの背後に立ち小さく囁いた。
「ワタシは面白い物の観察がしたい。つまらない物に興味はない」
「ワタシが観るものはワタシが決めるってこと」
パチンと音が鳴り、周囲に音が戻った。
「あ……」
ルノの目の前ではノーデンとリディベルがルノの言葉の続きを待っているはず。
しかし、これ以上踏み込めばこの世界に取り込まれてしまう。
ルノが何も言えずに固まっていると、ノーデンが口を開いた。
「いやー、よかった。急なお願いで断られると思ってたんだけど、ありがとうルノくん!」
「え」
「そうそう。私としても子供ができたみたいで嬉しいわ」
状況が分からない。ただ分かっているのは、これがモニの言っていた「認識をずらした」結果で、触れることができてもやはりこの世界のすべてが禁書であるということだった。
「これからしばらくよろしく! 使用人見習いとして頑張れ!」
「よろしくおねがいします……?」
ノーデンが手を握った瞬間、世界が歪んだ。
視界が戻った時、ルノはただ立ち尽くしていた。どうやら屋敷の裏門の外にいるようだった。
カヴァロでも嗅いだ焦げたにおいがした。
熱を感じ、ルノは恐る恐る門の向こう側を見た。
暗い空に赤い屋敷。ごうごうと燃える炎と、がたがたと崩れていく瓦礫の音が大きく周囲を満たす。
燃え盛っていたのはブラドホワイトの家だった。
長い間過ごした訳ではない。それでもあの優しい吸血鬼の大切な家が跡形もなく崩れていく様は、目を逸らしたくなっても見続けてしまう毒だった。
まるでカヴァロの事故が今になって再びルノの目の前に現れたようだった。
「ルノ! なにしてる!」
荒々しい声と共に手を掴まれた。
声の主は燃え盛る屋敷の主、ノーデン・ブラドホワイトだった。
先ほどまで見ていた優しい笑顔は消え失せ、必死に生き抜くための覚悟を決めた顔をしていた。
ノーデンの横ではグラハムがリディベルを背負い走っている。
周囲には他の使用人の姿は一切なかった。
「の、ノーデンさん。なにが」
「いいから走るんだ! くそっ! バルバもノーナも、みんなやられた! グラハム頼むぞ!」
「ノルムヴァンデの奴だ……!」
歯を食いしばるノーデンの姿が、ルノには現実のようにしか見えなかった。
――そうだ。これは現実の話だった。もう失われた物語を追体験していただけなのだ。
『ルノはこの先を知ってどうなるの?』
モニが耳元で囁いた気がした。




