何が正しい
「……やっぱりメルトさんは吸血鬼、なんですか」
「――なんて?」
禁書庫の前で、ユミアの言葉にメルトが紅い瞳を揺らした。
「実は初めてお会いした時から、少し疑っていたんです」
「でも、吸血鬼にしては日中の人混みに紛れて、ルノ君を連れて歩いている。そんな、人みたいな吸血鬼見た事なかったから」
ユミアは背筋を伸ばし、左手で空気を掴むような仕草をすると、そこから何かを抜き取るように華麗に、滑らかに右手を握る。
その右手には何も無かったはずだった。
しかし、ユミアの動きに合わせて世界が結果を変えたかのように、いつの間にか黒く輝く刀身を持つ刀が握られていた。
「でも、もう確信しました。さっき血の塊を握っていましたし、その髪、ボスが言っていた白髪の吸血鬼ですよね」
メルトは咄嗟にフードに手を伸ばす。
すると端が切られたのにも気づいていないかのように綺麗に断ち切られていた。
白く美しい髪が、フードからこぼれ落ちる。
「……わたしは……吸血鬼狩りなんです。あなたを倒さないといけないんです」
震えながらも、ユミアが刀の側面を地面に水平に構えた。
黒い刀身が怪しく光り始め、魔力をまとう。
「……さいあく」
メルトはフードを脱ぎ捨てると、血の鎌を作り出し勢いよく構えた。
「その刀が凄いのは分かるけどさ、銀の武器はどうしたの? まさか、うちにはそれで十分だとでも思ってる?」
「銀剣は今手元にないだけです。それと、これで十分です」
「『泉閃』」
ユミアは構えを解除したと同時に、目の前のメルトに直進し、切りかかる。
黒く輝いた刀身が熱を帯び、メルトの構えた血の鎌を一瞬にして歪めた。
凝固した鎌の血がふつふつと形を崩していく。
「速いしあっつい……!」
メルトはダメになった血を切り離して鎌を修復すると、鎌全体に冷気をまとわせ周囲を見渡す。
「……」
「考える暇なんてないですよ!」
ユミアはそんな隙を与えぬよう、今度は刀を自身の目元を隠すように構える。
そして刀を振り上げ、手首を捻りメルトへ向けると、地面を強く踏み込んだ。
「『羽弐噛』」
ブーツの音がコツっと軽やかに鳴る。
一本しかないはずの刀が二本に見える。
二本がメルトの手首、足首を狙い、挟むように飛びゆく。
強く振られた刀が重い空気を断つ音と、焦げたようなにおいがした。
だが、少しの隙をつき、メルトは完全に囲まれるのを回避した。
「……あった!」
さらにメルトはユミアの攻撃を鎌で全て受け流すと、一気に横に飛び、走り出した。
「『……泉閃』」
ユミアが刀を構え、どこか辛そうに口元を引き締めながら、すぐにそれを追う。
「ここはゼーヴェルト……」
「変な本やら棚やらが沢山あるからね! 例えば幻影図鑑とかね」
メルトは数メートル上の宙に浮かぶ棚へと飛び乗ると、そこから本を一冊取り出した。
「『魔法生物実録図鑑』楽しそうな響きじゃない?」
ユミアもまた浮いた本棚に飛びのってきたタイミングで、その本を見た。
そしてメルトが本を開くと、即座にメルトの正面にあったその本棚から飛び退いた。
メルトの開いた本からは、実物大の魔物の幻影が現れた。
所詮幻影、しかし、ただの幻影ではなかった。
「勘がいいんだね」
「幻影に攻撃を重ねるなんて、楽しい技を使うんですね」
メルトは幻影と共に血の弾丸を放っていた。幻影によって隠し、視認性がとても悪い。
ユミアは本棚の上に立ちながら、幻影の走り去った後を見つめた。
「ユミアちゃんも見た目に合わない渋い技使うよね」
「服の趣味は近いのに、わりと違うところがあるし、もっと話がしたかったな」
「……」
メルトの言葉に、ユミアは何も返さずに刀を強く握ると、また飛び出した。
震えながらもしっかりと手にした刀を横に振り払い、血の鎌にヒビを入れると、小さく口を開く。
「『天抜喰』」
発話と同時に刀が急激に重くなり、勢いを増す。
「ぐっ!」
メルトの力をも押し返すような剛力がミシミシと腕と鎌に悲鳴をあげさせた。
「ぅ……」
しかし、押しているはずのユミアの方から小さな呻き声が聞こえた。
それは一瞬の力の緩みを生み、メルトが距離を取るための隙となった。
メルトはさらに数メートル高い位置の本棚へと飛び乗ると、ユミアを見下ろした。
「……なんのつもり」
メルトは左手を抑えながら、ユミアの顔を見る。
あのままいけば、メルトの腕を持っていくのも可能だったはずだ。だが、そうはならなかった。
ユミアは刀を持つ右手を震わせ、それを左手でぎゅっと握っていた。
「……わたしは正しいですか?」
「は?」
ユミアは本棚の上でへたり込み、刀を落としてしまった。
刀はユミアの手元から離れると、砂のように崩れて消えていった。
「ただしい?」
メルトが聞き返すと、ユミアは小さく頷いた。
「わたしは吸血鬼狩りとしてメルトさんを狩るのが正しいんですか? それとも、友達だからって、やめるのが正しいんですか?」
「もう、分からないんです」
ユミアは、すっかりさっきまでの研ぎ澄まされた剣士の風格を失ってしまっている。
メルトはそんなユミアに向けて血の弾丸を放とうとする。
「……」
だが、向けた指先を下すと、深く息を吸ってユミアに問いかけた。
「ねー、ユミアちゃんは、なんでうちらを狩るの?」
ユミアはメルトを見ると、小さくうずくまる。
「――恩返しのためです」
「ボスとやらへの恩返しのために、吸血鬼を殺すってこと?」
ユミアは頷くこともなく、沈黙した。
メルトはため息をつくと、ユミアの元へと降りてその目の前に立った。
「はー……正しいかどうかなんて、うちは知らないけどさ、ユミアちゃんはなんで生きてるわけ? 目的って、その恩返しとやらしかないの?」
「え?」
その質問は、ルノがいつもしている。人をさらけ出す純粋すぎる言葉の暴力だった。
「わたし、は」
ユミアはあまりにも強いその言葉に、気づけば自分の人生を振り返っていた。
◇
ユミアに残る幼い頃の記憶。
その多くは、木造の平屋に作られた道場のものだった。
「おじいちゃん! 剣おしえて!」
「またかいユミア、もっと女の子らしくお人形とかで遊ばないのかい?」
ユミアの生まれた家は、常現流という流派の剣術指南を行う師範の家だった。
日ノ道炎山という名の異界の剣士由来とされるその流派は、他の流派と比べ門下生は少なかったが、とても優れた流派であった。
それを継いだユミアの祖父によれば、常現流自体はどこかの流派の剣士と戦った際、技に感銘を受けた炎山が適当につけた名前だったり、炎山の弟子が作ったりとかなり雑なものらしい。
「そうだぞユミア。パパも、もっとかわいらしい遊びをしてほしいなぁ、なんて。ほら、このままじゃむさくるしい剣士になっちゃうよ? パパは嫌だなぁ」
ユミアの父の、どこか必死な様子を気にもとめず、ユミアは剣を振るった。
「パパうるさい。邪魔」
「もう反抗期がぁ……!」
「おい、むさくるしい剣士とは誰の事だ」
桃色の頭を抱える父親、それを見てため息をつく祖父、そんな二人を見るのも、ユミアにとっての日常だった。
日常が崩れていったのは、些細なきっかけからだった。
「ユミアや」
「なぁに? おじいちゃん」
ある日の道場、ユミアがいつものように木刀を持って祖父のもとへと駆け寄った時、祖父は険しい表情をしてユミアを懐に寄せた。
「もう剣術はやめなさい」
「……え、なんで」
これまでも冗談交じりに剣術以外を勧めることはあった。しかし、はっきりと祖父の口から「やめろ」と言われたのは初めてだった。
「お前はあの方に近すぎるんだ。この剣はただの剣じゃない。生き物を殺すための剣だ。ユミアには剣の才能があるが、それが発揮されるのはこの流派である必要はない」
「剣術を習うにしても、他の流派にしなさい」
祖父の顔に冗談は見えず、ユミアは混乱した。
この時すでに、ほとんどの技を覚えていたユミアにとって、それはあまりにも酷なものだった。
「今までおしえてくれたのに、なんでそんなこと言うの」
「とにかく駄目だ。木刀をしまってきなさい」
「どれだけ長く伝わってきた剣だろうと、もういい。ここで終わりなんだ。終わりにすべきなんだ」
結局、そう言った祖父の真意を知る事は叶わなかった。
祖父がすぐに病で亡くなったためである。
◇
「パパ……私」
「剣ならやめなさい。僕は、義父さんの剣術を扱えないし、ユミアにあの剣は必要ない」
「……義父さんも言っていただろう? あの剣は殺すため、戦闘のためだけの剣なんだ。守るためでも、強い信念があるわけでもないんだ」
祖父が亡くなってから、ユミアの父も剣を取り上げるようになった。
門下生も散り散りとなり、ユミアが剣を学ぶ手段は実質的になくなっていた。
しかし、ユミアは数少ない祖父とのつながりを失いたくなかった。
家の蔵に隠されていた秘伝書を見つけ、一人でこっそり修練を積む程、その意志は強かった。
「うーん、奥義だけできない……」
ある日、ユミアは秘伝書を上下逆さにひっくり返しながら、ユミアは木刀を振っていた。
「日ノ道炎山についてわかったら、使えるようになるのかな?」
その探求心が、新たな喪失へとつながってしまうことを、この時のユミアは想像もしなかった。
◇
炎山についての資料は思ったよりも簡単に見つけることができた。
ユミアが父の目を盗んで蔵に忍び込み読み漁った文献。
その中にある炎山の性格というものは端的に言ってしまえば――
「『炎山は竜を殺すために山の頂点を目指した……』『国でも最高峰の魔法使いを理由なく斬り殺した……』『闘い続けるために不老の霊薬を探した……』」
戦闘狂だった。
「なにこれ……」
師範代であった優しい祖父とは別ものの性格を持つ創始者、遠い昔とはいえ、あの祖父が継いできた剣が、あの時の言葉の意味が、ユミアの心を埋め尽くした。
「じゃあ、なんでおじいちゃんは剣を受け継いだの……」
「――ユミア!」
その疑問を解消することはついぞ出来なかった。
父がユミアの様子がおかしいことに気が付き、こっそり蔵へと出入りしていることを知ったことで、すべての文献が燃やされてしまったからだ。
温厚だった父は、どこか壊れたように、狂ったようにすべてを壊した。
そこからの崩壊はあっという間だった。
まず、ユミアの母が家を出ていった。
彼女は祖父……実の父が生きていた際は、ユミアの自由を尊重する人物だった。
しかし、祖父の死後、どこかぴりぴりとしたユミアの父とも溝が生まれていた。
そこにユミアの行動がとどめを刺した。
「お父さんがいつか言ってたわ。あの子はこのままでは危ないって。今ならお父さんの言葉の意味が分かるわ」
「ごめんね。ユミア。私はあなたの事も、あの人のことも、もう分からないし、怖いの」
これまで道場でのユミアに関して深くまで聞いてこなかった母。それでも、家では優しかった母にユミアは置いて行かれたのだ。
次は父だった。
「もう、もう無理だ。ユミア。なんで剣なんか持っちゃったんだ? なあ?」
「なにが!? パパ痛い! やめて!」
母がいなくなった次の日、父は広くなった家の中で、ユミアの手を強く握りしめ、縋るように恐れるように言った。
「僕じゃ無理で、ユミアは出来る。僕は似ても似つかなくて、ユミアはまるで写し絵。おかしいだろう?」
「だから義父さんに言ってたのに……!」
その目が怖くて怖くて仕方がなかった。ユミアは手を振り払い、暖簾をかけていた棒を手に取った。
それを見ると、父はさらに狂った。
「ああ、ああ! 構えも感じるオーラも! 義父さんの比にならない! なんで、なんで!」
そのままユミアの父は発狂しながら家を出ていった。
「――え、あ、パパ……?」
ただ茫然と立ち尽くすユミアは恐ろしい程に綺麗な構えであった。
状況を理解しきれずに、棒を手から落とすまで、どれだけの時間が経ったのか、ユミアには分からなかった。
「なにが正解だったの?」
「わたしに剣の才能がなければよかったの?」
「わたしに価値はないの?」
いくら剣の才能があろうと、一人で生きるにはユミアはどうしようもなく子供だった。
もはや広すぎる家の中、残った食材をただ貪り食うところに、その男が現れた。
『かわいそうに。才能に恵まれながらも、その価値を正しく見いだせない者に置いて行かれた哀れな少女だ』
赤い瞳がユミアを見ていた。
いつ家に入り込んだのか。その疑問よりもユミアは男の言葉に心臓をわしづかみにされていた。
魔力がこもっているような甘い声が、一声で誰もが尊敬してしまうようなカリスマ性が、限界を迎えたユミアに染みていった。
「わ、わたしは、おいていかれたの?」
『ああ。しかし、安心してくれ私が君の居場所を作ってあげよう』
「いばしょ?」
男は背中から銀の剣を取り出し、ユミアに渡した。
『私は吸血鬼を倒す正義の味方なんだ。君の才能は私が保証する』
『私が正しく使える環境を用意しよう』
『君には価値がある才能を枯らす必要はないんだ。君の正解は私が用意しよう』
そう語った男――吸血鬼狩りのボスは、ユミアに衣食住すべてを与えた。
その日から、ユミアはボスによる居場所を守るために生きることとなったのだ。




