きみだから
ルフトラバーグを食べ終わった後、ルノたちは赤い壁が目立つ宿「赤いガーベラ」へと戻ってきていた。
満たされた腹を手で擦りながら、ミルフィが宿の玄関口で立ち止まる。
「じゃあ、今日はミルも用事あるからここで! 連絡先は教えといた通りに! 明日もガイドとしてびしばしガイドするからサ!」
「うん、ミルフィさんまた明日」
ルノが手を振り、メルトも一回だけ手をさっと振る。
ルノたちはそのまま部屋に直行すると、ベッドのふちに腰を下ろした。
「はー、なんだか賑やかだったなー、ミルフィってさマクマルとは違う感じに元気いっぱいだよね」
「そうだね。マクマルさんと似てるかも」
ユンデネの神父見習いを思い出しつつ、ルノが日記帳を開き今日の出来事を記し始めると、メルトが両手の指をくるくるとまわす。
「あー、えっとルノくん。ちょっといいかな」
「うん? どうしたの?」
メルトは深呼吸してからルノの目をじっと見つめた。
「あのさ、この前の話の続き……ここで話したくて」
メルトのその言葉にルノは口を開くとこくりと頷いた。
「ありがと……それで、なんで今、ここなのかっていうとね」
メルトがルノの黒髪をすっと撫でた。
「ここが……うちがはじめてシノさんと打ち解けた場所だから……なんだ」
そう微笑むメルトの紅い瞳に吸い込まれるように、ルノはメルトの語る過去へと引き込まれていった。
◇
メルトがグラハムの死を確信してすぐ。日の下で歩き続けた弊害か、黒髪の女性に抱きかかえられてすぐメルトは眠ってしまっていた。
「……ッ!」
安心感から浮上するように目を覚まし、メルトは周囲を見渡す。
ルフトラに着いてから目を覚ましたあの一軒家ではないようだ。
前と違ったのは目を覚ましてすぐ、女性の顔が瞳に映り込んできたことだった。
メルトが目を覚ましたことに気が付くと、女性はリンゴの皮を剥いていた手を止めて水の入ったコップを机から持ってきた。
「よかった目を覚まして……」
安堵の表情を浮かべる女性を見てメルトは掠れた声を出す。
しかし唇を嚙むと、起き上がろうと体をよじる。
「わ、そんな急に動いたら」
女性が手を伸ばす。メルトは視界がぐるんと回転したような感覚に襲われると、そのまま女性の腕に支えられベッドに寝かされた。
「……ごめんね。ここがどこかわからないもんね。えっと、ひとまずわたしの家だと遠いから知り合いの宿に連れてきたの」
女性が優しくメルトの頭を枕に乗せる。
白い簡素なシャツから覗く首筋から目が離せない。
「すごい弱ってたから、何も食べてないんじゃないかって思ってリンゴ剥いたんだけど……」
何かを模した形に切っているようで、リンゴの赤い皮がふたつの耳のように見えた。
赤。そう真っ赤だ。
「あ、その前にわたしが誰かってところだよね。わたしはシノ。あなたは……」
シノの言葉を遮るようにメルトの白くとがった牙が柔肌に突き刺さる。
赤い血が欲しい。それだけだ。
「……!? あ、あなた——」
シノは急に飛び掛かられてよろめく。そのうえ首元に嚙みつかれ血を吸われている現状を理解するのに数秒かかった。
しかし驚いた表情は恐怖とは別に瞳を輝かせていた。
それはむしろ……
「——もしかして……吸血鬼さん……!?」
好奇心に輝いていたのだ。
メルトは吸血を終えると、そのわくわくに満ちた声におそるおそる目を向けた。
「あ、ちが……うちは」
メルトのおびえ切った表情を見るとシノは口を押えた。
「そうだ。吸血鬼狩りとかいうのがいるのよね。迂闊だった。ごめんね。大丈夫。わたしは誰かに話したりしないから」
シノはそう言うと首を傾けてそのまま首筋を指さした。
「ほら、もっと吸っていいよ」
その顔はほんの少しこわかった。
しかし、失った体力を取り戻そうとする本能には逆らえない。
メルトは若干テンションのおかしいシノから、そのまま血を吸い続けるのだった。
数分も経たないうちにメルトは血を吸い終えると、だんだんと体に活力が戻ってきたことを感じ、手を握っては開いた。
無意識のうちにシノの体温にすっかり落ち着いてしまっていたようで、体が完全に寄りかかっている。
「ッ!」
メルトは少し頬を赤らめるも、そのまま動かない。
シノはというと、少し顔が青ざめている。
「お、思ったより食べ……盛り……」
「あ……!」
きゅうと音を立ててベッドになだれ込むシノの姿を見ると、メルトは慌ててシノの体をゆするのだった。
◇
「まったく……何をしてるんだか。シノ、もっと危機感というものを持ったほうがいいぞ」
「ルセドに言われたくない」
シノが倒れてすぐ、その男は現れた。
ルセドと呼ばれた男は灰色の頭を撫でてなんのことか分からないといった表情をした。
そしてシノの横で椅子に座るメルトをちらりと見ると、近づいて膝をついた。
「やぁ、俺はルセド。こっちのシノの夫です。きみのことは外で拾ったんだ」
「その時のことは、シノに聞いたかな?」
おどけた様子もなく、ルセドは膝の上で拳を握りしめている。
メルトがこくりと頷くと、ルセドは言葉を飲み込み立ち上がった。
「分かった。色々知りたいことはあるだろうが、とりあえずシノと風呂に入るといい。家族風呂だがかなり大きい」
「ただ、シノは気をつけるんだぞ。部屋には残るから何かあったら呼んでくれ」
メルトは言われるがままにシノとともに風呂に入る。確かに大きな風呂で、軽く泳げてしまえそうだと思うほどだ。
シノに優しく体を洗ってもらうと、メルトは少しぬるい湯舟に浸かる。
シノもまた体を洗うとゆっくりと湯舟に浸かった。
「ルセドの言う通り気を付けないとね……少しぬるめのお湯だけど大丈夫?」
「…………大丈夫」
「よかった」
目元に張り付いたメルトの前髪を払うと、シノは微笑む。
ほとんど初対面の相手と風呂に入っている。その事実を再確認すると、メルトは少し体を縮こませた。
背中越しの視線を気にしないように湯船に顔を浸すと、ぬるま湯が顔を覆い隠し、耳がくぐもる。
「——」
何か声が聞こえた。何を言っているのかは分からなかったが、何度も同じような音が流れたかと思うと、メルトは体を引かれ湯船から顔を上げた。
「大丈夫!? のぼせちゃった?」
メルトが顔を上げると、シノはぺたぺたと顔を触ってくる。
そして安心したのか崩れるように肩まで湯船に浸かると、浴槽に手をついて笑った。
「よかった……何ともないね」
シノのその一喜一憂する姿をちらりと見ると、メルトは体を動かし顔を向かい合わせた。
「……ねぇ、なんでうちのことを助けたの」
「うちは吸血鬼だから、一緒にいちゃいけないのに」
脳裏に浮かぶ老執事の苦しそうな笑顔が、メルトを苦しめた。
自らの腕をぎゅっと握りしめ、震える体を必死に止めるのが精一杯だった。
シノはメルトの瞳をじっと見つめると、小さく人差し指を立てた。
「まず、ひとつきみの間違いを直します。なになにだから一緒にいちゃいけないなんてことはありません」
「そして、わたしがきみを助けたのは、ただそうしたかったからです」
迷いなく言い切ると、シノはメルトの目から信じていないことを感じ取ったのか、人差し指を自らの口元に持っていった。
「まだ信じてないみたいだから、信じられるようにわたしの秘密、特別に教えてあげる」
「……なにを」
メルトがほんの少し食いついたのを見るとシノはくいくいとメルトを手招き、手でメルトの耳元を覆った。
こしょこしょ話をするつもりのようだ。
「きみが吸血鬼なように、わたしも少し特別なんだ」
「実は……わたしは異世界からやってきたのです」
そう言ってメルトの耳元から口を遠ざけると、シノは誇らしげに胸を張る。
「異世界……?」
「そう、わたしはこことは違う世界の日本っていう国から来たの。だから、言っちゃえばこの世界の人から見たらノケモノみたいなものでしょ?」
シノは気丈に振る舞うが、メルトはその内側に小さな孤独を感じ取った。
自らと同じような存在。重なったように思えた。
「でも、色々あって、助けてもらって……今はルセドとも結婚しちゃった」
「だから、わたしがしてもらったみたいにきみのことを助けただけなの」
嘘偽りない。そう信じたい。メルトの中に残っていた気持ちがほぐれていく。
「そうそう、ちなみに日本だと綾崎詩乃って名前で……あ、音だけじゃ漢字がわかんないか」
このままいけば故郷の話が止まることはないと思える程の嬉しそうな語り口。
メルトはずっと自らの境遇を話したかったのかと考えると、小さく口を開いた。
「…………メルティベル」
メルトの一言にだんだんとシノの頬が上がっていく。
「え、それってきみの……」
「うん、名前。でも、その……メルトって呼んで」
「わかった! メルトちゃん!」
これがふたりの関係のはじまりの場面だった。
諸事情でモチベーションがないのでまた期間をあけます。




