徒夢
うっすらとカーテンの上下から漏れ出す光が、薄暗い部屋をぼんやりと照らしている。
夢と現実の境目、ぼんやりとした視界に映るのは真っ白な天井。
メルトの体は柔らかい感触に包まれており、沈み込む体が起き上がる意思を優しく拒絶する。
ただ、あたたかい。それだけがメルトの脳裏に満たされていた。
夢見心地は薄れて、視界は開けていく。現実が頭の先から染み込んでくる。
「ベッド…………」
腕を伸ばすとふわふわとしたブランケットが体をやさしく撫でる。
森を進んでいた際の枯葉のベッドとは比べ物にならないほどの……
森?
そうだ、森を抜けて………………
「グラハム!」
起き上がって右を見る。窓だ。
すぐさま左を見る。扉がある。
いくつもの本棚に囲まれているが、どうやら寝室のようだった。
「ここは……うちは森を抜けて……ルフトラがすぐそこで……」
「そこ……で…………」
それ以上は声に出せず、両手で口を押さえた。呼吸が浅くなり、ブランケットをしわくちゃになるほどに握りしめた。
嫌でも思い出してしまう。動かない人間の腕があんなにも重くて……
「……ッ!」
思い切りブランケットを放り投げると、メルトはカーテンを引き、窓の外を睨みつける。
この家は丘の上に建っているらしい。一軒家が並ぶ大通りが遠くに見え、幸い家の周囲に人はいないようだ。
だが、太陽が天高くから見下ろしており、身を隠すものが無ければすぐにくたびれて動けなくなるだろう。
「グラハムはどこ……!」
それでもまだ、この目で確認していない。
あれは現実に近い、恐ろしい夢だったのかもしれないのだ。
ここがどこか、何故あそこで寝ていたのかなんて関係ない。確かめなくちゃいけない。
メルトは放り投げたブランケットを拾い上げて体を覆うように巻き付けると、窓を開く。
二階の部屋から降りるのは怖くない。だが、日の下でたった一人でいることが何よりも怖い。
けれど前に進まないと何も起こらない。
唾を飲み込むと、目元だけを出した姿で、窓から飛び降りる。
難なく着地したが、家の中から声が聞こえる。
若い男女の声で、内容までは聞き取れない。
だんだんと近づいてきているようだ。
「見つかる……!」
ベッドに寝かされていたからといって、ここの家主がいい人間かなんて分かりやしない。
メルトは体を包むブランケットを両手で握りしめたまま、宛もなく走り出した。
◇
「はぁ……はぁ……」
家を飛び出してしばらく経ちたどり着いていた。
メルトは町を囲む壁に手をつき寄りかかると、左右に広がる壁を見る。
メルトの飛び出してきた家含め平原も内地であり、町の大きさに対して広く高く積み上げられていた。
遠く向こうまで無限に続いているのかと思わせる壁だったが、高さ自体は10メートルほどで、メルトにとって飛ぶことさえできればそう高くない。
だが、まだ日が出ている。飛ぶことさえできれば簡単に乗り越えられるはずの壁が、今はメルトの行く先をふさぐ障壁となっていた。
メルトは息を整えるとまた走りだす。壁をつたっていけば出口はあるはず、そう考えて進み続ける。
一歩一歩が重く、とても走っているとはいえない速度だった。
「グラハム……」
歩幅が狭まっていく。持ち上げようとする足が地面から離れない。ブランケットをつかみ続ける指が何度ももつれそうになる。
さらに、無慈悲にもメルトを照らす陽光は輝きを増している。
もう、歩きたくない。
膝が笑っている。完全に手詰まりなのだろうか。
メルトが地面に両手両膝をつき、唇をかんだ時、壁とは逆手側から声がした。
「——見つけた!」
若い女の声で、メルトは直感から自分の寝ていた家の家主だと気づいた。
息を切らしながら近づいてきているようだが、逃げようにもメルトのほうが消耗している。
メルトがブランケットで小さな身を守ると、女はブランケットについた土や葉を払う。
そのまま優しく抱きしめるとほっと息をついた。
「……はぁ、はぁ…………様子見に行ったらいないから……心配したよ!」
女は息を整えると、メルトのブランケットを剥ぐこともなく背中をさすり続けた。
「無事でよかった……あんなにぼろぼろだったのに大丈夫? 喉乾いてない?」
女は逃げ出したことを責めることなく、ただメルトの体調を案じるだけだった。
メルトはうっすらと光の透けるブランケット越しにその顔の影を見る。
当然顔は見えない。それだというのに、わかってしまう。
「(この人は、本気で心配してるの?)」
薄いヴェール越しにメルトの体が震えた。
フクロスにいたときのような優しい人間だ。自分を吸血鬼としてしか見ずに殺そうとしてくる人間ではない。
いやまだ、まだだ。これも嘘かもしれない。
「……乾いてない! ほっといて! うちは大丈夫なの!」
メルトは声を振り絞る。からからの喉を通る空気は鉄の味がする。
びくりと背中を撫でていた手が止まる。体温が背中へ手形状に広がる。
メルトは震えるままの小さな手で、できる限りの小さな血のナイフを作り出す。
上手く形状が練れず、強度も足りない。これでは張りぼての……自分の身1つすら守れないおもちゃの刃だ。
そんなナイフを握りしめたままうずくまっていると、背中に置かれていた手が離れた。
そして気配がメルトの真正面に移動し、体を持ち上げられた。
女の影が、陽光を遮った。
「あ」
手に持っていたナイフが手からすり抜け、地面に落ちて溶けていく。
ブランケットの陰からメルトの顔と女の顔が向き合う。
黒髪に目が行く。メルトの白髪のように珍しいものだった。この人も何か普通ではないのか、そんな思考はすぐにかき消された。
メルトをまっすぐ見つめるこげ茶色の瞳、頬の内側を噛んでいる女の表情から目を離せなかった。
「わたしが信用できないのはなんとなく分かる。どうやったら信じてもらえるかは分からない……けど」
「嘘、つかないで。喉は乾いてるでしょ。声、がらがらだよ……!」
そう女が呟いた。
胸をきゅっと絞られたようなこの感覚に、メルトは覚えがあった。
リディベルに叱られた時と同じだ。この女は自分を叱っている?
……違う。それは部分的にしか正しくない。彼女は正真正銘心配しているのだ。見ず知らずの子供を介抱し、息を切らして探しに来るほどの人なのだ。
——理解したくなかった。
「……ねぇ、グラハムは」
探し求める答えを彼女が知っていることなんてとっくに分かっていた。
思い通りの世界がそこにないことも分かっていた。
「グラハムは……どこなのぉ」
メルトは女の服を掴む。
女は言葉を返さず、メルトの目を見つめたまま唇を嚙んだ。
やがて意を決したように息を吸い込むと、女は服を掴み続けるメルトの手を包み込んだ。
「それは……あのおじいさんのこと……だよね」
「…………すぐに病院に連れて行ったんだけど、助けられなかったの……」
メルトは目を見開く。「助けられなかった」そうこの女は言った。
執事グラハムは、あの時あの場で死んだのだ。
俯いたまま、包まれていた両手を優しく振りほどき自らの目を覆い隠すと、メルトは頭を振る。
「………………は、はは」
「うち以外みんな死んだ。死んじゃった! あはは! なんで! ははは! なんでぇ!」
馬鹿馬鹿しい。過去に何があったのかは知らないというのに。
何のせいで自分はこんな目に合うのか。
あの日、フクロスから逃げ出してから考え続ける問いが、どこまでいっても逃れられない問いが、どうしようもなく笑えてきた。
まさか理由なんてないのか?だとしたら尚更笑える人生だ。
この先長いだろう吸血鬼人生、こんなタイミングで人生を悟ったような気がした。
人生真っ暗闇。そう思うに十分すぎる経験が、メルトの中の何かを壊した。
◆
「——ひとまず、ここまでにしていい?」
「色々理由はあるんだけどさ……ちょっと……つらいかも」
「グラハムはさ……おじいちゃんみたいな人だったんだ。パパとママと同じくらい、大事な人だった……」
揺れる船内。深く息をつくと、メルトはうっすらと笑みを浮かべた。
目の端に溜まった涙を拭う姿には、単純に割り切れない過去を語ることの意味が滲んでいるようだ。
ルノはそんな微かな瞳の揺れを感じ取ると、こくりと頷いた。
「そっか……うん、ゆっくりでいいよ」
「……ありがと」
そう言ってメルトは膝上で握っていた手をぱっと開き、小さく叩いた。
「この後の話はさ、実はルフトラに着いてからしたいんだ。うちの見てきたあの町、きみが生まれたあの町で」
「……うーん」
メルトの言葉にルノは少し目を逸らした。
「ほんとうはもう、すごい気になるんだけど……」
「わかった。今度は話してくれるんだもんね」
「ちょっとー! なんか少しイジワルな言い方じゃない?」
「そう?」
2人は顔を見合せて笑うと、同時に小さな窓の外を見た。
「そうだよー! もー……うちって結構傷つきやすいんだから、ルノくんの横で泣き続けちゃうよ。この船乗ってる間」
「ごめんねメルトさん。それはいやかも」
「え! 慰めてよ!」
メルトがぐいっと首を回してルノを見る。
ルノはそんなメルトを軽くあしらうのだった。




