霊妖之王は、浮光霊沢より現れた――そこは、幻霧と名もなき歌声に、一年を通して包まれた湖域である。
その地には、明昼の日もなく、繁星の夜もない。ただ、糸のように細い霧気と、水のように揺れる音律だけが、静かに空気の中を流れていた。
訪れる者がどのような感情を抱いていようとも、この地へ足を踏み入れた瞬間、まるで忘れ去られた夢の中へ迷い込んだかのように感じられた。
後世の者たちは、この湖を「霊域湖」と呼んだ。しかし、その真の姿を知る者は、霊妖族のみであった。
霊妖族は、実体を持たない。彼らは生まれながらにして無形であり、声を導きとし、情を姿としていた。怒りは彼らを烈焔へと変え、悲しみは彼らを水面の下へ沈ませる。そして、他者の感情と共鳴した時にのみ、彼らの姿は初めて真に「見える」ものとなる。
族人たちは、彼女を「夢行者」と尊称していた。それは単なる誉号ではなく、一種の現象でもあった。彼女は、ただ夢境を渡り歩ける存在なのではない。彼女そのものが、夢と意志の具現であった。まだ言葉にならなかった想い、いまだ手放されぬ記憶、そして、まだ目覚めぬ願いのすべてが、彼女の内で絡み合い、ひとつの生命のかたちを織り上げていた。
言い伝えによれば、彼女が誕生したその瞬間、霊沢全体は、かつてない静謐に包まれたという。
湖面には幾筋もの光華が咲き広がり、まるで過去と未来の断片が、そこに映し出されているかのようであった。彼女はそうして瞳を開き、万世万物の声に耳を澄ませた。
彼女は、静寂の中にあってなお、森全体の鼓動を感じ取ることができた。風がまだ吹き起こる前に、その向かう先を知り、敵意が形を成す前には、すでにその憎悪の根源を見抜いていた。
彼女は、万霊のあいだでも稀有な「無主導性支配者」であった――命を下すこともなく、力ずくで支配することもない。それでも人々(ひとびと)は、いつしか自ら選択権を彼女の手へ委ねてしまうのである。
その声は、妖界でもっとも純粋な共鳴であると讃えられていた。
それは、世界そのものに一時、争いを忘れさせるほどの響きであるとも言われている。彼女がただひとたび静かに口ずさめば、それだけで、百年のあいだ眠り続けた夢獣でさえ、暴走から解き放たれ、安寧へと帰っていった。
戦争のさなか、魔神軍団「凜霧咒裔」は、神鷹族の聖域へ侵攻した。
戦火は三日三晩、絶えることなく燃え続け、劣勢が明らかな神鷹族は、いつ滅族の危機に陥ってもおかしくない状況にあった。
だが、あの王が現れた。
彼女は手を下すこともなく、顔色ひとつ変えなかった。ただ静かに山頂に立ち、目を閉じて精神を研ぎ澄まし、この揺れ乱れる大地の声へ耳を傾けていた。
彼女の夢境魔法は、敵軍に「自分が向き合うことを拒み続けてきた記憶」を思い出させる力を持っていた。
そうして彼らは、一人また一人と、己の内奥に渦巻く深淵へ沈み込んでいった。征戦の理由を忘れ、進むべき方角さえ見失っていったのである。
この出来事は、後世に「遺跡失声夜」と呼ばれるようになった。
歴史の記録によれば、その魔神軍の総数は一万を超え、敗走する神鷹族を追撃するため、幻音山脈の奥地へと深く踏み込んでいた。
だが、風ひとつ吹かぬある夜、全軍は突如として連絡を絶たれた。辛うじて逃れおおせたのは、軍団長「ウルカレシュ」ただ一人のみであった。
山脈全体は、まるで夢境そのものに折り畳まれたかのようであった。地形は錯乱し、人影は幾重にも重なり合う。兵士たちは、それぞれが異なる現実の中に閉じ込められたかのように、互いの存在を感知することもできず、自分たちが何のためにここへ来たのかさえ思い出せなくなっていた。
それは幻術ではなかった。彼らの「意志」そのものが、目に見えぬ力によって剝がされ、魂はそれぞれ己の最奥に沈む夢の中へと引きずり込まれていたのである。
その混乱のただ中で、遠く山影の中に彼女の姿を見たと語る者もいた。長い髪は風にたなびき、衣の袖は霧のように揺れ、声なき一曲が風の中に静かに響いていたという。
それこそが、霊妖之王であった。
彼女の力は、意図せずとも発せられる。その威圧は、人の心を深く震わせ、抗うことなくひれ伏させるに足るものであった。
彼女の存在があるがゆえに、戦火は静まり、夢境は真心を呼び覚ます。そしてこの世界は……ほんの束の間、優しさとはどのようなものだったのかを、再び思い出すのである。
妖貍之王は、三王の中でもっとも野性と剛勇に満ちた王であった。その威名は、生まれながらに備わった力に頼ることで築かれたものではない。ひとつひとつの試練を、己の身ひとつで潜り抜け、剝き出しのまま鍛え上げられてきたものであった。
彼の出自は、誰も知らない。彼が初めて姿を現したのは、北境の災いの時であった。その時、彼はただ一人の力で、妖幻島へ侵攻した巨大異獣「赤骨龍蜥」を退けたのである。
その頃、赤骨龍蜥は妖域を蹂躙し、進む先々(さきざき)で野を焼き、妖を喰らっていた。その巨体は百丈にも及び、背の骨脊は刃のように鋭く、ひとたび尾を振るえば丘すら崩れ落ちた。多くの部族は抗うこともできず、潰走して退守するほかなかった。
諸方の妖将たちが打つ手を失っていたその時、彼は山頂より現れた。名を名乗ることもなく、陣を敷くこともなく、ただ孤身のまま敵へと向かっていった。
その戦いは、一晩じゅう続いた。赤骨龍蜥の咆哮は山林全体を崩れ落とし、天地を震わせた。だが彼は素手のままそれに挑み、龍蜥を石脊のあいだへ力ずくで押さえ込み、最後には自らの身をもってその頭部へ猛然と突き進み、その場で骨冠を打ち砕いた。
龍蜥が息絶えた時も、その全身の骨骸はなお緩やかに燃え続け、血はどろりとした漿のように流れていた。だが彼に残った傷は、左肩にわずかな擦過傷があるのみであった。
その夜を境に、妖怪たちは彼を「貍神」と呼ぶようになった。
戦時において、貍神は数多くの妖たちを率い、外界より来る魔神の主力部隊と正面から渡り合っていた。
記録によれば、「鳴爪山口爭奪戰」において、敵軍「祖斯奧格納」軍団は三万の兵を擁し、すでに三つの要道と五つの拠点を奪っていた。当時、龍族の兵士たちはすでに三度にわたって潰走し、士気は著しく落ち込んでいた。
彼が到着してからも、鼓舞を行うことはなく、陣図を敷くこともなかった。ただ一声、咆哮を放っただけで、自ら先頭に立って突撃し、たった一人で敵軍の斜陣を突き抜け、敵方の主将を牙の下に斬り伏せた。その後、妖兵たちは一斉に奮起して追撃に転じ、全軍は敗勢を覆して勝利を収めた。
この一戦ののち、鳴爪山口に再び敵が踏み入ることはなかった。
「赤野裂谷收復戰」もまた、その一例である。
そこは地形が狭く、断層が縦横に走る険地であり、「加爾澤斯」軍団はすでに半月にわたって高地を占拠していた。討伐に向かった天使族の兵士たちは幾度も兵力を損ないながら、ついに成果を挙げることなく引き返るほかなかった。
彼はただ一人で潜入し、敵の大営に気づかれることもなかった。そうして夜明け、最初の霧が立ちのぼるその時、みずから敵軍の旗柱と糧車を断ち切り、敵の主力を大きく動揺させた。
彼はその咆哮を合図として谷口から突入し、わずか三十分のうちに五つの伏地を一掃し、戦局を力ずくで逆転させたのである。
後世の者たちが戦場の痕跡を調べた時、その場にはいかなる魔力の痕跡も見いだされなかったことに驚かされた。大地を裂き、岩石を砕き、肉体そのものをぶつけてなされた破壊ばかりであり、まさに武力の極致と呼ぶにふさわしかった。
ほかの王者たちには、神壇や法座、あるいは歴史碑文といった証がある。だが、貍神の記録は、すべて地形と傷痕の上に刻まれていた。
あの地割れも、あの崩れ落ちた山容も、そして今なお草木すら生いぬ断層も、その一つとして彼が自ら戦った痕跡でないものはなかった。
彼の功績は、人の手で書き残されるまでもない。天地そのものが、すでに彼のために記号を打ち立てていたのである。
その、世界のすべてを滅ぼしかねなかった大戦において、三王は九人の大人たちと肩を並べて戦い、ついにこの大地を守り抜いた。
戦況は激烈を極め、空すら色を変え、地脈は絶えず揺れ動き、各地では災変が相次いで起こった。まるで終末が訪れたかのようであった。
そして最終的に、三柱の魔神は虚空の裂け目へ封印され、その麾下にあった十名の将軍のうち、六名は討ち滅ぼされた。残る者たちは、逃亡したか、あるいは行方知れずとなった。
戦争は終わったとはいえ、その犠牲はあまりにも大きかった。
なかでも、もっとも痛ましかったのは、妖貍之王の戦死である。
最終決戦において、魔神軍は龍霧山の「嵐劫谷」に転送通路を開き、そこから奇襲を仕掛けようとしていた。
妖貍之王は、その通路を自ら塞ぐことを選んだ。援軍を待つこともなく、退いて守りを固めることも考えず、彼はただ一人で谷地へ踏み入り、孤軍のまま戦い抜いた。
そして最後の瞬間、彼は強大な自爆魔法――「命劫終焔」を発動した。
彼は自らの妖核――すなわち生命の核たる力そのものを燃料とし、地脈全体を爆発させ、嵐劫谷ごと襲来した魔神軍をも巻き込んで粉砕したのである。
その爆発によって、谷そのものは大きく崩れ裂け、地形は永久に変えられた。
それ以来、嵐劫谷は完全なる廃墟となり、もはや誰ひとりとして近づこうとはしなくなった。
戦後、妖狐之王と霊妖之王はともに谷底へと足を運び、妖貍之王が燃え尽きたあとに残された妖核を見つけ出した――それは赤い晶石であった。主の生命の気配はすでに失われていたものの、なおもかすかな光をゆるやかに放っており、まるで彼の意志が今なおこの大地を守り続けているかのようであった。
彼女たちは、その妖核を天狐神社の禁殿最深部へ安置し、封印を施した。そしてそれを、妖族にとってもっとも重要な宝物のひとつとして扱った。
それ以来、三年に一度の赤月の夜になるたび、妖族の者たちは天狐神社へ集い、儀式を執り行うようになった。
儀式の中で彼らは、霧酒、紅玉、そして灰燼果を捧げる。それは、妖貍之王が生前もっとも好んでいた三つの品であった。
その儀式には、歌頌もなければ、賛辞の言葉もない。ただ静かな献杯と、声なき追慕だけがある。
なぜなら彼らは忘れていないからである。世界が危難に瀕したその時、この王が己の命をもって、希望へと至る道を切り開いたことを。
戦争が終結したのち、大陸はようやく束の間の平穏を取り戻した。だが、その平穏は、まるで廃墟の中からようやく息を吹き返した重病人のようなものであった――表面の血は止まっていても、骨の奥底にはなお深い傷が残されていた。
焰火はすでに消え去っていたが、災厄はなお終わってはいなかった。各地は黒霧と魔痕の侵蝕によってずたずたに裂き裂かれ、数多くの古き都市や聖域は、地図の上から完全に姿を消していた。
外界の魔神たちは封印されるか、あるいは追い払われたとはいえ、彼らが残した瘴気と混沌の残片は、世界の根底深くになお埋もれたままであった。それはまるで、見えぬところに潜む毒針のように、いつでも現世の安寧を再び刺し貫きかねないものであった。
いかなる小さな油断であろうと、それは再び新たな災禍を呼び起こす引き金となり得た。
まさにそのような、風雨に揺らぎ、あらゆるものが再建を待つ時代にあって、妖狐之王と霊妖之王は、退隠の道を選ばなかった。また、その重責を後進へ押しつけることもなかった。彼女たちは王としての責務をその身に負い、妖族を率いて再建への道を歩み始めたのである。
戦後の妖族は、大きな試練と融和を経てはいたものの、その内側ではなお諸族が完全には一つとなっていなかった。互いへの信頼は依然として薄く、各地の防御法陣も、ほとんど機能を失いかけていた。もしこの時、新たな災厄が襲い来るならば、もはやそれを防ぎきる力は残されていなかった。
妖狐之王は、誰よりも早く行動を起こした。
六島之國が成立した当初、彼女は雲閣に天狐神社を創設し、自ら「宮司」の職に就いた。そして、妖族と六島之國の神々(かみがみ)とを結ぶ絆となったのである。
それは単なる象徴ではなく、実際には明確な政治的手段でもあった――神社を通じて、彼女は六島大結界の運用を支え、さらに数々(かずかず)の重要な祭祀の儀式を司っていた。
当時、妖狐之王はみずから六島各地を巡っていた。山林であろうと、荒原であろうと、遺跡であろうと、あるいは廃墟であろうと、修復を必要とする場所があるならば、彼女は必ず自らその地へ赴いた。
彼女が持つ強大な魔法の力と、唯一無二の「星地雙權」の能力によって、すでに断たれていた地脈の核は、一つ、また一つと再び起動していった。
それらの地脈核心は、まるで島々(しまじま)を巡る血脈の節点のようなものであり、大地そのものの安定と、霊力の流動を左右する極めて重要な存在であった。
一度ごとの修復は、単なる施法ではなかった。それは「契印」と呼ばれる儀式を要するものであった。
この儀式魔法を行うにあたっては、まずその土地に流れる地脈の動きを正しく理解しなければならない。そのうえで、法陣とその核心を再び結び直していく。それは、まるで断ち切られた神経を一本ずつ丁寧につなぎ合わせていくような作業であった。
それは、誰にでも成し得ることではない。土地と霊脈が発する「声」を真に聞き取ることのできる者だけが、その務めを果たすことができたのである。
彼女の尽力によって、一つ、また一つと地脈は再びその機能を取り戻していった。霊気は再び大地を巡り始め、揺らいでいた大地もまた、徐々(じょじょ)に安定を取り戻していった。
そして何よりも重要であったのは、それらの修復の営みが、各地に散り、なお不安を抱えていた妖族たちに、再び王からの庇護と力を実感させたということであった。
しかし、妖狐之王の目標は、初めからただ世界を平穏へ戻すことだけではなかった。
あの長き戦争の中で、妖族は他種族と肩を並べ、ともに外来の魔神の脅威に立ち向かってきた。だからこそ、彼らのあいだには、得難い信頼と協力が築かれていたのである。
だが彼女は、そのような戦火の中で生まれた結束が、あくまで束の間のものであることをよく理解していた。ひとたび危機が去り、平和が訪れれば、人々(ひとびと)はたやすく、かつて抱いていた偏見や隔たりの中へと戻ってしまう。もしそれを放っておけば、ようやく築かれた関係もまた、塵のように少しずつ散り失せてしまうに違いなかった。
そうした事態を防ぐため、彼女は種族を越えた神祭や儀式の数々(かずかず)を推し進め始めた。
それらの儀式は、単なる伝統的な宗教行為にとどまるものではなかった。各族が互いの文化を理解し直し、あらためて結びつきを築いていくための場でもあったのである。
同じ営みにともに身を置くことによって、彼女は妖族を、他種族の目にただ「かつての戦友」として映るだけの存在ではなく、ともに暮らし、ともに信頼を寄せ合うことのできる仲間へと変えていった。
その積み重ねは、やがて六島之國全体の種族社会を、少しずつ安定へと導いていった。
彼女にとって、それこそが「妖王」として戦後に果たすべき、もっとも重要であり、そしてもっとも困難な責務であった。なぜなら、平和を守り抜くことは、戦争に勝つことよりも、はるかに難しいことだったからである。
一方で、霊妖之王は、妖族内部の統合にこそ重心を置いた。
彼女は妖狐之王とともに、もともと築かれていた妖族王廷を基盤として、新たな中枢機構を設けた。その名は、「妖域議政廳」である。
それは、単に名を改めただけのことではなかった。そこから始まったのは、妖族を治めるための、まったく新しい統治の仕組みそのものであった。
彼女が提唱した「族群輪議制」は、旧来の階級観念を打ち破るための制度であった。
かつての妖族社会では、もっとも強大な族群や血脈が発言権を握ることが常であった。だが彼女は、そのあり方では、過去の分裂と衝突をふたたび繰り返すだけだと見ていた。
ゆえに彼女は、妖族のあらゆる分枝に、等しく声を発する機会が与えられる制度を構想したのである。
議会を主導する席次は、各族群の歴史、功績、そして文化継承の重みに応じて、順に入れ替わるよう定められた。そうすることで、いずれの側も永遠に下位へ押し込められることなく、また誰ひとりとして権力を独占できぬようにしたのである。
彼女は召集令を発し、すべての妖族部族の代表者たちに参集を呼びかけ、自ら再建計画の全体を司会した。山林の奥に身を潜める小部落であれ、長きにわたり異郷を流転してきた族裔であれ、参加を望む者には、彼女は必ず相応しい立場と、発言の機会を与えようと努めた。
彼女は、命令によって皆を一つにまとめようとはしなかった。そうではなく、忍耐と対話、さらには夢境と記憶を通して、族人たちが互いへの信頼をふたたび取り戻せるよう導いていったのである。
この一連の改革は、妖族の歴史において、かつて一度として存在しなかったほどの重大な変革であった。
それは、戦後に生じかねなかった権力の混乱を見事に防いだだけでなく、妖族社会全体を、少しずつ安定と平等、そして開放へ向かう未来へと導いていった。
そしてついに、妖狐之王と霊妖之王の共同の導きのもと、かつて分裂し、対立していた妖族は、ふたたびひとつの結束した族群としてまとまりを取り戻した。
彼らは帝を称することもなく、武力によって天下を統一しようと望んだこともなかった。それでもなお、妖族を傷だらけの大地の上に再び立ち上がらせ、失われていた尊厳と希望を取り戻させたのである。そしてそれは、未来の六島之國全体の発展を支える、堅固にして遠大な礎ともなった。
しかし、新たな制度のもとにあってなお、妖族の伝統に深く根づいた「強者為尊」の観念は、人々(ひとびと)の心の奥に色濃く残り続けていた。
多くの族群は、なおも、真に強き者だけが、妖族全体を率いる資格を持つのだと考えていた。
霊妖之王が築いた「族群輪議制」は、たしかに内部の権力構造を改め、異なる分支にも等しく発言の機会をもたらした。だが、それは妖族が「指導者」への期待を捨てたことを意味するものではなかった。
制度への敬意と、古き伝統とのあいだに均衡を保つため、妖族は最終的に、輪議制を基盤としながらも、「王者推挙」の儀式を残すことを決めた。
妖族の王位が持つ精神的象徴を受け継ぎながら、同時にあらゆる族群が新たな指導者を受け入れ、心から認められるようにするため、彼らはひとつの伝統を定めた――その名は「百族大會」である。
百年に一度、すべての妖族の代表たちは白月之森へと集い、その地において、厳粛かつ盛大なる王者の試練を執り行うのであった。
この大會においては、すべての妖族が、自ら認めた強者を考核へ送り出すことができた。幾重もの関門を突破しさえすれば、出身や背景を問わず、誰にでも妖狐之王あるいは霊妖之王の後継者となる機会が与えられたのである。
その考核で問われるのは、単に誰がもっとも強大な力を持つかという一点だけではなかった。参加者には、意志の強靭さ、判断力、そして天地の霊脈との共鳴の深さまでもが求められた。
この三つの試練は、天狐神社と妖域議政廳が共同で設計したものであり、それぞれ次のように定められていた。
第一關「守序之陣」は、参加者の心念が揺るがぬものであるかどうかを試すためのものであった。幻術と誘惑のただ中に置かれても、なお己の本心を守り抜けるかが問われた。
第二關「星識之境」は、特別な儀式空間を用い、参加者が自然の霊脈といかに調和できるかを測る試練であった。
そして第三關「靈劫對決」は、真の実戦試練であり、極限に近い条件のもとで、参加者が王者にふさわしい胆識と決断力を備えているかどうかを見極めるものであった。
言い伝えによれば、この一連の考核は、初代妖王のうち、初代の妖狐之王と霊妖之王がかつて歩んだ道程をもとに改編されたものだという。それはすなわち、彼女たちが未来の継承者へ託した祝福であり、同時に越えるべき試金石でもあった。
ゆえに、「百族大會」は、単なる選抜の場ではなかった。それはむしろ、祖先たちの歩みをあらためて辿り、自らが「妖王」の名に値する存在であるかを証明するための旅路であった。
このような仕組みは、一方では、強者が導くという古き伝統を受け継ぎながら、他方では、新たな制度のもとにある妖族社会が、互いを尊重しつつ安定を保つための礎ともなっていた。
この時より、「妖王」とは、もはやただ力によって他者をねじ伏せる覇者ではなく、妖族全体の未来の行く先を背負う、象徴的な中核として在るべきものとなったのである。
さらに、妖狐之王と霊妖之王は、他種族に対して自ら「共治制度」の樹立を提案し、はじめて種族を越えて効力を持つ永久協議の草案を提示した。これこそが、のちに世に広く知られることとなる契約――『共理之契』である。
『共理之契』は、災後三年目に成立したものであり、当時の初代神明と妖域議政廳が共同で発起した。
この契約の起草には六年の歳月が費やされた。そのあいだに二十七回に及ぶ三者協議が重ねられ、十六名の全権代表による署名が交わされ、さらに千を超える草案条文について、果てしない議論と修訂が繰り返された。そうして最終的に、全十四巻、総計一千四百二十三条に及ぶ完備した条文として編み上げられたのである。それは六島之國の歴史において、もっとも巨大で、もっとも複雑でありながら、同時にもっとも強固な共同法規でもあった。
この契約は、単に統治制度を築くためのものではなかった。それはむしろ、意志と犠牲とを受け継いでいくための証でもあった。
それは、あらゆる種族が対立から理解へ、同盟から共理へ、そして独尊から新秩序へと至る均衡の道を象徴するものであった。
契約が発効してからの百年のあいだ、妖族はもはや陰に身を潜める流浪者ではなくなった。
彼らは六島の各地において開墾を進め、建造を行い、殿堂を築き、学びの場を立て、自らの法典と祭日を整えていった。さらに妖幻島においては、議政の場を開き、塔楼を築き、幻術を教え、霊脈技術と夢術の研究における重要な担い手となっていった。
たとえ時に衝突が生じたとしても、それらはなお契約の枠組みの中で解決へ導かれていった。
六玄閣の穹雲殿に安置された碑石にも、次のような言葉が刻まれている。
「共理もって存し、誓いて守りて渝らず。神妖同座し、万世欺くことなし。」
それは、単なる誓詞ではない。歴史そのものが示す証明であった――「王」とは、ただ剣と火によって闇を焼き尽くす存在ではない。制度と信頼によってこそ、平和の礎石を据える者なのである。
時は流れ、今日に至るまでに、『共理之契』の締結からすでに千年あまりが過ぎ去った。当時築かれた平和体制は、今や六島之國の社会構造と人々(ひとびと)の暮らしの隅々(すみずみ)にまで深く根を下ろしている。
たとえ今なお、互いのあいだに時折摩擦や軋轢が生じることがあるとしても、六島に住む大多数の民にとって、妖族はもはや伝説に語られる野性の災厄ではなかった。すでにこの世界の秩序を成す一部であり、自らの運命とも深く結びついた存在となっていたのである。
六島の主要都市では、妖族が開いた「霊民街市」を目にすることも珍しくない。そこでは、幻術によって香りを引き立てた香料や、不眠を癒す夢符、さらには妖紋を織り込んだ護符衣物などが売られている。
それらの品々(しなじな)は他種族からも厚い歓迎を受けており、なかには他国の子弟が、精妙な幻術や古き霊語を学ぶために、わざわざ妖幻島まで渡って師を求めることすらあった。
また、各地の祭典においても、妖族の姿を見かけることは少なくない。彼らはもはや、ただ招かれた客人としてそこに在るのではない。今では祭りそのものを形づくる、欠くことのできぬ担い手のひとつとなっていた。
赤月之祭、星花節、そして霊芽迎春といった大規模な祭礼においては、妖族の舞者たちが狐面や霊葉冠を身につけ、代々(だいだい)受け継がれてきた「共理之舞」を舞う。これは、三王が最初に盟いを結ぶ際、互いに契約を交わす前に演じられた舞劇をもとにしたものであり、妖族の幻術と人族の楽舞とを融け合わせ、色彩あざやかな光と影によって、歴史を覆したあの選択を語り継いでいる。
幼い子どもたちは、しばしば三王の所作を真似し、手足を躍らせながら誓言を唱える。もはや誰ひとりとして、彼らが妖族を真似ることに不安を覚える者はいない。むしろそれは、誇るべき象徴として受け止められていた。
また、学術界や修行者たちのあいだにおいては、妖族の血脈と技芸は、よりいっそう希少な資源として見なされている。六玄總議會の設立した学術學院には、妖族文化を専門に学ぶ課程や、幻術研修班が設けられ、さらに妖幻島から講師や法典典藏を広く募っている。
かつて妖族の入学に反対していた学者たちも、今では認めざるを得なくなっていた。もし霊妖之王の後裔によって受け継がれてきた夢境心法が存在しなかったなら、近代の霊魂療癒術は決して生まれなかったであろうと。
信仰の面においては、天狐神社はすでに六島之國でもっとも名高い聖地となっている。
信徒たちは定期的にそこを訪れ、妖狐之王と霊妖之王を拝み、「誓約の守護者」、「平和への導き手」として崇めている。
なかでも天狐神社の「雙印石碑」は、ひときわ名の知られた霊碑であった。それは、二王が魔力によって作り出した道具――「星狐印」と「夢語環」の刻印が融合した碑であり、赤月の夜が巡るたびに自ずから光を放ち、契約が今なお効力を保っていることを示す霊兆とされている。
民間には、こんな言い伝えも残っている。夫婦がともに祭符を手にし、この碑の前で誓願を立てれば、末長い幸福を授かることができるという。また、戦士が出陣の前に香を捧げれば、加護を得て迷いに呑まれずに済むとも語られている。
儀式や制度の上だけではなく、人々(ひとびと)の感情の中においても、妖族の立場は静かに変わっていった。
もはや年長者たちは、「夜になると妖怪が来て子どもをさらう」といって幼い者たちを脅すことはなかった。その代わりに語られるのは、妖貍之王が嵐劫谷において邪を震わせる咆哮を放ち、己の命を賭して神のごとき封印を成し遂げたという伝説であった。婚礼の席では、霊妖語による祝詞が用いられることも珍しくなく、それは霊心と幻縁を象徴するものとされていた。さらには農耕祭の折、農夫たちは「山中之守者」へ初穂を捧げることもあったが、これはまさしく、古に山脈を守っていた山妖族への信仰が受け継がれた姿であった。
ここ数十年のあいだには、さらに多くの混血の子孫たちが六島の各地で育つようになり、新たな時代において諸族を結ぶ架け橋となっていった。
その中には、妖族の耳や尾を受け継ぐ者もいれば、神祇の光を宿す者もいた。また、ただ夢語血脈を持つだけの子もいたが、そのような子どもたちはしばしば霊性の象徴と見なされ、成長したのちには新時代の誓約を担う責務を継ぐ者として期待されていた。
そして赤月の夜が巡るたび、天狐神社では「三王祭」が執り行われる。これはもっとも盛大なる祭礼であり、あらゆる種族が霊壇のほとりに集い、香を焚き、酒を献じ、『共理之契』の冒頭に刻まれた碑文を声をそろえて誦するのである。
「共理もって存し、誓いて守りて渝らず。神妖同座し、万世欺くことなし。」
この時代を生きる者たちにとって、それはもはや単なる古き宣言ではなかった。それはすでに文化と魂の奥深くへと溶け込んだ、平和への信仰そのものであった。
それこそが、彼女たちが妖族のために切り開いた新たな世界であった。