恋愛編 (4)
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坂東由香里はいつもの部活帰りにルンルンで入室してきた。
2人はブースに入った。わたしはちょっと胸が苦しくなってきた。
「間さん、もうすぐここに来てひと月になるので、更新したいんですけど」
由香里が甘ったれた声で呟いた。
「・・・もう大丈夫じゃないでしょうか」
「え?」
間さんの言葉を掻き消すかのように由香里は不穏な声を発した。
「由香里さんのお悩みはもう大丈夫なのではないかとわたしは判断しています」
「えっ?どうして?なんで間さんがわたしの悩みが大丈夫だって言えるんですか?」
そうだ。由香里は頭がいいんだった。屁理屈攻撃が来るぞ!
「はい。他人の気持ちはわたしには分からないので、大丈夫だと言ったのはわたしの個人的な見解でしかありません」
「なら、わたしが契約を更新して来月も相談に来てもいいですよね?」
間さんの顔が苦しそうだな。
「それはルール上構いませんが、わたし個人としてはお受けしかねるということです」
しばし由香里が無言になった。ちょっと恐怖。
「申し訳ありません」
間さんが頭を下げた。空気が重いな。
「・・・今日はこれで・・・」
間さんの言葉を遮るように由香里が突然椅子を鳴らして立ち上がった。
わたしはちょっと、いや、かなり驚いた。間さんも目が見開かれてる。
「嫌です!私何かしましたか?嫌われることしましたか?間さんわたしを避けようとしてますよね!」
八起先生のブースから聞こえていた会話が途切れた。
「わたし、もう知ってると思うから言いますけど、間さんが好きなんです。LINEでも匂わせていたし、ここに毎日のように通ってるのだって間さんに会いたいからです。それなのに、どうして急にそんな冷たいことを言うんですか?わけが分かりません!」
ヤベー。どーした由香里!?こんなやつだったんか?いやあ、あのLINEとか行動見てたから危機感募らしてたんだし。そうなんだな。やっぱりお前はヤバいやつなんだな。
「間さんはわたしの気持ち知ってましたよね。ずるいですよ。人の気持ち弄んで!ひどい!」
由香里は間さんに向かって仁王立ちだ。八起先生は無言。お客さんはどうしてるんだろう。やばいな。間さんじゃ対処出来ないよ。
「由香里さん。ご存知ですか?人の気持ちは他人には分からないんです」
また出た!八起先生の殺し文句。
「え?何ですか?」
由香里も意表をつかれた感じで聞き返した。
「わたしはここの八起先生と出会うまで、あまりそのことについて考えたことがありませんでした。そして、今もよく分かりません。谷口むるさんに教えてもらっている状態です」
おいおい、わたしの名前を出すなよ。
「あっ。前にイタリアンの店で・・・」
由香里は間さんを初めて見かけた時を思い出したな。
「はい。むるさんに色々教えてもらいました。人は自分中心にしか考えられないんです。だから人の気持ちは分からない。わからないから、わかりたかったらそれなりの努力が必要なんです。」
坂東由香里は力が抜けたように椅子に腰を下ろした。
「共通認識もないんです。由香里さんとわたしが同じ時に同じ体験をしたように見えても、感じ方はそれぞれ異なっていて、それによって認識にも差異が生じます」
由香里は首を傾げた。
「先日、由香里さんを追尾していた男をわたしが取り押さえました。由香里さんはあの時のことをどんな風に感じていますか?」
「えっ、凄く怖かったけど、間さんに助けて貰って凄く嬉しかった」
さっきまでの勢いは消えて由香里は俯いていた。
「わたしは反省しかありません。初めに話を伺ったときに由香里を少しでも疑ったこと。取り押さえる瞬間が少し遅かったこと。取り押さえ方が八起先生とは比較にならないくらい稚拙だったことなどです」
どこまで真面目なんだよこの人は。
「由香里さんが先程わたしに告白されたことは、男としてとても誇らしくありがたいことです。しかし、わたしは修行中の身です。女性と楽しく時を過ごすというようなことを考えたことがありません」
「でも、むると外で会ってますよね」
「はい。先程もお伝えしたように、むるさんには八起先生の教えについて説明していただいています」
なんか間さん凄いな。相手を説得するつもりもなさそうで、自分の話をしてるだけで由香里を大人しくさせたわ。
「わたしとは会ってくれないんですか?」
由香里もなかなかしぶといなあ。
「互いに利点があれば会う可能性は出てきますね」
「利点?何ですか?人との関わりを利害関係で考えるんですか?」
「はい。わたしもその考え方に初めはものすごく抵抗があったのですが、八起先生のお話を何度も伺ううちにだんだん理解出来てきました」
「どういうことですか?友達や家族や恋人は利害なんか関係なくその人のために行動したりするんじゃないんですか?」
間さん動じないな。かっこいいぞ。
「全て自分のために行動しているんです」
言い切ったあ。間さん理解してんのかな?
「何ですか、それ」
由香里の口調がまた厳しくなってきた。
「人は自分中心にしか考えられないようにできています。人は恒常性の維持が使命のひとつです。これが崩れると人として機能しなくなるからです」
おいおい、大丈夫か?由香里を置いてかないでよ。
「人はお腹がすいたら食べたくなります。トイレに行きたくなったら行きます。寒くなったら厚着をして、暑くなったら脱ぎます」
大丈夫か?間さん!
「人は感覚を認識して意識、無意識でいつも同じ状態になろうと努めます。それは体についてだけではありません。精神状態も安定させておきたいんです」
由香里は間さんを大きな瞳で睨んで大人しく(?)聞いているように見える。
「もし、自分の家族が危険な状態になったら、自分の気持ちが安定しなくなります。不安や心配で平常心が保てなくなります。つまり、自分の気持ちが不安定で落ち着かないので、それを解消するために家族を助ける行動に出るんです」
また言い切ったあ!間さん、凄いよ。でも理解されるのかな?
「確かにそうかもしれないけど、それが何なんですか?」
由香里は多分本当に何を言われているか分からないんだろうな。初めて聞く話だからね。無理もない。
「人間が利害関係で成り立っているという話です」
由香里の顔が曇った。
「お母さんはお母さんの利益のためにわたし達家族のためにご飯を用意してくれてるんですか?」
「そうなります。想像ですが、あなたのお母さんはあなた方ご家族が、お母さんの手作りのご飯を美味しいと感じて健康であることを望んでいらっしゃるから家事をされているのではないでしょうか。それはお母さんの希望を叶えるためで、ご自分の満足のためにされていると考えられます」
「なるほど、友達も自分の利益になる子を選んでると。うん。確かに言い方には棘があるけど、嫌な子と付き合わないということは、そういうことかもしれませんね」
流石、由香里は頭がいい。理解が早いわ。
「つまり、わたしにとって間さんは利益があると自分で認識したからここに通ってきている。なるほど。で、間さんはわたしが不利益だと判断したから断った」
由香里はそう言うと、上げていた顔をまた項垂れた。
「残酷ですね」
「すみません」
間さんも頭を下げた。




