恋愛編 (5)
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沈黙が訪れた。八起先生も話をしない。聞いてるんだろうな。八起先生のお客さんはどうしてるんだろう。確か、中野さんだよね。まあ、確かに大人しい人だったけど、出るに出られない状況だしな。
八起先生は間さんに任せた感じだから動かないんだよね。ここは間さんにかかってるのか。頼むよ、間さん。
「間さんがわたしに利益を感じていない理由は、わたしの言動が間さんに嫌な思いをさせていたからですね」
由香里は強いなあ。自分から切り出したよ。
「はい」
うわっ。JKにはキツイな。
「じゃあ、どうすれば良かったんですか?わたしは間さんに会うのが楽しみで、会いたくて、会っていて楽しくて、幸せで・・・」
うわあ、泣いちゃったよ。そりゃそう。
「自分の言動を見つめることが重要です」
泣いてる女子高生に畳み掛ける間さんはやっぱ何かが凄いな。なんだろうな?
「人は自分が見えていません。両目は自分を見やすいようには造られていません。自分以外の物事を見るようにできています。耳もそうです。全ての器官は自分以外の何かを認識しやすいようにできています」
由香里ははなをすすっている。それでも間さんは続けた。
「だから自分を見つめていくことが重要になるんです。人は簡単に自分を見失ってしまうんです。わたしにも過去にその経験があります。あの時八起先生に止めて頂かなければ事件を起こしていたと思います」
えっ、初耳だ。そんなことがあったから間さんは八起先生に心酔してるのか。
「自分を見つめるには、自分の抱えている先入観や思い込み、既成概念などを知る必要があります。その作業は手間がかかり、面倒で、とても嫌になる作業です。でも、もっと簡単に行うには、これは自分の思い込みではないか?と自問自答をしていけば、なにかを決断する時には簡便に作業が行えます」
間さん、そうでもないし、話がややこしいよ。
「由香里さんはわたしに嫌われるために行動していましたか?」
おおっ!?どうした?
由香里はゆっくり顔を上げた。涙で顔がヤバい。
「どういう意味ですか?」
間さんはゆっくり息を吐いてから軽く息を吸ったように見えた。
「あなたは先程、わたしに会うのが楽しみで会いたくて、とおっしゃいました。あなたはわたしに嫌われるためにここに来ていたのですか?」
「どうして?そんなわけないじゃないですか」
由香里の目からは新しい涙が生まれていた。
「そうですよね。でもわたしにとっては逆効果でした。何故でしょう?」
「それは、わたしが教えて欲しいです。・・・でも、わたしのやり方がよくなかった・・・ということですか?」
間さんが細かく頷いた。
「そうです。作戦ミスです」
「作戦ミス?作戦?」
由香里は本当に意味がわからないという表情で間さんを見つめた。
「わたしの推測ですが、あなたはわたしに対する強い想いから、情熱的にわたしに接してきました。でもそれは情動がストレートに言動に乗ってしまい、相手の気持ちを思いやる方法ではなかった。
人との交渉事には作戦が必要です。誰かと初めて話をする。相手に自分を受け入れてもらう。誰かと1つの仕事を協力して行う時などには、相手を自分の思い通りにする作戦が必要になります」
由香里が首を傾げた。
「思い通り?」
「そうです。人が他人と交渉事に臨む時にはまず、自分の理想像がなければ交渉出来ません。また、自分の理想通りに相手を動かしたいから交渉するんです。むろん、理想像がまだなくて、他人と協力して、あるべき状態を構築していく時もあります」
間さんよく喋るなあ。こんなに流暢に話せるんだね。知らんかったわ。
「由香里さんはわたしと良い関係を築きたかったのではないですか?」
「そうです」
「でも、そうならなかったのは由香里さんに作戦がなかったか、作戦が適切ではなかったということになります」
「作戦なんてありません!」
由香里が少し語気を強めた。
「わたしは間さんをどうにか自分の思い通りにしてやろうなんて考えてなかった。ただ間さんと楽しく時を過ごしたかった、それだけです」
「それでは、由香里さんの行動は単にあなたの情動をわたしに押し付けていただけの行為ということなります」
うわあ、本当によく喋るなあ。
「どういうことですか?」
由香里はまた泣きそうだ。
「あなたはわたしを思いやることなく、あなたの気の向くまま感情をぶつけていた。もしくは、感情のまま行動していたということです」
案の定、由香里はポロポロと涙を流した。それでも大きな濡れた瞳は間さんに向けられている。
「それがわたしの気持ちにどう作用したのか。考えたことはありますか?
あなたは、わたしに好意を持たれたいと思いながら、実際はわたしがあなたに好意を持ちにくい言動を繰り返していたことになるのです」
まあ、これだけ思い切り自分に対して好意があるとか言うのは相当勇気がいるよね。ある意味凄いよ、間さん。
「つまり、作戦ミスです。結果論ですが」
「じゃあ、どうすればよかったんですか?」
ものすごい鼻声で由香里がたずねた。
「それはまず、あなたが考えて決めることです」
うーん。ここで八起先生の伝家の宝刀を振りかざしちゃうか。その通りなんだけど、由香里にはキツいよ。
「あなたはどうしたかったのですか?」
「わたしは、わたしは・・・ただ間さんと楽しくお話を・・・」
しゃくり上げるので言葉が続かない。由香里、むりすんな。
「では、そうすればよかったのではないですか?ここは相談室です。ですから何を相談されても構わないので、どうしたらわたしと楽しく話ができるかを相談しても良かったと思います」
おお、意表を突くなあ。
「もしくは、相談室でなくても話はできると思います。お互いの時間の都合を合わせて外で話をすることも可能です」
おいおい、何を言い出してる?デートOKということなの?
「えっ?」
由香里の表情がまた変化した。まあ、そりゃそうだよね。
「わたしはまだ相談員としては修行の入り口にも立っていない未熟者です。とても由香里さんのお悩みを解決できるような技量はありません。ですから相談員とお客様という関係ではなく、お友達という形でお話をすることも可能ではないかと考えています」
ええっ!そんなら最初からそう言えよ間!
由香里のキョトン顔を見なよ。間さんあんた何を言い出してんのよ。
「そろそろ時間ですので今日のところはこれでおしまいにしましょう」
「あ、はい」
ふわふわした表情の由香里が気の抜けた声で応えた。
「先生、坂東さんをお送りしてもよろしいでしょうか?」
「おう!」
ようやく八起先生の声が聞こえた。
「では、まいりましょう」
「はい」
間さんの呼びかけに応えた由香里は立ち上がるとふわついた感じで相談室を後にした。
「中野さん、すまなかったね。マジンが張り切ってたから、つい黙っちゃって」
また、八起先生の声が聞こえた。
「いえ、とても勉強になりましたから。それに、失礼ながらちょっと面白かったし」
「そう言って貰えると助かるよ。またね」
「はい。ありがとうございました」
そう言って中野さんがブースから出てきた。
「すみませんでした」
わたしも一応謝ってみた。
「間さん大胆ね」
中野さんは笑顔でそう言い残して去った。
すぐに八起先生も出てきた。わたし達はしばし無言でいた。初めに口を開いたのは八起先生。
「マジンのやつ、調子に乗ってたな」
「間さんがあんなに雄弁なの初めて見ました」
「うん。おれも。無口なやつだと思ってたわ」
わたし達はまた口を閉じた。間さんの行動はあまりにも予想外でわたしは本当に驚いていた。八起先生もそうなのかもしれない。何かを噛み締めるように珍しく先生が黙っていた。
「先生は間さんの相談、どう思いましたか?」
わたしが沈黙を破ってみた。
「まあ、予想外で面白かったよ」
「間さんのアプローチは正しかったですか?」
「正しいとか間違ってるとかは、本人が何をしたかったかによるからわからねえな。マジンのやつ自分で何を言ってるかわからなくなってたしな」
先生の表情は嬉しそうに見えた。
「でも、まあ、やつなりに頭使って分析したんだろうな」
「間さん、由香里が泣いて焦ったんですかね。表情は変わらなかったけど、急に優しくなりましたよね」
先生はニコニコしてる
「惚れたんじゃないかな」
「えっ、あの相談の場で?」
そうかなと少しは疑ったけど、先生が言うならまず間違いない。
「マジンのやつ、何度も彼女が自分に惚れてる的なことを口に出してただろ。あれで自己暗示にかかったのと、気づかなかった自分の恋心に目覚めたんだろうよ」
そんなことあるの?人ってわからなんな。
「むるが言ったように、彼女が泣いたことが大きなきっかけだろう。男は女の涙に弱いからな。簡単に騙される」
「騙される?」
わたしはそんなことはしないけどね。
「いや、女にそのつもりがなくても、男が勝手に相手の気持ちをおもんばかってしまうんだ。自分のせいで泣かせてしまって申し訳ないとか、何かよほど辛いことがあるんだろうとか、人の気持ちなんでわからんのにな」
「でもあの場合、間さんが単なる分析とはいえ、普通に見たら厳しい言葉を由香里に浴びせてる形でしたからね。間さんが悪いと思いますよね。事情を知らない人が見たとしたらですけど」
先生が頷いた。
「そこにマジンも気づいたんだろうよ。彼女の言動が彼女の望む将来の形を実現するには不適切だということに気づかせたかったんだろうが、マジンの言葉が強すぎた。やつも興奮してたんだろうな。マジンの予想に反し彼女は泣いてしまい、焦ったんだろう。バカだよ」
そこまで読めてんなら助けてあげればいいのに。
「いや、おれが助け舟出したらマジンのせっかくの努力を無にしちまうだろうが」
うっ。なんで心読めんだ?
「ああ、むるは割と思ってることが顔に出るんだよ。めちゃくちゃわかりやすいぞ。ハハハ」
うへっ、マジかあ。今酷い顔してんだろうな、わたし。
「やつは女性と付き合った経験がないから女性との親密なやり取りが初めてなのかもしれん。彼女は実に積極的にマジンに向かっていっていたから、やつは強い女性だなと思い込んでいた節がある。そこへ弱々しく泣くもんだからマジンの思考に不具合が生じたんじゃないかな。ついでに、そんな彼女が可愛く見えたんだろう。実際とても綺麗な子だし。弱そうな内面を垣間見て惚れたんだろ。ハハハ」
うーん。これはもしかしたら、初めから計算してたな。ここまで見越してたよこのおっさん。ほら、ニヤニヤしてこっち見てる。最初っからお見通しで遊んでたのかあ。まいったなあ。
「マジンはバカでよくわかってないところはあるが、実に真面目で頭はいい。加えて身体をよく鍛えてる。この、身体を鍛えているところが重要なんだ。人の内面はそれに有効な身体の鍛え方をしないと脆くなる。内面を鍛えることは出来ないが、身体を鍛える過程で徐々に内面の強さが養われる」
そんな事言われてもなあ。
「むるにはいつも言ってるな。どうしろって言ってる?」
「姿勢ですよね」
「そうだ、姿勢を良くすること。まずは、これ。どれだけキツいかはお前はよくわかってるよな」
「ええ、まあ」
「身体に辛いことを少しずつ克服することで得られるものがある。ついでに疲労物質、いわゆるコリを体に貯めないことが重要になる。身体を自分のイメージ通りに動かすためにも、回転よく思考をするためにも」
うわあ、めんどくさいなあ。
「そんなわかりやすい顔をするか?」
八起先生がめっちゃ楽しそうな顔をしてる。何が面白いんだよ?
「むるはどう生きる?」
先生が眉を上げてきいてきた。答えはわかり切ってるからね。言いますか?
先生は片手を開いてわたしに見せるとスっと歩き去った。
「お先に失礼しまーす」
わたしは先生の遠ざかる後ろ姿に届かせるように言った。不意に間さんと由香里のことが気になってきた。今何してんのかな?案外笑って話したりしてたりして…うちも彼氏欲しい。




