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修行・出会い編 (3)


5


「お前はさっき何で騒動を起こした?茅ヶ崎の金的蹴りに加えて、こいつが攻撃をやめなかったからだろ?」

確かにそうだと思い、間は頷いた。

「あそこは痛いし、このままではやられてしまう。金的は効く。立っていられない。空手の技は使いにくい。だから寝かせて何とかしようと思った。急所を蹴られて辛い状態の割には冷静だな。ただ、2人の動きを見て思うのは普段から齟齬があるんじゃないかということ。通常からある程度憎く思っていないとあんな攻撃には出ない」

間と茅ヶ崎は眉に皺を寄せた。言い当てられたことが釈然としないといった表情を見せている。

「もし、攻撃する意思がなかったらはざまはわざと崩れ落ちて茅ヶ崎のバランスを崩した後に、転がって茅ヶ崎の攻撃範囲から逃げ出せば良かっただろう。むしろそれが普通の行動だ。たが、お前は攻撃を加えに行った。それは茅ヶ崎に攻撃を加えたいという気持ちがあった明確な証拠だ」

間にとって八起の指摘は衝撃的であった。今のいままでそんなことには気づかなかった。

「お前は今冷静になっているから、思い返せば愚かなことをしたと反省もするだろう。再び同じ状況になったとしても決して同じ行動、既に認識としては『 過ち』だろうが、それはしないと今は思っているんじゃないか?」

八起に促されたからではなく、間は確かに既に後悔していた。

「人の気持ちはうつろいやすい。一瞬で変化してしまう可能性がある」

茅ヶ崎の八起を見る目に少し変化が現れた。穏やかになっている。

「人はそんなあやふやな『気持ち』という不確かなものに振り回されて生きている。別の表現を使えば『自分の気持ち』をとても大切にしている。しかし、その気持ちとはいつ発生した気持ちなんだ?人の気持ちなど一瞬で変わるもの。何故同じ気持ちを抱き続けている?」

間にはやはり八起の話している内容がよく理解できていない。だが、何か核心を突いたことを話している雰囲気は感じていた。

「お前たちは何故空手を始めた?強くなりたいと思ったからか?一体いつから空手をやっている?」

「2人とも中学2年生の時に入門してきたよ」

五十嵐がいつの間にか八起の後ろにあぐらをかいて座っていた。

「ほぼ同時の入門だ。細くて可愛かったな」

五十嵐が懐かしそうに言った。

「へえ。2人は元々知り合いか?」

そう問う八起に

「いや、育った場所がちょっと違うな、学校も違ったし」

と五十嵐。

「そうか、よく残ったな。入門しても9割は1年以内にやめていくのに」

「ほんとにな。ははは」

八起の言葉に五十嵐が笑った。

「なぜ今まで続けてきた?」

「なぜ?」

八起に聞かれて茅ヶ崎は少し考え込んだ。そして、

「強くなりたいからです」

と答えた。

「今もそう思っているか?」

「押忍」

茅ヶ崎は正座して両肘を曲げ、こぶしを両腿の上に押し付けるような格好で言った。この姿勢は道場で座るときの正式な形だ。そして、その姿勢は徐々に良くなってきていた。

「そういうのを『 思い込み』と呼ぶ」

茅ヶ崎は怪訝そうな目を八起に向けた。

「人は物事を『 善悪』で判断しがちだ。『 思い込み』は悪い言葉だと、それこそ思い込んでいる。しかしその『 思い込み』を『 信念』と言い換えれば良い意味に取りやすいだろう」

茅ヶ崎は頷いた。

「人は言葉に惑わされて生きている。その言葉を巧みに使うことを良しとする見解も多く見受けられる。しかし、言葉は単に言葉でしかない。作為的に意味を持たせてとても便利に使えるものだが、別の見方をすれば、人を陥れ、人を欺く。意味を持たせて便利に使えるが故に人を不幸にもしてきている」

間には理解はできない内容だったが、不思議と気持ちが楽になる気がしていた。気づかなかった見えない束縛が少し緩んだ気がした。

「話が逸れたが、茅ヶ崎の『 強くなりたい』という『 思い込み』は簡単に持ち続けられるものではない。いつも、何かの折につけ、『 強くなりたい』と自分で思い続けなければ維持できない。サムライに生まれた訳でもないのに、これはそう容易いことではない」

茅ヶ崎は真摯に八起を見つめていた。

「これを茅ヶ崎の『 信念』と言えば聞こえもいいし、茅ヶ崎も褒められたような錯覚に落ちいれるだろう」

間は自分にも信念はあると思いたかった。

「おれが今言ってるのは、そういった類のよく世間で行われている気持ちを良くする話ではない。物事の本質について話している。

『 信念』を『 思い込み』と変えるだけで物事の本質が見えやすくなる。どういう事がというと、茅ヶ崎は立派な意志から強くなりたい、という気持ちになっているかどうかは分からない、ということだ」

間にはやはりさっぱり話が見えなかった。

「人の気持ちはうつろいやすい。すぐに変化してしまうが故に、一つ決めたその気持ちを自分の中に固定して持ち続けていることはとても労力を要することだ。つまりは、それを実現するのはとても大変なことだ。だが、それが立派なことかどうかはまた別の話だ」

茅ヶ崎は頷いた。それを横目で見た間は多少なりとも衝撃を負った。自分には理解できないことがあいつには理解出来ているように見えることに憤懣やるかたない気分だった。

「人は『自分というもの』と『 それ以外のもの』という単純な二元論で物事を判断しているとも言える。」

「自分の認識はおよそ五感による感覚を中枢神経で認識している。つまり、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚で自分以外のものを捉えて、脳で認識している」

間はそれらについて中学の理科で学習した気がした。

「いいか。感覚だぞ。これほど主観的で不確かなものもないと言うくらい、いい加減なものだ。つまりはうつろいやすい。

談笑したり、テレビでバラエティーを見て楽しい気分で笑っているところにゴキブリの出現を認知した瞬間に気分は変わるだろ?」

なるほどと間は納得した。

「嫌なことが重なってうんざりしている時に、想いを寄せる人に遭遇したら急に気分が明るく変化することもあるだろ?

五感で捉えたものを脳で認識した瞬間に気分は変わってしまうことがある。そのようなうつろいやすい気持ちを一定に保ち続ける行為はそう容易くはないということだ」

「これは、宗教ですか?」

唐突に茅ヶ崎が声を出した。

「いや、自己啓発でもないし、マインドコントロールでもない。人が悩んだり困惑した時にすがる類のものではない。むしろその逆だ。気づく行為を促してる」

気づく?何に気づくのか?間には話が見えない。

「世の中は善悪の二元論に支配されている。これはいいの?悪いの?その判断が重要視されがちで、内容よりも優先されている。

残念ながら、世の中の出来事や人の言動に善悪はない。全てそれぞれの個人の主観によるところでしかない」

間には八起の話を咀嚼して理解は出来ないが、何かを押し付けたりしているのではないことは理解できた。

「思いや気持ちを持ち続けることが、良いとか悪いとかは一旦脇において、持ち続けること自体には労力が必要で、なかなか成し得ないということだ。

つまり、そのなかなか成し得ないことを実現することで茅ヶ崎の空手の実力が身についたという結果が出来たわけだ。茅ヶ崎がおそらく何度も挫けそうになりながらも辛い稽古を続けた結果が今現在の茅ヶ崎の空手の力になっている。むろん、間、お前も同様にだ」

突如自分の名を出されて間は驚いた。

「ところが、お前らは2人はさっき騒動を起こした。原因は、その場の気持ちに流されて、これまで培ってきた稽古での学びを捨ててその場の気持ちに引きずられてしまったわけだ」

間にも八起の言わんとしている内容がようやく理解出来てきた。本来組手の稽古中であったにも関わらず、きっかけは茅ヶ崎の金的蹴りとはいえ、本来完遂するはずの組手から逸脱してしまい、茅ヶ崎に対する怒りから喧嘩をしかけてしまっていたのだ。しかし、八起はなぜこんな回りくどい表現を使うのか?間には理解できなかった。

「人の行動には原因と結果が伴うように見える。その原因には気持ちが大きく関わっている。それを突きつめて自分を見つめ直すことをお前らに提案したい。

お前らが今日の出来事を起こした要因はもう少し過去に遡るのではないか?さっきおれが指摘した内弟子になってからの日々のストレスから生じた感情からくるものではないのか?

それらを自分で思い返して考えてみろ。お前らが何を思い、日々どのように過ごしてきたのか。単なる反省ではない。自分の思考の成り立ちや感情の動きなどを思い出してしっかり観察しろ。自分が何に対してどう思い、どのように対処して、どのような未来を想定して日々の行動に繋げていたのかを」

間と茅ヶ崎は真摯な表情で八起を見つめた。

「お前らの一挙手一投足は自分の感情が起因となったお前らの気持ちが原動力となって行われている。稽古はむろんのこと。顔を洗うのも、飯を食うのも、呼吸をするのも、全てお前らがやっていることだ。自然だとか当たり前で片付けても構わんが、そうでない捉え方もできるということだ」

八起はそう言うと五十嵐を振り返った。

「喋り過ぎて疲れた」

「ああ、おつかれ。ウチのがお前の分も用意してるから飯にしよう。お前ら2人も一緒によばれてくれ」

五十嵐の誘いに、

「押忍」

と、間と茅ヶ崎は返事をした。道場の外からカラスの鳴き声が聞こえた。

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