修行・出会い編 (1)
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茅ヶ崎恭一に対して日々募る憎悪に間仁は辟易としていた。
共に五十嵐重光を師と仰ぎ、師匠の元で稽古に勤しんでいるたった2人の内弟子であった。
師匠の五十嵐は間をよく褒めた。茅ヶ崎はそれが面白くなかったのかもしれない。茅ヶ崎の間に対する態度は日に日に雑になって行った。
間は早朝の掃除を済ませると1人自主的に道場で稽古をする。間が日々鍛錬しているのは、古くはケンカ空手、実践空手、フルコンタクト空手などと様々な呼ばれ方をした武道だ。柔軟運動、いわゆるストレッチングを済ませると基礎的な、拳立て伏せ、スクワット、腹筋運動、背筋運動、逆立ちしての腕立て、こぶしによる逆立ち、棒を両手に握ってそれを飛び越えるトレーニング、四股踏みなどを100単位の決めた回数をこなす。
続いて砂袋を拳で突き、脚で蹴る。砂袋は麻の袋に砂を詰めて硬く固めたもので、かなり強固に作られている。間は正拳と裏拳を左右500回ずつ鍛える。脚のすねでは左右1000回ずつ、足底は左右500回ずつを一撃ずつ力の限り突き、蹴る。それが終わると朝食の準備にかかる。茅ヶ崎はその頃起きてきて朝食の手伝いをするが形程度だ。茅ヶ崎の方が1ヶ月先輩なので仕方ないとも言える。
朝食を済ますと休憩を挟んで朝の稽古が始まる。空手の基本と型をひたすら師匠の見守る中12時まで繰り返す。12時には昼食の準備が始まり昼食後は2時間休憩がある。休憩後は、週3日は道場の一般稽古があり、それがない日は師範による特別稽古となる。
まず初めに間と茅ヶ崎2人で組手をひたすら繰り返す。組手は互いの技を実戦形式で相手に繰り出す稽古でほぼ試合に近い形式だ。それを3分を一区切りに2時間ほど行う。2人とも体力がなくなった頃、師匠五十嵐との組手となる。
2人は去年大学を卒業した20代前半。師匠は今年60歳になる。師匠の五十嵐は身長170cmほどで体重は70kg。2人は180cmを超え、体重は90kg近い。体力差は歴然としているが、若者とはいえ流石に疲れ切った状態ではスタミナがもう残っていない。
戦いは常に一方的で五十嵐がいなして決めるの繰り返しだった。若者2人は老人に手も足も出なかった。フラフラになった2人は使い物にはならないので、特別稽古の日の夕食は五十嵐の奥さんが用意する手筈であった。
2人が大学卒業を機に内弟子になったのは全日本大会に優勝するためである。中学2年生の時に間仁が五十嵐の道場に入門するとそこに同じ白帯に茅ヶ崎がいた。ひと月前に入門したての同じ中学2年生だ。そこから2人のライバル関係が始まった。
様々な大会に同じ階級で出場して優勝と準優勝を交互に奪い合っていた。そんな2人も全日本大会ではベスト8どまりで終わっていた。そこで最後のチャンスと思い、就職を蹴って今年から1日全てを空手に捧げる生活を決意したのだった。
根が真面目な間は稽古にも内弟子としての師匠の世話も道場の指導も全てにおいてきちんとこなした。それとは対照的に茅ヶ崎は全てにおいて間よりも手を抜いた。元々才能があり、間の練習量の半分でも間と同等の戦いができるのだから仕方がない。いわゆる天才肌だ。そんな2人を見ていて師匠の五十嵐は思うところがあった。五十嵐も器用な方ではなかった。努力に努力を重ねて力をつけてきて今がある。だからどうしても似たタイプの間仁に親近感を覚えたし、声も掛けたくなった。それが茅ヶ崎には気に入らなかったのだ。
この生活になって数ヶ月が経ち、日々の陽射しが強く感じ始めた頃、間の茅ヶ崎に対する怒りはピークを迎えつつあった。茅ヶ崎はことあるごとに手を抜いて間に押し付けた。掃除や朝食は完全に間の担当になっていた。風呂上がりの師匠のマッサージも9割は間が請け負っていた。先輩だから仕方ないと自分に言い聞かせてきたが、どうしてもそれを正当に否定してくる自分がいた。
先輩とはいえ、たったのひと月だ。しかも同い年だ。加えて同じ時に内弟子入りを許された2人である。実力も拮抗している。なぜおればかりに負担を強いるんだ!
今朝も間が個人稽古を終えて道場を掃除していると茅ヶ崎が入ってきたので、十字を切って挨拶したにもかかわらず、茅ヶ崎はこくりと頷いたのみで間を素通りした。
そんな小さなことを許せない自分が間は情けなかったが、苛立ちはどうにも抑えようがなかった。茅ヶ崎は五十嵐師範の目の届く範囲では間にも十字を切るのだ。その態度の違い、セコさが許せない気がした。
間の苦悩はつまるところ茅ヶ崎の態度に対して己に苛立ちが生じる点にあった。武道の修行は肉体の修練に留まらず、延いては精神の鍛錬となるべくして行うものと間は捉えていた。にもかかわらず些末なことに対して怒りや憤りを覚える己に対しての戒めの念と、結局は怒りの矛先が茅ヶ崎に向いてしまっている現状と相俟って間の精神を狂わせていた。
その日は五十嵐師範の知人が特別稽古の見学に来ていた。名を八起丈也といい、師範と切磋琢磨して稽古をした過去があるということだった。見たところかなり小柄な男だった。歳の頃は師範と同じ60前後か。それにしても全く強そうには見えなかった。
間と茅ヶ崎は初対面の小柄な男にも
「押忍」
と十字を切って挨拶をした。
「八起です。よろしく」
と男は返した。
通常通り間と茅ヶ崎は3分の組手を繰り返した。11本目から茅ヶ崎の内股を狙う下段が金的に当たりそうになった。予測して金的を守るように内側に膝を畳むと当然外側から下段を蹴られる。わざとではないのだろうが、間はイラついた。
15本目、体力が限界に近づいた頃、間がボディを連打して離れ際に右足で上段蹴りを繰り出した後に着地した右内側の太ももを狙って蹴り出した茅ヶ崎の足の甲が間の金的に触れた。深くは入らなかったものの、試合ではないため金的を守るファールカップを装着していない間の股間は無防備であったため打撃を直接喰らい激痛が走った。




