紹介編 (2)
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「鈴本さんは不機嫌な乃愛さんを元気づけたかったんじゃない?」
「そうそう」
鈴本は我が意を得たりと強く頷いた。
「でも元気づけるには不適切な発言だったということだね」
八起先生は表情を変えずに伝えた。
「それはどういう?」
「乃愛さんは元カノとの思い出を引きずってる彼氏が許せなかった。元カノとの思い出の品を平然と今カノの自分とのデートに待ってきた。乃愛さんは彼氏の無神経さに腹が立ったんじゃないかな」
「うーん」
鈴本は唸った。
「つまり乃愛さんは彼氏に強い想いがあった。その彼氏と誕生日に大切な思い出を作ろうとディズニーに行った。それを無神経にも彼氏自身がぶち壊した。とても許せる話ではない、といったところかな」
八起先生はまっすぐ鈴本を見据えている。
「そこへ、お父さんが、そんなくだらないこと、と心無い一言を浴びせた。すると、乃愛さんからすれば、何もわかっていないなこいつは!と怒りがふつふつと込み上げてきた、という感じに思えるけどな」
鈴本の顔が来店した時とは明らかに変化していた。苦悩を見せつつもどこか晴れ晴れとした感じを与える表情になっている。流石八起先生だなあ。
「つまり、おれは乃愛が大切にしていたものを、くだらない、と言ってしまったということか」
「たぶん。鈴本さんは良かれと思って言った一言だよな。娘よ、そんなくだらないことで喧嘩したり、根に持っていないで仲直りしたらいいじゃないか。と言いたかったんじゃない?」
「凄いな先生!よく分かるな。そうなんだよ。でも全く逆効果になる言葉を言っちまったんだなおれは!」
先生が軽く頷いて見せた。
「どうすればいいかな?」
鈴本が八起先生にすがった。
「正直に謝るしかないよね。あの時言ったのはこういう意味だった。決してお前の気持ちを軽く見たわけじゃない。おれがお前の気持ちを全く理解していないのに、くだらないと言ってしまったのは申し訳なかった。正確に言えば、おれから見ればくだらなく思えることがお前にはとても大切な事だった。本当にあの時はすまなかったな。とかね」
「謝るのか」
鈴本の表情は情けないを表情筋で示せというテストがあれば満点だ。
先生はまた頷いた。
「相手の気持ちを鎮めるには謝罪が手っ取り早いね。それに鈴本さんは本当に悪いと思ってるから気持ちは伝わるかもね」
「そうか」
鈴本は何度も頷いた。
「娘の気持ちって難しいな」
「いや」
先生は毅然として言った。
「誰の気持ちも分からないよ」
「え?」
「だから、誰の気持ちも絶対に分からないんだよ。絶対にね。予想はつくし、わかったように見えるけど、絶対に人の気持ちは分からないんだ」
「うん?どういうことだい?先生は会ってもいない娘の気持ちが分かったじゃないか!」
八起先生はゆっくり首を横に振った。
「推測しただけだよ。人の気持ちは分からないんだ。でも、分かろうとすることで、その努力が、人間関係を成り立たせてるんだ」
「???」
鈴本は狐につままれたような顔つきになった。もう全く怖くない人に見える。
「いやあ、なんかスッキリした感じだよ。ありがとう、先生」
八起先生はまた細かく頷いた。
「ところで、さっきのあれはなんだい?おれの手を持ってここに連れてきただろ?」
「ああ、あれね。あれは技だよ」
「格闘技とか?」
「まあね。人の体には物理的なシステムがあって、上手くそれを使うと制御できるんだな」
「へえー」
鈴本は感心したように声を出した。
「先生、あの時手根関節を使わなかったのは、相手を痛めないためですか、それともあの位置からだとMPの方がやりやすかったから?」
鈴本が去った後しばらく来客の予定もなかったので、わたしは疑問を投げてみた。
「むる流石。そのどっちも」
八起先生に褒められた。でも、これは先生のやり方。作戦だ。
「どういうことでしょう?」
間さんが先生にきいた。
「マジン、おれの胸を押す感じで手を伸ばして」
マジンというのは、先生独特の間仁さんの呼び名で、間さんは子供の頃マジンと呼ばれてからかわれてたらしい。それを敢えて使う八起先生は意地悪ジジイだ。実際70過ぎのおじいちゃんのはずだが、話をしていると年齢がよく分からなくなる。
立ち上がって先生と間さんが対峙するとまるで大人と子供だ。
間さんが右手を伸ばして八起先生の胸に触れるかなと思った瞬間、先生の左肘が曲がり左手の親指が間さんの左手の甲に触れた。そのまま先生が左手を、肘を支点に外側に下ろした途端、間さんが崩れ落ちた。
わたしはキャッと叫んでいた。
「痛い?」
と八起先生が尋ねると間さんはタップした。
「つまり、橈骨手根関節は決まっちゃうんだよね。お客さんに痛い思いはさせられないだろ?」
間さんが立ち上がった。手首を振っている。可哀想に。あっ、わたしの質問のせいか。
「ごめん。マジンもっかいやって」
先生には逆らえない間さんは再び右手を先生の胸に突き出した。するとさっき鈴本にやったみたいに右手で間さんの右親指と小指をMP関節でつまむと自分の方に軽く引いた。すると、それに連られて間さんも先生の方に動いた。
「へえ」
とわたしは声を上げた。
「これだとある程度強さをコントロールしながら、しかも相手を誘導できるから使ったんだよ」
そう言って先生は間さんの手を離した。
「むるはよく分かってるな」
やった、褒められた。
「先生」
間さんが恐る恐るといった感じて切り出した。
「あの時失言をしてしまったのですが、どのように対処すれば良かったのでしょうか」
「娘さんの年齢を聞こうとしたら鈴本さんが自分の年齢を言っちゃったんだな?」
「はい」
間さんが申し訳なさそうに頷いた。
「むる、どう考える?」
急にふられた。わたし?うーん。
「まずはじめに、お嬢さんはおいくつですか? と聞いておけば問題なかったですよね」
間さんはわたしの言葉に小さく頷いた。
「で、あのような返答があった場合は、47歳ですか、そうするとお嬢さんは中学生ですか?とか、かまをかけて誤魔化すとか」
「なるほど」
イケメンが納得した様子を見せた。
「いいんじゃないかな」
八起先生が認めてくれた。やったね。
「先生は先程、人の気持ちはわからないと、絶対わからないと仰ってましたが、なぜでしょう」
間さんはイケメンだけどちょっと残念。この話は何度もこれまでに先生は話してるよ。
「マジンはおれの気持ちわかるの?」
先生にそう言われて間さんは首を横に振った。
「わかりません」
「だろ、そういうことだよ」
間さんは眉間に皺を寄せてから口を開いた。
「よくドラマなどで耳にするセリフに、わかってあげられなくてごめんねとか、あなたの気持ちがわからない、というのがありますが、あれはどういうことですか?」
「だから、人の気持ちはわからない、と言ってるんじゃないの、そのセリフで」
先生は眉を上げた。
「むるはなぜそんなセリフがよくドラマに出てくると思う?」
またわたしか……
「うーん。人の気持ちをわかりたいけど、わからない。違うな、わからないといけないのにわからないから、かな」
「なるほどね」
先生は頷いた。
「日本には人に気を使う文化がある。相手の気持ちを察する。場の空気を読む。そういったことが重要となる局面はあらゆる人たちのあらゆる場面で出現しそうだね。実際、空気読まない発言や行動をする人はいるよね」
「空気を読んで行動することは重要ですか?」
と間さん。
「誰にとって、どのように重要か、とかをよく考慮しないと答えにくいな。まあ、全て言動にはそのようなものが付き纏うけどね」
「場の雰囲気を壊したくないとか、この場で良い人間と思われたいとか、出来るやつだと思われたいとかを考えることですかね?」
「むるはよく理解できてるなあ」
へへ、また褒められた。
「人間は基本的に自己中心にしか思考できないし、自己中心に生きるしか道がない。だからあらゆる場面で自分に都合が良い状態を模索しているとも言える。そんな人間同士が空気を読みあったり、相手の気持ちを分かろうとしてもなかなか難しいんだよ。まあ、絶対にできない。不可能なことだと断言出来る」
「悲しいですね」
間さんはホントにちょっと悲しそうだ。人の気持ちはわからないけど。
「何が悲しいの?」
八起先生が素直な感じで間さんに聞いた。
「人は分かり合えないということですよね。そんなの悲しいじゃないですか」
そういう間さんに
「知らねーよ」
と素っ気ない先生。
「お前が悲しいのはお前の勝手であって、おれはそんなことには全く興味が無いよ」
哀れになるくらい間さんの表情がみるみる曇って全くイケメンに見えなくなった。わたしが言うのもなんだけど、成長しない人だなあ。
「先生、寺本さんの予約の時間です」
と告げる間もなく、ドアが開いて寺本さんが入って来たので、間さんの嘆きは宙ぶらりんのまま置いていかれた。




