その32 すれ違う
中隊長の地位は、地獄の忙しさだった。
全てにおいて、調整、調整の日々。
上からは命令される。下はうまく使わないと動かない。
しばらくはまともに休日さえ取れなかった。
しかし一ヶ月ぐらいで徐々に日々が整い出すと、気になるのはタニアの事だった。
「どうしたらいい?」
イルスに愚痴ると、優秀な副官は首をかしげた。
「なんか、せっかく昇進したんだから、祝賀会とかを領地でやってみるとか、どーすかね。」
彼はタニアがどこにいるか、正確には知らないはずだ。
「何で領地だ?」
「中隊長殿が、彼女を全く手の出せない所に置くとは思えないので。」
さすがの洞察力なのか。自分が分かりやす過ぎるのか。
「他にバレると思うか?」
「その程度なら、誰でも推測出来ます。でも王宮が当人を見つけられるかは別です。」
イルスの軽い口調に、エシルは安堵のため息をつく。そして
「あ」
祝賀会で思い出す。
そういえば、タニアが住む村の方に、鹿狩りの猟場があった。あそこを使ったのは小さい頃に一度きりだが、言い訳には丁度良い。
「よし、それで行こう。」
急いで、鹿狩りの企画を計る。
招待者は、テミルとメルト。それから鹿狩りを見てみたいと言ったアルド将軍の息子。テミルは王都の北側の城砦に勤めているが、メルトは国境に近い城砦に駐在している。
手紙で予定を聞いたら、嫌がられたものの、乗ってくれることになった。
持つべきは、悪巧みに乗ってくれる友人と、付き合いのいい従弟だ。
計算外だったのは、私も見たい、とエミーナ姫が無理やりついてきた事だった。
泊まる所がないから、と領都に置いてきたが、若様が嫁を連れて来た、と大騒ぎになった。後で否定して回るのは大変そうだ。
とにかく町に着いたあと、二人に不在工作を任せて、夜、エシルは宿を抜け出した。
月のない夜。やや道を探りながらだが、馬なら四半刻もかからない。
しかし、村についたものの、タニアはいなかった。
眠っているのかと根気よくノックしてみたが、返事はないし、扉には錠前がかかっているようである。
子供が熱でも出したのか。
心配したが、どうしようもない。
夜更けに町に戻って来た。
「これだけ金と手間をかけて、会えないって、どんな悪行の報いだよ。」
少し眠って翌朝、食事を取りながら次第を話すと、それを聞いたメルトとテミルは、顔を見合わせて呆れた。
アルド将軍の息子コーライは、事情を察しつつも、まだ僕は子供ですから、という体で知らん顔をしている。
「でも兄上。もう一年近く会ってないんでしょ。ヤバいと思うなぁ。」
「何がだよ。」
「兄上が夢中になるほどの女を、他の男が放っておく訳がないんじゃないかな。」
「嫌な事を言う。」
エシルは顔をしかめた。王太子に横取りされた事を思い出す。
「彼女はちゃんと待ってるって約束した。」
「そりゃそうでしょうけど。」
テミルは容赦ない。
「俺の友達は、結婚した後に国境警備に一時的に異動になったんだけど、一年後戻って来たら、嫁さんに男が出来てたらしいですからね。」
思わずスプーンを取り落とす。
まぁまぁ、とメルトが取りなした。
「鹿狩りの後も泊まるからな。まだ機会はある。頑張れ。」
励まされ、仕度を整えて外に出たら、そこにタニアがいた。
噛み殺していたあくびも引っ込んだ。
もちろん距離は結構ある。間に人垣がある。
しかし五十間先の手の平でさえ射抜けるエシルである。
その半分ほどの距離にいるタニアの事が、見えないはずはなかった。
むしろ見間違いかと、二度見してしまったほどである。
どう見てもタニアだ。
どうしてここに。領都に来るのはあんなに嫌がっていたのに、町はいいのか。
三度目に見やった時は、余計な物も見えた。
男だ。
人並みに揉まれるタニアを、肩を抱くように守っている。
どう見ても知り合い以上の距離感だ。
なんだ、その男は。
思わず駆け寄ろうとして、メルトに肩を掴まれた。
「どうした。」
「彼女がいる。」
メルトも驚いて目をやろうとしたが、すぐ誤魔化すために激しく瞬いた。
「今はまずい。監視がいる。」
ああ、そうだった。
何よりタニアを守らなくては。
今でもまだ、王太子の監視は続いている。
密偵はタニアの顔を知っているだろうか。
何事もなかったかのように、馬に跨って、狩場へ向かう。
視界の端でタニアを見る。
元気そうで良かった。
横にいる若い男は、誰だ。恋人か。
見せに来たのか?
テミルが心配していたとおりだ。
あんなに可愛くて優しくて健気なタニアを、男が放っておく訳がない。
鹿狩りの猟場に着いたが、エシルは心あらずの状態で、鹿そのものはメルトとテミルで二頭仕留めたものの、エシルは良い所なしだった。
その後町へ一度戻ったが、食事も取らずに部屋に引っ込んでしまう。
「確かめるべきだろう。」
メルトは励ましたが、エシルは動けなかった。
「タニアが幸せならいい。」
「おい。」
「いいんだ。ちょっと疲れた。」
怒りはなかった。ただ無力感だけがある。
やはりそばにいられないのは大きかった。
そして自分では、この先も一緒にいられない。
誰か他に頼れる者がいるなら、その方がいい。




