その31 うちの若様
朝早くなら、宿にそっと入れてエシルに会えると思っていた。半年以上ぶりだ。
夜明け頃に起きて、タニアは大通りに向かった。
西へ向かう街道の一部と、それに直行する通りが二本。町の主要部分は、大体その中に収まっている。
鹿狩りそのものは昼ぐらいから始まる。
領主軍から朝早く何人か出て、鹿を遠くから囲い込む。囲い込みが完了すると、主役がそれを馬で追い込んで、狩る。
大きな旗を振ったり鳴り物でドンドコやって鹿を驚かせるので、とても華やかな祭りのようになる。
娯楽が少ないので、町の人々は浮き浮きとそれらを楽しんでいた。きっと皆、夜遅くまで騒いだに違いない。
しかしタニアが大通りに出た頃には、もう何人もの人がウロウロしていて、特に領主の息子が泊まっている宿の辺りは、その姿を一目見ようと、どっさり人が集まっていた。
息子が寝ている間にちょっとだけ、と思っていたタニアは、すぐ諦めた。
帰ろうとすると
「見に来たんじゃないのか?」
向こうから、シオンが来ていた。
「あ。おはようございます。ファリスが心配なので、戻ります。」
「ニカおばちゃんに頼んで来たから大丈夫。」
シオンは、結局泊まりになったお手伝いのおばさんの名前を出した。
「行こう。そろそろ宿を出る頃だろう。」
戻ると、人はさらに増えていた。町中の人が見に来たかと思うほどだ。
わぁっと声が上がって、人並みが揺れた。
遠目でも、エシルは他より頭一つ大きいからよく分かる。
領主の息子が出てきたので、歓声が上がったのだ。しばらくして、連れの連中も出てきた。馬が引かれて、彼らは馬上の人になる。
「うわ。あれがうちの若様か。」
シオンが感嘆の声を上げた。
よく手入れされた栗毛の馬に乗るのは、騎装も凛々しいすっきりと背の高い青年。長いまっすぐな髪は明るい茶色で、首の後ろで括られている。今はそこに、誤射防止のための黄色いリボンが結んであって、それもまた似合う。
日焼けして頬にそばかすが浮いているが、顔立ちは精悍、男にしては優しい目元。
にっこり笑いかけられたら、女でなくても惚れてしまいそうだ。
慣れた風情で馬を進め、仲間達と笑いあいながら大通りを下って行く。
これから狩場へ向かうのだ。
タニアの前を通ったが、人の壁の向こう側にいる彼女の事は見えなかっただろう。
そのまま町の門を出ていくのを、タニアは寂しく見送る。
後を、侍従や領主軍の警護の者がついて行く。見えなくなると、人並みがわらわらとばらけた。
「あれ、結婚してたんだっけ。」
シオンが、誰かに聞くともなくつぶやくと、そばにいたおばちゃんが振り向いた。
「若様かい。ずっとお一人だったんだけどさ、今度領都に、奥様をお連れになったんだってさ。」
「え、結婚したんだ?」
シオンが驚くと、事情通ぶるおばちゃんは、いやいやとかぶりを振った。
「まだだって。だからまだホントは婚約者様なんだけどさ。連れてくるからには、そういう事なんだろう?」
「へー。」
シオンは、気のない返事をした。雲の上の人が結婚しようとしようまいと、自分にはさほど関係ない。
横にいたタニアが、真っ白な顔をしているのに気づかない。
「絵に描いたような男前だな。」
と振り向いて、やっとタニアの顔色に気が付いた。
「どうした?」
「なん、でも、ありません。」
子供が心配だから、早く戻りましょう、とタニアが歩き出す。
「そうだな、朝飯食ってないと、屋台を回る元気も出ないな。」
貧血なのかと思い至る。華奢だから心配になる。最近は元気そうに見えたのに。
ヨロヨロと歩くタニアを、シオンはそっと支えた。
やっぱり俺が貰ってしまおうかな。こういう時、彼女を支えられない男に、夫を名乗る資格はないとさえ思う。
いつかきちんと話をつけてやる。




