その30 側室
シオンの荷馬車に乗せて貰ったが、はしゃぐ息子を落ちないようにじっとさせておくのは、なかなか大変だった。
でも荷馬車での移動は久々だった。
この村に来た時の事を思い出す。王宮を出されて、しばらくしてからの事である。
小さい頃に母を亡くして、父も働けず、自分が家族を支えなくては、という思いだけで生きてきたタニアであった。
翡翠の君に、急に侍女として王宮にと言われた時も、恋愛感情よりも、
「弟は王立学問所に入れてやるし、学費も生活費も全部こちらで面倒見る。侍女の給金で父親も楽に暮らせるぞ。」
との言葉に乗せられた。
その後、何も心配する事がなくなったら、ぽかっと心の中に空白が出来て、タニアは何も考える事が出来なくなってしまった。
王宮では人形のように、人に言われるがままぼうっと暮らしていた。
何が気に障ったのか、王妃にひどく嫉妬されて王宮を出されてしまったが、今では自分が王宮で、どんな生活をしていたかもよく思い出せない。
実家に戻ったら、家は他の家族が住んでいた。
そういえば父が死んだ時、割に立派な葬式を出して貰ったが、家はどうするかと聞かれて、誰も住まないしと引き払ったのだった。
弟は学問所の寮で暮らしている。
訪ねたら、元気そうではあった。が、まさか一緒に住む訳にもいかない。
父方の親戚を訪ねてしばらく泊めて貰い、その間に身の振り方を考えた。
エルデム将軍家に再度雇ってもらえるかと思って訪ねたら、サディナの駆け落ち騒動で、屋敷には留守番の使用人しかいなかった。
他に当てはない。
元側室の娘を雇ってくれそうな所など、少なくとも王都にはなさそうだった。
持て余した親戚に、エルデム領での暮らしを勧められた。
今ならアイカ奥様が領都にいる。物価も安い。誰もタニアの事を知らない。
いっそ名前も変えて、普通に再婚してはどうだろう。
しかし領都まで徒歩で一泊の旅の途中、タニアは宿で体調を崩してしまう。
たまたま行き先が同じだった夫婦連れが、気の毒がって荷馬車に乗せてくれたのだが、その時の妻の方が、タニアの様子を見て
「おめでたなんじゃないかねぇ。」
と言ったのだ。
タニアは驚いて、急いで色々考えた。
このまま領都へ行っては、まずい気がする。考えがまとまるまで、仲の良かった従姉叔母の所へ行こう。あそこなら、おそらく誰も場所を知るまい。
そして、無理は良くないからと、夫婦連れは領都を越えてこの村まで送ってくれた。
あの時は本当に助かった。
荷馬車は田舎道をゴトゴト進む。
町が近づくにつれて、今まで見た事もないぐらい人や馬車が道に溢れている。
小さい町だ。
多分もう泊まる所もないかも知れない。
日暮れ頃、ようやく町の中に入れたが、町の中も人で溢れている。
その上、そんな人々を見込んで屋台なんかも出ているので、道が狭くて埃っぽくて騒がしい。
息子はとっくに疲れて眠ってしまった。
「とりあえず、俺んち行くわ。」
シオンはゆっくり荷馬車を進めて、診療所の裏手につけた。
「ありがとうございました。」
タニアは息子を抱き下ろす。
「宿屋って、どの辺にありますか?」
シオンは呆れた。
「いや、見てただろ。もう泊まる所なんてないって。」
「えっ。」
タニアは少し困って周りを見る。
「じゃあ、えーと、厩の隅を貸して頂けますか?」
「何で厩なんだ。いいって。部屋はある。そのつもりで連れてきたんだから。」
タニアはびっくりして、深々と膝を折った。
「ありがとうございます。」
その仕草にシオンは、相手が騎士階級で自分より上なんだなと、改めて痛感する。
やっぱり結婚は無理かもしれない。
でもそばにいる事は出来る。
気を取り直して、タニアを家の中に案内する。
家の中には、引退した老医者と近隣から来ている寡婦のお手伝いさんの二人がいた。
「坊っちゃん。何で今日みたいな日に出かけるんです。」
怒られた。
「約束だったから。」
「何人も患者さんを断ったんですよ。」
「そりゃ済まなかった。」
タニアを紹介すると、お手伝いのおばさんは顔をしかめた。
「また患者さんに入れ込んでるんですか。そんな事ばっかりしてるから、婚約者に逃げられるんですよ。」
「いいって。そんな話。」
シオンは、タニアを客間に案内した。
「好きに使ってくれ。飯も持ってくるから。」




