その29 大家と店子
朝晩の風が涼しくなった。
裏庭にある畑で、豆の収穫をしているタニアは、息子がイタズラして豆のツルを引っこ抜いているのを見やった。どのみち、収穫したら抜いてしまうものだから構わない。
エシルと最後に会ってから、もう半年以上になる。子供と二人は心細いが、大体のんびり暮らしている。
「これでいいか?」
声をかけられた。
裏庭にある馬車小屋には、古い錠前がかかっていて、鍵は大家である医者が持っていた。
前に来た折に開けてもらうように頼んでいた。
それをようやく開けてもらったのだ。
「ありがとう。シオンさん。」
年齢で言えば十歳も年上だが、身分が下だからやや気安い。
元々ここに住んでいた医者はとうに引退して、息子が開業している町に引っ越した。息子だけが時折、病人を診るためにやって来る。
タニアが従妹叔母を頼ってこの村に来た時、まだ叔母は生きていて、身重のタニアを気遣ってくれた。
そして、自分を診察に来たシオンに、タニアのお産を託したのだった。
結局お産そのものは、シオンが伝手を使って呼んだ産婆が執り行ったが、出産前に叔母を亡くして、家を追い出されそうになっていたタニアに、空き家になっていた実家を世話したり、産後の体調をみたりと、ただの大家と店子と言うには親密な関係が続いている。
前の冬、軒先いっぱいまでの薪を手配してくれたのも、シオンだった。
誰が見ても、シオンはタニアに惚れている。タニアに子供がいなければ、周りの者がさっさとお膳立てして、二人を結婚させただろう。
しかし世間知らずのタニアは、恋愛にも相当鈍い。
ずっと好きで憧れだったエシルに
「愛している。」
と言ってもらえて舞い上がっているので、他の事には目がいかなかった。
シオンの方でも、一度婚約者に逃げられてからは、この手の事には慎重である。
好きだと自覚はしているものの、医者と患者あるいは大家と店子以上にはなるべく踏み込まないようにしている。
「この小屋、何に使うんだ?牛でも飼うのか?」
扉は建て付けが悪く、ギイギイ鳴りながら開いた。中には古い荷馬車と馬具が置いてあった。馬房もある。
「夫が、馬を入れておくのに丁度良いと思って。」
タニアが照れながらそう言うのを、シオンは怪しんで聞いている。
まぁ子供もいることだし、夫も当然いるだろう。しかしなぜ一緒に暮らさない?
理由がわからない。
子供は文句なしに可愛いし、タニアは美人だ。飯も美味いし、働き者だ。
こんな田舎に彼女だけ置いておく理由が、全くわからない。浮気されても文句は言えまい。
むしろ旦那の方が、自分が浮気したくて嫁を追い払ったとも考えられる。
それなら俺が貰っちゃっていいんじゃないか?
しかし様子を見るに、どうもタニアはその夫の事をとても愛しているらしい。
変に仲を裂くような事をしたくはない。
タニアが騙されているだけだとしても、自分で気づくまでは、それを指摘して気を悪くされたくない。
「旦那さんは、いつ来るんだ?」
「お仕事が忙しいので、いつとは言えないんですけど。」
タニアは少し考える風だった。
「本当に大丈夫なのか?」
いいように扱われているように見える。
「うちの町に住んでいるのか?」
「ええと、住んではいないです。」
言いたがらないので、それ以上踏み込まない。
古い荷馬車の点検を始める。使おうと思えば使えそうである。でももう二年は放ってある。車軸とか腐っていそうで、修理が必要だろう。
「そういえば、明日、うちの町に領主の息子が来るってさ。」
「え?」
タニアの手が止まる。
「エシル様が?」
「あー。そんな名前だっけか。この前の武術大会で、弓で優勝したんだってさ。ずいぶん出世したらしい。そんで祝いを兼ねて、向こうの山で大々的に鹿狩りをやるんだと。」
シオンは車輪を調べている。
軽く触っただけで、輻の部分が一本ボロリと取れた。ダメだな。
「オトモダチの貴族の若様が何人か来るんで、町の中が警備の兵隊でいっぱいだ。祭りみたいになってる。」
気づくと、シオンのすぐそばにタニアが来ていた。
「わ、私も見てみたいです。」
「えっ。」
シオンは驚いて、手に持っていた輻を落としてしまった。
「いや、ここへ来る時も、道が混んで大変だったんだぞ。」
タニアはがっかりした表情を浮かべた。
「そうですよね。」
その顔を見ると、何とかしてやりたくなる。
「何を見たいんだ?鹿狩りは無理だぞ。」
「その、お祭りを。」
「んー。今から行くと、領都に入るだけで夜になる。どこかで一泊するかなあ。」
ようやく一歳半になった子供を連れての一泊旅行は、結構大変だ。諦めた方が良策だ。
しかし。
「どうしても行きたい?」
「いいえ、どうしてもというほどでは…」
言い淀むタニアに、シオンは肩をすくめた。
そんな言い方されたら、行きたいと言っているに等しい。
「すぐ支度するんなら。たまには気晴らしになる。」




