その25 やる気
「・・誰だって?」
もうすっかり忘れていたエシルは、何のことかすぐには分からなかった。
「国務尚書のお孫さんだとか?」
「・・・いや、その話は断った。」
もうすぐ全軍を挙げての武術大会の予選が始まる。人の噂話を気にしている暇はなかった。
「しかし結構本当だと思われているぞ。」
「誰がそんな事を。」
休みの日でも、鍛錬の為に剣を振っているエシルを、幼馴染は呆れて見やった。
「俺が聞いたのは、兄貴からだけどな。」
そういえば、最近昼食会の招待が、ぐっと少なくなった。毎日二、三通は届いていたものが、今は数日に一通である。
返事が楽になってよかったと思っていたが、そんな裏があったとは。
慌てて、父に頼んで国務尚書に手紙を送ってもらう。
王都に妙な噂が流れているらしいが、こちらとしては以前に手紙で知らせた通り、縁談は流れたと考えていること。
噂の出どころは不明だが、分かり次第それなりの対処をするつもりであること。
しかし返事が来て、頭を抱える。
縁談が流れた事は、こちらも了解する所である。ただ、孫娘のエミーナは、先日の昼食会がとても楽しかったらしく、次回を諦めきれずに待っている。
もし気が変わったなら知らせて欲しい。
いやいや。冗談じゃない。
気が変わるなんてあり得ない。
この変な噂が、まさか王都の外まで流れたりはしないだろうが、タニアが耳にしないか気になる。
メルトの忠告によると、この噂を気にしたエシルがタニアに会いに行くのを、王太子は待っているのだろう、という事だった。
確かに、最近王太子の監視が緩いな、と思う。
前は本当に、ずっと後を追けまわしていたのに、今は屋敷の外と西門の内側に一人ずついるだけで、ついてこない。
緩くなったのではなく、ちゃんとした密偵に見張らせているのだと思うと、うすら寒い気がする。
しかし、メルトの言葉が本当なら噂を流したのは王太子という事になる。
しつこい。腹が立つ。
家を継いで、こいつに仕えるのかと思うと、もう本当に忌々しくて勘弁してくれという気がしてくる。
イライラしているうちに、ふと良い事を思いついた。
タニアの息子を担いで、王位を簒奪するというのはどうだろう。
もちろん今でなくていい。
どのみち翡翠の君は常に体調が悪い。
俺が将軍に就いた後、もし翡翠の君が玉座にあれば、体調を理由に譲位を勧めてさっさと退場して頂く。継嗣の大地の君には修道院にでも入って頂く。
いいな。
タニアの子なら、全力で仕えてもいい。
いい考えだ。よし。やる気出た。
武術大会の予選が始まった。
勝ち抜き戦を行い、それぞれの軍で上位八人に絞られた後、王都の闘技場に集まって本戦を戦う。
軍は十二あるので、本戦には百人近くが出る。
また、剣、弓、槍の三種目があり、全ての試合が終わるのに、本戦だけでも十日かかる。
闘技場は誰でも入れて、王都はその間、若干お祭りのような雰囲気になる。
その予選で、エシルはまず弓でぶっちぎった。
弓は勝負が早い。まず飛距離が四十間飛ばなくては話にならない。
その上で的に当てるのだから、五千人が八人に絞られるのも三日で事足りる。
エシルは六十間を射抜く事が出来た。
恵まれた体格と膂力によって、ほぼ他者の追随を許さない。
一方で剣の試合は相当時間がかかった。
メルトが言った通り、いくらで勝ちを譲ってくれるか?といった話もあちこちで飛び交った。
どのみち一つや二つ勝った所で、上位に入らなくてはさほど意味が無い。
木剣で殴り合うので怪我の危険度も高く、時間も取られるので、組み合わせが決まると、さっさと金で話をつける者が多かった。
その一方、腕に自信がある者は、少額の金ではうんと言わなくなるので、人数が絞られてくるほど高額の金が飛び交う。
エシルも、中隊長の一人から、「これでどうか」と金額を提示されたが、断った。
目指すは大隊長だ。ここで負けてどうする。
案の定、その中隊長を下して上位八人に入った。
平行して行われる槍も、何とか本戦出場の権利を得た。メルトには勝てないが、だからと言って弱くはない。
とにかくデカくて、腕の長さだけでも相手より利がある。
「やる気だなぁ。」
東から帰って来たメルトが、本戦出場の名簿を見て感心した。
季節はもはや夏の気配がする。
三種目全てに出場を決めたのは、エシルだけだった。メルトは槍と弓。他にも二種目出場の者は五十人ほどいる。
「待ってろ。お前なんか、すぐ追いついてやる。」
啖呵を切るエシルに、メルトは降参の両手を挙げた。
「俺は槍だけお前に勝てれば、それで満足だからさ。お手柔らかに頼むよ。」




