その22 大雪の日
年が明けて、しばらくたった頃。
朝から吹雪で、誰も外を出歩かないような日があった。
タニアは、部屋の中に積んである薪を、勘定しいしい一本焚べた。
エシルが置いて行った金で、前よりもずっとマシな生活が送れている。
あの日、「ちょっと行ってくる」と出かけて行ったエシルは、そのまま帰って来ない。たぶんもう、戻ってこないだろう。
忘れられたとは思わないが、忙しい人だ。たぶん何かしらの用事に捉まって、そちらから離れられないに違いない。
そもそも身分が違う。
それに、今自分は王太子に行方を探されている身だ。匿っていることを知られたら、エシルは、悪くすれば反逆罪に問われる。
一緒になろうと言ってもらえて、嬉しかった。が、あの時の事は夢だったと思う事にしよう。
暖炉にかけてある鍋の中には、スープが煮えている。
最近つかまり立ちを始めた息子は、この暖炉のふちに手をかけて立とうとするので、椅子で周りを囲ってある。
少し前まで貰い乳をしていたが、食糧事情がよくなったせいか、自前の母乳が出るようになった。離乳食も食べているし、息子も丸々としてきた。
幸せだ。これ以上望んだら、罰が当たる。
コツコツと、ドアを叩く音がした。
最初は風かと思った。こんな天候の日に出歩く人はあまりいない。
しかし二回目を聞いて、タニアは暖炉際から立ち上がって、ドアについたのぞき窓を開けた。
びっくりした。
雪だるまが立っている。いや大きな白い熊だ。
慌てて覗き窓を閉める。恐い。
あんな熊に襲われたら、この家もバラバラになるかもしれない。
反撃用の薪を抱いて震えていると、遠慮がちなノッカーの音が、また聞こえた。
ノックだ。
熊はノックをしない気がする。
薪を降ろして、再度覗き窓を開けた。
白い毛皮の間から、よく知っているエシルの瞳が見えた。心臓がぴょくんと跳ねる。
「エシル様?」
急いで、ドアの閂をはずす。
大雪の中、真っ白な毛皮の外套を羽織ったエシルは、確かに大きな雪だるまのようだった。
寒さで鼻の頭が真っ赤になっている。
「まあ、こんな雪の中を、よくいらして下さいました。」
「タニア。」
「はい。」
エシルは外套を脱ぎ捨てて、タニアを抱き寄せた。
「タニア。」
「はい。」
「タニア。」
「エシル様。少し苦しいです。」
「あ、すまん。」
慌てて抱く手を緩める。ふふっとタニアは笑った。
本当に、こういう所も小憎らしくて好きだ。
しばらくじっとして、お互いの体温を確かめる。
「ああ。タニアは温かいな。」
「エシル様は氷みたい。」
「前が見えないほど雪が降っていたからな。遅くなって済まなかった。」
王宮で新年の挨拶を行った後、大抵の貴族はそれぞれの領地で、領民からの挨拶を受ける。
ごく自然な流れで、エシルは領地へ戻って来た。
当然、王太子の監視もついてきたが、彼らは本来王族を身近で守るのが仕事で、人の監視や尾行に慣れていない。
エルデム将軍領までついてきたのはたった三人だった。
しかも領都では、エシルはほぼ毎日のようにあちこちを遊び歩いて、監視役は交代制とはいえ振り回されてへとへとになっている。
こんな大雪の日に、まさか遠出もあるまいと油断している所を、やっと振り切った。
「遅くなった事、怒っているか?」
恐る恐る問いかけるエシルに、タニアはかぶりを振る。
「もう戻って来られないかと思っておりました。」
「すまん。翡翠の君に、監視を付けられた。」
ひゅっとタニアの喉が鳴った。
「あの、それは。」
「大丈夫。振り切った。しかしずいぶん時間がかかってしまった。お前のことが心配だった。変わりはないか?風邪を引いたりはしてないか?」
エシルの優しい声に、タニアは涙ぐんだ。
「変わりなく過ごしておりました。薪もパンも沢山買えるようになりましたし、ひよこ豆もどっさり分けて頂いて。」
それでも赤ん坊と二人の生活は、相当心細いだろう。
気丈に振る舞うタニアを、エシルはもう一度抱き締めた。
「このまま押し倒したい。」
「まだ昼間ですから。」
ややあって、エシルは体を離してハァとため息をつく。
昼間じゃなければいいのか?とか思う。
もうホントにこの小悪魔は、どうしてやろうか。
「今日は我慢する。雪が降り止む前に帰らないといけないからな。」
「ああ。そうなんですね。」
残念そうな表情に、心が揺らぐ。
「このまま攫っていきたいな。」
エシルの言葉に、タニアは目を伏せた。
「四年前に戻れたら、きっとついて行きますのに。」




