第十五話 どうにも彼の様子が不穏であるようです。
道を歩み進んで、まだ間もなくという時に、一つの異変が起きた。――ただしそれは、私の内々で起こっている異変だった。
ねえ……。
「どうしました?」
なぜか、私の『収納』魔法の亜空間が――とんでもない勢いで、膨張するように、拡張していってるんだけれど……。
「膨張? 現在進行形でですか? うーん……どういったことでしょうか……。魔王城の何らかと反応しているのか、あるいは魔王に関わる何かと作用しての反応なのか……。ちょっと分かりませんね」
まあ、不都合的な問題は、なさそうだけど……。
――しかし、とてもじゃないが、気にしないわけにはいかなくなった。
通路を先へ進み、階段を上るたびに、暴走のように拡張速度が増していく。試しに立ち止まってみると、今度は、その勢いが緩やかになった。
ちょ、ちょっと、なによこれ!
「なんでしょうね。危機における覚醒なのか、あるいは他の要因であるのか……。――思いつくことですか? うーん、魔法って、思いもよらないものと関連していたりしますから……例えば、ヴィオラさんが今、お手洗いを我慢していて、その具合と関係している、とか」
ブッ飛ばすぞ、そんなわけあるか。
私の膀胱は宇宙規模か。
「そういった、『そんなわけあるか』というコトに結構関係していたりするものですが……でも今回の事情は、どうやらそういうことでもなさそうですね。道先に進むほど拡張速度が増していくという事象は、やはり魔王に関わる何かと作用しての反応と見るのが、一番分かりやすいですが」
……まあ、分からないものを、気にしてもしょうがないか。
汗を垂らしながら、首を振る。今は、不明なことに思考を割いている時じゃない。それがどれだけ気にかかることだとしても。
「とはいえ、こうしてただ通路を進んでいるだけで、ここまでの道中よりもむしろ、暇は持て余していますけれどねー」
そう、魔王城の内部には、罠や企みといった、何もがなかった。
私たちは何事もなく塔の通路を辿っている。幸いというべきか、先遣隊の意味を成していない状態が続いていた。
とはいっても。
結果、今のところ何事もないとはいえ。気づいたけれど、どうにもお前は自己犠牲の考えが強く根付いているように思うわ。
「そうでしょうか? 自身にできる選択をする、それだけのつもりです。別段、自己犠牲の精神に執着しているわけでもありません」
お前の行動意識は、少し理解できない……見渡せない部分がある。
使命感に則っての選択であるように思えて、しかしお前の生き様を見てると、どうにもそこに囚われていないようにも窺える。
私とお前が先遣隊である意味は分かる。
確かに、戦力にならない私がお前と外れれば、残るは最強の前衛に必滅の魔術師と癒しのクソ聖女、勝率は一番望めるだろうし、先遣隊の意味を担うことでこの一組にも意味が生まれる。使命を考えるなら、最善手かもしれない。――私を置いてくって案は、あのチビ魔術師と筋肉が了承しないだろうしね。
でも、これが使命感からの自己犠牲的な思想じゃないのなら、いったい、どんな思惑からあなたはこんな選択を取るのよ? いえ、責めてるわけじゃなくて、単純な疑問。なぜそのような選択を取る?
「そうですねー。んー、深く考えたこともなかったな……。私は国の第三王子という生まれですが、しかし第三ともなると、身内であろうと王家からは遠ざかった立場にあるもので。第二と第三では彼我の差があります、王位継承候補からはほとんど外れており、そういう意味では普通の貴族とあまり変わりありません。でもそういった立場だからこそ、広い風景を見ることが叶いました。本格的な教えを授けてくれる剣の師に出会えたり、ふと誰かの核心に触れる立場にあることも多く、関わり合いという点で私は恵まれていた。そうした中で私は思った、生きるというのは多くを選べず、そして選択の中で人は失われ続ける。そんな中で、私たちは意味を繋げてゆかなければならない、そうでなければ、生きるになんの意味も見出すことができないのだから。難しい考えではありません、単純な話です。だから私は選択します、たとえ自身が失われる選択であろうと、意味を繋げるために」
……なるほどね。
他人の話ながらに、分かったところもあった。……話してくれて、ありがと。
「いいえ。多かれ少なかれ、誰しもが抱く思想のお話なのかもしれません。きっと――――」
その時。
ピタリと、ノンデリ王子が歩みを止めた。
――どうしたの?
「いいえ、なんでも」
そのように答えた、彼の表情を窺う。
そこには――場にそぐわない、とても穏やかな微笑みの顔があった。
――……なによ?
「ついにこの時を迎えたと、そのように思っただけです。――行きましょうか」
……奇妙に嚙み合わない不穏の中、再び、歩みを進め始める。
「多かれ少なかれ、誰しもが抱く思想のお話。きっと――人は、もう駄目になるまで、意味を求めて止まらない存在なのでしょう」
そうかもしれないわね。
「比して、この国の、隷属といえる魔族のあり方はどうでしょう? あるいは、それは幸せなあり方なのかもしれません」
は?
幸せ?
「選択で失われる自身が無い。それは逆説的に幸せといえるのかもしれない。決して不幸にならないということが、例えば幸せだと考えるのなら」
――ふざけんな。
そんなの死と同義の平穏よ、不幸にならないことを求める? それは誰かの顔色を卑屈に窺うみたいに、何かの顔色をもそうして窺っているだけのこと。何かと比して自分は幸福だの不幸だのと宣う無為となんら変わらない。
「しかし、自身の幸不幸は、比してこそ測れるものという考えは、実際現実の普遍でもあるでしょう?」
――――くだらないッ!
いい? 悪だろうが、善だろうが。
自身がただ胸を張って、あるいは高らかに笑って――あるいは、陰険な言葉を好んで自分が思うカッコよさを気取りながら、あるいはただ愉悦に正直にありながら、あるいは身についた成果を誇り威風堂々としながら、自身の求めるものを求めることこそ幸せの意味なのよ。比しての幸せ? そんなもの、不遇に嘆いていることをメソメソと慰めているだけね。
本当は誰しもが分かってる。
それが他人から見てどれだけくだらないことでも、その人の幸せ――必ず、求める先だけに、幸せがあるのよ。そして、ハッキリ言うわ、幸せを求めない人生なんか、これっぽっちも意味ないわよ!
「ふふ。あなたの幸せは?」
私の幸せは、高らかに笑うことよ!
ただ、それだけのこと。私の求める、最高の幸せよ!!
「死は不幸でない、だから、生きながらに、それに近づく方法があれば……。もしかしたらこの国のあり方は、そうして生まれたのかもしれません。そのような思想から今の完全掌握たる支配があるのだとしたら、あなたならそのことについて、何を言いますか?」
決まっているわ。
よくもこんなくだらないことを実現したわね、それだけ。
「一刀両断してはいけませんよ。話し合いにならないじゃないですかー」
――……ねぇ、どうしたのよ?
ネア。
いったい、さっきから、何の話をしているの……?
「……ある程度の腕にまで至れば。決して敵わない相手がいるということを、相手の領域に踏み込んだ時点で、察するものです。私では敵いそうにありません、私が足止めした瞬間、ヴィオラさんは即座に逃げてください。そしてもし、どうにもならなかったときは……いま話したようなことで会話を繋いで、後続の到着まで粘ってみてくださいね。――さよならです」
コ゚ッ、コ゚ッ、コ゚ッ――――。
通路の曲がり角から。靴音が響いてきたことに気づく。
ネアの手に静止を呼びかけられ、私は冷たい感覚に両足を浸しながら、迫り来る音の方向を凝視した。
そして――――彼は現れた。
存在感という圧力を詰め込んだ金色の両眼。決して目を逸らすこと叶わない、金色を映したこの目を焼くような、苛烈な色彩。
背は高くない。暗い色の肌、ボロのような羽織りをまとい、黒髪は無造作に垂らされている。原色を思わせる金色の眼こそが彼の印象における全てであり、その一つをして、私が世に見てきた何をもさえ比肩し得ない熾烈な威風を放っていた。
いつの間にか抜かれて手に納められた、ネアの剣。
ネアが、【魔王】へ――滑るような神速の挙動で、踏み込んだ。
ネアの体躯が、二つに割れた。
割れた? 裂かれた。夢としか思えない視界の中……いつかの再現のような光景を、佇み、ただただ茫然と見ている。
【魔王】の手中で、血の一滴も付着していない、銀色の刃が輝いている。
いつの間にか抜かれた【魔王】の剣に斬られて、彼は体躯を半分に裂かれ、そして、今は――倒れ伏して、動かなくなった。
――滝のような冷や汗が噴き出る。
私は死ぬ。
そのことを意識して、知りながら。考える。どうにかアクションを起こす、何を? あいつ最後の最後まで自己犠牲みたいなことを。逃げる? いや、もう遅い。タイミングなど無かった。ネア。あいつが死んだ。死んだ……? 後続の到着まで粘る。不可能、けれど今さら背を向けて逃げ出すことは、もっと。ネア、あいつ死んだ……? 喋る、いったい何を――……。
そのとき。
血塗られたが如き金色が、私の表情を捉えて、そして――彼は音を、言葉を発した。
「――――お前が封印の巫女か」
――意味が分からなかった。
けれど、今は彼の話を聞く他ない。
細く痩せた呼吸を繰り返しながら、彼の声にただ耳を傾ける。
存外に。
どうしてか、私を見据える彼の眼、また彼の発した言葉も穏やかなもので、そこに、敵意というものを感じられなかった。




