第十四話 私たちは招待されているようです。
そして、地平から揺らぎ出た日の光が辺りを照らした――九日目。
旅の序章は、終わった。
そして『残りは終章のみであることを私たちに告げる光景』が、再び歩み出した私たちの、目の前に広がっていた。
魔族の都が見えたわけではない。
【魔王城】のような建築物が地平の向こうに姿を現したわけでもない。
言語化に迷う光景があった。
――――なによ、これ……――。
「あらぁ、これは……」
「ふふ、そう来ましたかー」
茫然を浮かべる私の隣では、例によっていつも通りの調子で、四人がそれぞれ反応を示していた。
「フッ……暗き王のご招待、か……」
「筋肉も静まり、猛っている――。然る時が、近い」
驚愕に慣れたとはいえ、目の前の光景を前に平時通りなど不可能だった。口を半開きにして、立ったままにじり下がるような心境でそれを見つめる。
魔族が。緑色の瞳の彼等が、まるで私たちの進むべき道先を見守るように、左右の脇にはけて、直立して整列していた。
先を譲るように。武装解除した出で立ちで整然と、起立している。
攻勢を仕掛けてくる様子はまったくない、奇妙なほどに、どこまでも静か。遠く見れば、魔物さえも呼吸を潜めるように、静止していた。
暗き王のご招待。
そうか。
これは、この道中……初戦における、ある種の降伏宣言か……。
降伏宣言。
これ以上は消耗にしかならないと判断しての、リスクカット。
しかし――これほど挑戦的な白旗もない。この先に待ち受けているのは――……。
緊迫に胸が詰まる。私たちは招待されている。
――フン、特異な晩餐会の招待状もあったものね。
「行きましょうか」
「彼等は、いちおう削っておかなくても、よいのですかぁ?」
「放っておこうよ。後ろから詰めて来ても、問題ないし」
「あの武装を解除した筋肉は、信用に値する。マインドコントロールの虚偽でどうにかなる筋肉の静けさではないように見受けられる」
深部で伏兵が待ち構えているという展開も考えづらい、うちのチビ魔術師が、広範囲の殲滅戦においてどれほどの滅茶苦茶をしてきたのかは、相手も承知しているはず。懐に誘い込んでも損しかないはずだ。……この考え方、間違っていないわよね。
「もしかすれば、懐に誘えば有利になる事情があるのかも分かりませんが、今は、この渡りに船を利用しておきましょー。何かに気づいたときに考えても、遅くはないはずです。問題あろうと、私たちはどのみち、魔王の元へと向かわなければならないのですから」
…………――ふーっ。
最終決戦……か。
しっかりするのよ。このために、私はここへ来たのでしょう。
「――……あのさ、ヴィオラはここで待っていても、いいんじゃない? どうやら物資は最後まで、もちそうだし」
おめぇ極東の地の真ん中に、私を一人、放っておく気か。
「あ、そっか」
「うふふ、それは笑える想像ですけれどねぇ、うふふふ」
フン、そうでなくとも付いていくわよ。
大きな功を主張するには、最後まで隊に居なければならない。そうでしょう?
「ブレないなぁ……。まあそれなら、できる限りで、守ってあげる」
「うふふふ、置いてかれて子兎のような様子に戻る蛇女、うふふふふふ……」
――それから。私たちは、奇妙な形で平穏な道のりを歩み始めた。
安全だろうが険しい道のり。しかし、しばらく進めば、より濃い往来の跡が道に現れ始め、やがては暮らしの痕跡までもが見つけられるようになった。
ただしそれは、化石のような、かつての暮らしの痕跡であったが……。
……集落が僻地にまで分散していることは、完全支配においていかにも発展効率が悪かろう。また魔物という生物兵器の土壌になるというのなら、こうして土地を空けることも国の利益となるだろう。
道の左右、進めど点々と整列している、私たちから適切な距離を置いて直立する魔族。
彼等に表情らしい表情はない。
……もし、魔王を打ち倒すことで、【掌握】が解けたとして。
彼等の処遇は、どういったものになるのか。彼等の立場はどういったところに落ち着くのか。……あまり、深く考えたくなかった。
どれ程の時間、歩いただろうか。
道から険しさが失せ始めた。
――――もう、目鼻の先だったわけね。
「おおー! これが、魔族の都ですか。――……うーん……」
「んん……」
「……筋肉が、消えている」
「荘厳ですわねぇ。……――でもぉ、これは……」
そう、しかし、これは――……。
住区を一つ所にまとめ上げ、都会的な発展のその更に先を目指した魔族の都は、荘厳より他の何ものでもなかった。風景の圧巻。
ただし――その景観の優れたるでいえば、平凡の、それ未満であった。
まったく、火が消えている。
荘厳なのは発展の見目だけ。
魔族――人はいるのに、この目にすら映って見えるのに、人気がまったく感じられない。唐草が、風か何かで動いている様子のほうが、よほど印象に残る……生命から存在感が見て取れない奇妙。
人がいるのに誰もいない。
人が消えたように火の失せた街に感じるのは、寒々しさだけ。これだけ現在進行形で都に発展がもたらされているというのに、言葉を尽くすような感慨など一つも湧かず、ただ寒々しいという印象しか受けなかった。描写するだけ無意味な景観が広がっている。
全員が、【掌握】されているのか。
これが隷属の果ての街並みか。
――そのような都を、私たちは見下ろす形で、一望していた。
魔族の列は、都から左方向に逸れた、山道と表現しても差し支えない急傾斜な丘へと続いていた。
……都は見果たせないほど広大であるのに、感じるのは脅威とは別種の、気味の悪さ。ふん、【魔王】とやらの趣味は大概のようね。
「あらぁ、珍しく意見が合いましたねぇ。うふふ、どうやらお相手様は救うに相応しい人物のようで、なんだか、安心すら覚えていますわぁ」
「オー、ほら、あれ魔物のお肉じゃない? フッ……真理を見抜いてしまったか……。んん、魔族は魔物を食べられる体質なのか、それとも、家畜用の魔物がいるのかな……?」
「プロテインは……取れていなさそうだな」
「んー――。いえ、魔物の肉も並んでいるようですけれど、あれは、全部がそうではないようですよ。よく見れば獣の肉とは違う……あれは、人肉ですねぇ」
「…………」
…………。
「あ、魔族の肉ですから、魔肉なんでしょうかー? なんだか語呂が悪いですねー」
黙れノンデリ王子。ちょっと黙れ。
「うふふ、これほど救済するに相応しい所業もありません……! そのような人物に、合法に救いをもたらせるなんて、嗚呼、これも、女神様のお導きですわぁ」
女神を貶めてやるなよ。
まったく……なんでもありってわけね。御大層な人物なんでしょうね、魔王は。
「見えてきましたね」
ノンデリ王子の声に、皆、視線の先を見やる。
しばらくは霞んでよく見えなかったが、やがて私の視界にも、一つの建築物がまだ遠く見えてきた。
――ぽつねんと、しかし妖しく風景から浮いて存在する、どうしてか人工物のようには印象できない古城。つまり、あれが。
「フッ……【魔王城】、と、いうわけ、か……。ついに、だな……――!」
「あのぉ、考えたのですがぁ、わざわざ出向かずとも、こちらの小さな魔術師さんの魔法で、あの建物ごと壊してしまえばいいのではぁ?」
……確かに、それ、やる価値はあるわね。
「やっとく?」
「失敗して困ることも無いでしょうし、いいと思います」
「筋肉!」
「左目の呪いよ、映し出したモノに必滅の滅びをもたらせ――――!」
――【魔王城】も見上げる中空から、空を覆いつくすほどの巨大な槌を象った魔力の塊が顕現し、雷の如き音響と共に、地表に振り降りた。
――――なにが起こったのか、分からなかった。
ふと気づけば、銀の靄をまとった巨大な鉄槌は消えていて、あとには何事の痕跡もない、わざとらしい平穏だけがあった。
…………。
「――――フッ。一筋縄じゃ、いかないってこと、か。――いいね」
「ダメでしたねー」
「うふふ、まあ、拍子抜けはお預けということですか」
「まるで筋肉のような建造物だ」
筋肉に何を見出しての比喩なのよ。ていうかチビ魔術師、あんたさっきの口上、『必滅』と『滅び』で、語彙がかぶってたわよ。
「うっ。ぐっ、それは、反省点だけど……んん、『必滅』の、壊滅……いや違う……」
――そんなふうにダベりながら、私たちは得体のしれない【魔王城】への道のりを辿った。
不思議な感覚があった。
空を舐めるような野心は僅かも冷めていないのに、――こいつらとこうして話すのも最後かもな、という、いやに冷静な心境が私の中にあった。真っ先に死ぬとしたら私だという実情を、ありのまま受け入れている自分を発見した――私らしさの外にいる自身に気づく。
その、私らしさの外にいる自身が考える。
どのようなつもりか、思っていたのはレオンハルトのことだった。
もうちょっと、想いを寄せる話し合いをしてもよかったんじゃないかと。馬鹿みたいに今更、考えていた。
それは後悔ではなく、ただ、ふと思ったことだった。別の道があったんじゃないかとかそういうことでもなく、ただ単純な一つの考えとして。
先ほどの“魔族の様子”を見ての思い連なりだという事に気づいて、その意味を考える。――もうちょっと人間らしくを目指しても、よかったんじゃないの?
――戯言だ。それで渡っていけるほど、世間は寛容でなかった。
世間自体が叩き潰すような手の形をした場所で、そんな余裕は、とても持てない。――じゃあ、持てるように努力すれば、よかったんじゃ?
そうして努力するぐらいのことは、やっても、よかったんじゃない?
……そうかもしれない。
別の道があったとか、そういうことではなく、ただ、ふと思う。
「うん?」
いえ、なんでも。
まったく、こんなこと悔恨して、どうしようっていうのか。
――――いや。
こんなことを悔恨することが、人間にとって、重要であったのかも。
色々考える。
そうか、私は死を予感している。――フン。
しっかりしなくちゃね。
「――ついに。ついについに……この時かっ!」
【魔王城】――巨大な円柱形の、塔型の建築物だった。
外装は無骨そのもので、中の窺えない窓は不気味であるが、その円柱形が雲を突き抜けているということもない。見上げれば倒れ込みそうな錯覚を覚えるほどの高さもなく、【魔王城】たる建築物であることを思うと、なんというか――。
「――……思ったより、普通だな……」
「まあしかし、実体が普通でないことは、先ほどのことで明らかですから。最後です、油断せずに行きましょー!」
「応ッ!」
「うふふ、恐ろしいですねぇ――」
気をアゲて。ここに至っても平静に。実直を表情に。お前の方が恐ろしいという顔で――罠である可能性も、十二分にあるというのに。
全員が、逡巡も見せずに、最後の道路へと足を踏み入れた。
――――……。
中は。
室内は、冷たい空気が充満していた。
そして、明らかに――外見とは異なる広さがあった。入り組んで全景の広さは見渡せなくとも、それを予感できる空間の余裕を感じる。
このぶんでは……階層さえも見た目通りであるとは限らないんじゃないの?
「そうこなくっちゃねぇ……!」
元気だなぁこのチビは……。
辺りを見渡す。
日を取り込む窓も、蝋燭なんかの光源もないのに、室内はどうしてか薄暗くも視界が遠くまで通っている……。
「どうしましょうかぁ、別れて【魔王】とやらを探すか、一塊で探すか……一塊で全滅だけは、避けたいですがぁ」
「別れて探すなら、私とヴィオラさんで一組、そして他の三人で一団という形がいいですね。先遣偵察という意味で私たちが先行して、アダムスさんセレネさんアマリリスさんで詰めるのが得策であるように思います」
「最前衛に適した筋肉こそが、先行すべきではないか?」
「いいえ、アダムスさんの前衛は後詰めの一団にこそ必要です。さて、みんなで動くか、別れて動きますか……どうしましょう?」
しばし話し合い。
結局、ここからは別れて進むことになった。
先遣隊は私とノンデリ王子。――その意味が分からないほど無能ではなかった。フン、まあいいけどね。
「なんだか本当に、ヴィオラさんは、出会ったばかりの頃と変わりましたねー」
そうなの?
「ええ、出会ったばかりの頃は、まるで子供のように悪態と不満を漏らし続けている人だなーって印象でしたけれど」
ブッ殺すぞ。
「今は、身一つで色々な事と向き合うことを、受け入れているように窺えます。たった一つの変化ですが、大きく変わっているように感じられるんです」
……まあ、嫌でもそうなるわよ、こんな環境にあれば。そして、様々を見て知ってしまえば。
行きましょうか。
先行隊――潰れ役だったとしても、私は死ぬつもりはないから、そこはよろしく。あんたの潔さに付き合うつもりはないわよ。
「承知しました。行きましょう!」




