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「わぁ、ひっでぇ顔」
バイト先に顔を出すと珍しくはやく来ている林が顔を見るなり笑ってきた。
結局今日は昼前に起きて冷蔵庫にあるものを適当に口に入れ、ぼんやりと洗濯をしていたら気づけばバイトの時間になっていた。
睡眠時間は足りているし、ひどい顔と言われるほどひどかっただろうか、と俺はロッカーについている小さな鏡をまじまじと見たけれど。
自分では変化がわからなかった。
「なに、トンデモ魔王様に放置プレイかまされたの?」
「ツカサさんはトンデモ魔王様じゃない。放置もされてないぞ!」
そう。朝……というか昼前起きるとツカサさんからアプリにメッセージが入っていたのだ。
それは昨日の夜に連絡を送れなかったことを謝る内容で。
元々夜にゲームをする予定だった同僚が、ホテルの通信が弱いことを理由に家に転がり込んできたせいだったという説明があって……ほっとしたけれど。すっきりはしないままだった。
そんな事情をかいつまんで話すと林は薄情なことに笑っていた。
特にその顔が林の大好物の、ハプニング特集を見る時の顔だったのでなんだか腹が立つ。
「整理してみようぜ」
じっとりとした眼を向けると林がどうどう、というように両手を上げる。
「整理?」
「うん、整理。そしたらわかるんじゃねぇの、お前がなんですっきりしねぇのか」
にこにこしている林を俺はきっと疑り深い眼で見ていたのだろう。
佐野に言われたら素直に従っただろうけど。林はたまに信用できない。
「その反応傷つくわー。ちょっと思ってたけどお前、佐野と俺とで態度違うよな」
「同じこと、佐野に言ってみたらいい」
「やらねーよ、そんな不毛なこと。どうせ『胸に手を当てて考えろ』とかいうんだぜ、あいつ」
「俺がなんだって」
そうこうしているうちに佐野が更衣室に顔を覗かせ。林がさらりと現状を説明すると佐野も笑ってはいなかったが、林と同じように頷いた。
「うん……整理した方が良いと思う。夏川、ツカサさんは昨日、会社の飲み会があってその後に同僚さんとゲームをしていた。別にそれは気にしないだろう」
佐野の言葉に俺は頷いた。
「で、その同僚さんはホテルの通信が弱いって理由で急にツカサさんの家に泊まった。お前、それも気にしないよな」
林の言葉に俺は頷いた。
飲み会の後に帰るのが面倒になって雑魚寝をしたことがあるから社会人はどうかわからないが学生ではよくあることだ。
「で、お前は二人の様子が気になって見に行った。別にいい雰囲気って感じじゃなかった。浮気じゃないことは分かったけどお前はなんかすっきりしないってことだよな」
続く林の言葉に俺は頷いた。
そうだ。すこし、いつもと違う口調のツカサさんが新鮮で。自分には見せない顔があるのだなとわかって。
でも、それは大人として当たり前のことで……
「うん、いつもとちょっと雰囲気は違ったけど、それは俺も同じだし……」
俺は言い淀んだ。
ツカサさんは俺を二年前から好きだと言ってくれたけれど、交流が二年あったわけではないので同じ二年でも佐野と林の方が砕けた関係と言えるだろう。
林など高校からの仲なのでもう四年の付き合いだ。
そのことについてツカサさんから何か言われたことはないけれど……もしかしてツカサさんももやもやすることがあったのだろうか。
「ツカサさんが学生時代にモテてたことは夏川、そこまで気にならなかったんだよな」
佐野に問いかけられて俺は頷いた。
ツカサさんがモテるのはわかっていたことだし。社会人になってから恋人はいないと言っていたのでそこまで気にならなかった。
気になったのは……
「ツカサさんの同僚……その人は、ツカサさんの大学の頃を知っているようだった。ツカサさんは一回転職しているからその人といま同僚ってことは……ツカサさんはその人に誘われて今の会社に入ったのかもしれなくて……その人はもしかすると、ツカサさんの恩人なのかもしれなくて……俺、まだツカサさんのこと知らないんだってわかった」
口に出して、漸くなんとなくすっきりしない理由が、わかった気がした。
同時にふたりに打ち明けていたことが急に恥ずかしいことのように思えてくる。
そりゃ林がにやにやするわけだ。
「俺……嫉妬してるんだな」
そう。俺は嫉妬していた。
それは、誰よりツカサさんのこと、知っていたいという気持ちがあったからだ。
ちいさな声で告げると林が笑いはじめ、佐野が労わるように頭を撫でてくれる。
「このこと、ちゃんとツカサさんに言った方が丸く収まると思うけどな」
「いやだ。だっていまですら子供扱いされてる感じがあるのに」
佐野の言葉に俺は首を振った。
ツカサさんは、付き合って二ヶ月目に入るのに深いキス以上のことはしてくれない。
抱きたいと抱かれたいという気持ちがかみあっているのに、だ。
「直哉。大人ぶるのはガキだぞ」
林に一喝された俺は頷いた。
「明日会うから……気持ちを伝えてみる」
俺は頷いてぱん、と両頬を叩いて気合を入れた。
「ふふ、じゃあ俺が援護射撃してやるよ」
「おいやめとけよ」
「佐野、お前は絡むなよ。ツカサさんと属性が似てるからシャレにならねぇ」
なんだかそんな、不穏なやり取りを二人がしていたけれど。
わからなかったので俺は何も訊かずに更衣室を出た。
いつもと変わらないバイトの時間を過ごすかと思っていたけれど。今日は早い時間からツカサさんが来ていた。
どうやら同僚さんが帰って、お店に会いに来てくれたようだ。
俺はいらっしゃいませ、と笑顔で声を掛け、くるくるとよく働いた。
強いていつもと違うところを挙げるとするなら、今日はやけに林が店長からの指示を伝えたり、作った酒を運ぶように言ってきたくらいだ。
誰か、会いたくない客でも来ているのだろうか、と思って皿洗いを代わろうかと考えているとカウンターに座っているツカサさんがこちらをじっと見つめていた。
これまでツカサさんが、働いている時に声を掛けてきたことはない。
けれど今日は何か訊きたいというような眼でこちらを見ていて。皿洗いをしながら俺はそっと身を屈めた。
ちらりとグラスの残量を確認してしまうのは店員としての癖だ。
「どうしましたか?」
ツカサさんに声を掛けると、ついにやけてしまう。
そんな俺にツカサさんは少し安堵したように微笑んで……俺の襟元を掴むと同時に中腰になって、唇を奪ってきた。
まさか店で……というか掠め取るような速さとはいえ誰かが見ているかもしれないところでそんなことをされるとは思いもしなくて、俺は口を半開きにしたまま、上唇を舐めるツカサさんを呆然と見つめた。
酔っているのだろうか、と思ったけれど。二杯のウーロン茶を出したのは外ならぬ自分だ。
「……ゴン君に牽制されたんだよ」
ツカサさんが低い声を返して、厨房へ目を向ける。
俺も思わず厨房へ目を向けると林が満面の笑みを浮かべてこちらを見ていた。あいつ……
「すみません、あとで佐野と絞っておきます。絶対ふざけてるだけなので」
「いや、僕こそごめん。余裕がないから普通に乗っちゃって……普通に焦って、嫉妬した」
微苦笑を浮かべて脳内で林をギリギリと締め上げていると、ツカサさんが思いもよらないことを言い始めるので、俺はついまじまじとツカサさんを見つめた。
いまツカサさんは嫉妬した、と言っただろうか。
「……嫉妬、ですか?」
俺と林は高校からの付き合いだが嫉妬されるような雰囲気は欠片もない。
そう思ってから俺ははっとした。
いまのツカサさんは昨日の自分と似た状況だ。
同時に林の援護射撃の意味を理解する。
「ごめんなさい、ツカサさん……林がこんなことをするのは俺のせいなんです。昨日、三人でゲームしてて、それで、俺……」
どう説明したらいいのか、と思いながら口火を切って、けれどやはり言葉が思い浮かばなくて言い淀むと……ぞくりとしたものが背骨に奔った。
いうなれば、それは本能的な、恐怖。
「そう」
ツカサさんの声は平坦で。そんな声とは裏腹にこちらを見つめる眼は……切っ先を突き付けられているかのように鋭かった。
「林君に何を吹き込まれたのか知らないけど僕、別れないから」
「え……え……っ?」
何故急に別れないという宣言をされるのだろう。
とにかく何か、ちゃんと説明しないとまずい。
そう思った俺は皿洗いをする手をどうにか動かしながら言葉を探した。
「あの、そうじゃなくて林は面白がってるだけで……俺、昨日……夜中にツカサさんに会いたくてゲームでツカサさんに会いに行って、ツカサさんが同期の方と話しているのを聞いて……初めて嫉妬したんです」
本人に自分の余裕の無さを吐露するのは恥ずかしいけれど。いましがた、ツカサさんは自分と同じ理由で嫉妬してくれた。
何かわからないけれど、勘違いして怒ってもくれた。
だから勇気を出してそう告げるとツカサさんは口元を手で覆ってカウンターに突っ伏してしまって。
やっぱり飲んでる?と思ってツカサさんのウーロン茶を見つめてから俺は小さく笑った。
「俺、それが嫉妬って気づかなくて、ずっともやもやしてて。それで、あの二人に相談してわかったんです……俺、ツカサさんの事を誰より知っていたいんだって」
本当は明日伝えたいと思っていた言葉を伝えると手をぎゅっと握り込まれた。
愛おしさともどかしさと……まだ読み取れない何か。
それを知りたい、と思っていたから。視線が絡まった時、どきりとした。
「バイト、何時まで?」
ツカサさんの声は柔らかなものに戻っていた。
微笑みすら、浮かべていた。
けれど……その眼は真剣すぎて、やはり本能的な恐怖を感じて。俺は誤魔化す間もなくバイトが終わる時間を伝えていた。




