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 楽しい時間はあっという間で。夏休みの始まりを謳歌しているとあっという間にオフ会の日になっていた。


 幸い寝坊せずに起きて身支度を整えて、朝食を済ませ、昨日のうちに用意していた服を着る。

 あとは鞄の中に財布と携帯電話が入っているかを確認したらもう出発だ。


 待ち合わせ場所はオフ会のある会場の最寄り駅。

 一世を風靡するというほどではないけれどほどほどに人気のコンシューマーゲームなので駅は人でいっぱいだ。


 教えてもらったメッセージアプリに到着の連絡を入れようとするともうすでにツカサさんは到着しているようだった。

 噴水広場の近くのベンチに居ます、という文章を見て俺はぱっと駆け出した。


 そして……人でいっぱいの駅の傍の噴水広場で探し出せない、なんてことはなかった。

 だって……そのままだったのだ。ツカサさんは。


 黒い髪に……紅い眼ではなかったけれど。涼やかな目元は見覚えがあった。

 顔は綺麗で、でも男性的で……体つきはすらりと背が高い。


 あまりにも魔王様本人に似ていたからか、それとも単純にツカサさんが綺麗だからか、ちらちらとツカサさんを見る人がいっぱいいて。なんだか落ち着かない気分になった。


 自分も、自分の顔を参考にして作ったのでゲームのキャラのままだろう。

 けれど何故かわからないけれど、ツカサさんに見つかりたくない、と思ってしまった。


 ツカサさんに会えてうれしいという気持ちと見つかりたくないという意味の分からない気持ち。そんな気持ちを持て余したまま、俺は日向を歩いてツカサさんに向かって手を振った。


「ツカサさん!」


 そんな、寸前の妙な気持ちはどこへやら。ゲームと同じ顔をしているツカサさんを見るとぱぁっと自分の顔が笑みに変わるのがわかった。

 周囲の目が気にならなくなったのはツカサさんも同じように笑ってくれたからだ。


「直哉君だね」


 笑ってくれた顔は本当にツカサさんそのままで。でも目の前に居るというのが不思議でつい見惚れそうになってしまう。


 ツカサさんは社会人と言っていた通り、二十代半ばほどに見える。

 シックな出で立ちは洋服について知らない自分でもなんとなく高そうだなとわかる感じだ。


「待たせちゃいましたよね」

「ううん、僕が早く着きすぎちゃっただけ。それにまだ待ち合わせの時間前だよ」


 ボイスチャットで話していたから声も知っていたけれど。実際のツカサさんの声は柔らかくて耳に心地よくて、好きだと思った。


「ちょっと早いけどもう列は形成されてるみたいだし、行こうか」


 にっこり笑ったツカサさんはゲームそのままで。俺はなんだか夢見心地のまま、ツカサさんの隣を浮かれた歩調で歩いた。




 イベントは楽しかった。

 途中、魔王様のファンの人にツカサさんが……間違ってないけれど、コスプレだと間違えられて写真撮影を強請られてツカサさんがにべもなく断るなどのアクシデントもあったけれど。限定グッズも手に入り、ゲーム特典も手に入り、ゲームと連携したカフェで食事も摂って満喫できた。


 あっという間に空は夕暮れの色をしていて。それを残念に思いながら、俺はツカサさんを予約していたイタリアンに案内した。


 そんなしゃれたお店を知ることができたのは真鍋さんのお蔭だ。

 何度か会場付近に行った事があるという真鍋さんお勧めのお店は量がほどほどにあって、酒が美味しく、そして何より学生にも優しい料金設定で。俺は真鍋さんに拝みかねないほどに感謝して……例の、眼鏡の常連さんに奇異なものを見る眼で見られたのでそっと正気に戻ったものだ。


 そんなこんなで辿り着いた店ではまた、楽しく会話を交わしながら食事をした。


 ツカサさんはゲームよりも控えめな人だったけれど。俺の話をたくさん聞いてくれて。飛ぶ話題にも馬鹿な話題にも楽しそうに付き合ってくれて……嬉しいと同時に、ああ、この人は本当に大人なんだなと……感じたことのない気持ちになった。


 ゲームという共通項がなければきっと……年上で、ちゃんと働いていて、こんなに綺麗な人とは会う機会がなかっただろう。


 そもそもゲームでツカサさんと会ったのも偶然を超えた奇跡のようなもので。

 罠に嵌った初心者に毛が生えたようなプレイヤーを、何故魔王であるツカサさんは『飼おう』と思ったのかやっぱり不思議だ。


 少し前までは人を育成するという新しいゲームの楽しみ方をしているのかと思っていたけれど。働いているのならゲームで自分の為ならまだしも、友人でもない赤の他人をそこまで育てる義理なんてない。


 そう……改めて、面と向かって訊いてみたかったことだけれど。いざ、訊ける状態になるとこの楽しい雰囲気を崩したくなくて躊躇ってしまう。




 本当に……楽しい時間はあっという間で。

 気づけばもう終電を意識する時間になっていた。


 働いているから、と言ってツカサさんは食事をおごってくれたのだけれど、流石に申し訳なかった俺は二軒目の居酒屋の料金を持った。


 気にしなくていいのに、と微笑むツカサさんは、それでも学生の俺の意志を尊重してくれた。

『次、誘いづらくなっちゃうんで』と言ったら頬を紅くして喜んでくれて……その顔が何故だか頭から離れない。


 飲みすぎたわけでもはしゃぎすぎて疲れたわけでもないのになんだかいつもは考えないことを考えてしまうし、駅への足取りはなんだかひどく、重かった。


 ツカサさんと過ごす時間がとても楽しかったのでまだ帰りたくない気分なんだ、ということに気づいたのは駅に着いてからで。


「そういえばどこまでですか?」


 気づけばもっと一緒に居たい、あわよくば家が近ければな、と思ってそんな踏み込んだことを訊いていた。


 俺の意図に気づいたのか、気づいていないのか。

 ツカサさんは緩く微笑んで気にした様子もなく降りる駅を教えてくれる。

 それがあまり遠くなかったので俺は嬉しくなった。


「俺、二駅先なんですよ」


 そう言うとツカサさんはそう、と緩慢に頷く。

 その時になって、もしかするとツカサさんは酔っているのかもしれないと思った。

 酒は強くないけれど好きではあると言った通り、ツカサさんはあまり飲んでいなかった。

 せいぜいワインを二杯とカクテルを二杯程度だ。


「少し座りましょう」


 そっと腕をとる。

 細身だと思っていたけれどツカサさんは上背があるからすらりとして見えただけで、実際触れると大人の男の人らしい、しっかりした体つきをしていて……普段の自分ならただ羨ましく思うだけなのに……何故か、どきりとした。


「ごめんね、今日は少しお酒が回りやすかったみたい」


 プラットフォームに設置されたベンチに座ったツカサさんはふうっと息を吐いて微苦笑を浮かべる。


 吹く風が気持ちいいのだろう。

 微笑んだまま首を傾げると前髪が目元にかかって……その様が、なんだか、気になった。

 気になったというよりは……ゲームではない場所で、見たことがある、ような……


「ねぇ直哉君。僕、本当に君のことが好きなんだ」


 ふふ、と笑ったツカサさんから目が離せない。

 優しく撓められた眼に、上気した頬。男らしいけれど綺麗な顔立ちに、ふんわり緩んだ唇。

 俺もです、と反射的に返せなかったのは先ほどから感じる既視感に囚われていたせいだろうか。


「君は僕の事、憶えていないと思うけど……君は僕の恩人、なんだよ」


 ふわふわと微笑んだ顔は大人の男の人とは思えないほど純粋で、あどけなくすら見えて。その顔を見ているとなんでかお腹の奥がしくしくと蝕まれるような変な気分がした。


 そんな変な気持ちになったのは、ツカサさんの恩人は絶対俺ではないと思ったからだ。

 だって、こんな優しくて綺麗な人、一回会ったら俺でも流石に忘れない。


 だから、人違いだと思った。

 既視感は確かに感じているけれどきっとそれは……もしかすると……そう思いたいだけかもしれなくて……そう思うと、ツカサさんの恩人が自分ではないことを突き付けられるようで、それがなんでかものすごく辛いと思った。


 ツカサさんがこんなふうに微笑んで。会社員として忙しく働いているのに恩人だから夜や休日に会おうとしてくれて……もしかすると、ゲームの中で構ってくれるのも、その勘違いのせいかもしれなくて……


 本当は、ツカサさんの恩人は他に居て、自分は間違って……『飼われて』、『好き』とまで言われているとしたら……なんて考えてしまう。


 自分も酔っているのだろうか。

 思考がいつも以上にまとまらないし、妙に悲しい気持ちになってきた。


「違うと思います……」


 どうにか返した声は自分でもわかるほどにしょぼくれていて。支離滅裂な、自分の頭をいっぱいにした考えを少しでも隠したくて。俺は自販機で水を買ってツカサさんに渡した。


 ペットボトルを受け取ったツカサさんは俺の変化に気づいた様子もなく笑って水を口にしていて。

 本当に自分がツカサさんの恩人ならいいのに、と思っているとぐいっと体を引っ張られた。


 思わず体勢を崩してから。ツカサさんが自分の襟元を掴んでいることに気づく。

 呆然としている間にツカサさんが立ち上がって強く抱きしめてくる。


 打つような鼓動を薄い服越しに感じてから……ぬくもりを感じる前に離れて。俺は何故かそれを寂しく思った。


「間違えっこない。僕は酒に弱くて……君に介抱してもらったんだから」


 ツカサさんがベンチから立ち上がり、二、三歩歩いて此方に笑いかけてくる。

 夏の夜のホームはほどほどに人が居るけれど静かで。

 まばらになりつつ街明かりがまるでツカサさんの操る魔法のように輝いていて……やっぱりツカサさんはとても綺麗だと思った。


「もしかして……俺のバイトしているところに来られたこと、あるんですか」

「うん。実は前職に居た時……ブラック企業だったんだけどアルハラを受けてて……そんな時に君がソフトドリンクにストローを刺さずに出してくれて、たくさん飲まずに済んだし、結局その後具合悪くなった時もトイレで介抱してくれた」


 ツカサさんの言葉に俺は納得したけれど。記憶を攫ってもツカサさんのことは思い出せなかった。

 そういった気を利かせることは割とよくあることだったけれど、介抱まですることは珍しいので覚えているはずだと考えるけれど、やはりツカサさんのことは思い出せない。


 ツカサさんは俺がピンときていないことに気づいたのだろう。

 少し躊躇った様子の後、急にくしゃくしゃと前髪を乱し始めた。

 そして何をするかと思ったら鞄の中から眼鏡を取り出してかける。


「あっ!」


 眼鏡の奥から向けられる眼を見た時。俺は漸くわかった。

 ツカサさんのいう恩云々を思い出したわけではないけれど、既視感の理由を理解した。


「眼鏡の常連さん!」


 真鍋さんほどではないけれど頻繁に店を訪れてカウンターで飲んでいる常連さんだった。

 そういえば常連さんもお酒はあまり得意ではないようで毎回二杯程度だった。

 常連さんのようなおとなしそうな男性を介抱した記憶は……確かにあるけれどもうずっと前の、バイトを始めたばかりの頃だ。


 もしかしてあの人がツカサさんだったんだろうか。


「えっじゃぁ真鍋さんとか俺達がゲームの話してた時とかも、聞いてたんですか?」

「うん、『ホムンクルス』は俺もプレイしてたから……こんなこと言うと気持ち悪いかもしれないけど……君と接点が持てるかと思って魔王になったんだ」

「すごい! 魔王ってなろうと思ってもなれるものじゃないって真鍋さんが言ってました! そんなに長いことプレイされてたんですねぇ……あ、じゃあもしかして、パワーアップが魔王城にたくさん落ちてたのって……」


 もしかしてパワーアップしたがっていた俺の為なんだろうか、なんてちょっと冷静に考えると恥ずかしい気持ちも浮かんでくる。


「うん、罠だよ。パワーアップを三つ連続で拾ってその場で使ったら魔王権限でワープが発動するようになってた。君じゃなかった場合は魔王城の外に出す設定だったけど……ワープが発動したのは直哉君だけだったよ」

「えっと……?」


 急に理解できない話になった気がして。俺は首を傾げた。


「罠だったんだよ。君を捕まえて、飼うっていうていで魔王城に閉じ込めて……仲良くしたかったんだ。フレンドになって……オフで会って……あわよくば君の特別になりたいって思ってる」


 話が飛んでいる気がするのは、ツカサさんが酔っているからだろうか。

 でも実際今起こっていることだ。

 自分は罠に嵌って魔王城の最深部にたどり着いて、魔王様……ツカサさんと会って、フレンドになって強くなろうとして……オフ会も一緒に行った。


 ツカサさんのしたいことは殆ど叶っている。

 自分が『飼われている』せいだろうか。

 何故かツカサさんのしたいことを全部叶えてあげたいなんて思ってしまった。

 だから、あとは……


「俺にとって、ツカサさんは特別ですよ」


 本調子ではない、よくわからないけれど高揚している気分を引きずりながらそう返すと何故かツカサさんは微苦笑を浮かべる。

 仕方ないなぁというような、自分の好きな顔……と思ったけれど。やはり高性能なゲームでも限界はあるのだとわかった。

 いまのツカサさんの顔は……もっと複雑で……魅力的だったから。


「ねぇ直哉君。タマ君に言われていたよね。お世話になっていても危ない人かもしれないから、オフで会ったりしちゃいけないって。普通、僕みたいなことをする奴をストーカー予備軍って言うんだよ」


 ふふ、と笑うツカサさんはやっぱり綺麗で。また、馬鹿みたいに見惚れていると片腕で抱きしめられた。そのまま引き寄せられて。たたらを踏むように前へよろめくと綺麗な顔が近づいて……呆然と開いた唇が、奪われた。


「人を喜ばせたいからって、軽々しく特別とか言わない方が良いよ」


 何故か、初めてのキスを奪われたのに怒りなんてわかなかった。

 むしろ、ツカサさんの言う特別の意味をようやく理解して酒のせいばかりではなく頬が熱くなる。


「ごめんね……ほんの少しの間、一緒に居られるだけでいいって思ってたのに。君があまりにも可愛いから……我慢できなかった」


 ああ。何故、気づかなかったのだろう。

 思えばずっと、ツカサさんは……言っていたじゃないか。


 俺に向かって、好きだって。

 男同士だから。現実で会っているとは思いもしなかったから……ずっと拾った犬を構うような気持ちだと勘違いしていた。


 ぱっとホームが明るくなって、轟音と共に電車がホームに滑り込んできたのがわかった。

 咄嗟にツカサさんの胸を押しのけるようにして離れ、電車に乗り込む。


 当然のようにツカサさんは追いかけてこなくて。

 ドアが閉まって電車が動く、馴染み深い揺れの中で。ただ俺は先ほどペットボトルの水で冷えた唇で触れられた自分の唇をなぞって、吐息を漏らした。

 今になって身体に移った、上品で複雑な香水の香りに甘い眩暈がして。


「あー……」

 通り過ぎる夜景をただ、網膜に移しながら小さな声を漏らした。

 ツカサさんの事、俺も好きだったみたいだって気づいたのは逃げるように電車に乗ってしまったことを悔いてからだった。


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