他に選択肢は、無く。
第一章 はじまり、はじまり
何故か、僕の声が音となって世界に響かない。まるで首を締め付けられたかの様に。微かな呻き声だけが漏れ出て来るだけ。意図的な阻害を受けている。それだけは分かった。
「ネモくん、大丈夫?」
「無理しないで」
「ありがと……大丈夫」
目を瞑り、肩で息をする僕。そんな僕を心配してくれる茉白と玄香。
「僕達がやらなければならない事は分かった。でも残念ながら……この場で君達が一から十まで納得の出来る説明が—— どうやら僕には出来ない。それでも良いかな?」
「はよ、はよ」
「先ずは、聞かせて頂戴。それから判断する」
今、詳らかに出来る情報を僕は、整理する。必死に考えた所で無駄かもしれない。僕が彼女達の立場だったとしたら絶対に疑念が頭に浮かぶに違いない。それでも僕は伝えなければならない。前へ進む為に。
「僕達は、この広い野原で—— 本に記されている出来事を再現しなければならない」
「それでどうにかなるの?」
「寧ろ、それを求められている。一連の流れを恙なく達成すれば、自ずと答えの方から僕達の下へやって来てくれる—— 筈」
「ふーむ」
「はいそうですかと—— 素直に納得は出来ない」
思っていた通り。僕と彼女達の温度差がある。熱を帯びた僕に冷ややかな視線を向けて来る茉白と玄香。空回りする僕と言う歯車。二人にその動力が伝わらなければ意味が無い。言わなければ良かった。そんな後悔が僕の頭に過る。
「でも。ネモくん。それしか無いんでそ?」
「うん……」
「なら—— やるっきゃないか」
知らぬ間に震えていた僕の手にそっと茉白の手が添えられる。茉白の言葉で僕の不安が一気に払拭された。一気に肩の力が抜けた僕を見て茉白はやんわりと微笑む。
「ましろ、安易な判断は避けるべきじゃない? 例え、ネモ君の考えであっても」
僕の提案を受け入れてくれた茉白に対し、冷静な玄香は、異を唱える。本来ならそうあるべきだ。言わば、この場においての判断基準は、感情だけなのだから。信頼も信用も無い赤の他人に全てを委ねる危険性。それを玄香は、分かっている。
「でも—— 他にやる事ないじゃん?」
「そうだけど……」
「ましろもそうだけど。しずも特に何か良い案がある訳じゃないでそ?」
「……」
座して死を待つくらいなら足掻きたい。茉白の意思に玄香の心が揺れる。
「あるのはさ。何かやり遂げないといけないって使命感? みたいなのだけ」
「そうね……焦りだけは、凄く感じてる」
「しかも分からない事だらけで内心、腹も立ってる」
「そうね。あたしもイライラしてる」
得体の知れない焦燥感。何に焦がれているかも分からない。
摩訶不思議な出来事に巻き込まれて苛立ちも募る一方。
ならば。
今は、行き場の無い想いを存分にぶつけて欲しい。
正しいか、正しくないかは後で評価をしよう。
「じゃあ—— 始めよう」
誰がどう見てもこれは、詰まらない茶番だ。
それでも僕達は、このだだっ広い世界で何かを叫ぶ必要がある。
『僕達の物語再現を』
そっと僕は、胸の中で呟いた。
*
それから僕は。二人と絵本の読み聞かせをし、大まかな流れの説明に時間を費やした。読み聞かせで新たに判明したのは、彼女達はあらゆる創作物の情報を失っていても言葉の概念としては理解している事。例えば、この『兎と亀』の教訓が正にそれだ。地道な努力が才能にも勝る。それを彼女達は、きちんと理解している。けれどもそれは、自然の法則の様に受け入れているだけで。その教訓の出所が不鮮明なのだ。それ以外にも所謂、ミーム。人から人へ模倣されて行く文化やアイデア、行動様式に関しても同様に出典元や起源になった事象に対しても記憶が曖昧で。最初からそう言うものとしてあったと言う認識しか持って居ない。つまり、歪な知識形成と不可思議な情報統制が成されているのだ。
「結局、歩き回っても収穫無し」
「後少しで日も暮れそうだ」
「困ったものね……」
物語の読み聞かせが終わってから僕達は、大木の周囲の散策をした。けれども見えるのは何処までも続く起伏のある草原のみ。日が暮れるまで大木を中心に散策の範囲を広げても変わらない。目印になる大木から離れるのは、気が進まなかったけど。このまま尻込みをしていても野垂れ死にが待って居るだけ。一先ず、草原の先に見える遠くの森へ僕達は歩き出した。それにしても当てもなく歩き続けるのは気が滅入る。
「と言うか、このままだと夕飯抜きの野宿コース?」
「流石にそれは……キツいね」
「あたしは、もう諦めてる。せめてもの救いは、この鞄ね。枕代わりになる」
はっとした顔で茉白が言うと僕と玄香が肩を竦める。後少しで森には辿り着く。だが、森まで行き着いて何も無ければ、茉白の予想通りになってしまう。
「いや、諦め過ぎて無い? ゼッタイ、泊れる場所あるって」
「こんだけ歩き回って—— 何も無いのよ?」
「ぐぬぬぬ—— ならさ。その鞄を使う権利、じゃんけんして決めよ」
「あたしが背負ってたのよ? つまり、これはあたしのもの」
「趣味じゃないって言ってたじゃん。つまり、それはしずのものじゃない。皆のもの」
「いいえ。あたしが持っていたからあたしの」
追い詰められてする事が枕の取り合い。だが、それは二人に余力が残されている証拠でもある。その余裕がある内に何か手を打ちたい。食料も無い乏しい現状。しかも火を起こす事すらままならない。先陣を切って歩く僕は、二人の声に耳を傾けながら目を凝らす。
「二人共、落ち着いて。もう少し探してみよう? まだ、諦めるには……」
諦めが頭に過る中。僕は森の奥へ続く小道を見つけた。そしてその小道の横に設置されていた不可思議なものに注目する。言葉を失う僕に違和感を覚えた二人が追いつく。
「ネモくんどったの?」
「何か見つかった?」
「如何やら宿があるらしい」
「あんだって?」
「そんな馬鹿な——」
何を根拠にと言われても。その根拠が目の前にあるのだから仕方が無い。
勿論、それが果たして本当か、それとも嘘かは確かめてみないと分からないけど。
「ほら、あれ。『本日の宿は、此方』だってさ」
僕が指さしたのは、森に続く小道の手前に立て掛けられた大きな看板。僕は、その看板に書いてある文字をゆっくりとはっきり読み上げた。
「—— マジだ。やった!」
「見るからに怪しいんだけど……」
「ほんとだったら有難いけど、怪しいね……」
ぱっと表情が明るくなり、無邪気にはしゃぐ茉白と怪訝な顔をして疑いの視線を向ける玄香。残念ながら僕も玄香と同じで素直に信じられない。
「勢いで喜んじゃったけど、ましろもそう思う」
僕と玄香の冷静な意見ですっと真顔に戻る茉白。その切替の速さに僕と玄香は驚く。
「ましろまで冷静にならないでよ。あなたは、そう言うタイプじゃないでしょ」
「ましろを何だと思ってんのさ。流石に最低限の警戒心はあるさ」
「こういう時は、向こう見ずなましろが行こうって駄々捏ねて仕方なくあたし達が着いてく様に仕向けるもんでしょ。自分の立場を分かって無いわ」
「素直じゃないにも程があるっ! 後、ましろをダシに使うな」
「損な役回りにも程があるよ」
確かにそれぞれの個性を鑑みれば、玄香の言う通りなのだろう。しかしながら茉白には、その自由奔放さを周囲に納得させる最低限の常識は弁えている。単に自分の感性のみに従うだけの協調性に欠ける言動や行動は、控えているのだ。
「でもこれ以上、平原を歩いても他に何も出て来ないんだろうなあ」
「分かる。あからさまな誘導だけど。抗えん魅力が……この八文字に凝縮されておる」




