俄かに漂う違和感
第一章 はじまり、はじまり
「そう……例えば、生まれた時代が実は違っていたとか。こんな事は在り得ないと思うけど、生まれた世界が違ったりも……あるかもしれない」
言ってしまえば、これは創作物における登場人物の洞察力を効率的に奪う典型的な叙述トリックそのものだ。自然とそれぞれのバイアスが掛かった状態で相手を認識してしまっている。自分と同じ若しくは、似た境遇であると錯覚し、それぞれの偶像を自分の中で作り上げてしまっている。その完成度が高ければ、高い程、致命的な見逃しが生じるのだ。
「なるへそ……ましろ達は、見てくれが一緒で—— 言葉も難なく通じているから思い込みで判断しちゃってるってワケね」
「確かに……分からない事だらけで埋もれてしまっている重要な情報の見落としの洗い出しは、最優先。闇雲に歩き回るよりもずっと有意義ね」
極端な例を挙げるなら。『1+1=2』がそれだろう。僕にとって揺るがないその概念がもしかすると二人にとっては、答えが3かもしれない。これで状況に踊らされてばかりだった流れを僕達のペースに変えられる。
「同じ水準、同じ目線を見定めよう。悪戯に体力を使って思考が鈍るのも避けたい。散策は、日が暮れるまで時間があるからそれからでも遅くない。先ずは、地盤固め」
「うん」
「かしこまり」
丁度、真上で燦燦と輝く太陽を僕は指さす。二人もすんなり納得してくれた。僕達は知っている事の共有に時間を費やしたんだ。話した結果、分かった事は。記憶が無いにも関わらず、一般常識や知識、情報は年相応でしかも時代と文明にも食い違いが無かった。これは、確固たる安心材料だ。少なくともこれで情報の共有も申し分なく行える。思わぬ落とし穴に嵌る事も無いだろう。だけど。僕は、この時。二人に対して小さな違和感を覚えたんだ。今までの会話では、鳴りを潜めていた致命的な格差。それをこれから僕は、身をもって分からされる。
「……こんなもんで十分かな?」
「思った以上に話が通じて安心した——」
「だね。でも勉強の話になった時は……少し危うさを感じた」
「だって仕方ないじゃん? 算数得意じゃないもん」
「それにしたって限度ってものがあるでしょ?」
数学が不得意な茉白。けれどもその代わりに別な分野は秀でていた。
「寧ろ—— 茉白の外国語に対する博識さに。僕は、圧倒されたよ」
「褒められるのは悪気がしない。もっと褒めて。後、良い子、良い子して」
「……」
一方的に玄香から責め立てられるのが可哀そうだったので助け舟を出すとそれまで眉間に皺を寄せて唸っていた茉白の表情が明るくなる。にやけ顔でにじり寄って来るなり、僕の肩に頭を軽くぶつけて来た。要望通り、茉白の頭を撫でると今度は、何故か玄香の眉間に皺が寄る。きっと甘やかすなと言いたいのだろう。
「勿論、玄香も同じだよ。数学と科学。造詣の深さ、御見それした」
「っ!」
何方も条件がイーブンになれば、それは問題では無くなる。僕が手放しで褒めると玄香の頬が少し赤く染まった。口元を緩ませ、恥じらうその姿に僕は苦笑いを浮かべる。
「それを言うならネモ君、凄いよ。特に国語。語彙力とか、幅広いし。後は分野に偏らず、バランス良く勉強しているって感じだよね」
「確かに」
「広く浅いだけだよ。所謂、器用貧乏ってヤツさ」
褒めて貰えるのは有難い。でも僕は、きっと中途半端なだけだ。さて、粗方の意思統一が図れたところで次の段階に進まなければ。僕は、さり気なく自分のポケットを弄る。
此処まできっちりと追い詰められているのなら相手も抜かりはない。
当然、中身は空っぽだった。
「後は各自、持ち物の確認も。何でも良い。因みに僕は今、服のポケットを全部確認したけど……何も無かった。二人はどうだい?」
「ましろもポケットの中、空っぽ」
「あたしの服には、ポケット無いし……そうだっ。鞄っ!」
玄香は鞄を背負っている。何か、手掛かりがあるとすれば、もうそれしかない。鞄の中身に僕が注目していると不意に茉白が何やら思いついたのか。小首を傾げる。
「そう言えばさ—— ずっと気になってたんだけど」
「なに?」
「その鞄と帽子は、趣味?」
「服は、あたしの好みだけど……この鞄と帽子は、違う。ちょっと可愛過ぎる。それを言うなら—— ましろだってその兎の耳はナニ?」
「耳? 耳ってそんなものつけてな—— なんじゃこりゃ」
「気付いてなかった?」
「少し頭が重たいくらいにしか思ってなかった」
僕は、てっきり二人が好き好んでつけているだけだと思っていた。でもそれは、思い違いだったらしい。ならば、これもヒントで間違いない。
何も考えず、見たままのものを表すなら。
それは、『兎と亀』。しかしそれが一体、何を意味するのか。僕には、全く分からない。
けれども少しずつ核心に近づいている。そんな確信が僕にはあった。後は、しずかの鞄の中身。其処に全ての答えがある。僕の直感がそう囁いた。
「一先ず、格好の事は置いておいて。鞄の中身」
「だね。開けてみよ」
僕と茉白は、鞄を空ける玄香の一挙手一投足を見守る。鞄のジッパーに手を掛け、中身を漁る玄香。玄香は、手に触れた何かをそっと鞄の中から取り出した。
「これは—— 本だね」
「それだけ?」
「うん」
イソップ寓話。『兎と亀』の絵本。
絵本に相応しくない禍々しい絵柄の兎と亀から。僕は、目が離せない。
いや、描かれた兎と亀の瞳が僕を見つめられている。
そんな気がする。そんな兎と亀に魅入られていると不意に衝撃が走る。
目まぐるしく映像が頭の中に流れ込んで来た。
僕の中で眠っていた唯一の記憶。それが鮮明に蘇ったんだ。
目標。
ルール。
報酬。
罰則。
幾つかの謎が僕の中で一つに繋がる。
何故、この何処までも続く平原に僕達は、招かれたのか。
何故、二人は奇妙な恰好をさせられているのか。
何故、記憶喪失の只中にあっても一般常識や知識、情報だけは失われていないのか。
しかしながら。まだ、不十分だ。詳らかにされていない謎が幾つも存在する。
場合によっては、この課題が達成出来ても解明されないかもしれない。
僕の中で考察よりも恐怖が勝ったんだ。
『消滅』の二文字が僕を追い詰める。
この場に居る三人の命が掛かった遊戯。
危機感と焦燥感。
込み上げる吐き気を僕は、必死に押さえつける。
「でも—— これって何の本?」
「ましろも知らない」
「っ!」
僕の異変に気付かぬまま、二人は絵本の頁を捲っていた。
そんな二人の言動が可笑しい。
此処で僕と二人の食い違いが静かに首を擡げる。
「絵本を—— 知らない?」
誰もが一度は、触れる筈の書籍だ。そんな事、ある訳が無い。
「えほん?」
「ネモ君、説明して貰っても良い?」
「説明するも何も……これは、物語だよ」
揃って可愛らしく首を横に振る二人。
「もっと分からん」
「右に同じ」
当たり前である筈の常識が二人には欠落している。彼女達が持っていて僕が持って居ないもの。逆に僕が持っていて彼女達が持って居ないもの。それが僕。いや、僕達に課された課題の難易度を上げて行く。
「文学、小説、創作物、古典——」
僕がどれだけ言葉を羅列しても。彼女達は、首を傾げるだけ。
「兎に角、これって重要そう?」
「こんな薄っぺらの本が何の役に?」
「うん……それがとても重要なんだ」
例え、存在を知らなくとも。最初に見せられたアレを二人にも伝えれば、どうにでもなる。そう考えた僕は、口を開こうとするのだけど。
「っ!」




