初めまして、こんにちは。
第一章 はじまり、はじまり
起き抜けの問題発言以外、所作や言動を見聞きする限り、彼女が常識人である事は分かる。勿論、心の中に闇を抱えていて僕達に本性を見せていないだけかもしれないし、もしかすると単に寝る直前に見た映画やドラマ、読んだ小説や漫画が夢の中で投影されてしまっただけかもしれない。それも今となっては、夢も無意識下の発言も忘却の彼方へ消えてしまっている。真意も判明しない。
「まあ、その話を今、掘り下げても……ね。自己紹介して貰っても良いかな?」
これ以上、話が脱線してしまうのは避けたい。だから僕は、兎の子に問いかけた。
「そだね。皆月茉白。年は、十七歳。よろしくね。でだ、ましろは……」
「自己紹介なんだから何かあるでしょ? しかもあんなな大口叩いておいて」
「こりゃあ、驚いた……ましろも真っ白だったのだ」
「えっ? 訳わかんない」
「もしかして君も記憶が……」
「そーいう事になるね——」
はにかみながら後頭部を右手で摩る兎の子こと、皆月末白。さて、事態は深刻だ。これでお荷物が二人に増えた。僕と皆月茉白は、残された最後の牙城に望みを託す。僕と皆月茉白の期待を一身に受けた亀の子は、緊張感で頬を赤く染めた。
軽い咳払いをして心を落ち着けると亀の子が口を開く。
「初めまして。あたしは、永寿玄佳。十八歳で……やだ。どういう事?」
「そのリアクション……さては、ちゃんしずもすっかり抜け落ちてるぱたーん?」
「……そうみたい」
唇を軽く噛み、必死に記憶を呼び覚まそうとする亀の子こと、永寿玄香。
完全に手詰まりだ。僕達は、陸の孤島で零からのスタートを余儀なくされる。
「困ったもんだ……分かったのは、揃いも揃って住所不定無職な上に生まれてから今の今までが空白期間満載のしゃかいふてきごうしゃってこと?」
「もっと言うと……いきなり知らない所へ連れて来られているから前途多難。つまり、後ろ真っ白、お先真っ暗ね……ああ、これからの事を考えると—— 頭が痛い」
「こりゃあ、一本取られたね。流石、ちゃんしず」
二人のウイットに富んだジョークがよりいっそう心に刺さる。
「思ったんだけど……もっとまともな呼び方無いの?」
「いいじゃんー。ちゃんしず。しずちゃんとか、しずかちゃんだと普通で詰まらん」
「はあ—— ほんとに扱い辛い」
「まあ、制限時間みたいなのは無いみたいだし。時間は、たっぷりあるよ。のんびりやってこーぜ。ぶらざー。いや。この場合は、シスターか」
陽気な皆月茉白の勢いに押されっぱなしの永寿玄香は、大きな溜息を一つ吐く。それでも流石に他愛の無いじゃれ合いにも飽きたのか、二人は揃って僕を見つめて来た。
「でだ、ななし君。これからどーしようか?」
確かに今の僕は、自分の名前すら思い出せていない。だからその呼び名も至極当然なのだが。もう少しまともな呼び名は無いものだろうか。僕の複雑な心模様を察してくれた永寿玄香が皆月茉白の腕を肘で軽く小突く。
「名無し君って……もっと良い呼び名があるでしょう?」
「例えば?」
「……権兵衛」
「センスな」
「なら他に何があんのよ?」
「のーねーむ? のーばでぃ? じょん・どぅ? 後は、あうといす」
「そっちこそ、英語とかラテン語読みにしただけじゃない。しかも長いし」
僕の呼び名が発端で又もや、言い合いを始める二人。飽きもせず、盛り上がる二人に僕はついて行けず、取り残される。それから十分の死闘を繰り広げるも決着はつかず。結局、話疲れた二人は、揃って肩を竦めた。
「わあった。ましろ達は、壊滅的にセンスってヤツがない。せっかくだから。ななし君本人に決めて貰おうじゃないか」
「それが良いかも。何かある?」
「唐突だなあ……」
話を振られ、僕は腕を組んで考える。二人の言い分も分からなくはない。だって無名を間接的に表現する慣用句は、限られているからだ。しかも呼びやすいものとなれば、更に難易度が上がる。あるとすれば、何かしら創作物から拝借するくらいのものだ。咄嗟に思い浮かんだものは一つだけ。少し気後れするが、これ以外にアイデアが浮かんで来ない。
「—— ネモ。今の僕には、これがしっくりくる」
謎多き船長。まあ、僕自身は熱血な活動家でも無ければ、理知的な紳士でも無い。でもその名に肖れば。もしかすると海底世界を愛したかの天才科学者みたく。僕にも目もくらむ程、明るい光明が見えて来るかもしれない。ゲン担ぎ何て柄じゃないけど。今は、心細さでちょっとでも何かに縋りたかったのが本音だ。
「何かかっちょ良いの来たじゃん。やるねー」
「由来は、分からないけど。しっくり来る」
海底二万里なんて今時の若者に触れる機会はそれ程無いだろう。寧ろ、知っている僕の方が稀なのかもしれない。僕自身にも。そして彼女達にも少し引っ掛かりは覚えるけど、大袈裟にする事でも無い。だから僕は、敢えてこの違和感に触れなかった。
「では、これからよろしく。ネモくん」
「よろしく。ネモ君」
「よろしく」
微笑む二人に僕は、力強く頷いた。
「ましろさん……いや、ましろ」
「何で呼び捨て?」
「さん付けで呼んだら—— 無性に腹が立った」
「何でさっ」
「子供っぽいからかも——」
「ほぼ同い年じゃんっ」
「後は、軽いノリの所為で敬称を付けたくない」
「なら、ましろも。ちゃんしずをしずって呼ぶ」
「好きになさい」
「むっ」
何かある度にひと悶着起きるのは、如何にか出来ないものか。それも二人の我の強さと相反する性格がそうさせてしまうのだろう。しかしながら口数の少ない臆病な僕に比べれば、二人の方が一歩先に進んでいる。しっかりと意思表示の出来る二人は、仲違いを恐れない。それが相互理解を深める確実な一歩なのだ。
「さて、自己紹介も終わったし—— これから何をしよう」
「何って……取り敢えず、歩き回って状況把握が優先じゃない?」
ヒントが無いのならば、足を使って探すしかない。だが、闇雲に動き回るのもそれはそれで有効な手立てとは言えない。何せ、僕達には確実な地盤が形成されていないのだ。
先ずは、足場固めが最優先。僕達には、お互いに知らねばならぬ事がある。
「皆月さん、永寿さん。先ずは——」
「苗字ってかたっくるしくない? 名前で呼んでよ」
「ネモ君。その—— とっても言いにくいのだけど。あたし、自分の苗字があんまり好きじゃないの。古臭いし—— 物々しくて」
早速、呼び方で躓いた。気恥ずかしいけれど、たっての要望であれば無碍に出来ない。
「それじゃあ……茉白さん、玄香さん」
「—— 何か、はずかしいから呼び捨てでたのむ」
「あたしも改まって呼ばれるのはちょっと……気後れする」
注文の多さに僕の心が折れかかる。だが、これしきの事でめげている場合ではない。
しぼんだ気力を補うべく、僕は鼻から大きく息を吸い込んだ。
それから姿勢を正し、咳払いを一つする。
「……分かったよ。茉白、玄香」
「ネモくん、どったの?」
「何か妙案ある?」
素直に聞いてくれるなら安いもの。僕の考察は、この状況そのものに抗う手立てだ。
きっとこれを考慮しなければ、話は始まらない。
「うん。先ずは、三人で話をしよう。少しでも僕達の中にある筈の違和感を今の内に埋めておきたいんだ。あからさまに謎が多過ぎる。これがもし仕組まれたものだとしたら……裏で糸を引いている奴らに誘導されていると思った方が良い。ミスリード。つまり、僕ら自身が当たり前だと思っている事で致命的な食い違いがあるかもしれない」
「抽象的ね? 分かり辛いがらもっと具体的にして貰っても良い?」




