泣きたい時だってある。
第五章 非情な選択
「止めなよ。恋司、言いがかりは——」
僕と恋司さんの間に若葉さんが割って入るも。
恋司さんの勢いは、止まらない。恋司さんの瞳は、怒りで燃え上がっている。
突き刺さる鋭い視線。それでも僕は、動揺を隠し続けた。
「言いがかりじゃねーよ。此奴の目を見ろ。腐っていやがる」
「っ!」
「ネモ君は、何も変わってない。年下相手に大人気ないよ?」
「お前も薄々、勘づいてるだろ? 若葉」
「……」
恋司さんの追求に若葉さんは、黙り込む。
「何、大人ぶって納得したフリしてんだよ? お前は、そんなヤツじゃない。もっと貪欲なヤツだ。あの酒場で出会った日からずっとそうだった」
「恋司さん。僕は、あくまでもこの課題をクリアすべく——」
「黙れ。御託は、要らん。本心を語れ」
「……」
「それとも言葉すら無くした獣に成り下がったか?」
「止めなさいっ!」
僕の胸倉を掴んで恋司さんは、揺さぶりを掛けて来る。若葉さんは、強引な恋司さんの手を掴んで僕と恋司さんを引き剥がす。宥められても尚、喧嘩腰の恋司さんを押し止めながら若葉さんは、僕へ笑い掛けて来た。
「ネモ君、大丈夫? 御免ね。気分、悪いよね。疑われる謂れも無いのに。一方的に決めつけられて。ネモ君にだって精一杯考えてくれてるのに……」
「若葉、勘違いすんな。此奴が考えているのは最初から自分の事情だけだ。俺も今日の朝までは—— それでも良いと目を瞑ってた。だが、今は違う」
僕の計略の全てを見透かされている。聡い恋司さんであれば、僕の編み出した帰結に辿り着いても可笑しく無かった。想定の範囲内の想定の範囲外。目的に執着してしまったが故に目を背けていた致命的なミス。挽回しようにも手立てを失っている。
「もう、答えなくても良い。クリアを諦めて別の可能性に希望を見出したんだろ?」
「……」
「それって——」
「ああ、そうだ。課題を達成する事が全てじゃない。二つ目の選択肢。未達も選択肢として存在する筈だ。合否があるんだからな。恐らく未達の要件は、達成よりもかなりハードルが低い筈だ。単純明快なルールに則って撮影をするだけ。不合格でも罰則は無く。回数制限も無い。つまり、その未達の条件とは……俺達三人が揃って諦める事」
「——」
「ネモ君—— ほんと?」
辻褄の合うロジックに至るのも簡単だ。昨日と今日の温度差が全てを物語っている。
最善作だと思って打って出たが、それが裏目に出てしまった。
恋司さんは、懐から煙草を取り出して一本咥えて火を付ける。
「だが、その安易な選択には、リスクが付き纏う。そうだろ? どんな内容かは知らんが、場合によっては命の危険も伴うかもしれない。だからお前は最初、それを避けて課題に向き合った。犠牲を出さずに達成出来ると踏んでな。だが、その目論見は、昨日の俺にばっさりと切り捨てられた。だからお前は、諦めた。敢えて罰則を公言せず、何度か試行を繰り返した末にお前は、俺達に提案する心算だった。『諦めませんか?』ってな」
「……」
まるで探偵と犯人の構図だ。しかしながらそれで間違いない。悪として断罪される覚悟の上で選択したのだから。どうせ、関係無い。僕の策略が明かされた時点で結果は見えている。関係性が拗れた以上、協力して課題をクリアする選択肢は失われているのだから。選べるのは、二択だけ。この闇夜に包まれた街に延々と閉じ込められるか、それとも僕の思惑通りに白旗を上げるか。それしか無いんだ。
一切、喋らずに淡々と諦観に沈んだ瞳で恋司さんを見つめる僕。
そんな僕に恋司さんは、吠える。
「お前、それでどうする心算だ? 最悪、自分だけが生き残れば良いとかっ!」
「恋司、あんまり私を怒らせないでよ? ネモ君が可哀そうじゃん」
「っ!」
乾いた音が礼拝堂の中に響く。音の出所は、恋司さんの頬。
若葉さんが突然、恋司さんの頬を力いっぱい引っ叩いたのだ。
それまでの勢いは一気に消え失せ、恋司さんは若葉さんをぼんやりと見つめる。
「ネモ君、私も分かってた。最初から君がこの課題に対して真剣に向き合ってたのは、目的があるって事。きっと、この前に出会った二人と再会したいだけだったんでしょ? 折角、頑張ってクリアしたのに悲しいお別れになって……また、違う場所で元の木阿弥状態。でも君は、諦めなかった。また、二人と再会する為に」
思わぬ伏兵がいた。
いや、違う。
性格には、僕の良き理解者だった。
心の内を全て見透かされていたんだ。
「若葉さん——」
言葉を詰まらせる僕に若葉さんは、憐みと慈愛を持って接してくれた。
そんな感情を抱いて貰える価値は。僕に無い。
だって二人を裏切る計画を立てていたのだ。
寧ろ、恋司さんみたく糾弾して欲しい。
酷く罵られても仕方が無い筈なのに。
「多分、その二人ってさ。あれでしょ? ガイドブックでぐぬぬしてた子達。そりゃあ、あんなに可愛い子達が待ってるんだもん。頑張るよね」
若葉さんが僕の両手を自分の両手で包み込む。心から形容出来ない感情が溢れ出す。
これまで必死に抑え込んでいた負の感情が堰を切って目から漏れ出て来る。
「ネモ君は、頑張った。その努力は、私が誰にも否定させない。例え、それが恋司でも」
「っ!」
二人を奪われた。折角、頑張って課題をクリアしたのに。あっさりと。覚悟を決めて次の課題に挑んでも新たに別な壁が聳え立っていた。それも乗り越えてみせようと奮闘したのだけど。僕の心がすっかり折れてしまったんだ。
「分かるよ。ネモ君は、優しいから。ホントはそんな事、考えたくなかった。私達と上手くやって胸を張って前に進みたかった。でもあの捻くれ者が台無しにした。それは、怒って当然だよ。ネモ君の事、何にも理解してない癖に。上からずけずけとさ」
「……」
涙が止まらない。
歯を食い縛って嗚咽を止めようとする僕の頭を若葉さんは、優しく包み込む。
まるで北風と太陽の様に。
気が付けば。しっかりと着こんでいた筈の外套を脱がされていた。
「ネモ君、怒って良い。先ずは、君の気持ちを聞かせて」
「—— 僕だって。僕だって思ってたんです。本当は、恋司さんと若葉さんとクリアして最高の終わりを目指したかったんですっ。でも……心が折れてしまって」
「うんうん。そうだよね。緊張の糸、切れちゃったんだ。仕方が無い。全部、彼奴が悪い。恋司、言う事があるでしょ? きちんとネモ君に伝えないといけない事がある」
僕の前に立ちふさがり、若葉さんは恋司さんと相対する。
「最初からそれを伝えてれば。こんな事にはならなかった」
「……」
「あんたが言えないなら私が言う。ネモ君—— 私達ってさ。言っちゃえば、転ぶのに慣れちゃったの。それで。気が付けば。怪我をしない転び方とか、躓いても体勢を整えて転ばずに前へ進めるようになってた。だからある程度の事なら卒なく熟せるの。今回の撮影もそう。でも逆に君みたいな派手に大怪我をし兼ねない転び方を忘れてしまったの」




