ネモ
第五章 非情な選択
無駄に足掻く必要も無い。だって一つ目の罰は、演者一人の消失だけなのだ。
三度目の挑戦辺りから体の良い言い訳を並べつつ、二人を誘導すれば。
それで良い。回数を重ねる毎に恋司さんと若葉さんも疲弊して僕の案に乗ってくれる。
恋司さんか、若葉さんの何方かを犠牲にして。僕は前に進む。
そうすれば。
きっと、また二人に会える。
「停止」
「おーけーだね。問題無しっ」
「はあああ——」
「……」
「二人共、よく頑張った」
僕は、わざとらしく疲れたフリをして大きな溜息を吐く。その横で蓮司さんは正面を見据えたまま、身動ぎもしない。そんな僕らを若葉さんが優しく労ってくれた。
「次だ、次」
「あいよー」
「はいっ!」
だから僕は。健気で無害な神父の役を演じ続ける。
虎視眈々と待つのみだ。
次も同じく礼拝堂のシーン。恋司さんと入れ替わりで僕と若葉さんが主役。
「開始」
大丈夫。今の僕ならロレンス神父を演じられる。何故なら心がこれまでで一番、穏やかで凪いでいるからだ。魂を揺さぶられる事も無く。淡々と機械的に若きロミオとジュリエットへ同情するロレンス神父を。恋司さんと若葉さんの様に。
『一方、ティボルトの死後。キャピュレット家も騒がしくなっていた。従兄の死と夫の追放。二つの悲劇に苛まれ、塞ぎ込むジュリエット。そんな彼女を憂慮した両親は、大公の親類に当たるパリス伯爵との婚姻を画策していた。その企みを知ったジュリエットは、ロレンス神父を頼り、礼拝堂へ姿を現す』
【ネモ】二日後に婚姻ですか。何とも急な話ですね……。
【若葉】そうなの。お願いしてもいないのに。見たでしょ? あの鬱陶しさ。
【ネモ】まあ……個性的ですね。因みにお話は出来ました?
【若葉】少しだけね。あのダメ男。言いたい事だけ言って終わりよ。
【ネモ】何となく予想は、出来ましたが……如何いたしましょう? 今ならまだ引き返せます。いけ好かなくとも。パリス殿との結婚は、きっと貴女に幸せを齎しますよ?
【若葉】考えものね。神父さまのおっしゃる通りだわ。
『ロミオを焚きつけた以上、ロレンス神父にはまだやるべき事がある。それは、ジュリエットの真意を確かめる事。二人への助力をしようにも二人の意思が揃って初めて意味を成すのだ。これから先に待ち受けるは、荊の道。どんな困難が待ち受けようとも立ち向かう意思をジュリエットに問わねばならない』
【若葉】でもね……残念な事に。私は、あの人を選んだから。無かった事には出来ない
【ネモ】良いのですか? 彼は、貴女の従兄、ティボルトくんを手に掛けた張本人。
【若葉】分かってる。でもそれは、お互い、合意の上。ティボルトもロミオも正々堂々、自分の命を賭けたの。結果としてロミオが死ぬ可能性もあった。恨むなんて筋違い。
【ネモ】確かに。そもそもティボルトくんに関しては、断頭台の露と消える運命にありました。ロミオさんが介入せずとも結果は変りません。
『ジュリエットの瞳に迷いは無い。その瞳を見てロレンス神父は、胸を撫で下ろす。二人の強い絆をより強固なものとすべく。ロレンス神父も覚悟を決める』
【若葉】それで神父さま。相談なのだけど——。
【ネモ】分かっております。どうすれば、ジュリエットさんとロミオさんが結ばれるか
【若葉】そう。私は、与えられる幸せより、自分で幸せを掴み取りたい。例え、どんな困難が待ち受けていても。あの人と未来を歩みたい。
【ネモ】、高い塔の上からでも飛び降りる様な覚悟が必要です。危険が待ち受ける道、毒蛇の潜む湿地、大きな熊と同じ檻に閉じ込められても霊廟に閉じ込められても諦めないと言える覚悟が。出来ますか?
『比喩すらも生温く感じる程の試練が待ち受けているかもしれない。それでも前に進むのか。ロレンス神父は、ジュリエットへ問う』
【若葉】あの高慢な馬鹿の顔色伺って一生を終えるよりは、ずっとマシ。それに夜伽が面倒くさそう。多分、ねちっこい手合いね。
【ネモ】……随分と酷い言われようですね。後、卑猥な発言は避けて下さい。後生ですから生娘としての自覚を持って下さい。
【若葉】お小言は、結構。それで私は、何をすればよろしいのかしら?
【ネモ】先ずは、パリス殿との結婚の承諾を。そして明日の夜は、一人で就寝して下さい。寝る直前にこの包紙に入っている丸薬を二つ飲み込んで下さい。死を偽装する薬です。飲めば、直ぐに死んだように体が硬直し、呼吸と体温もなくなります。効果は、二日後に切れて貴女は、また目を覚めまします。
【若葉】それで結婚をやり過ごす訳ね。流石、神父さま。とんでもない悪知恵。
『その為の策は、弄せる。ロレンス神父は、胸元のポケットから包紙を取り出してジュリエットの手に委ねた。その包紙をジュリエットは微笑みながら胸に抱く』
【ネモ】誉め言葉になってませんからね。話を続けますが、事前にロミオさんを文で此方へ呼び寄せ、私と一緒に納骨堂へ運ばれた貴女を救い出し、二人でマントヴァへ逃げれば、万事解決です。晴れて全ての柵から解き放たれます。
【若葉】身一つで逃げ出すなんてお先真っ暗だけど……それくらい、自由に比べたら安いもんね。神父さま、そのお薬を頂戴。
【ネモ】お二人の素晴らしい門出を。私は、此処で祈っております。さあ、行って
【若葉】ありがと、神父さま。
『走り去るジュリエットを見送るロレンス神父。答え合わせの日は迫る。若き二人の男女を待ち受ける運命は—— 如何に』
後一つ。後一つだ。霊廟のシーンで撮影の全行程は終わる。
「停止」
礼拝堂の出入り口からひょっこりと顔を出す若葉さん。
僕は、若葉さんに笑い掛ける。
「いやあ—— 何度やっても緊張するね」
「昨日の出番が少なかったから猶更ですよね。お疲れ様です。若葉さん」
「ありがとう。ネモ君。これでやっと明日で最後だ」
「そうですね。頑張りましょう」
選ぶのなら何方が良いだろうか。
今の段階なら答えは、一つだ。
若葉さんなら少なくともこの先の課題で鉢合わせをしても上手くやって行ける。
逆に恋司さんは難しいだろう。
しかしながら恋司さんの聡明さも捨てがたい。
如何にかして丸め込めれば。
強みになる。
目の前に広がる無数の選択肢の中で最適解を選ぶ。
僕に出来る事はそれだけ——。
「ネモ、お前。諦めてんな?」
僕が考えに耽っていると恋司さんが唐突に問い質して来た。止まり掛けた心臓を必死に動かして。僕は平静を装い、恋司さんへ笑い掛ける。
「—— 恋司さん、いきなり何ですか?」
「分かってんだよ。お前の腹の中は……俺に誤魔化しは、一切通用しない」
「言っている事の意味が分からないのですが……」




