をかし
第三章 悲劇の始まり、始まり
「よし! こっちは準備万端だ」
「今の所は……問題ないと思う」
「僕もいけます」
各自、個別で何度か練習を行い、本番へ移行する。
もう、引き返す事は出来ない。
大広間で一人。緊張で震える手を僕は、必死に押さえつけつつ。
「開始」
僕達の戦場へ一歩、足を踏み入れた。
『時は、中世。始まりの地はイタリア、ヴェローナ。其処では、嘗てモンタギュー家とキャピュレット家と言う二つの名家が街を二分していた。双方は、長い年月の間、理由を忘れてしまう程、互いに互いを憎み合い、争いを続けていたのだ。されど、今宵は違った。運命の歯車が動き出す。キャピュレット邸で開かれた夜会から始まった五日間。全てが狂いだす。憎しみ合いの果てに生み出された若き男女の初々しい恋。モンタギューの御曹司ロミオとキャピュレットの令嬢ジュリエットが辿った結末をお教えしよう』
明朗に。厳かに。されど、優雅さは損なわず。
僕は、台本を読み上げながらドローンと共にバルコニーの部屋へと向かった。
【恋司】いけ好かない前口上は、得意じゃない。さっさとその手を寄越してくれ。
【若葉】幾ら何でも誘い方ってもんがあるでしょ? 残念だけど、躾のなってない大きなお子様を相手する程、暇じゃないの。何せ、夜空を眺めるのに忙しいから。
『騒がしい大広間を抜け、静かな個室のバルコニーで夜空を見上げていたうら若き乙女に声を掛けたのは、一人の好青年だった。乙女が振り向くと青年は、にやりと笑う』
僕がバルコニーの部屋に辿り着くと二人の掛け合いが始まる。
【恋司】お前に一目惚れした—— って言うまでに幾つも言葉が必要か? こっちを向いてくれれば、それで良かった。俺の目的は、達成だ。
【若葉】思ったよりもヤバい変人だった。お知り合いになりたくない。
【恋司】そう言うなよ。俺は、お前に俺を知って欲しい。
【若葉】知りたくない。
【恋司】いや、俺はもうお前の目に写った。これから全ての視線を俺に向けさせてやる。
【若葉】無理だと思うけど?
『言葉は要らない。青年は、行動で示す。するりと乙女の前まで歩み寄るとその手に口元を寄せた。乙女は、傅く青年に呆れ果てた』
驚いて僕は、自分の番を忘れかけた。自然な挙動と表情。言葉にも一切、淀みがない。
二人は、完全にオリジナルの『ロミオとジュリエット』を確立している。
演技に関しては、素人だからうん畜何て口が裂けても言えない。
でもこれだけは言えた。
二人の『ロミオとジュリエット』は、生きている。
向ける視線の一つ一つが。
熱を帯びている。
たった一つの呼吸すらも。
僕と言う観客が勝手に意味を見出してしまう。
優雅な辞儀で若葉さんを迎え撃つ恋司さん。
恋司さんの悪戯な笑みに浸食される若葉さんの臨場感すらも手に取る様に感じられる。
【恋司】なら現実にしてやる。暇なんだろ? 一曲、踊ろうぜ。
【若葉】……。
『時間を忘れて窓から流れ込む微かな音色に合わせて二人は、踊った』
窓辺を背に。
蝋燭の淡い光を頼りに。二人は、覚束ないステップを踏んだ。
それは、正に恋の始まりそのものを表現している。
【恋司】おっとっ! そろそろ時間みたいだ。
【若葉】何だったの? あなた?
【恋司】まあ、何でも良いだろ? 俺の名は、ロミオ。覚えとけ。
【若葉】ロミオ? ロミオって……まさか。
一曲を無事、踊り切り。
二人は、そっと離れる。
それから恋司さんことロミオは振り返る事無く、名を名乗って部屋から立ち去った。
大きな背中が扉から消えるまで見つめ続ける若葉さん。
胸元で両手を組むその切なく儚い姿が目に焼き付いて離れない。
だが、ぼんやりしている暇は無い。僕には僕の役割がある。
二人が繋いでくれたパス。確実にゴールに沈めねば。
『その出会いは、必然であった』
『知らぬ間に芽生えたたった一つの感情』
『乙女に小さな傷を残して青年は、その場を立ち去る』
『純情な乙女ジュリエットは、名乗られて気付く』
『己の視線を奪った青年が敵である事を』
『一方、ロミオは何も知らぬまま』
『一目惚れして一曲、踊った相手は敵の娘』
『互いに手を取り合い、流れた甘い時間』
『芽生えた小さな恋心』
『されど。それは、公に出来ず』
『しかしながら声を聞きたい気持ちは、抑えきれない』
『力づくでも想いを突き通さねばならぬ』
『真実の愛か、それとも偽りの幻想か』
『二人の夜がそれを詳らかにする』
僕は、肺の空気と共に台詞を一気に吐き出す。
「停止」
最後まで出し切った。その所為で眩暈がする。
失った酸素を取り戻すべく。僕の肺が何度も膨らんでは萎む。
「出だしとしては、上等じゃないか?」
「ネモ君が雰囲気出してくれてるね」
恋司さんが扉から室内へ戻り、僕に近寄って肩に軽く拳を突き付けた。
腕を組みながら若葉さんが何度も首を縦に振る。
「—— お二人の熱量があってこそです。お疲れさまでした」
「この調子で次も終わらせよう」
「はいっ」
好調だ。文句の付け所が無い。これなら次の場面にも期待が出来る。
リハーサルを挟んで二つ目。バルコニーでの逢瀬に。僕達は、挑む。
「開始」
一呼吸を置き、僕はドローンに命じる。
【恋司】格好つけて出て来たのは良いが……マズったな。ありゃあ、キャピュレットの一人娘だ。でも口説いた手前、俺の気が収まらない。つうか、此処は、まだキャピュレットの邸宅の中庭だ……。待てよ? さっきのバルコニーで夜空を眺めているのは——。
【若葉】馬鹿ね? まだ、居たの?
【恋司】言ったな? このじゃじゃ馬め。
【若葉】ホント、礼儀がなってない。あなた、モンタギューの御曹司でしょ?
【恋司】バレたか。お前もキャピュレットの令嬢。ジュリエット様だろ?
【若葉】そうだ。私は、ジュリエット様だ。分かったら跪け。
【恋司】全くもってワケが分からん。跪きはしないが—— 有難く思え。この世話焼きなロミオ様が座ってお前と話をしてやろう。
『二人は、初めてお互いの立場を理解した上で言葉を交わす』
月明りの下。二人の拙い会話。原作とは、百八十度違う関係性。でもやっている事は、同じ。原作は、あれだけの長い会話であっても本質は、名前を呼び合っているだけ。
寧ろ、元のロミオとジュリエットは互いに名前以外を知らない。
勝手に思い描いた相手への幻想を押し付け合っているだけだから。
【若葉】ロミオ……ロミオ……ロミオ。何でロミオなの? 名前負けしてない?
【恋司】知るか。そんなもん。知りたいなら名前を付けた本人達に聞け。お前こそ、何でジュリエット何だ? じゃじゃ馬には、可憐過ぎる。
【若葉】喧しい。知りたいなら君こそ、私の母様と父様に聞きなさい。
『恐ろしい程、噛み合わない会話。だが、それも馴れ初めには相応しい』
まるで小学生の喧嘩みたいだ。
でも裏を返せば、手探りで相手の輪郭を掴もうと必死なだけ。
傷つかないよう。傷つけないよう。根底にあるのは、純粋な探求心。
【恋司】まあ、お互い気楽な立場じゃない事だけは確かだな。だからお前は、夜空を眺めてた。広くて自由な世界に憧れて。窮屈で退屈な今の場所から逃げたくて。
【若葉】……分からない。でも—— 近からず、遠からず。
【恋司】確かに。世界は、広いからな。近いか、遠いかなんて存在しない。あるのは、その中間だけだ。でもそれで良い。意気投合したとか、運命の出逢いなんて嘘臭せーからな。相容れないと分かってこそ、真の理解の始まりだ。つまり、今の俺とお前の距離と同じ。でもこれは、絶望じゃない。この絶対的な違いがあるから人は、人と惹かれ合う。
東の空に昇る太陽を眺めるかの様に。恋司さんは、眩しそうに若葉さんを見上げる。




