平静を装う。
第二章 酒盛りは、仕事の後で
*
「さて、ネモ君。早速だけど、おねーさんとデートの時間だ」
「何とも……姉に付き添われてお使いに行くような。そんな気分です」
「まあ! 何と風情の無い言いよう! 心外だなあ」
宿の前で肩を落とす僕を見て若葉さんは、右手を口元に当てて心外だと言わんばかりの反応を見せる。しかしながら僕の見立ては、間違っていない。
「僕をからかおうとしても無駄ですからね。そんな事くらいで動揺はしません」
「つれないなあ……もっと年相応の素直な反応を見せて欲しかった」
「この街から脱出する。其の為だったら多少無理をしても背伸びします」
「根を詰めると体に響く。もう少し肩の力を抜いて」
「僕だけではありません。お二人の命運も掛かっていますから」
「そっか——」
「ええ」
若葉さんなりに気を揉んでくれたのだろう。だけど、僕にのんびりする時間は無い。
この永遠の夜に包まれた街から一刻も早く抜け出さなければ。二人に会えないのだ。
「でもお姉ちゃん扱いされるのは。それは、それで何だか嬉しいなあ」
「っ!」
「おっ、照れてる。照れてる」
「止めて下さい……大人気ない」
「寧ろ、これが大人のよゆーってヤツだよ。覚えておきたまえ」
「……」
全てが台無しだ。シャープな顎に人差し指を当てながら僕をからかう若葉さん。
仕方が無く、僕はその戯れに付き合う。
「因みにコンビニは、無いので。帰りは、何処にも寄りませんよ?」
「何でだろうね。帰り道にアイスとかジュースとか、お菓子が無性に欲しくなるのって」
「あの看板が目に入ると頭が勝手に想像するよう意識づけされてしまっているからでは? 食堂なら幾らでも出してくれるので。寄り道はせず、さくっと下見を終わらせましょう」
「だね。終わったらお昼ご飯だから。食後のデザートもあり」
スポーティな体格の何処に入るのだろう。昨日の食事も三食しっかりと食べ、恋司さんと酒場でもお酒を嗜んでいた。不思議で仕方が無い。
「それにしても……今日のログインボーナスは、あれだね」
「まあ、思う所はありますけど……きっと役には立ちますよ」
「言ってもこの『ぐぬぬ』ってさあ……諸にあれを意識してるでそ?」
「因みに本家の意味は『見る』、『食べる』、『遊ぶ』の語尾を取って名付けたそうです」
「博識だね。ネモ君」
「それ程でも」
僕は、一冊の本を抱えていた。恒例のログインボーナスで手に入ったのが、この旅行ガイドである。どう見ても有名な旅行ガイドをそのまま流用している。数ページ捲ったのだが、レイアウトからコメントまで本物と同じくらいの熱量が籠っている。
但し、本家と一つ違うのは、このタイトル『ぐぬぬ』がぐぬぬたる由縁だ。
「中身は、至って旅行のガイドブックそのもの。気になるのは—— この『ぐぬぬポイント』ってヤツだね。二等身のキュートなうさ耳の女の子とキレイ目な亀の帽子被った女の子がぐぬぬしながらワンポイントアドバイスしてくれてる」
デフォルメされた茉白と玄香が案内役として描かれているのだ。
しかも何故か、眉間に皺を寄せながら不機嫌な表情で。
「恐らく、それが売りなのでしょう……脈略が無さ過ぎますけど」
「まあ、役には立つよね」
何とも。陰湿な嫌がらせだ。別に二人を描く必要は無かった筈。何も知らない若葉さんにとっては、単なる可愛いマスコット。二人を知っている僕にとっては、手の届かない遠い存在なのだから。だが。今は、この僕の複雑な心境を若葉さんに知られたくない。
だから出来るだけ平静を装った。
「そうですね。『ロミオとジュリエット』に纏わる街の要所を的確に説明してくれてますし。これなら迷う事もなく、回れそうです」
「因みにネモ君的には、どう考えているの?」
「最初から全部出来ないのは、分かっていますので。今回は、一番大切な場面を切り取ってそこだけで進めようと考えています。主要な工程は、恋司さんと若葉さんの二人だけで成立するものばかり。後は、脇役を僕が補う形で取り繕います」
「其処まで考えてくれているなら大丈夫そうだね」
「ええ。だからこの下見に関しても主に僕達が使う所だけを見て回る心算です。それならすんなりとお昼には、終わると思います」
「なら寄り道は猶更、厳禁だね」
「はい」
時間は、限られている。この後も僕は、恋司さんと台本の作成作業が待っており、時間を無駄に出来ない。早速、僕と若葉さんは目的地へと向かった。
「ネモ君はさあ……何で元居た場所に戻りたいの?」
碌に会話も交わさず、黙々と二人並んで街路を歩いていた最中。
不意に若葉さんが僕に問いかけて来た。
「随分と唐突ですね」
「聞いてみたくなった」
「そもそもの話。元居た場所って言うものも……僕自身、分からなくなっているので何とも言い難いのです。同様に拘っている理由も存在せず」
改めて聞かれてみても。僕は、答えられなかった。いきなり不条理な遊戯に巻き込まれ、降りかかる火の粉を払い除け、全力で危難を回避した結果が今だ。
その先の事なんて僕は、少しも考えた事も無かった。
「ごめん、そうだよね。自分の居場所が何処かも分からないなら例え、戻れたとしても」
「ええ。其処も最早、僕の居場所とは言えないのかもしれません。勿論、記憶が戻れば話も変わって来るのでしょうけど。今の所は——」
「なら、私と一緒か」
「恐らく、恋司さんも若葉さんも僕も同じです。兎に角、この場から脱出する事」
その縛りが僕達を生かしている。明瞭な目標を持つ等と贅沢は言っていられない。
隣の恋司と同じ澄んだ緑の瞳は、通りの上に広がる夜空を見上げていた。凛とした美人の物憂げな表情に目を奪われかけた僕は、首を軽く横に振って正気を保つ。
「でも……少なくとも此処は、僕が居るべき場所では無いと考えています」
「まあ、こうも日がな一日真っ暗だと流石にね」
「それだけではありません。前の時もそうでしたが、違和感があるんですよ」
「どんな?」
そう。それは、最初からあった。明確な証拠等、何処にも無い。
この街もそうだ。事以外は、至って普通の街である。
「全てが揃っていると感覚は、僕にそう告げているのですけど。心が言うんです。足りていないと街に漂う臭いも聞こえて来る音も目に見える景色も触れたものの質感と熱も食べたものの食感と味も。全部が本物の様に感じられる。でもそれらが偽物であると僕の心が」
「言われてみれば……確かに。満足してない訳じゃないけど。何か引っ掛かりはあった」
「でしょう? その違和感の正体が分からない限り。いや、払拭される世界こそが、僕の居場所。勿論、その条件が満たされた所でどうしたって話なんですけどね」
街に対してでは無く。僕がいるこの世界そのものに違和感があった。
それ以外にも僕には、引っ掛かりがある。無人で夜が明けないこんな異常事態ですらすんなりと僕達に受け入れさせるその闇の深さに。
「まあ—— 渇望する事は、良い事。現状に甘んじて居たら人は、必ず衰退する。君の考えは、間違っちゃいない。より良き未来を追い求めてこそ、人の本懐だ」
「そうですね。だから僕が人で在る限り。歩き続けるんです。きっと辿り着いた先が僕の目指す場所。それが分かる日が来るまで」
にっこりと笑う若葉さんを見て僕の胸が少し痛む。
嘘だ。僕は、嘘をついている。勿論、これも本音なのだけど。
だけど、本音は別の所にあるのだ。




