烈火の如き感情
第四章 雨降って地固まる
*
目を覚ますと雨の音がした。目を擦り乍ら窓を見れば、雨粒が硝子に当たって弾けている。厚い雲が支配する薄暗い空を見上げつつ、僕は上体を起こそうとするも。
何かが右側面にくっついて身動きが取れない。
左の窓から体の自由を奪う右の原因に目を向けると僕は、困った。
「ダメだ。この状況—— 二度目だよ。流石に芸が無さ過ぎる」
顔を向けた瞬間、視界が玄香の寝顔で埋め尽くされる。身体が言う事を聞かなかったのは、玄香ががっしりと僕の右半身にしがみ付いていたからだ。茉白以上に距離が近い。僕は、焦る心を必死に押さえつけ、平静を装い、玄香を起こす。
「起きて。玄香」
「むり——」
「鼻が詰まってぷすぷすしてるよ」
「むぐっ! ネモ君っ? 何であたしの部屋に?」
「頼むから思い出して……」
「——っ!」
目を見開き、勢い良く上体を起こす玄香。僕も遅れて体を起こし、大きな伸びをする。
「思い出したのは良いけど。今度は、顔が真っ赤。後、茉白の言う通り。色気に定評があり過ぎるね。流石に目のやり場に困るよ……」
ほんのちょっと魔が差して僕が玄香をからかう。
すると玄香が僕の胸倉を掴んで振り回す。
「ネモ君っ!」
「ごめんっ! ごめんっ! 悪かったってっ! つい、間が差したっ」
泣きに泣いて赤くなった目尻。今の玄香は、茉白以上に幼く見える。浴衣の前合わせを右手で握り、僕を睨み付ける玄香。それから目を瞑り、大きな溜息を一つ。
「……ありがとう。ネモ君」
「大した事は、してないよ」
「ううん。今は、凄く軽い。昨日まで悩んでたあたしが馬鹿に見えるくらい」
「もっと早くに気付いていれば……ごめんね」
「そうじゃない。ネモ君と話さなかったらあたしも気付いてなかった。自分が怖がってる事。向き合わせてくれてありがとう」
「なら……良かったのかな?」
「うん」
こそばがゆい空気が室内を満たす。
少し名残惜しくも感じるが。僕は、現実と向き合う。
「そしたらさ——」
「分かってる。今度は……きちんと茉白とも向き合える」
「そうだね。茉白は、待ってる。玄香が来るのを」
そう。茉白の事だ。今か今かと兎座りで待ち構えているに違いない。
「でも——」
「でも?」
「ちょっと……怖い」
まるで甲羅の中に引っ込んだ臆病な亀の様に。身体を丸める玄香。
赤い瞳を揺らし、枕を抱えた玄香が小さな声で不安を漏らす。似た者同士。だから時に魅かれ合い、時に同族嫌悪にも陥ってしまう。でも二人が離れようとしなければ。
「大丈夫さ。茉白は、僕よりも君の事を理解しようとしている。君の想いは、伝わる」
「そうかな」
「必要なのは、ほんのちょっとの勇気だけ」
「なら——」
「なら?」
言葉の続きが気になり、枕を抱えて俯く玄香の顔を僕は、覗き込む。
「あたしに……勇気を頂戴」
「何だって?」
頬を赤く染めた玄香からの望みに面を食らう僕。
「ちょうだい。ゆうき」
「どうやって—— 君に勇気をあげれば良いの?」
「あたま、なでて」
「——」
唐突な要望に僕は、戸惑いつつもゆっくりと玄香の頭に手を伸ばす。
滑らかな黒髪の感触。胸の心音を耳に感じながら最後までやり遂げる僕。
「勇気、出た?」
「とっても」
無邪気に笑う玄香。毎回、突飛押しも無い不意打ちで肝を冷やされる。
心臓に悪い事、この上ない。
「じゃあ、ご飯を食べてから作戦会議だ」
「うん」
僕達の戦場へ。いざ行かん。
*
「おはよう。茉白」
「おはよう。ネモくん」
身支度を整えてから僕は、玄香と落ち合い、食堂へ向った。食堂の前では、待ち惚けを食らう茉白の姿が見える。僕が右手を上げて挨拶すると、茉白からも元気いっぱいの挨拶が返って来た。一点の曇りも無い明朗な茉白に僕は、胸を撫で下ろす。
「でだ—— 何でしずは、ネモくんの後ろに隠れているのだね?」
「諸事情により? ほら、玄香」
昨日の不協和音を一切感じさせない茉白に気後れする玄香。
「おはよう—— ましろ」
消え入りそうな声で玄香は、茉白に挨拶をした。
「おはようっ! しず」
最初から無理な期待はしていない。
僕には、果たすべき役割が存在する。。
「取り敢えず……作戦会議は、ご飯を食べてからにしよう。珍しくお腹の虫が鳴って仕方が無いんだ。今日は、何を食べようかなあ——」
「ほんとに珍しいね。だから雨降ったんだよ」
「慣れない事はするもんじゃないね。って言ってもお腹が空くのは、当たり前の現象だ」
「確かに」
今日は、二人をカウンターの席に誘い、二人の間に入って場を持たせる。
他愛の無い会話を交わしながら少しずつ二人の緊張を解した。
それから食事を終えて飲み物を片手に僕達は、一息つく。
「さて、本題に入る前に——」
「ネモ君、大丈夫。あたしが話す」
「しず?」
先導しようとした僕の言葉を玄香が遮る。
如何やらお膳立ては、これで十分らしい。僕は、静かに一歩引いた。
深呼吸をした玄香は、覚悟を決めて口を開く。
「ましろ、昨日は……」
「謝るな、友よ。全て分かっておる」
「違うの。あたしは——」
「だから分かってるって。しず、頑張った人を。ましろは、責められないよ」
「でも……」
謝罪の言葉を口にしようとした玄香を遮る茉白。それでも己の気が済まない玄香は、尚も食い下がる。だが、茉白は頑として首を横に振る。
「しずの言った事は、ごもっとも。だってましろは、ネモくんとしずと喧嘩になるのがイヤだったから逃げたの。ホントは、もっと自分の考えている事を主張すべきだったのに」
「そうじゃない……ましろは、ましろだって皆の事を考えてた……言い争いになったら三人の協力が必要なのに仲違いになって何も出来なくなる。そうでしょ?」
それぞれが先の展開を考えた結果。考え方の違う二人の対立が始まった。そう考えるとハブとしての役割を持つ僕の不手際が招いたすれ違いと言えよう。内心、申し訳なさでいっぱいになるも僕は行く末を見守る。
「……」
「……」
「どっちも正しかった。それで良いじゃないか。それからだよ。また、きちんと始めよう。相手に伝わる様に。大丈夫。今なら出来る」
昨日の続きを。今の二人ならば出来る。僕は、確信を持っていた。
「じゃあ、あたしからね。あたしは……怖かったの。右も左も分からなくて。でも何もしなくても生きていられるこの異常な世界が。自分達の存在する価値を証明出来ないでこのまま、変らない風景に埋もれて行くのが……怖い。後は、失敗続きで答えを出せていないのもそう。何時か、成果が出せないと判断されて見捨てられてしまったら……明日の朝も起きて朝日を浴びれるかも分からない。明日もネモ君や茉白とお話が出来る保証もない」
素直に玄香は、自分の内心を吐露する。
「それが一番、怖かった」
「しず—— とっても分かる。分かるよ」
今にも泣き出しそうな玄香。その気持ちを酌んで茉白は、頷く。
「安心した—— ましろもおんなじだから。怖いって言い合いたかった。それで怖いのが無くなるワケじゃないけど、でも一緒なら一人じゃないって分かって立ち向かえるもん」
「そうだね。素直になれば良かったんだと思う。でもそれとあたしの意思は、別よ」
思いは、同じ。けれども考え方は違う。だからこその対立だ。
「分かってる。聞かせて。しず」
「あたしは……嫌だった。本当なら勝てる兎が勝てないのが。どうしても納得出来なかった。地道な努力って言うのが大切なのは分かるよ。でも昨日も言ったけど、誰も努力をしていない訳じゃない。皆、自分の才能を信じて頑張ってる。その頑張りを無視してあからさまな部分だけ切り取って。書いた人間が自分の主張を無理に通そうとしているのが。納得出来なかったの。だったら。そんなフェアな競争じゃないのなら……」




