要点が足りず。
第三章 何かが崩れ落ちる音
「此処まで言ったら分かるよね? あたしの案」
「……」
「あたしの案は、兎が勝つ事。圧倒的な才能と努力を前にしたら幾ら地道に走っても亀は、勝てっこない。兎は、木の下で昼寝をしないで真っすぐゴールへ向かう。残酷な現実を。亀は突き付けられておしまい」
「それだと……競争の意味が無いだろう?」
「でもそれ位のインパクトが無いと。この課題は、クリア出来ない」
「……」
小さく纏まってばかりでは、正解は一向に見えて来ない。時には、思い切り間違った方向にも舵を切って模索すべきである。玄香の言いたい事は、それだ。
だが、その言葉には何か裏がある。まるでこの『兎と亀』が二人の関係を暗示しているかの様で。それを知るのが。僕は、とても怖かった。
「悪かった……僕も甘く見過ぎていたみたいだ。どうにもこの本の主題に沿っていないと駄目だと自分に言い聞かせていた節がある」
「ネモ君の案は?」
「僕の案は……何方かと言えば、茉白に近いかも……兎の昼寝に釣られて亀も昼寝に興じる。夕方までたっぷりと寝てしまった兎と亀は、競争がどうでもよくなって仲良く帰る」
嘆かわしい事に僕も僕で随分と小さく纏まってしまっている。
「……」
「……」
「分かってる。僕自身もこれが答えだとは思っちゃいない。こうしよう。三人の改変を作ってみるんだ。会話を変えるだけだから三人分作っても午後には、挑戦出来るよ」
「そうね。やってみましょう。夜は、検証ね」
無理矢理、結論へ漕ぎ着けた。それが今の僕に出来る精一杯。
この蟠りを払拭するには、足らない。
一時しのぎの妥協。無論、それを分かった上で二人も了承してくれた。
「僕は、会話の組み立てを受け持つ。その間、二人は……」
「次の日の分も改変を考えておくわ」
「そだね……ましろもがんばる」
「頼んだ。そうしたら僕は—— 一度、自室に戻って書いて来るよ」
「いってらっさい」
「よろしく」
二人の声援を背中に受けながら逃げる様にラウンジを後にする僕。
じわじわと幻想を侵食する現実から。
逃げるしか無かったんだ。
*
「ふたりともどうじでおいけについた」
『結果は、引き分け。兎と亀は、お池の畔に腰を下ろしました』
「かめさんは、がんばった」
「うさぎさんもがんばった」
「うさぎさん。いっしょにかけっこができてたのしかった。またやろうね」
「こんどは、かつぞ」
『兎と亀は、笑って握手をし、互いの健闘を称え合います。おしまい』
違う。
「やったっ! ぼくは、がんばったよ。かったー」
『最後まで全力で走り切った兎はお池の畔で亀を待ちます』
「はあ……まけちゃった」
『暫くしてやっとお池に辿り着いた亀は、がっかりして肩を落とします』
「でもかめさん。いっしょにかけっこができてたのしかった。またやろうね」
「こんどは、まけないぞ」
『兎と亀は、笑って握手をし、互いの健闘を称え合います。おしまい』
これも違う。
「おはよう、かめさん」
「おはよう、うさぎさん」
『兎と亀は、気持ちの良い陽気と涼しい木陰に誘われて居眠りをしてしまいました』
「もう、ひぐれだ」
「ぼくたち、どっちもいねむりをしてしまったね」
「これじゃあ、しょうぶにならないや」
『兎と亀は、がっかりして肩を落としました』
「つぎは、いねむりしないでしんけんしょうぶだ」
「こんどこそは、ちゃんとしょうぶだ」
『兎と亀は、笑って握手をし、約束をしました。おしまい』
違う。
結果から言うと。三案の全てが不合格だった。矛盾の無いよう。脚本は、詰めた心算だ。茉白と玄香の演技も昨日より磨きが掛かっていた。されど、結果に繋がらない。
茉白も玄香にも落ち度は一切ない。失敗の責任が誰にあるかと言えば。
指揮を執るこの僕にある。
「ダメだったねー」
汗でべた付いた体をシャワーで綺麗さっぱり洗い流した後。
僕達は、またラウンジで落ち合った。僕は、先について改変の原案を眺めていると茉白の声が聞こえて来る。顔を上げると茉白と玄香が丁度、目の前の椅子に腰かけていた。
「……」
「少なくともこの本の枠組みから飛び出した。それだけは—— 一歩前進だ」
「もっと、革新的な何かが無いとダメって事ね……」
「しず、深く考え過ぎだよ。もっと気楽に——」
分かっていた事だが。これから始まるのは、検証では無い。
始まるのは、戦犯を吊るし上げる為の裁判だ。
きっと、建設的な議論は繰り広げられない。
「気楽に考え過ぎていたからダメだったんでしょ? しかもあたしの案でも甘かった。ならもっと多角的に向き合わないと——」
「でもしずの案だって事故ってんじゃん? 確かに視点を変えるのは、タイセツだけど。見失ったらダメなものだって—— きっと、あるよ?」
「っ! なら、ましろ。あなたは、次こそ成功出来るの?」
「そんなの……分かるワケないじゃん」
双方、正解には程遠い。その先に正解が無いと分かっていても曲げられない。
言ってしまえば、詰まらない意地の張り合いだ。それは、僕も同じ。
二人の決裂を避ける緩衝材としての意地が出てしまっていた。
「此処で言い争いをしても解決にならない。熱くなり過ぎた。僕も含めて。一度、頭を冷やそう。ごめん。今回は、僕が悪い。明確な解決策を提案出来ていなかった」
こんなまやかし、通用しない。分かっているのは。
今、この場でこれ以上言葉を重ねても意味が無い事だけ。
「ネモくんの所為なんかじゃないよ」
「責任の所在は、誰か一人のものじゃない。諸悪は、あたし達の—— 怠慢よ」
「……」
「……」
「でも……ネモ君の言う通り。熱くなり過ぎだわ。疲れたし……一度、自室に戻る」
居た堪れない空気に耐え兼ねた玄香が先に音を上げる。いや、この慣れ合いに塗れた関係に嫌気がさしたのか。何方にせよ、玄香はこれ以上の妥協は許さないだろう。
明日からは、よりいっそう混迷を極めるに違いない。
深く背凭れに寄り掛かって目を瞑る僕。
そんな僕の浴衣を茉白が引っ張って来る。
「ネモくん……」
「茉白—— 玄香は、玄香なりにこれからの事を考えてるんだ」
「分かってるよう……でも——」
「怖く感じてしまうかもしれない。でもあの冷徹な一面も含めて玄香なんだ。それを受け入れないと。そして僕達も玄香の様に自分を曝け出さないとダメだ」
「……」
だが、このまま何もせず。明日を迎える訳にも行かない。何か手を打たねば。
「少し玄香と話をして来る。大丈夫、安心して。明日には、元通りだ」
「うん……」
揺らぐ茉白を残し、僕は、立ち上がってラウンジを後にする。
茉白の真意を聞いたのと同じく。玄香の真意も確かめねばならない。
『何を話せば良いだろうか』
きっと。
聞こえの良い甘言は、通用しない。廊下を歩きながら僕は、自問自答する。
僕が抱える今の有りの侭をぶつけねばならない。
扉の前で覚悟を決めた僕は、ノックをする。
「ネモ君—— どうしたの?」
「ごめん。ちょっと話をしようと思って……大丈夫かい?」
「ええ……問題無いわ」
幸い、玄香はまだ起きており、扉を開けて迎え入れてくれた。
広い客室で自然と向き合い、正座する僕と玄香。
真っ赤な真っ正直な瞳が僕を射抜く。
「……」
「……」
「……」
「—— 話があるんじゃないの?」
「ごめん。何か緊張してた」
しょうもない沈黙が続き、呆れた玄香が僕をせっつく。
先ずは、伝えたい言葉がある。僕が覚悟を決めて姿勢を正すと玄香が身じろいだ。
「さっきの事だけどさ—— ありがとね」
「何が?」
「いやさ、少なくとも僕は、失敗続きで腑抜けになってたから……気が引き締まったよ」
「ほんとにそう思ってる?」
「ああ、本当だとも」
伝えたかったのは、心からの感謝。そして自分の弱み。正面から臆さず、指摘してくれた。言ってしまえば、玄香は敢えて憎まれ役を買って出てくれたのだ。




