愛し(をし)
第二章 クランクイン
「……」
きっと、茉白は本気でそう思ってくれている。でも僕は、素直に受け止められない。
「だからね—— ほんとは、ありがとうを言いに来た」
「礼を言われる程の事じゃないさ」
「かっこつけ」
「そりゃあ、そうさ。僕は、男だもの」
感謝をして貰えるのは、有難い。だが。全てが空回りしていては、単なる徒労に過ぎない。逆に申し訳な さでいっぱいだ。けれどもこの感情は、更に彼女の憂いを煽ってしまうだけ。だから僕は、笑顔を顔に張り付けて誤魔化そうとした。
「そんな生意気を言う口は、こうしてやる」
「——」
「どうだ? 参ったか?」
「参った。参った」
茉白は、僕が座るラウンジチェアの前でアヒル座りをする。
それから両手で僕の頬をやんわりと引っ張って来た。
こうなってしまえば、僕も本心を語らざるを得ない。
「……本音は?」
「正直、このお手上げな状況に参ってる」
「やっと弱音を吐いたな? この意地っ張りめ」
「そうだね。でも僕がそれを言ったら——」
二人の希望を曇らせてしまう。その言葉を言う前に茉白が右手で僕の口を遮る。
「だめ。溜め込んじゃうと心が壊れる」
「まあ、簡単に壊れる硝子のハートじゃないから多少、邪険に扱っても——」
「そうじゃない……ましろが悲しくなる」
「っ!」
何処までも澄んだ青い瞳に。悲しみが宿る。
どうにも僕は、彼女に対して負けてしまう。
「どうだ? このうさ耳美少女を悲しませるなんてとんでもない大罪だぞ?」
今は、風呂上がりで着脱可能な兎の耳を付けていない。
そんな事を言っても詭弁でしかない。僕は、素直に受け入れる。
「確かに……僕は危うくとんでもない罪人になるところだった」
「ちょっとは、肩の力。抜けた?」
「分かんない」
何もかもが分からない事だらけだ。そう。目の前にいる可憐な少女の事すら。
僕には、全く分からない。
例えるなら目の前に小さな宇宙が広がっていると言っても過言じゃない。
「まあ、難しいよ。これ。だってノーヒントで答えに辿り着けって言われてんだもん」
「其処なんだよね……」
「気長に行こうよ。まだ、足りてない。きっとね……ましろもしずもネモくんも。それぞれに言わなきゃいけない事とか、知らないきゃいけない事があって。自分達でも気づかない内に隠してる事もあるんだと思う」
「……」
胸を打たれる感覚。その真に迫った茉白の言葉に。僕は、目を覚まさせられる。
「しかもそれってさ。ワザとじゃなくて。相手が傷つかない様にとか。自分が傷つかない様にとか。そう言うはいりょ? ってヤツから来てるからタチが悪い」
高々、出会って二日の相手にそれを求めるのが間違いだ。かと言って旧知の仲であれば、そんな距離感もとうの昔に完成されているので問われても意味は無い。
「ヤマアラシのジレンマか……」
「どいうことだってばよ?」
その仕組みは、僕達が生まれる前から存在している。有史以来、人々を悩ませて来た。
関係性の問題だ。
「ああ、ごめん。一人で納得してた。ヤマアラシってさ。トゲトゲでしょ?」
「うん。トゲトゲかわかわ生物」
「でもその針って危ないよね」
「そっと遠くで眺めていたい。お近づきにはなれない」
「針は、護身用の為に存在している。でもそれって例えば、寒い日に仲間と身を寄せ合って暖を取りたくても相手に針が刺さっちゃう。だから遠くに離れないといけない。でも寒いからまた近づくと針が刺さる。そうなると丁度良い距離感になるまで試行錯誤が続く」
「確かに……」
可愛らしく首を傾げる茉白にも伝わるよう。僕は、精一杯言葉を選んだ。
「それを人間関係に当て嵌めたのがヤマアラシのジレンマ。つまり、相手と仲良くなりたい。でも近づくと相手の欠点が見えてしまったり、逆に否定されて傷つく事もある。だからそうならない互いのとって程良い距離を掴むまで延々と葛藤が続く」
「つまり、遠慮してる今のましろ達の事ね」
「そう言う事。だから茉白の言う通り僕達は、僕達を知らないといけない。例え、傷ついたとしても傷つけたとしても……ね」
「シビアだね」
「そう。深刻だ」
自分達でも気付かない内に。しっかりと距離を取っている。
自然と一歩を踏み出す事に躊躇している。
「因みに補足すると。実際のヤマアラシは、お腹とか頭の毛が柔らかいから頭を寄せ合って暖を取るらしい。だからこれは、人の勝手な感傷から出た戯言。当人達はそんな微調整に一切、悩んでない。とっても馬鹿らしいよね」
「それは、それで可愛い」
「うん。そうだね」
悩む事自体が馬鹿馬鹿しいのかもしれない。当のヤマアラシ達は、答えを既に編み出しているのだから。でも悩む事には意義がある。その仕組みを解明しなければ、僕達は一歩を踏み出せない。例え、それが間違いであっても。
「要は、そんな間違いも世界や他者を正しく知る為の確かな一歩なんだ。こんな考え方を編み出す前の人間は、全てを神様と言う偉大な存在に依存して。そう言う仕組みだと納得する事しか出来なかった。だけど、人は哲学を手に入れて自分達に内在する原因に焦点をあて始めた。二歩進んでは、一歩戻るの繰り返し。でも確実に近づいては居る」
「ならましろ達もましろ達で頑張らなあかんと言う事ですな」
「痛みがあっても。きっとその先には、それ以上に尊い何かがあるよ」
「でもその前に……」
「?」
天真爛漫な女の子の筈なのに。艶やかで心をざわつかせる妖艶な表情。
茉白の知らない一面を僕は、垣間見る。
「ヤマアラシって寒いと顔をくっつけて温め合うんだよね?」
心細く不安定なのは、僕だけではない。
「何でか—— 寒いんだ。今」
「っ!」
背後へ腕を回し、僕の首元に顔を埋める茉白。その気持ちは痛い程、分かる。
シャンプーの香りが僕の鼻を擽った。
動揺を抑え、僕はゆっくりと茉白の頭を撫でる。
「ありがとう……僕も寒かったんだ」
所詮は、傷の舐め合い。僕も茉白もそれぞれが孤独を抱えている。僕は、ゲームの全容を知りながらそれを伝える術を失われ、孤軍奮闘し。茉白は、右も左も分からない中で不安と戦いながら現実と向き合っている。僕と茉白は、抱えているものが違い過ぎて。
その絶対的な格差によってお互いの孤独を癒せない。
でも。
埋められない溝があっても。
本質的な思いだけは、同じだ。
共感と共振。
その溝には、橋が掛けられる。
二人が渡るには、まだ強度が足りないかもしれない。
されど、少しずつ信頼と言う強度が強くなれば。
渡れる日が必ず訪れる。
近づく事を恐れず。離れようとしなければ。
きっと。
その日の夜。僕と茉白は、時間を忘れて語り合った。




