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第49話 境界の向こう側

 号令が終わると同時に、教室の空気が一気に弛緩する。

ガタガタと椅子が引かれる音。

話し声。

笑い声。

私たちの教室の外もがやがやと騒がしくなる。


 初めての授業が終わったことで、全員がどこか安心したようだった。

――ただし、一部を除いて。


「アルノーさん。」


「はい、何でしょうか?」


エレオノール先生に呼び止められたアルノーが振り返る。


「放課後、少しお話を聞かせてくださいね。」


「研究の話ですか?」


「そうですね。」


「やった。」


アルノーは心底嬉しそうだった。


「やってない。」


後ろからノワールがぼそりと呟く。


「君も来るんだよ?」


「行かない。」


「来るよね?」


「・・・。」


ノワールは返事をしなかった。

しかしアルノーは満足そうに頷いている。

会話が成立しているのか怪しい。


「大変そうね。」


ラヴィエンヌが小声で呟く。


「・・・うん。」


私も同意した。

その時――


「次の授業はなにかな!?」


リュシエンヌが勢いよく立ち上がる。


「火属性かな!」


「違うと思う。」


エリーヌが即座に否定した。


「えぇー!?」


「基礎教養だったはずですよ。」


マルグリットが手帳を確認しながら答える。


「魔法史です。」


「歴史かぁ。」


リュシエンヌの肩が分かりやすく落ちた。


「なんでぇ!?」


「リュシエンヌは、歴史苦手だもんねー。」


「嫌い、嫌い!」


珍しく眉を寄せて本気で嫌がるリュシエンヌ。

クロエが吹き出した。


教室のあちこちから笑い声が漏れる、そんな中。

私は窓の外へ視線を向ける。

春風が木々を揺らしていた。

魔法学校。

まだ始まったばかり。

それなのに、この教室はどこか騒がしくて――。

少しだけ、心地よかった。





 ――2時間目。


教室に入ってきたのは、白髪をきっちりとまとめた老婦人だった。

ベルナデット・ルグラン。

歴史学の教師である。

彼女は教卓に、抱えていた分厚い本を置くと、ゆっくりと教室を見渡した。


「歴史とは、過去を学ぶ学問です。」


落ち着いた声が教室に響く。


「そして、過去を知ることは未来を知ることでもあります。」


彼女は黒板に大きく文字を書く。


『境界戦争』


私は少し目を細め、ベルナデット先生を見つめた。


「皆さんも名前くらいは聞いたことがあるでしょう。」


ベルナデット先生が本を開く。


「何百年も前から、人間と魔女は争いを続けています。そして、約300年前、大規模な戦争を行いました。」


私は静かに耳を傾ける。


「当時の人間国家は魔女を恐れました。」


先生がページをめくる。


「そして、魔女側も人間を脅威と判断した。」


淡々とした口調だった。


「結果として、多くの死者が出ました。」


教室が静まり返る。

リュシエンヌでさえ黙っていた。


「現在、我々が住む森と人間領との間には境界が設けられています。」


黒板に森と壁の図が描かれる。


「だから『境界』なんですね。」


マルグリットが小さく呟いた。

ベルナデット先生は頷く。


「その通りです。境界、と言っても人間との境を示すだけのものですが。」


そして少しだけ表情を曇らせた。


「もっとも――」


その言葉に全員の視線が集まる。


「歴史とは、勝者によって記録されるものです。」


先生は本を閉じた。


「今日学ぶ内容が全て真実とは限りません。」


ラヴィエンヌが眉をひそめる。


「ですが、今の皆さんにはまず基礎を学んでいただきます。」


ベルナデット先生はチョークを置いた。


「人間を知りなさい。」


静かな声だった。


「嫌うにしても、理解するにしても、まず知ることから始まります。」


そのままの口調でことばを続ける。


「人間を知らずに人間を語ることはできません。逆もまた同じです。」


教室の空気が少しだけ、重くなる。


人間。

その言葉は、魔女にとって決して遠い存在ではない。

けれど、近くもない。

境界の向こう側。

本で読むだけの存在。

そう思っている者も少なくないだろう。


「皆さんは、人間に会ったことがありますか?」


不意の問いに、思わず顔を見合わせる。


「ないです!」


真っ先に答えたのはリュシエンヌだった。


「わたしもー。」


エリーヌが続いて手を挙げる。

マルグリットやクロエも首を横に振った。

私も、会ったことはなかった。


「そうでしょうね。」


ベルナデット先生は頷く。


「今の時代、人間と接触する機会はほとんどありません。・・・ですが、皆さんが卒業する頃には分かりません。」


その言葉に数人が反応した。

ラヴィエンヌがさらに眉間にしわを寄せる。


「最近、境界付近での交流を求める声が増えています。」


ざわり、と教室が揺れた。


「交流?」


キリアンがいつも通り、飄々とした表情でことばを返す。


「人間と?」


「そうです。」


ベルナデット先生は淡々と答えた。


「もちろん反対する者もいます。人間を危険視する者もいます。」


先生は窓の外へ目を向けた。


「ですが、長い歴史の中で変わらないものはありません。」


春風がカーテンを揺らす。


「皆さんが大人になる頃、この森は今とは違う姿になっているかもしれませんね。」


その言葉に、私は少しだけ考える。


人間。

会ったこともない存在。

けれど、先生の言葉を聞いていると、どこか遠い話には思えなかった。


「先生。」


その時、手を挙げたのはクロエだった。


「人間って、どんな人たちなんですか?」


教室中の視線が集まる。

ベルナデット先生は少しだけ考え、

そして柔らかく微笑んだ。


「魔女と同じですよ。」


予想外の答えだった。

もっと異質なものだと唱える者も少なからずいたから。


「優しい人もいます。意地悪な人もいます。賢い人もいますし、愚かな人もいます。」


先生はゆっくりと言葉を続ける。


「だから、一括りにしてはいけません。」


教室は静まり返っていた。


「それを学ぶのも、この授業の目的の一つです。」


カツ、と時計の針が鳴る。


ベルナデット先生は本を閉じた。


「さて、少し真面目な話が過ぎましたね。」


その言葉で空気が少し緩む。


「次回までに教科書十二ページから二十五ページまで読んでおいてください。」


途端にリュシエンヌが机に突っ伏した。


「宿題、宿題ぃぃぃ・・・。」


「歴史だからねー。」


エリーヌがぽんぽんと姉の頭を叩く。

教室に小さな笑いが広がる。

ベルナデット先生はそんな様子を見ながら、目を細めていた。


そして私はもう一度、窓の外を見る。

境界の向こう。

見たことのない世界。

そんなものに関わることになるのだろうか。

私は静かに目を細めた。

いつもありがとうございます!


少々立て込んでいるので来週の投稿ができないかもしれません。

すみません・・・。

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