すごく嫌な……予感?
じっとしているのはなんだか嫌だった。
家の近くにまで先生に送ってもらって、晩御飯を作って、食べて。何もかもが嘘だったみたいに、落ち着いた時間がゆっくりと流れている。
夢だったのかな。
疑問に思ってしまう。夢であって欲しいのか、夢なんかじゃないって思いたいのか、自分自身の頭の中なのにどちらなのかもわからない。
考える時間がたくさんある。多分そのせい。
部屋を出て、リビングを抜けて玄関に向かう。自然と足が動いていた。
「どこ行くのよ。こんな時間に」
ソファに座っていたお母さんが言った。時間は九時を過ぎていた。
「うん、ちょっと出かけてくる」
どこに。明確な答えも目的も持ち合わせていなくて答えがあいまいになる。
「女の子一人じゃ危ないわよ。明日にしなさい」
「ええ、でも……」
止められるのなんて分かり切っていた。ちょうどいい言い訳も用意していなくて、困ってしまう。無理やり出て行けばいいや、とも思っていたのかもしれない。でもそれは……私の性格的に難しそう。
どうしても出て行きたかった。自分の気持ちを切り替えたくて。少しでも早く、時間を進めたくて。
ジーンズの右ポケットが振動した。スマホのバイブレーションだ。確認してみると、真虎くんからの連絡だった。
『探してみたけど、大神は見つからなかったし』
ただそれだけの内容だったけど、タイミングは最高だ。
すぐに返信を送る。
「少し話したいことがあるから駅の前で待ち合わせできない?」
返信ボタンをタッチした直後に、
「友達と会う約束してるの。駅の辺りに行くだけだから、すぐに帰ってくるもん」
今できた言い訳をお母さんは眉をひそめて聞いていた。
「ダメ、かな?」
「……まぁ、本当にすぐ帰ってきなさいよ?」
「うん!」
よかった。これで一安心。真虎君が来てくれるかは分からないけど、とりあえずはこれで少しは外を出歩ける。
靴を履いて家を出た。駅前には向かいながら歩いている最中に、真虎君からの返信が来た。駅前なら近くにいるから先に行ってるって。
相手を待たせるのは決していい気分ではない。でも、今日に限っては大目に見てもらいたい。自分勝手なことだけど、私はちょっとゆっくりと歩いて駅に向かった。
駅前は光が溢れていた。駅前の先に続く大きな道路の脇に立つビルの明かり。駅舎の駅名をなぞった青い明かり。駅舎自体から漏れてくる明かり。
駅の前のバスやタクシーの乗り場、そして蒸気機関車のある広場。ここに帰ってきてから初めてワンちゃんと出会った場所に、真虎君を見つけた。
「ごめん……待った?」
私が声をかけると振り返った。真虎君と一緒にいた二人とも。海鞘蕗と殿面だ。
「結構待ったし」
「湯川、ここは待っていないと答えるところでは?」
「お約束とか別にどうでもいいと思うし」
「……うぬ」
真虎君も海鞘蕗と殿面の二人と仲良くやってるみたい。
「どうして二人もいるの?」
「二人にも大神を探してもらってたし。結局、見つからなかったみたいだけど。役立たずだし」
「あなたも見つけられていないでしょうに」
そっか。二人にもワンちゃん探しを手伝って貰っていたんだ。三人も手伝ってもらえていたなんてありがたさの極みだよ。
ありがたい、本当にありがたい……んだけど。
「ワンちゃんのことなんだけどね、その……夕方に会ったんだ」
もっと早くに教えてたら良かったかな。あんなに早くワンちゃんと出会えるなんて予想外だった。それにすぐにお嬢の家に行って、いろんな話を聞いていたせいで、三人のことを完全に忘れてしまっていた。無駄な時間を過ごさせてしまったと思う。
そのことも謝りながら、私はワンちゃんと出会ったときのことを三人に話した。
「なんだか、変な感じだったんだ……。いつものワンちゃんじゃなくってずっとピリピリとしてて……」
「そう。まぁ、この街にいるのは間違いなさそうだし、本気で探そうとすればアレでもして……」
「アレ?」
私が聞き返すと、真虎君はしまったというように一つため息を吐いた。
「なんでもないし。それより二人からも訊きたいことがあるみたいだし」
スルーされた。
海鞘蕗と殿面に目をやると、海鞘蕗が口を開いた。
「泥沼を見ていませんか? どうにも連絡がつかないんですよ」
「泥沼と? 私は街を歩いてたわけじゃないから、泥沼を見てはないけど……」
学校には来ていなかったんだっけ。泥沼もどこかに行っちゃうなんて……あんまり心配はできないけど。
「そうですか。まぁ、僕らも心配してはいないんですがね。何があっても泥沼なら全然かまいません。むしろ、泥沼には痛い目に遭っていてもらっていても面白いかと……」
海鞘蕗がメガネをくいっと挙げて、ニヒルな笑みを口元に浮かべた。
「おおい、誰に何を遭わせるってぇ!?」
泥沼の声がして、私たちは一斉に声のした方角をみた。私は振り返る。
「泥沼!?」
泥沼はいつも着ている学ランが少し破れて、土汚れが付いていて、両頬が腫れて、口から少し血が出ていた。血は渇いているみたいで、泥沼が拭っても取れなかった。
驚いて立ち尽くしている私たちの元に、泥沼はふらふらの足取りで近づいてくる。
それを見てやっと海鞘蕗と殿面が彼を迎えるように近づいて行った。
「どうしたんです、泥沼!」
「……大丈夫、か?」
二人が声をかけるのと同時に、私たちも近づいた。
「へっ。俺様とあろうことがよぉ……珍しく派手にやられちまったぜ……」
強がりだった。近寄る海鞘蕗と殿面を見て口元に浮かんだ笑みは、安心感からくるものだったに違いない。
安心したためにか、泥沼は倒れかかり、それを殿面が大きな体で受け止めた。
「やられた? 誰にです」
もしかして……。嫌な予感が脳裏をよぎる。ワンちゃんじゃ……。
「予想外だったぜ。やべぇのなんのって。あいつがあんなにやるとはなぁ……」
「あいつ? ねぇ、泥沼。それって誰?」
私は杭気味に泥沼に訊いた。
「ああ、あいつだよあいつ……ええっと……」
泥沼は目を瞑り、おでこに拳を当てた。
「……」
私も固唾を飲んで泥沼が言おうとしている名前が出てくるのを必死に待った。
「…………」
そして。
「……誰だったっけなぁ」
がくッ。
「ここで忘れるとか、お約束通りのボケをかまさないで欲しいし」
「ちげえよ! 俺様だってなあ、忘れたくて忘れてるわけじゃねえし、顔も覚えてんだよ、だけどなぁ……名前が……」
もう一度、泥沼がしっかりと目を瞑る。
そして。
「……」
…………。
………………。
「……ぐぅ」
「寝ましたね」
「だあ! もう!!」
私は思わず頭を抱えてしまった。
「はぁ、こいつ本当に最悪だし。もう少し痛い目見た方がいいと思うし」
真虎君も呆れ気味だ。
「結局わかんないじゃない……もう、誰が泥沼を……」
「多分、大神ではないと思われますよ」
私の嫌な予感を見越してか、海鞘蕗が言ってくれた。
「大神のことは泥沼は忘れたくとも忘れられないはずですからね」
じゃあ、誰なの……? 泥沼をこんな目に合わせたの……ワンちゃんじゃないなら……誰? 私の知らない人?
分からないことばかりが私にどんどんやってくる。この街でなんだか悪いことが起きているみたいで、凄く居心地が悪かった。
「組長」
お嬢の家で、お嬢の祖父、鶴嶺雷太が若い衆の一人から声をかけられた。
「なんじゃ?」
鶴嶺雷太は縁側に座って空を眺めているところだった。月も星も見えない、真っ暗な空を。
「代貸の倅が組の末端の人間を動かしているようです。確かな情報ですので間違いないかと」
「ほう。あいつの倅がか。ほほう、筋モンらしくなってきたのう。親に似んで大人しいやつじゃと思っておったのに」
「感心していていいのですか? 何か問題を起こせば……」
「いいや、もうおこっとるじゃろう。それもちょいと面倒なことをな……やれやれ、そのことをあいつは知っておるのか?」
振りかえらずに、雷太が訊いた。
「……いえ、何やら工作をしているようで」
「そうか……はぁ、尻拭いが必要な大事を起こさなければいいんじゃがなぁ……」
そういって、鶴嶺雷太は重い腰を上げた。
視線はまだ空を見ていた。真っ暗な夜空はいつも通りの暗闇でもあり、今にもそのまま落ちて来て街中を真っ黒に染めてしまいそうな不気味な夜空でもあった。
ども、作者です。
盛り上がってきているのかどうか。




