予想外の……再会?
同時刻、濃紺に染まり始めた渇いた冬の空気を歩く一和が親指で口元を拭った。赤い血が親指の腹に着く。指をこすり合わせて指からも拭い去ろうとしても、脳裏に浮かぶ懸の顔は、顔面にクリーンヒットした懸の拳の固さ、痛みは消えてはくれない。
一和の連れのはみ出し者たちも、歩くたびに軋むように痛む体の箇所を時折さすっている。まるで敗走した軍隊のようだ。心なしか足取りも重い。
負けたわけではない。ただ、逃げたのは事実。仲間たちも目的を無くし、自分につっかかってくる懸はうっとおしく、その場を離れるしかなかった。そのせいか、気分は負けた後のように重苦しい。
負けたわけではない。一和は自分に言い聞かせる。一発クリーンヒットしただけ。手も足もでなかったわけじゃない。なのにどうして自分は逃げるしかないと思ってしまったのだろうか。
ぎりりと一和は奥歯を強く噛み締める。胸の内がもやもやする。何か殴れるものがあれば、躊躇いも無く殴ってしまいそうだった。
見てくれも怖く、一般人なら近づくことでさえ嫌がりそうな一和の一団。もはや一和のと言ってしまいたくなるくらいには、彼がこの集団を率い、空気感をも支配していた。
一和は苛立っている。チビも牛ピアスも年かさのおっさんも残りの二人も、嫌というほどに一和のいらだちを肌に感じていた。中には今にもまた殴られるのではないかと思う者もいる。
その内の二人が顔を見合わせる。このまま一緒にいたら殴られるかもしれない。
「こ、コンビニでなにか買ってきますよ」
チームのおっさんがコンビニの前を通りかかると、我が意を得たと言わんばかりに提案した。一和が何かを返事するよりも早く、逃げるようにコンビニへ向かっていく。
「お、おれも行きます!」
「金は俺らがもちますんで」
他の連中も口々に言い訳じみたことを言ってから、コンビニへと向かう。
一和は一人取り残された。中に入る気分でもなく、駐車場の片隅へと足を運んだ。
彼に関して、一和は特に思うところはない。むしろ一人になれたのは彼にとっては好都合だった。
今、一人でいるのが一番落ち着く。彼らといて不愉快に感じることも無く、極めて無関心なのだが、知り合いの人の気配がしなくなったのは、一和のいらだちを軽く沈めてくれた。もっとも、お湯に僅かばかりの水を混ぜるほどの微弱な効果しかなかったが。
一人になると、特に意識をせずとも関心は自分の内側に集中する。
一和も例外ではない。
……なぜ、こうもムキになっている?
一和の場合は脳裏をよぎった小さな疑問に自身の関心が吸い寄せられた。小さな疑問はやがて大きな疑問に変る。
懸に一泡食らったことに、イライラしているのか。ただそれだけでこうも……。
本当にそれだけか?
あの時、あの場所に。
何があった?
名前が水の奥底から突如として現れる気泡のように浮かんできた。
叶恵。あいつがいた。
いいや、アレは関係ない。あいつとはもう……自分は別の世界にいる。
手を出そうとした。
もう完全に、自分とは……。
一和の後ろ髪がぐいと引かれているような気がした。向うの世界に何かが残っている。残している。
……後悔を、しているのだろうか。
「こんなところでなぁにしてんだあ?」
声がして振り返る。荒れ放題の喉から絞り出すようなガラガラ声。
泥沼だった。
自分は、後悔をしているのだろうか……。
「おいおい、無視してんじゃねぇぞ?」
泥沼が一和の肩に手を置いた。
ちょうどそのときに、ウィーンとコンビニの自動ドアが開いた。ぞろぞろと連れだって出てきたのは一和の仲間たち。名残惜しそうな顔であたりを見渡し、一和の姿を見とめると、後ろにいる学ラン眼帯の奇妙な男が映った。
途端に全員の目の色が変り、一和の方へ、正しくは泥沼に近づいていく。
「チッ、連れもいんのか」
「なんだテメェ、俺達が誰か分かってんだろうな?」
チビが威勢よく泥沼にガンを付ける。
「アァ!! 知らねえなあ」
泥沼もチビの前に出て、睨み返す。背の高い泥沼よりもチビの方が腕が立つのだが。
「俺らをしらねえとはなぁ。たっぷりとその体に教え込んでやるぜッ!!!」
頭に血が上るチームの連中が露沼に襲いかかろうとする。
「構うな……ザコだ」
一和が制止する。
「あ、ああ。あんたが言うなら……」
「誰がザコだとォ!?」
青筋を浮かべた泥沼は今度は一和に向かって怒鳴り散らした。明らかに一和の言い方が、彼を怒らせていた。
いつぞやに殴り倒されたのも忘れ、泥沼は一和を睨みつける。泥沼の眉がぴくりと上がった。一和の口元の赤い物が目に入った。
「へ。人のことをザコ呼ばわりする割に、怪我してるじゃねえか。ははーん」
泥沼の口元がにやりと歪んだ。何かに気付いたらしい。
「そうかそうか。テメェと対等にやり合えるやつぁ竜美ぐれぇだ。へへ、あいつに勝ったって聞いたことあんあがなぁ。弱くなったのか?」
気が付いたら、一和の腕が動いていた。
ごすっ、と泥沼の顔面に一和のパンチが突き刺さっていた。
「あごっ……ててて……」
泥沼が鼻先を抑える。生温かいものが手に触れる。鼻血だ。骨は……折れていない。
「これで弱いか?」
「テメェ、いきなりやりやがって……」
咄嗟に動いてしまったが、これで返って良かったかもしれない。泥沼も頭に血が上って襲いかかってくる。もやもやとした気持ちをぶつけられる。
「まぁ、つるまにゃやってらんねぇようなやつにゃ不意打ちがお似合いか」
一和も目測とは裏腹に、血を流しながらも泥沼は怒りを露わにしなかった。上る血が絶えず流れているせいかもしれない。
「けっ、一匹狼がすたれるぜ」
一匹狼。一和もそんな風に言われていた時があった。仲間も作らず、一人だけで喧嘩をして……。
一人だけで喧嘩をし続けていたのはなぜだろうか?
不意に疑問がよぎる。
一人でいたかったから。
どうして? なぜ?
一人でいれば気楽だからか。
どういうところが?
……何もないから。失わなくて済む。誰かがいなくなることがない。
だから、か……。
じゃあ、今つるんでいる連中は?
いなくなっても構わない奴ら、か……。
じゃあ、泥沼がつるんでいた連中は……。
「いつもつるんでいるお前には言われたくないさ」
一和もすでに、泥沼とどうこうしようという気がしぼんでいた。泥沼に背を向けて歩き出す。
背を向けているのは泥沼にだけだろうか。付いてくるチームの連中はいるがそれ以外に、何か目をそむけているものが……。
いいや。何もない。
一和は歩きながら、自分に言い聞かせていた。
歩き去る一和とその仲間たちの後姿を、見えなくなるまで泥沼はその目に写していた。
「け、何してんだかな」
少し、心配している自分がいた。
「心配たぁ、似合わねえなあ。俺も焼きが回って来たか……」
鼻血も止まった。そろそろ帰るとしよう。
帰ってどうするか。またあの二人と適当につるんで……学校にでも行くか。
ああ、学校といやあ、大神のことを知ってやがるのか……。
考え事も足取りも、ぴたりと止まった。
この辺りは街の中でもにぎやかな場所から、少し影になっている。いわゆる裏道や裏町。にぎやかで楽しい、平凡な日々を楽しんでいる人達にとっては近づくことのない場所だ。
近づけば、楽しくて幸せな日常の舞台から引きずりおろされる。それを先天的にか後天的にか、待ちの人は知っている。近づくのは裏に近しい人間だけ。
「ん? あいつは……」
場違いな人間が一人いた。泥沼が気付いたのは、そいつが場違いだと言うことを知っていたからだ。
ったく、こんなとこに。しかも一人でいやがる。
泥沼はそいつの後姿を見やると、それに向かって歩き出した。
ここから離してやらないと。
そんなことを思うなんて、やっぱり学校でのことに影響されているみたいだ。
背後に近づき、泥沼は声をかけた。
「おい、こんなとこで……」
ども、作者です。
結構ストックが大変なことになってきましたねぇ。笑うしかないです。




