先生の……過去?
「どうも、挨拶が遅れました。本当ならもっと早くに挨拶すべきでしたが……」
大神先生は恭しく深々と頭を下げた。敬意を向けられたお爺さんは煙たがるように顔の前で手を払う。
「構わん。お前はもう堅気の人間じゃ。ワシらとの関わり合いなんぞせん方がええ。しっかし、相変わらずハゲんで羨ましい毛根じゃのう」
お爺さんが自分の禿げあがった頭を触って冗談っぽく笑う。
「ええ、うちの血ですから。それより、どうしてうちの生徒がここに?」
私の方に視線が向けられた。どうこたえようかと思っていると、私よりも先にお爺さんが口を開いた。
「お前さんの……そうかそうか。まっこと奇縁じゃのう。親友の子供の教師になろうとは……がっはっは」
「親父さんの援助があってこそです……ところで、ここに咲宮さんがいるなら、例の話をもう……」
「さよう」
お爺さんは迷うことなく断言した。大神先生は一瞬目を閉じて、次に開かれた目はなんとなく悲しい色をしているように見えた。
「そうですか。咲宮さん、先生が何をしていたのか知ったんだね?」
問われ、頷いた。
「はい、先生が、その……」
「私は極道だった。もう十年以上も前の話だよ。今は刺青も取って、その過去を知った上で雇ってもらえた。それまでの道のりは長かったけどね」
言い辛いことを先生が肯定してくれた。十年前はちょうど私のお父さんが死んだ頃で、私がお母さんに連れられて隣の県に移り住んだ頃でもある。
そして、再びこの米原に戻ってきた頃には、ワンちゃんは今みたいにすっかり変わっていた。昔はとにかく優しくて、優等生そのものって感じの子だった。まだ一緒に遊んだりしていた頃は大神先生もワンちゃんと暮らしていたはず。でも、またワンちゃんの家に行ったときには、大神先生はいなかった。別々に暮らしていたのだろう。
でも、別に暮らしていたことと、ワンちゃんが変っちゃったこととは決して無関係じゃないと思う。そして、昔の事件について……。
「先生、あの……先生はワンちゃん、大神君や千和さんとは離れて暮らしていたんですよね? どうしてそんな……」
私は知りたくて尋ねた。
「志波。ちょうどええ、お前のことも教えてやれ」
お爺さんも助け舟を出してくれる。大神先生は迷う素振りも見せずにすぐに頷いた。
「はい。じゃあまずは……未来と勝が死んだあとのことから話そうか。そこまではもう、聞いているんだよね?」
「はい」
先生が昔のことを思い出そうとして、目線を上に向けた。
「私は三人の中で唯一助かった。良かったなどとは今までもこれからも思うことはできない。取り残された気分だった。自分だけが裏切ってしまった気分だった。失ったことを悔やむより、私が手を染めたのは復讐だった」
ぎり、と歯ぎしりが聞こえた。先生の方からだった。
「対立していた組、そこの連中に一人でカチコミに行った。仇を討つために……ただ、私は襲撃に失敗して負傷した上に逮捕された。相手の方が一枚上手だったんだ」
先生が視線を落として、自分の掌を見る。何もない自分の掌を。
「捕まっていた間のことは後になって聞いた。一和も千和も、親類に引き取ってもらえず、子供たちだけで生きていたそうだ」
「ワシもできる限りの援助はしたがのう」
千和さんもワンちゃんも、凄く苦労していたと思う。私も多少は苦労したって言えるけどそんなのとは比じゃないほどに。
「出てきた頃には、今の若頭が対立していた組をつぶし、私は復讐も何もできずに、何もかもを失った。家族に会わせる顔も家族を養う職も無かった。私は家族の元を離れて、また家族と暮らすためにまっとうな道を歩むために必要な事をした。親父さんに援助をしてもらいながら、だったがね」
大神先生の顔が心なしかやつれているように見えた。先生も相当の苦労を重ねたのだろう。
「十年かけてやっと、教員になれた。家族の元にも帰ってね。娘には受け入れてもらったが、息子、一和には受け入れてもらえなかった」
そっか。ワンちゃんは大神先生、自分のお父さんのことを受け入れられなくて、帰ってくるのを認められなくて……。
でも、それだけで……。
「二人ともに迷惑をかけた……弁明も許してほしいとも言えない。あいつが家を飛び出したのも、私のせいだ。私がいなければきっと……。すこし、話が反れてしまったな。私のこれまではこんな感じだよ」
大神先生の話は終わった。
だけどまだ、判然としない。もちろん、何があったかは分かったんだけど……ただ、ワンちゃんが、お父さんのことを受け入れられなかっただけで、家出をするなんて。そんな単純だとは思えない。
そう、何か別の要因があるんじゃないかな……。
あれ? そうだ。私がワンちゃんの家族で覚えていることが一つだけ残っている。大神先生と会っていたことはあまり覚えていなかったけど、ワンちゃんのお母さんのことは覚えている。優しそうな人で、それでいてもう亡くなっていて……。確かに、私がまだ米原にいたころには生きていたはずだ
「おばさんは?」
尋ねると、大神先生はまた悲しそうな目をして、
「家内は……過労死だったそうだ。私がいなくなってからしばらく、二人を育てるために。親類から見捨てられても、気丈にふるまって……私が殺したようなものだ……受け入れられなくても、仕方がない」
痛い程後悔しているように言った。
ワンちゃんは、私のお父さんとお嬢のお父さんが死んだ事件を境に、自分の人生が大きく変わってしまったんだ。お父さんは逮捕されて、お母さんは死んじゃって、自分達で生きていかなくちゃいけなくなって……。
誰かのせい、なんて簡単には言えないと事件だったと思う。元を正していけば最終的に辿り着くところは、三人ともが出会ってしまったこと。
だけど、それは咎めることもできないし、みんなが選んで行動した結果が大きな悲劇だった。
でも、ワンちゃんは。
その原因を大神先生、自分のお父さんにあると思っているんじゃないかな……、だから全ての原因がまた自分のもとにやってくることを受け入れることができなくて……。
「咲宮さん、君は家族を大切にしなさいよ」
私が考え事をしていると、大神先生がぽつりと零すように言った。実感がこもっていて、それでいて凄く重たい一言だった。
どうも、作者です。
今年の二月の最後の更新ですね。この作品での二月最後の更新になるといいですねぇ。




