ワンちゃんの……決断?
時刻は朝にまで遡る。
大神一和は、何度目かの一人での朝を迎えた。全身にひびが入ったかのように痛みが走る。
当たり前か。公園で、よりにもよって屋外で寝ていたのだから。凍死しなかっただけでも儲けものだ。
一和は体を起こしながら自嘲気味に思う。
自分は何をしているのだろう、と。
寝ぼけに近い、ぼうっとした頭を回転させると、鮮明に思い出される。唐突に現れた父。その顔。いなくなったときの父のこと。それからの日々。
まるで連想ゲームのように思い出されるのは、全部が全部、忘れたい記憶だった。
「くそっ」
いらだちながら立ち上がる。公園のベンチをベッド替わりに使っていたらしい。これじゃあ、ただの浮浪者も同然だ。
空はまだぼんやりと暗かった。スマホの電源は既に落ちているせいで、時刻を知るには公園の時計を探すしかない。遠くからじゃ、まだ時計の針が鮮明には見えないくらいの明るさだった。
公園の中央にある時計に近づこうと歩き出したとき、不意に人影が視界の端に映った。
五人くらいが固まっている。朝の新聞配達をしている奨学生たちとは思えない、柄の悪いファッションに身を包んだ、男の集団だった。
「何睨んでんだコラァ!!」
その内の一人が、一和に気付いたらしく、近づいてくる。
睨んでいるつもりはないのだが、そんな目をしていたらしい。
連れもぞろぞろと続いてくる。全員、敵意をむき出しにしていた。
不良。いわゆるアウトローだろう。一和は冷静に全員を見渡す。自分と同い年くらいのやんちゃ坊主もイルカと思えば、髭を立派に生やし、額と口元に皺を刻んだ、いい年をした大人の姿もある。これまでに一和が手を出してきたような、学生の不良とは一味違う。
こんな時間に公園にいるには不釣り合いな人種だ。
朝早くに……それは自分も同じか。
一和はふっと、笑みを零した。
自分自身に呆れるあまりの自嘲だった。
「テメェ、笑いやがったなあ!!」
絡んで来た男は、鼻に牛のような大きなピアスをしていた。それを笑われたのだと思ったのだろう。
牛ピアスは一和にパンチを繰り出す。
それを受けるよりも速く。
一和の拳がピアスごと男の鼻をぶっ潰した。
ああ、俺は何をしているのだろうか?
「ユータくんを……なにすんだあ!!」
他の男も襲ってきた。
一人、倒れる。
一和が腹に膝をブチ込んだから。
何をしている?
一和が別の男に目を向ける。老けた面のいい年下髭面が、驚いた表情で一和を見ている。
老けている顔を見ていると、脳裏に父親の顔がちらついた。
前よりも老けた父の顔。しかし、一和に絶望を与えた張本人の顔。
「え?」
唐突に拳が飛んできて、男は驚きながら殴られた。
その場に倒れる間際に、歯がぼろんと落ちる。一和が顔面を殴って折れた歯。その歯を追った瞬間の痛みは想像を絶するものだろう。
その数十分の一くらいの痛みが、一和の手の甲にも走る。
スカッとした。
「おおおお!!」
果敢にも、二人の背の低い男達が、一和に一斉に襲いかかろうとした。
一和は手を伸ばすだけで、二人の頭に手が届いた。
頭を掴んで、打楽器のように二人の頭を力づくでかち合わせる。鈍い音しか鳴らなかった。
懐かしい。
アイツがいなくなったときも、むしゃくしゃしていた。
それを晴らせたのは、ただバカみたいに暴れることだけ。
だから一和は。
父への憎しみを、怒りを、行き場のない感情をぶちまけるように、幾人もの相手と喧嘩した。
喧嘩に明け暮れた日々。
それだけが、父を忘れさせてくれていた。
もう一度、忘れたい。
でも、馬鹿のやることじゃないか。
そう思って、一和はさらに自分に呆れてしまった。
その馬鹿とは自分の事じゃないか。
衝動は抑えられない。
残った一人は襲いかかっても来ずに、腰を抜かしてがたがたと震えている。見たところ、自分よりも年下らしい。
中学生くらいか。一和が同じ歳頃だったときこそ絶望の淵にいた。
今、少年が抱えているのとは全くベクトルの違う絶望だったろうが。
そして今、それを思い出している。また、足元を絶望に掴まれている。
逃れたい、逃げ出したい。
あの絶望は、受け入れられない。
一和はがたがたと震える少年に近寄る。
「ご、ごめんな……」
言い終える前に、一和のかかとが少年の頭に振り下ろされていた。
本当に、何をしているのだろう。
自分は何も変わっていなくて、変ろうともしなくて、周りも元に戻ろうとして。
公園の芝生に倒れる五人の男を見下ろしても、まだまだ完全に忘れられていないのだと思い知らされた。
同じことをあの頃も思った気がする。
だから、明け暮れた。
足りないのか。もっと、殴りたいのか蹴りたいのか。
一和が呆然と突っ立っていると、最初に殴り倒した牛ピアスが立ちあがった。
「はぁ、はぁ……ぐず」
男は息を切らし、鼻血を鼻水のように啜る。
一和は、もう一度拳を握った。
「ま、まで……もう、やらない。は、はなじをぎいでぐれ」
男は鼻が通らないせいで、威厳も何もない滑稽な声で言った。
一和が何も答えないので、男は構わずにつづけた。
「あ、あんだ……強えじゃねえか。ず、ずこし、手伝ってぐれ」
「……何を?」
「オレたちゃ、チームなんだ。半グレのざ……ここにゃもっといくつもある。そのうちのひとづだ」
「だから?」
回りくどく、一和が先を促す。ぐずついていたら、もう一度殴ってやろうかと思った。
「そのいくつものチームがよ……ヤクザ崩れのチンピラに、どんどん潰されでんだ」
そう言って、牛ピアスはその場に正座し、頭を下げた。
「だのむ……オレだちも狙われるがもしれねえ……あんだがいれば敵うかもじれん。助っ人になってぐれ」
だ、そうである。
一和は頭を下げる男を見ながら、胡散臭さのあまりに苦笑いしそうになった。
この男はこの場では頭を下げているが、別に一和のことをどうとも思っていない。仁義や尊敬、そう言ったものはなにもなく、ただ単純にそのチンピラたちを退治してくれる、時代劇の侍のような存在が必要なだけ。用が済んだら、今度は凶器でも持って袋叩きにしてくるかもしれない。打算が無くて頭を下げるような奴らじゃない。
それでも、いい。
暴れたい。忘れたい。どこか、それが出来る場所に落ち着きたい。
自分が落ち着ける場所なんて、この不良グループのチームとやらにしか、無いのかもしれない。
そしてそこは、昔自分がいた場所と同じ場所でもある。絶望を忘れようとひたすらに自分と他人を痛めつづけた、混沌とした場所。
とにかく、目の前のやり取りに集中できて、とにかく忘れられる場所。
今、自分は底を求めている。
そこに行けるのなら、誰と一緒でも構わない。
もしかしたら、もう元の場所には戻れなくなるかもしれない。踏み込めば、ここにいる老けた男と同じように、いい年になっても馬鹿をし続けているかもしれない。
自分のいつか辿り着く場所。辿り着きたい場所はあった。でも、そこに行くために、忘れたいことを覚えていなくちゃならないのなら。
「ふん、分かった。手伝ってやる」
足を踏み出してしまおう。その方がきっと、落ち着くだろうから。
ども、作者です。
この辺から叶恵の出ない話が……




