お嬢との……夜?
ベッドのスプリングが軋む音がする。お嬢が私の隣に座って、何度か位置を変えていた。
話を聞いてほしいと言ってから、しばし沈黙が続いた。何かの音が聞こえたかと思えば、ベッドの軋む音か、ふー、とお嬢の吐く吐息の音。
空気がどんよりとしている。言い辛いことなのか。
無理をして言わなくたって、そう言ってあげたかったけど、それはできなかった。決心も必要な重大なことを、彼女は私へ告げようとしているのだ。
断ってしまったら、なんだか裏切ってしまうみたいで。
私は、お嬢が何かを言うまで待ち、五分くらい経って彼女は口を開いた。
「そういえば、わたくしの本名を名乗ってはいませんでしたわね。わたくし、鶴嶺雅と申しますの」
「鶴嶺、みやび……。じゃ、雅ちゃんって呼んだ方がいい?」
「いいえ、これまでどおりで構いませんわ。むしろ、名前で呼ばれるのよりもお嬢と呼ばれたいですわ。純と同じで特別な感じがしますもの」
わかった、と私は頷いた。けど、それだけが言いたかったことだとは思えない。促すことはぜずに、次の言葉を待つ。
「あの、鶴嶺という苗字に聞き覚えはありませんか?」
不思議な質問だった。神妙な顔で、真剣そうな声で、そう尋ねるのだから、何か大切なことなのだとは思うけど、正直なところ質問の意図が全く読めなかった。
「ううん。珍しい苗字だから今初めて聞いたくらいだよ」
お嬢がほっと息を吐く。しかし途端に唇を一文字に引き絞って、複雑な表情になった。
「叶恵さんは、この町をしばらく離れていたんですものね」
知っていた方が、良かったのだろうか。
「もしかして、結構有名な苗字? お父さんが知事とか市長とか?」
そういうの私は疎い方だからなぁ。お偉いさんの子供、だからお嬢って呼ばれているのかなぁ、なんて。
自分でも違うとは思っていたけれど、お嬢が首を左右に振って否定した。
「いいえ。お父様はわたくしが幼いころに亡くなっていますわ」
「あ……ごめん。無神経なこと、言っちゃって」
「気にしなくてもいいですわよ。わたくしは両親のことはほとんど覚えていませんし、おじい様も屋敷の若い衆がいらっしゃいましたから、寂しいだなんて思ったことはありませんわ」
「そっか。お爺さんと……若い衆?」
そう言えば昼ごろにカフェでもそんなことを言っていた気がする。若い衆ってなんだろう。日々生活をする上でそうそう耳にする言葉じゃない。誰のことを言っているのだろう、一緒に暮らしているというのだから……。
「執事とか、メイドとか、そんな感じ?」
自分が持っているお嬢様イメージだ。お嬢様の屋敷にいる人と言えばこういう人達。自分で言うのものなんだけど、とても偏っていて拙いイメージだ。
お嬢がまた首を振って否定する。
「もっと、おっかない感じですわ」
言いながら、お嬢はおどけたようにちょっとだけ笑っていた。
おっかない感じで、若い衆……。
嫌なイメージが頭をよぎる。なんとなく頭に浮かんだそのイメージは、五月に出会ってしまった、あのヤクザだ。
いやいや、そんなこと……。自分で頭を振って、浮かんだイメージを、想像してしまった予想を否定しようとする。
そんな様子はお嬢も見ている。何かに気が付いた、何かを想像した、ということは彼女にも伝わっていると、思う。
違うよね。そんな願いを込めてお嬢の目に目を合わせると。
お嬢は頷いていた。
「わたくしのおじい様が、そっちの方なんです。わたくしも、理解できたのはほんの二、三年前です。だって、家ではわたくしに優しくして下さっているおじい様が、若い皆さんが、してはいけないことを生業としているだなんて、想像できませんでしたから」
自分の呼吸が存在感を増してきた。意識していないのに、意識しているみたいに。どきどきしている。
作り話をされている。そう思いたい。
作り話ではない。そう思っている。
お嬢は続ける。
「そうは言っても、事実は事実なんです。わたくし、学校だと他の級友のみなさんとおしゃべりもしますし、休憩時間に遊ぶこともありますわ。でも、学校が終わったら、わたくしに近づいてきてくれることはありません。知っているからなのでしょうね。級友のみなさんはこの辺りの企業やお医者さんのご子息たちですから、米原のことには詳しいのでしょう」
「……お嬢」
「わたくし、純以外にお友達と呼べるような人はこれまでずっと居ませんでしたわ。うちはにぎやかですから、昔は気にならなかったのですけど、家のことを知って、避けられていることを理解したら、なんだか急に寂しさが……」
胸が痛んだ。お互いに、分かち合うように。
「寂しくなんかないでしょ、もう。私がいるよ」
「叶恵さん……」
お嬢の膝の上に置かれた手に、私の手を重ねる。お嬢の視線と私の視線を交わし合う。お互いに、分かち合うように、本当のことを伝え合うために。
「私は知らなかったけど、知らなかったからお嬢の友達になったわけじゃないもん。今お嬢の家のことを知っても、変ることはないよ、変れるわけないじゃない」
お嬢の目は綺麗だった。とても、彼女の言う家庭環境に置かれている人には思えないほどだ。
優しくて、澄んだ目。彼女の家はそう言ったことをしていかもしれない。そのおかげで、お嬢もいい生活をしているのかもしれない。
でも、それが彼女を咎める罪にはならないと、私は思う。嫌う理由にだって、ならない。
だって、綺麗な目をしているんだよ。私の言葉に薄らと涙を浮かべているんだよ。
「そう、言っていただけると……嬉しい、です。ぐすっ」
「大丈夫。どんなお嬢でも、ちゃんと受け入れるから」
「はい……少し、落ち着くまで、待って、いた、だけます、か?」
暫く、お嬢が落ち着くまで待った。
一時を回ろうとしている。お嬢は落ち着くのと同時に、安心したように欠伸を零した。
のんきな、と思ったけど、時間も時間。お互いに布団の中に入って、電気を消した。
目がまだ暗闇に慣れない間に、お嬢が呟いた。
「やっぱり、お友達はいいものですわね」
「そうでしょ? って、私もついこの間まで友達がいなくて、悩んだりしてたんだけどさ」
「ふふ、そうですの? あんなにたくさんのお友達がいらっしゃるのに」
「いろいろとあったんだよ? お嬢と出会った日もかなり大変で……」
寝ようと思っていたのに、いろいろと話してしまった。お嬢に出会った日のこと、その後のゴールデンウィークのこと、今日は会わなかった真虎君とのこと。たくさん、本当にたくさん。
私には秘密にすべきことなんかなくて、これまでのことを話せば、秘密を打ち明けられたことと同じになるかな、なんて思っていたのかもしれない。
「まぁ、このみさんとも最初は仲良くなかったんですのね」
「でも、今は仲良しでしょ? ふっふーん、これも私がいろいろ頑張ったおかげ……でもないか。このみちゃんと仲良くなれたのは、懸さんやワンちゃんのおかげだったなぁ。つくづく、私っていっつも誰かに助けられてるの」
「助けられて、一つ乗り越えて、気付けばしゃべる人が増えていて、その繰り返しだったかも」
「人との繋がりが、また新たな繋がりを作っている」
「そんな感じ。なんかポエムっぽいね」
「ふふ、漫画にあった文言です。いい言葉でしょう? わたくしは漫画に救われましたわね。今日もなのですよ」
「どういうこと?」
「漫画に書いてあったんです。秘密や隠しておきたいことをずっと胸の内に秘めたままじゃ、本当の友達にはなれない、と。わたくしは叶恵さんにずっとずっと家のことを話さないでいましたから、その、関係が壊れるんじゃないかって、怖くて。でも、勇気を出して言ってみて、今日で本当の友達になれた気がしますわ。漫画はやっぱり偉大ですわね!」
「あ、あはは……お嬢の一大決心はそういう訳だったのね……ところでさ、お嬢」
「はい?」
「お嬢は将来どうするの? おじいさんのお仕事は……」
「おじい様はわたくしの将来には、あまり関係を作りたくないようですわ。わたくしも、向かないと思いますから」
「そっか」
「もともと、お父様もお母様も、おじい様とは関係が薄かったのですけれど、二人とも事故で亡くなってしまいましたから。おじい様は別の人に組を継がせるようですわ。確か、オカシとかダイガシとか呼ばれている方に……」
「そ、そういうこと私に話して大丈夫?」
「あ……ふふ、二人の内緒にしていただけますか?」
なんだかそれは、彼女と自分との秘密の共有という、確固たる関係を表す絆のように思えた。
「うん、わかった。って言っても、ほとんど良く分かんなかったけどね」
しばらく、夜遅くまで話した。話して、笑って、楽しい夜だった。
ども、作者です。やっとお嬢の本名を、考えましたね(笑)




