お嬢の……お願い?
久しぶりに長い袖に腕を通した、十月の日曜日。
私は駅前のフルーツジュースが美味しいカフェで、お嬢を待っていた。
お嬢から会いたいと連絡が来たのは木曜日。
お嬢とはずっとメールでやり取りをしていたから、そんなに思わなかったけど、前にお嬢と会うのは久しぶりのことだった。
どんな話をするんだろう。
珍しくお気に入りの赤いカーディガンを着たのは、私がお嬢と会うのが思いのほか楽しみにしていたせいだったのだろう。
白と青のいかにもお嬢様然とした格好のお嬢が来たときには嬉しかった。
お嬢も、手を振りながら私のいる席までやってきた。後ろに純君を連れて。
それからしばらくして、お嬢は言った。
「っというわけで、叶恵さんのおうちにお泊りさせていただきますわ!」
ん?
んん?
んんん!?
「お、お嬢? ごめんね、ちょっと上の空になってて話聞けてなかったの。お願い、もう一回最初から言ってくれるかな?」
あまりにも意外なことで、頭の中が混乱してしまった。
というか、というわけで、と言われても。ちゃんと話を聞いていたはずなのに、最後の言葉のせいで全部の内容が吹き飛んでしまった。
聞き返すと、お嬢は文句も言わずに、さっき言ったことと全く同じことを私に伝えてくれた。
「ある日、わたくしは気付いてしまったのですわ。わたくしには、心をゆるし、気を許し、お互いの家に通い合うような仲の良い友達がおりませんの。ジュンはわたくしにとっては友人であって、それ以上でもあって、それに男の子。同性でお友達と呼べるのは、叶恵さん。あなたしかおりませんの」
お嬢は胸に手を当てて、まるで何かを宣誓するみたいに続ける。
「これではいけませんわ。いざ国を賊に乗っ取られてしまったとき、若い反乱分子クーデターを起こされて国のトップを捕えられてしまったとき、わたくしを助けてくれるようなお友達がいないじゃありませんの!」
「……お嬢、また少年漫画の影響受けちゃってる?」
私は隣の席に目を向けた。二人掛けのテーブル席に私とお嬢は向かい合って座っていて、その隣の席、通路を挟んだ隣にいる純君いた。純君は白いコーヒーカップを置いた。
「ああ。変な影響を受けちまってる」
「変とはなんですの! ジュンも叶恵さんも酷いですわっ!! 少年漫画はわたくしたちに大切なことをいつでも教えてくださいますわ」
ぷー! とお嬢が口を膨らませる。
「大切なことだけに影響を受けてくれてればいいんだけどな……」
「まぁ、悪い影響をわたくしが受けているとでもいいますの!?」
お嬢と純君がぎろりとにらみ合う。
このまま喧嘩をし始めることはないと思うけど、決していい雰囲気だとは言えない。私は二人を落ち着けるように笑いながら割って入った。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて落ち着いて……お嬢にお互いの家に行きかうようなお友達がいないってことはわかったけど、それがどうしていきなり私の家に泊まるって話しになったの?」
促すと、お嬢はぱぁと明るい顔になって、胸の前で両手の拳を握った。
「それはもちろん! わたくしは漫画の中で見たのですわ。漫画の中に出てくる女の子たちがお互いの家に泊まり合って友情を確かめ合う姿……なんて素晴らしいことなのでしょう。わたくし、大変感銘を受けましたわ!」
まるで歌うように、まるで将来を見つけた子供のように、お嬢は生き生きとしていた。
そんなお嬢に純君は鼻をふん、と鳴らした。
「単純に漫画の真似をしたくなっただけだ」
「むぅ、ジュンの言う通りですわ……でも、そんないい方しなくてもいいじゃありませんの。怒りますわよ。髪を金髪に染めますわよ」
「どんな脅しそれっ!」
これも、漫画の影響?
「それに金髪にしたら怒られるだろ」
「おじい様もお話は今はしなくたっていいでしょ」
お嬢はまたもむっとする。自分を落ち着けるようにお嬢はコップを取って、私が勧めたフルーツジュースを一口含んだ。
と、そこで。
「おじいさん? あ、そうだ。お嬢の家族はちゃんと了承してくれてるの?」
これは訊いておかないと。お嬢、もしかしたら突発的に泊まらせてほしいって言っただけの可能性もあるかもしれないし……。
そんな心配は無用だと言うように、お嬢はにっこりと笑った。
「ええ、もちろんですわ。二つ返事ではいと答えてくれましたのよ」
「へぇ、あの人が」
と、純君が言う。なんだか少し感慨深そうに、意味深に目を伏している。
あの人って言うのは、お嬢の家族、なのかな。
あ、さっき言ってたお嬢のおじいさんのこと?
「ジュン君も知っているんだ。もしかして、ジュン君は結構お嬢の家に出入りしてるの?」
「まぁ……親父もあの人の世話になってるし、俺もお嬢を見とくように頼まれてるからな……こういう奴だろ? 突発的に何かしようとしたり、どっかいなくなったり……」
「まるでわたくしが迷惑ばかりかけてるようないいようですこと……」
「迷惑かけてんだよ」
またも、純君とお嬢がにらみ合う。
「ま、まぁまぁ」
また止めつつも、内心少し羨ましかった。
二人の距離が近くて、本当に幼馴染らしくて。こんな関係に私とワンちゃんもなれたらなぁ。睨まれたら縮み上がる自信があるけど。
純君が私の方に目を向けた。
「お嬢に迷惑をかけられるだろうが……頼むぞ。まぁ、まだ泊まれると決まったわけじゃないだろうけど」
余計にお嬢を羨ましく思う。純君もお嬢のことを良く分かっていて、お嬢のことを心配していて。
親が世話になっているから、なんて言いそうだけど、本当はそんなことは関係なくて、心の底からお嬢のことを思っている。
責任重大かも……なんて。
「うちは多分大丈夫かな。お母さん、泊まるとかそういうのには寛容そうだもん。ちょっと待ってて……」
一応、お母さんに連絡するつもりで、席を立った。
お店を出て、お母さんの携帯に電話をかける。
ツーコールほど待つと電話がつながった。
「あ、お母さん? 今家にいる?」
「いるいる。どうしたの? あ、そうそう、さっき冷蔵庫見てみたんだけどね、牛乳が無くなってたみたいだからさぁ、帰りに買ってきてくれない?」
最近のお母さんは、昔と比べれば随分と元気になった。こっちに引っ越してきてから
病気もしなくなっている。
お母さんは今の仕事場が、十分な休みもくれるし、無理なペースで働く必要もないからって言っているけど、それ以外の理由もありそうだった。
なんって言ったかな? お母さんを今の仕事場に誘ってくれた、高校時代の同級生の人がいるからだと、私は推測している。その人に会えるから、仕事に行くのが楽しくて、毎日が楽しくてしかたないのだ。病は気から。気分が良くなって、体も良くなったのだろう。
まぁ、休みの日は昔と変わらない、だらだらとしたおばさんになっちゃうんだけどね。
今もきっと、ソファに寝転がりながら電話をしているに違いない。
「うん、わかった。でさ、こっちからも訊いていい?」
「ん? なによ」
「今ね、友達と会ってるんだけどね、その子が今日うちに泊まりたいって言ってるんだけど、いい?」
「マジ?」
お母さんの驚きが、声を通じて伝わってきた。
「……だめ?」
「いいに、決まってんでしょ! そっか~、叶恵が友達を泊めたいなんてねぇ~。初めてじゃない? そういうの」
「そうだっけ?」
友達の家に泊まったことは、小学校の頃にはあったかな。
言われてみれば、誰かを泊めるって言ったのは、初めてな気がする。
「そうよそうよ。中学の頃は苦労かけてばっかだったし……お泊りは思春期のうちに夜通しお互いのことを語り合う、青春ねぇ~。お母さんもしたわねぇ。あのころはお母さんも若かった、今でも十分に若いと思ってるけど~」
「その話はまた今度でいいよ」
話が長くなりそうだから、カット。
「あら、そう?」
「じゃあ、その子連れていくね。あ、言っとくけど、女の子だから」
「はいはい。分かってるわよ。男の子ならお母さんのいない間にこっそりと連れて来るでしょ?」
一瞬、どきりと胸が高鳴った。
「しないってそんなこと……」
お母さんは私をなんだと思っているんだろう。別に、そんなの今は……。
ない、と思うけど……その内……わん……いやいや、やっぱ当分はなし。
今はそんなことより、お嬢を連れて帰ることに集中。
「あ、そうだ。お母さんも夜に出かけることにするわ。二人っきりでいた方がいいでしょ?」
「そんなに気を使わなくたっていいよ」
「いいのいいの。お母さんもいい機会だから」
「いい機会?」
「ははは。ま、それは置いといて、ちゃんと連れて来なさいよ。掃除もしておくし、あ、ご飯はどうする? お母さんが作って……」
「それは遠慮させて。友達の舌を麻痺させる気?」
お母さん、料理が下手なんだ。絶望的なくらいに。
お嬢はただでさえお嬢様なんだから。きっと毎日いい物を食べているはずで、舌も肥えていると思う。
お嬢にお母さんの料理を食べさせたら、トラウマものになりかねない。
私の料理もそんなに美味しいって訳じゃないと思うけど、お母さんよりはマシだ。
「……分かったわ。お友達と二人で作るなんてどう?」
「それいいかも」
「ついでに買い物もしときなさいね。後で冷蔵庫に入ってるもの写して送っとくから」
「うん、ありがと、お母さん」
「いいえ。あ、ごめんね叶恵、お友達を待たせているでしょう? 長話し過ぎちゃいそうだから早く戻ってあげなさい」
「はーい。じゃ、また後でね」
「帰ってくるまでは待っておくわね~」
電話が切れた。よし、これで一旦は大丈夫だ。
私は急いでお店の席まで戻った。
「お待たせ。オッケーだって」
私が帰って来て言うと、お嬢は手を叩いて喜んだ。
「まぁ! さすがは叶恵さんのお母様。お話が良く分かるお方ですわね」
「よし。じゃあ、お嬢を頼むぞ」
純君も口元に笑みを湛えて立ち上がりながらそう言った。
「うん。任せて!」
純君もきっと心配だと思うけど、ここはどんと私に任せてほしい。
そんな気持ちを込めて、親指を立てて答えてみせた。
「……ああ、任せる」
「……?」
お嬢はきょとんとしている。いったい何の話をしているのか分からない、というような顔をしたまま、私と純君の交互に視線を巡らせていた。
そうしているうちに、純君はじゃあ、とお店を出て行った。
それを見送って、お嬢と私は再び向き合った。
「さ、邪魔者もいなくなりましたわね」
「じゃ、邪魔者って……ジュン君はただお嬢のことを心配していただけだよ」
お嬢がむっとむくれて、コップのストローに口を付けた。
フルーツジュースはもう半分くらいまで減っていた。
「心配し過ぎですの。わたくしだってもう十分に成長しましたもの。それなのに小さいころからずっとあの調子で……」
「あはは……」
まぁ、お嬢の幼馴染だったら、私も心配しちゃうかも。
言ったら怒らせそうだから、黙っておくけどね。
私もフルーツジュースを口に含む。スマホを起動して、時間を見てみれば、十四時過ぎ。今から帰ってもちょっと退屈かもしれないなぁ。
これからどうするか、ちょっと話をしておいた方がいい……。
ばん、と急にテーブルが叩かれた。
前を見てみると、氷だけが残ったジュースのコップの両脇に手をついて、お嬢が立ち上がっていた。
「こんなことをしていては日が暮れてしまいますわ。さ、行きましょう叶恵さん」
お嬢の顔は燦然と輝いている。
けど……。
「行くってどこに?」
あまりにも唐突なことに、私はさっぱりだ。
「決まっていますわ! 叶恵さんのお友達に会いに行きますわよっ!!」
え!? ちょ、ちょっと待って! なんでいきなりそんな話になるのっ!? 唐突すぎないお嬢っ!!
私はぽかんと口を開きながらお嬢を見上げていた。
お嬢は私を見下ろして、にこにこと笑う。その笑みは無邪気で、無計画で、無頓着だった。
これからいったいどうなるのだろう。
十月の日曜日。何かがまた起こりそうな、少し肌寒い日だった。
ども、作者です。今回からはお嬢回ですね。一つ一つの話が短いと思いますが、まぁ、そういうもんです。




