懸さんと真虎くんの・・・・・・因縁?
しばらく、私はその場に立ち尽くしていた。追いかけなくちゃ。とっさにそう思う。でも、追いかけたところで、謝ったところで、何も解決しやしない。
今ワンちゃんに謝ったって、ワンちゃんに私の考えが分かってもらえるわけじゃない。そう思ってしまうと、足が重く、動かないし、謝ろうと思っていた気持ちも霞んでしまう。
頭がやけに熱い。体育館と逆側の、風に揺らされる草地を見ると、私の頭が、体育館の陰からひょっこりとはみ出していた。
私はため息を吐きながらしゃがみ込んだ。影の中は涼しい。髪の毛も頭皮も、それから頭の中までもひんやりと冷やされていく。
私、今から何をすればいいのかな?
ほっぺをぎゅっと両手で押さえながら考える。やっぱり、謝る? いや、それは無駄なこと。また、同じことを言われてしまったら、次もまた怒鳴るかもしれない。同じことの繰り返しだ。
ただでさえ、真虎君について悩んでいたのに、新しい悩みの種ができてしまった。私は、真虎君ともワンちゃんとも、仲良くしたい。それに、二人も含めて、みんなと仲良くできたら最高なのに。
ともかく、分かっているのはここにじっとしたままで、何かができる訳じゃないってことぐらい。立ち上がると、ピンと張ったひざの裏が少し痛む。けれど、気にするようなことじゃないから、そのまま教室に向かって歩き出した。
休憩時間は残り五分。それでも、廊下は散々な大騒ぎだ。「パンの恨み」「お前、俺の焼きそばパンを返せ!」と学ランを翻して乱闘をしている人もいた。みんな血の気が多いよぉ。明るいというか物騒な声を避けるように、耳を塞いで歩みを進める。
喧騒を潜り抜けるように歩いて、教室へと続く階段へ向かう。階段を駆け上り、踊り場まで到達すると、手の甲を震わせていた、殴るような声がかなり遠のいていた。階下と違い、二階の方は静かみたい。
ほっとして、両手を耳から離す。
「お前、どの面さげて来やがった」
両方の耳は、掌の作る窮屈な空洞からやっと解放されたせいか、過敏に、階上の重々しい声を拾う。
言葉と声音から、その人が誰で、どんな感情を孕んでいるのか、すぐにわかった。嫌な予感が私に残りの階段も一気に駆け上がらせた。
階段から見える位置に声の主はいなかった。その先の左右のどちらかにその人はいる。きっと、もう一人も、いるはず。確信めいた予感。でも、違って欲しい、ただの思い違いであって欲しいと思っていた。
「どんなでもいいし。それに、学校に来るのは学生として当然だし」
なのに、最後の一段を登りきる前に、ここにいると予感した、真虎君の声が聞こえてきた。さっきの重々しい声とは違う、気だるそうな脱力し切った声だ。
二階に上がり、右の方を見てみれば人だかりができていた。やじ馬、というには、固まっている人達は声も出さずに、ぴりぴりとした雰囲気を纏っていた。
人だかりにわずかな隙間を見つけた。そこからなら、その中央にいる二人の姿が見える。真虎君と、坊主頭が人だかりからひょっこりの飛び出している。懸さんだ。
「テメェのせいで……アイツは、丈は……」
懸さんは私の方に背を向け、咎めるような鋭い、でも悲しそうな沈んだ声で、彼の前に立つ真虎君に話しかける。
「僕のせい? 違うし。あいつが勝手に逃げ出したんだし」
真虎君は悪びれていないように、いつもの飄々とした態度で答える。一体、なんの話をしているのか、詳しいことは分からない。私の知らない、私のいなかったときのことを言及しているのだろう。
「原因はテメェだろ。元を辿ればテメェの「復讐」が原因だろうが」
ぞわり、と背筋が冷えた。復讐って、何? いや、言葉の意味自体は分かっているけど……それを、真虎君がしたって、こと? それが私の知らない、私のいない間に起こっていたこと?
近づきたい。そう思った。二人に、そして、私の知らない真実に。
躊躇わずに私は人だかりに割り込んだ。私の細い体でもうまくすり抜けることはできず、「ごめんなさい、通してください」と声を上げた。
その声に、二人は気付き、私の方に顔を向けた。
「叶恵ちゃん……」
懸さんはいつものような底なしの元気な声を出してくれなかった。なんだか、不味い場面でも見られてしまったかのような、苦い顔をしている。
私が懸さんの知り合いだと分かってか、私の傍にいた人達が、すっと離れ、道を開けてくれた。
「どうしたの、叶恵?」
真虎君が私の名前を呼ぶ。すると懸さんが目を丸くして真虎君の方に向き直る。
「お前、なんで叶恵ちゃんのことを!?」
「だって、同じクラスだし……」
それに、と続け、真虎君は不敵に笑って告げる。
「僕達、付き合ってるし」
ガーーーーン!!! という音が聞こえた気がした。懸さんは後ずさり、ぷるぷると震えながら、真ん丸な目に、点になったような、それこそ漫画の一点で描かれたみたいな瞳を私に向け、それから真虎君に戻す。それを二、三回繰り返した。そ、そんなオーバーなリアクションしなくとも……。
さらに、崩れ落ちるように懸さんは膝を付き、
「本当に、付き合ってるの?」
と私に聞いた。
「う、うん」
一応、肯定する。すると懸さんはがっくりと手を付いて、床をがんがんと叩き始めた。もしかして、言わない方が、よかった?
「そんな、そんな……まさか、こんなノーマークの奴に、俺のぉ……俺の青春がぁ……」
本気で悔しがっているみたい。懸さんのそんな姿を見て、さっきまでうんともすんとも言わなかった人だかりが、ざわめき出した。今、気付いたのだけど、ここにいる人達はみんな、前に一度会っている人ばかりだ。私とワンちゃんがエリーゼ公園に行ったときにいた、懸さんを慕っている人達だ。下中君もいて、わなわなと口を動かしている。そして、視界の端にこのみちゃんもいて、はぁ、とため息を吐いていた。
「残念だし。君の青春、僕の物だし」
茶化すように真虎君が懸さんに言う。そんな、追い打ちをかけるみたいなこと、言わなくたって……。
と、少し懸さんのことを心配していたが、懸さんは急にむくり、と立ち上がった。よかった、そんなにショックは受けていないみた……
「いや!! まだだ!! まだ終わっていなーーーい!! 絶対に、絶対に俺に惚れ直させて見せるからなあああああああ!!!」
懸さんは私の方を見てから、私の横をすり抜けて、さっさと走って行ってしまった。懸さんの顔をちらっとみたけど、目には、うっすらと涙を浮かべていたように見えた。
まるで逃げるみたいに走っていった懸さんを他の人達も「待ってください!!」と追いかけて行く。みんな男の子ばかりで、懸さんの仲間の女の子たちは、ぞろぞろと逆方向に歩いて行った。多分、教室に帰って行くのだろう。その後姿は、どこか呆れているようで、特にこのみちゃんは一段とうんざりしているようだ。そんな彼女が去り際に、もう一度私の方をみて、むっ、と口を膨らませた。
ま、また、なにか気に障ること……しているんだろうね。
はぁ、と私もため息を吐いた。このみちゃんにも後できちんと説明をしないと。でも、またワンちゃんみたいに理解してもらえなかったら? そう考えると、なんだか話しにくくて、肩の荷が重くなる。
「どうしてため息を吐くし」
真虎君が、私に話しかける。周りをみると、もうここには私と彼以外には誰もいなかった。
「別に、なんでもないよ」
できるだけ、穏やかな口調で私は返した。
「ふ~~ん、そう」
真虎君は訝しそうに、眼鏡の奥の眼を細くする。眠たいときの猫みたいな目。
「ねぇ……」
昔、何があったの? そう、聞こうとした。でも、なんだか聞きづらい。「復讐」。そう聞いて、昔の思い出が良い物だったなんて、想像することは無理だ。それが原因で不登校になっていたのだったら、聞くなんて失礼だし、私だったら、言いたくないことに違いはない。
「何?」
「……ううん、なんでもない」
尋ねることを私はあきらめた。ちょうどその時チャイムが鳴った。
「あ、教室に戻らなくっちゃ」
授業、すぐに始まっちゃうかも。教室に戻れば、このみちゃんも、それにワンちゃんもいるだろう。そう思うと足が重たくなる。でも、授業にはちゃんとでなくっちゃ。歩みを進め、真虎君の隣に立つ。真虎君は動いていない。
「どうしたの? 早く教室戻らないと」
真虎君は、くるり、と身を翻すが、私が一歩踏み出しても、彼は動こうとしなかった。
「?」
首をかしげる私に、真虎君は手を差しだした。
「なに?」
いったいどういう意味なの? 彼の真意が分からず、問いかける。
「手、繋いでくれなきゃ、僕教室にいかないし」
つまり、私に手を取ってもらって、エスコートしてほしい、ってこと? はぁ、やっぱり真虎君ってなんか変。普通逆じゃない?
まぁ、でも、仕方ないか。そうしてあげないと教室に戻らないのなら……。真虎君の手に、自分の手を差しだす。
「何?」
しかし、私は彼の手を取ることができなかった。触れる直前に、私は止めたのだった。真虎君は急に手を止めた私に、疑問の眼を向けている。
手を止めたのは、ワンちゃんの「同情」という言葉を思い出したからだ。今、私がやっていることは、真虎君に学校に来てもらおうと付き合うことを承諾したときとまったく同じだ。今、私は彼に教室に戻って欲しい、そうすることが正しいと信じているから、私のこと、私の感情なんて顧みずに、彼の手を取ろうとしている。
でも、本当のことを言えば嫌だ。私は真虎君に好きという感情をちっとも向けてはいない。それなのに付き合ったのも、彼のため、自己犠牲でも正しいと思ったからこそ、やったことだ。
それをワンちゃんは「同情」と言った。確かにそう。本当なら、手をつなぐのも、恋人になるのも、真虎君じゃなくてワンちゃんの方がいい。それでも、彼のためなら、真虎君のためなら、と自分の感情を押し殺している。
本当にいいの? その気持ちを押し殺してしまって本当に構わないの、私? 手を繋いで、教室に戻れば、みんなに見られる。このみちゃんにも、ワンちゃんにも。想像する。その様子を受け入れるのは、嫌だというのが、答えとして湧き上がってきた私の感情だった。
自問自答して、突然に手を引っ込めてしまった。正しいと、思えなかったから。
そうやって悩んでいる私は、そのままの体勢でじっと動きを止めてしまっていた。私を見て、真虎君は「ふん」と鼻を鳴らした。
「もたもたしてたら、本当に授業始まっちゃうし」
そう言って、彼も手を引き、私の横を通り過ぎた。
「僕は先に行く」
真虎君は先に教室の方へ歩き出した。まるで猫みたいな気分屋だ。私には彼の考えていることがちっとも分からない。でも、私は手を繋がないでも教室に戻ってくれている彼の後姿に、ほっと胸を撫で下ろしていた。手を繋がれるのを見られなかったこと、そして、私の感情に無理をしなくても良かった、という安心感が、胸の奥にどん、と座り込むようにある。
だけど、本当にそれで良かったのかな? とも思うのだった。
今日一日、とても長かったように思う。午後は教室中に陽射しが入り込んで、午前中以上に暑かったから、授業にちっとも集中できなかった。それもそう感じた理由かもしれない。それに、ワンちゃんが後ろにいると思うと、なんだか落ち着かなかった。
授業の間中、彼は私のことを今どう思っていたのだろうか。ワンちゃんは私に、自分の気持ちに素直になって欲しいと、思っていたのだろうか?
真虎君を一人ぼっちにさせたくない。彼の未来のためにも、私ができることをやってあげたいというのも、私の感情の一つだ。
だけど、それでこんなに、ワンちゃんとの仲が悪くなってしまうのも嫌だった。背中を向けている先には、ワンちゃんがいた。両手を広げるほども大きくない扉分のスペースが開かれているだけで、そんなに離れていないのに、振り返って話しかけても声が届かないような、とんでもない距離が離れてしまっているように思えていた。
ワンちゃんとも仲良くしていたい。むしろ付き合っていたいのは彼。それなのに……。私は今、真虎君と付き合うことになってしまっている。真虎君の、ために。
私、どうすればいいの? 真虎君の手助けをしたいという感情も、ワンちゃんが好きだと言う感情も、両方ちゃんとした私の気持ち。その両方を取ろうとするのは、わがまま過ぎるし、それは不可能なんだと、今日のことではっきりと分かった。
真虎君も、そう簡単に他の人達と仲良くなる様子はない。それだけに、私がなんとかしなくちゃと、責任を感じてしまう。
私、本当にどうすればいいんだろう。
いつまでも堂々巡りをする悩みを抱え、家に帰っても私はうんうんと唸りながら、長い長い一晩を過ごした。
ども、作者です。よし、木曜更新できた。




