湯川君と学校と……不機嫌?
湯川君と会った次の日。天気は今日も晴れ、暑さも昨日と同じ位、むしろ肌をじりじりと焼き付ける日光や、温められた空気から察するに、気温は上昇しているっぽい。
「……はぁ」
今日も今日とてぐったりとしているけれど、暑さばかりが理由じゃない。むしろ、もう一つの理由の方が重い不安となっている。
もう一つの理由とは、湯川君のことだ。あんなことを承諾してしまって、大丈夫なのかな。う~ん、付き合うだなんて、あんなに簡単に言っちゃって……、もちろん、私が好きなのはワンちゃんなんだけど、あの時はああする以外に方法は無かったわけで、それにきっとそんな本気な訳もないだろうし……でも、なんだかやけに気になってしまう。どうして、あんなことを学校に来る条件にしたのかな。
考えても仕方ない……か。学校に行けば湯川君に会えるだろうし……、実際に聞いてみればいいじゃない。と、頑張ってみようと思うのだけれど、なんだか暑さが逆に気になるようになってしきた。うへぇ、たまには涼しくなってちょうだいよぉ……。
いつもの苦しすぎる坂を登り切り、教室に到着。自分の席から教室をぐるりと一通り眺めてみるけど、まだ湯川君は来ていないみたい。う~ん、本当にちゃんと来てくれるのかなぁ。約束をしたのに本当は来ないんじゃないかって、ついつい不安になってしまう。だって、あの性格なんだもん、疑うのも無理はないと……思う。我ながら、クラス委員長にはそぐわないことを考えていると自覚する。これじゃ、人のこと言えないよね。
がらっ、と私の後ろのドアが開いた。
もしかして、湯川君!? 時間はチャイムがなるまでほぼ一分前でギリギリだ。期待をして振り返って見てみると、そこに立っていたのはワンちゃんだった。
「あ……」
ワンちゃんと目が合う。いつもならすぐに挨拶をしていたんだろうけど、今日は湯川君が来てくれることを期待していたせいか、一瞬だけ妙な間ができてしまった。
「お、おはよう、ワンちゃん」
やっと喉から出てきた声は絞り出すように細く裏返ってしまっているものだった。
「……ああ」
そんな私の様子にワンちゃんは気付いていないのか、相変わらずの薄いリアクションを示す。
ワンちゃんが席に着く。そうだ、昨日のことワンちゃんに一応言っておいた方がいいかも。男の子だし、ああいう場で付き合うことを条件に出す心情ももしかしたら分かるかも……ワンちゃんはそんなことしないだろうけどね。
と、逡巡している間にチャイムが鳴った。今日の先生は妙に早くって、チャイムが鳴り終えると同時に教室前方のドアからいつもの人懐っこい小動物のような微笑を浮かべながら入って来た。……湯川君はもちろんまだ来ていない。このままじゃ遅刻だよ……もしかして、やっぱり来ないんじゃないかなぁ。
「は~い、おはようございま~す。じゃあ、出席を……」
先生も教室を見回したときに、湯川君の姿が無いと気が付いたみたい。ちょっとだけ言葉が詰まっていた。それから、私の方に目を向けて、仕方がない、と言っているような、私を慰めてくれているらしい優しい表情をした。
はぁ……失敗、かぁ。残念な結果に落ち込んでしまう。一人でうまくやって、いいところをワンちゃんに見せたかったのになぁ。机のしたでつま先を立てていじいじと地面に円を描く。そうしたところで、何にもならなんだけど……。
窓もドアも開け放された教室を冷たい風がさらさらと通過する。陽射しは強くて熱いけれど、風だけは心地いい。耳をすませば、先生の声と風に揺れる木々の葉擦れの音と、ペタペタと廊下を誰かが歩いてきている音が聞こえた。……ん? 足音? それは遠くからどんどん近づいて来ていた。
「えーと、今日の欠席も……」
先生がそう言ったちょうどその時、足音は私の後ろの、開けっ放しの教室のドアの前で止まった。
「……来てやったし」
声を聞いてすぐに私は振り返った。色の落ちたような真っ白い髪と肌。だらしなくカッターシャツの裾はズボンから出してあって、ズボンの裾は長く、足元を隠していた。制服姿の湯川君だった。言ってはなんだけど、湯川君の白さと制服の黒が混同してる姿は、さながらオセロのコマみたいだ。
「あ、湯川君~、来てくれたのね~」
先生が嬉しそうに言うと、クラスのみんなが、私の後ろに立つ湯川君の方に顔を向けた。
「……湯川が、どうして……」
「なんであいつが……」
「嘘でしょ……」
クラス中がざわついた。みんなの口々に出てくる言葉は好意的なものを一切感じさせないものばかり。それに対して湯川君も不快感を示しているようなそぶりは全く見せてはいなかった。
「先生、僕の席どこ?」
ふてぶてしく彼は言う。先生がそれに答えて、湯川君は自分の席の方へと向かった。教室の真ん中あたりにある席だった。
その席に向かうまでも誰もが彼の姿を見ていた。その視線には歓迎の色もクラスの一員がやっと来てくれたことを喜ぶようなものではなく、ここにいることを咎めるような睨みつける視線や、彼がここにいることがまるで事実ではないように思っているような困惑の色を宿した目ばかりだった。
みんな、湯川君を拒絶している。痛いほどにそれがよく分かってしまう。それを見ている私でさえも、胸が締め付けられるような痛みを感じるほど、むき出しにされた敵意を彼は向けられている。湯川君がこれまで学校に来なかったのは、こんな気持ちの良くない感情ばかりを向けられることを避けたかったからじゃないかと思う。湯川君が不登校になった理由はほかでもない、周りが誰も彼を受け入れていないことなんじゃないだろうか。
ワンちゃんはどうなの? とっさにそう思い、唯一私の死角になっているワンちゃんの様子を見るために後ろを振り向いた。
「……」
ワンちゃんは特に気に留めたような素振りは全く見せず、いつも通りに机の上に突っ伏して居眠りをしているようだった。私はほっと胸を撫で下ろす。
湯川君の性格は、あまりいいとは言い難い。だからといって、あんな風にみんなが彼を受け入れないだなんて、ちょっとショックだった。ワンちゃんのそんな姿を見たくはなかったから、それだけは安心だった。
朝のホームルームは重々しい空気が漂い続けていた。終わった後もみんなの悪口や嫌悪の視線はずっと湯川君に注がれ続けていた。湯川君はそれを意に介していないように、授業をだるそうに聞き流しているみたいだった。けれど、心のどこかではきっと気にしているに違いない。でも、どうしてみんなあんな態度を取り続けるんだろう……。何かが、あったのかもしれない。私のいなかった時に。
何があったのかは頭の中で考えていたってどうしようもないから、私は昼休憩になるまで胸に一抹の不安を抱えながら待つことにした。
昼休憩になり、すぐに教室の外に出て行くワンちゃんを追いかけて、いつもの体育館裏に向かった。ワンちゃんも私が付いて来てるのには気づいているようだったけど、いつもの場所に着くまでは二人とも言葉を交わすことはないし、足を止めることもなかった。
「あいつが来たの、叶恵のおかげだろ?」
重い口をやっと開いたのは、二人で隣り合って座った時だった。
「うん。みんなは気付いてないけどね……でも、気付いてもらわなくったって、私は全然かまわないよ」
偉い顔したくてあんなことしたわけじゃないからね。
「ねぇ、ワンちゃん。一つ聞いていいかな?」
「……ああ」
「私が来る前に湯川君には何があったの?」
「……」
「なんだか、クラスのみんなが嫌っているみたいで……何か理由があるんじゃないかって思うんだけど……」
きっと何かがあったに違いない。そうじゃないとあんなに誰かをみんなが嫌うなんて、ありえないだろうから、ワンちゃんなら、何か知っているかもしれない。
私の問いに、ワンちゃんは口を噤む。受け答えに困っている風ではなかった。
「……出来事については詳しくは知らない。知っているのはあいつがただの卑怯者だってことだけだ」
「卑怯……者?」
それっていったいどういうことなんだろう。まぁ、性格上そんな気はしないでもないけど。でも、だからこそ何があったのかが余計に気になる。
「ワンちゃん。ちゃんとした情報じゃなくていい、ほんの小さなことでもいいから、湯川君のことを私に教えて!」
と、ワンちゃんに向かって言ったときだった。
「僕のことは、そのうち僕が教えてあげるし」
と、後ろの方から下声で振り向くけれど、人の姿はない。でも、人がいるとすればちょうど犬走りの角の、体育館の陰だろう。ちょうど、ここからは死角になっている場所だ。
「湯川……君?」
呼ぶと、ひょっこりと姿を現した。ふわりと肩まで伸びた髪と制服の裾が揺らめく。
「探したよ、叶恵」
「どうして、ここに?」
「どうしてって、普通に探して見つけただけだし……って言うか、湯川君って呼び方よそよそしいし。真虎が良い」
「え……? あ、うん……ごめん、真虎……君」
なんだか変だ。昨日と違って、真虎君がなんだか素直だ。嫌味っぽい言葉が返ってくるんじゃないかって思っていたのに意外だ。
「……うん、やっぱりそっちの方がいいし、付き合ってるんだし、それっぽくしていないとね」
ざ、と靴と地面がすれる音が聞こえた。首を回してワンちゃんを見てみると、ワンちゃんが立ち上がっていた。
「……本当か、それ」
ワンちゃんが私を見下ろしながら言う。見下ろす目は落ち着いているようで、いつもの冷静そうな目だった。
「えっと……その……」
口をまごまごさせてしまう。わざと言ってなかったわけじゃない。だけど、面と向かって告げるようなことでもないとも思っていた。それに、こんな風にワンちゃんの前で真虎君が「付き合ってる」と言うなんて思ってなかった。
「あれ、まだ彼には言っていないの?」
追い打ちをかけるように、真虎君が私の傍に立った。
「そ、そうだけど……」
「じゃあ、改めて言うよ。僕達付き合ってるし」
そう言って、私の肩に細い腕が当たる。そして背中の方に引かれ、私は後ろの方に倒れかかる。は湯川君の胸にぽん、と後頭部が触れる。肩の上から鎖骨の辺りに回された腕にぎゅっ、と抱きかかえられる。真虎君に後ろから抱きしめられていた。
鼻に香る真虎君の匂い。男の子らしくない、甘いシトラスを思わせる匂いだった。でも、私の心は決して安らがない。募る感情は嫌悪ばっかりだった。でも、それでも振り払うことなんてできなかった。力が強いわけじゃない。男の子にしては力は弱い方だと思う。私でも振りほどけそうに抱きしめられている。でも、振り払えない。それはできない。そしたら真虎君、また一人ぼっちになっちゃうから。学校にいられなくなりそう気がするからだ。そうなれば、昨日のことも全部無駄になる。それも嫌だった。
私が言葉を詰まらせている間に、立ち上がったワンちゃんが鋭い眼光を真虎君に向けていた。教室でのみんなと同じ目をしている。
「テメェ……何をたくらんでやがる」
ワンちゃんの手がぐっと強く握られ、硬い拳を作り上げる、それに、真虎君も気が付いたのか、ふっと私から離れた。
「たくらむ、なんて人聞き悪いし……何、その手は? 僕を殴ろうって言うの? ほんと、君たちはすぐに暴力に訴える。野蛮人だし」
なだめるつもりなんてさらさらない、挑発のような言葉だった。嫌味ったらしい言葉の意味を理解したのか、ワンちゃんは舌打ちをして、拳を解いた。
「あー、怖い。叶恵、嫉妬深いことを言うつもりじゃないんだけど、友達は選んだ方がいいよ」
足音が離れていく。振り返りはしなかったけど、真虎君が去って行ったことが分かった。友達を選べって……そんな、ワンちゃんは真虎君が思うような悪い人なんかじゃない……。
真虎君の捨て台詞のせいか、どうにもばつが悪く、黙りこくってしまう。ざっ、と上履きでコンクリートを撫でる音、ワンちゃんが動いた足音がする。目の前に立っていたワンちゃんが、私の横にいた。
「……本当に、アイツと付き合っているのか?」
重たい声音だ。それに押しつぶされるみたいに頷く。
「どうしてあんな奴と」
怒っている。彼の声を聞くだけで私は責め立てられているんだ。胸に靄が広がるようで、不快な気分がする。どうしてと言いたいのは私の方なのに。
「だって、付き合ったら学校に来てくれるって言ったから」
「そんな理由でか?」
「そう、だけど」
私の答えにワンちゃんは深くため息を吐いた。馬鹿にされている。顔や目は思った以上に心を映し出すと、小説や何かでよく言われる。まさにその通りで、呆れかえったように私を横目で見ている彼の表情が私を馬鹿にしていた。
「だって、そうしなくちゃ真虎君は学校に来てくれなかったんだよ。大事な第一歩を踏み出してくれないと、私もこれ以上真虎君になにもしてあげられないんだよ」
実際に真虎君は学校に来てくれた。遅刻してはいたけど、それだけでも彼にとっては重要なことなのに……分からないの?
「それで、お前は納得してるのか?」
「納得?」
「あいつと付き合うことに」
それは……真虎君だって私なんかきっと好きともなんとも思っていないだろうし、私は彼には似合わないって思ってる。私よりもいい人なんてたくさんいるだろうし、真虎君も好みの女の子を見つければ、私との約束なんてほっぽりだして他の子と付き合ってくれるだろうと……思っている。
「……」
でも、納得をしているか、と言われると、明確な答えなんて出せなかった。口を噤んでワンちゃんを見る。鋭い目は私を咎めるように、そして、私の不明瞭な心を見透かしているみたいに、私を映していた。瞳に映った私の顔はまるで迷子の子供みたいに、不安そうだ。
「してないんだろう?」
「でも、真虎君のためだもん……」
私はもう決心したから。誰かのためになることをする。その為だったら……。でも、もしも、真虎君とこのままずっと付き合うことになったら? 考えてもしていなかった。そんなことに、今更気づかされた。
ワンちゃんはまたため息を吐いた。さっきと同じ、見てる私を不愉快にするため息だ。
「誰かのためなら、自己犠牲だって構わないか?」
自分だってそうしてきた癖に。私を助けるために、ワンちゃんだってかなりの危険を冒してくれた。誰かを助けたり、誰かのために何かをするのって、リスクを背負わなくっちゃいけないって、私は教えてもらった。ワンちゃんが私を助けてくれたときの、あの大きな背中から。
「……それが、真虎君のためなら」
私の決意は固い。例えワンちゃんだって、違うって言ってもらいたくないの。私もワンちゃんに負けじと目元に力を入れて彼を見返した。お願い、私の気持ち、分かって。
でも、ワンちゃんの反応はこれまでと全く同じだった。また、ため息。それから、諭す様な口調で私に問いかけた。
「叶恵。お前のやろうとしていることは、本当に真虎のためなのか?」
それは……どういうこと?
「お前が無理して付き合ったって、本当にアイツのためになんてなるわけがない。お前のためにもならない。今のお前はアイツにただ利用されているだけだ」
間違っている。私は正しくないことをしている。ワンちゃんは私にそう教えようとしてくれている。だけど……、だけど!
「アイツの態度、見ただろう? 性格の悪さそのままがよく分かる」
「そんなことない!!」
煮え切ったお腹の中から沸騰した上気みたいな大声が口から飛び出した。嫌だ。私が否定されていることがじゃない。
「どうして、どうしてそんなこと言うの!? ワンちゃんも、みんなも、真虎君のことを酷く言い過ぎだよ!」
真虎君の性格が良くないことは、私だって分かってる。でも、周りがみんな彼を嫌ったら、誰も理解しようとしなかったら、行きつく先は一人ぼっちだ。
「私には昔に何があったかなんてちっともわからない。でも、みんながそのことをいつまでも根に持って毛嫌いするから、真虎君はいつまでも一人ぼっちなんじゃないの?」
そんなの寂しすぎる。一人ぼっちで、誰も頼れなくて、理解しようとしてくれる人もいない。孤独は地獄。私にはワンちゃんがいてくれたけど、真虎君にはいない。
「だから、私は真虎君の今の状態を変えてあげたいの!」
私に、ワンちゃんがしてくれたこと。それと同じことをしてあげようとしているだけなのに、どうして、ワンちゃんは分かってくれないの?
「それだって、あいつが望んでいることか?」
「真虎君がそう言ったから、付き合ったんだもん」
「同情だけで付き合ったのか?」
言われたことがずしりと重い。言葉が詰まってしまう。図星だった。それだけでも頭の中が真っ白になってしまうのは、最も言われたくない言葉だったから。
「そんなのが、アイツのためになるのか? お前のためでもないだろう?」
「……もういいよ! ワンちゃんは放っておいてよ!!!」
ふわり、と風が頬を撫でた。冷たかった。冷たい風は私の怒鳴り声をさらって行ったみたいで、しん、と静まり返った。
私、怒鳴った。どうしようもなくて、言われたことに反論できなくて、つい、カッとなって……。
怒鳴った後は妙に頭の中が冷静になる。謝らなくちゃ。こんなこと言いたいわけじゃなかった。でも、もう遅かった。
ワンちゃんはもういなかった。足音が遠ざかる。振り向いた時にはここに私以外の誰かがいたなんて嘘だったみたいに、誰の姿も見えなかった。
ども、作者です。あ、金曜更新じゃなかった、ということをさっき思い出しました。話しの展開的には少しシリアス目な感じを目指しているのがこの章です。来週は木曜に更新します。




