不登校の……湯川真虎君?
放課後、私は先生が運転する白の車に乗っていた。先生は前をしっかりと見ながらも、助手席の私に説明をしてくれている。
「湯川真虎君?」
「そう。去年の冬位からだったかな~。全然学校に来てくれなくて、一応一年生の頃は進級に必要な日数分の出席はしていたから二年生にはなれたんだけどね~、今年もこの調子だと留年しそうなのよ~」
先生はスローペースで話すけれど、車のスピードはぐんぐん上昇していて、風景があっという間に変化していく。学校周辺の住宅街からはすでに離れていて、家がぽつんぽつんとある程度の、田んぼや畑の多い田舎の風景のど真ん中を走っている。
「中学生の頃にお母さんを亡くしてて、今はお父さんと二人暮らしみたいなの~。お父さんもあまり子供にかかってあげられないみたいで~」
「はぁ……」
不登校になったのは、家族関係の問題、なのかな? だとしたら、あまり力に慣れないのだけれど……。
「彼もうちの学校ではあまり見ないタイプの子だから、叶恵ちゃんとなら仲良くなれるかもね~」
あまり見ないタイプってことはつまり、普通の子ってことかな? それなら仲良くなれるかも。十分に期待に応えられそうだ。
「さ、ここが湯川君の家よ」
車が停まったのは、見た目の真新しい、白壁の二階建て住宅だった。こんな、というと失礼かもしれないけど、ここには田舎らしい築何十年も経っていそうな古ぼけた家が多く、この家だけがかなり浮いている。
私も先生の後を追うように下車した。田舎らしく、涼しげで土っぽい匂いが鼻孔をくすぐる。家の様子を見てみると、真正面から見える窓のすべてに内側からカーテンが掛けられており、中の様子はちっともわからない。ここに今も人がいるだなんて思えないくらいの静けさだ。
「今も、湯川君はここにいるんですよね?」
「大丈夫よ。お父さんに聞いて見たら引きこもりだから家を出ることは滅多にないって」
安心していいのか、それはそれで不安になった方がいいような返答だった。
「それじゃあ、いっちょ乗り込みますか」
の、乗り込むって先生……引きこもりを連れ出す更生施設の人じゃないんだから。
と、先生が意気込んでいると、ケータイ電話の着信が鳴った。子供向け番組のお兄さんとお姉さんが大口を開けて歌っているのが想像できる明るい曲。私の着信じゃないよ。すぐに先生が手に持った鞄の中から電話を取り出した。
「あら~? ダーリンからだわ~。ごめん、ちょっと待ってて~」
先生が電話に出る。
「もしもし? どうしたの~? えっ!? ちょっと待って……」
先生は電話を耳元からはずし、私の方を見た。
「ごめんね、叶恵ちゃん。ちょっと子供が熱出しちゃったみたいで~、ダーリンがどう対処したらいいかってテンパってるの~」
子供が大変だっていうのに、先生は笑顔のままでのんびりと言う。
「は、はぁ……」
「だからね、ちょっと指示を出してるから、先に湯川君の家に入っといて」
「え!? 私一人で!」
「ごめんね~、すぐに終わらせるから~、あ、でも待ってると時間無駄にしちゃいそうだし、もしかしたら生徒同士の方が話しやすいこともあるかもしれないから、お願い!」
そ、そう言われると……ま、まぁ、仕方ないか。
「分かりました。じゃあ、先に上がっておきます」
「うんうん、ごめんね、じゃあ、頼むわ」
先生は再び電話を耳元に当てて話し始める。
「よし、いっちょ乗り込むぞー」
いつの間にか、先生の気持ちが乗り移っていた。うん、確かに一人だと気合を入れるのに十分な掛け声だね、これは。いい具合に不安を払ってくれる。……一人だと、心細いなぁ。
不安はあるけれど、気合を注入して乗り込みをかける。門は無く、玄関の扉の前に立ってチャイムを鳴らす。
ピンポーン、と特に変わったところのないチャイムが鳴る。インターフォンの前で、いつでも声が届いて来てもいいように、咳払いをして待つ。
ごほん、ごほん。ごほん、ごほん。ごほん、ごほ……あれ? 全然来ない。
もう一度鳴らす。また同じ位咳払いをしながら待っているけれど、家の中は相変わらずシーンと静まり返っていた。
「……留守?」
首をかしげながらドアノブを握ってみると、ノブはぐるりとなんの抵抗もなく捻ることができた。鍵がかかっていないようで、あっさりとドアが開く。
「嘘……じゃあ、いるのかな?」
覗いてみると、他人の家の匂いがすーっと鼻に届いてくる。柑橘系の香料を置いているのか、ちょっとだけすっぱいけれど爽やかな香りだ。
「ごめんくださーい」
間違いなく誰かいるのだろうけれど、そう声を掛けてみても家の中はやっぱり黙りこくっていた。居留守? ……筋金入りの引きこもりだなぁ、湯川君って子は。
「入りますよ~? いいですね~?」
とりあえず、お父様はいらっしゃらないみたい。玄関のグレーのタイルの上には二足のスニーカーが並んでいるだけだった。多分、湯川君だけはいるのだろう。
靴を脱いでとりあえず上がる。奥に行けばリビングがあるらしいけれど、それ以上の奥行きはあまりなく、洗濯物のたまっている水場と、キッチンがあるくらい。個人の部屋があるのなら、二階にしかなさそうだ。ということで、早速二階に向かう階段を見つけて登って行く。
登っている最中にも床が軋むこともなかった。かなり新しめの家らしい。だからこそ、この静かな中ではちょっとした音でも目立って聞こえてくる。
かたかた、かたかた、とそれはかすかに聞こえてくる。間違いなく二階の方から聞こえている音だ。ここに、誰かがいる。誰かって言っても、湯川君なんだろうけどね。
その音を追って、二階に上がる。二、三の部屋があり、全てドアがきっちりと閉じられている。そのうちの一番奥の部屋。ちょうど突き当りにあるドアの向こうからかたかた、という不審な音は聞こえて来ていた。
近づくと私の心臓の音も高鳴る。初めての対面。しかも一人で、ちゃんと学校に来るように説かなくてはならない。ふぅ、と息を吐くと手がぷるぷると震えていた。
でも、なんとかそれを乗り越えなくちゃ。頑張れ、頑張れ私!
ドアに近寄って、こんこん、とノックした。
「もしもーし、湯川真虎君、いる?」
…………返事無し。
もう一度ドアをノックする。
「ごめんくださーい」
…………やっぱり、返事は無い。かたかた音は今もなおここから聞こえている。
……ここでも居留守!? さすがにここまで面会謝絶されるとムカついてくるなぁ。よし、こうなったら、扉をがたがたさせて嫌でも気になるようにして、開けさせてやるんだから。
ドアノブを掴んで思いっきり押してみる。強固な鍵に阻まれてがつん、と強い抵抗に抑えられるかと思いきや、ドアはすんなりと開いてしまった。
「あれ?」
ドアの向こうはまだ日のある夕方だというのにも関わらず、日が落ちたように真っ暗だった。その中で、唯一、青白い明かりが灯っていて、発光源は壁際の机に置かれたパソコンの画面らしいと分かった。暗さのせいでよく見えないけれど、壁際の机とパソコン、反対側にはベッドがあるだけのカプセルホテルみたいに質素な作りの部屋だ。
「不法侵入だし」
そして、陶磁器を思わせる真っ白い肌の、眼鏡を掛けた男の子が、パソコンの前の椅子に座っていた。画面の灯りを反射しているせいで眼鏡の奥の目つきは全く分からない。だけど、ゆったりと私の方に首を回し、呟いた語気から不機嫌さがビンビン伝わってくる。
「あなたが、湯川真虎君?」
「……不法侵入の謝罪は無いし、失礼だし」
「え? あ、ご、ごめんなさい……湯川君、で合ってるよね?」
「違ったら問題だし」
あの音がぴたりと止んだ。音の元は湯川君のタイピングの音だったみたい。湯川君は体ごと私の方に向いて立ち上がる。暗さに目が慣れてきたことと、廊下からの光が多少入ってくるから、湯川君の全身が鮮やかに浮かび上がる。身長は私よりも高く、だいたい一七〇後半くらいで、肌の色は顔も手もずいぶんと白い。それに女の子みたいに髪が長く、体つきも肉が削げ落ちたように細身だ。でも、それがかえって不健康さを醸し出していた。
「で、誰? ……って言っても先生が来るのは事前に聞いていたし……で、何の用、先生?」
くい、と湯川君が眼鏡を上げる。しぐさも顔立ちも腕の立つお医者さんみたい。
「え!? わ、私先生じゃないよ!?」
ただ、私のことを先生だと思っているらしく、慌てて訂正する。もしかして、天然さん?
「ジョークだし。セーラー服を着た先生とか、どんだけマニアックっていう話だし」
ぬぐぐ、天然じゃないみたい。というか、居留守使ってたり、小馬鹿にしたようなジョークを言う、嫌な性格って感じがする。
「私、クラス委員長の咲宮叶恵。先生はちょっと用事があって遅れてるの」
それでも、平常心平常心。彼にはなんとしてでも学校に来るようにしてもらわないと。
「へぇ~、クラス委員長なのに、僕の顔知らないんだ。そんな人にでも務まるの、クラス委員長って? あ、どうせ雑用か」
ぐぐぐ……どーせ雑用ですよ。歯を食いしばる私を見ながら、湯川君は愉快そうに口角を上げてるし……。
「私転校生なの」
「へぇ~、じゃあ何も知らないことをうまく利用されてるってことだし」
あー言えばこういう、ホントに心根とかねじ曲がってるよ、彼。
「そんなこと無いって! 私だって自分の意志をきちんと持って、君のためにここにきてるんだから」
「ふ~ん、僕のため、ねぇ……。ところで、本当に同い年?」
「そうだよ。見てわからない?」
「分からないから聞いたんだし」
「ちょっと! それどういう意味よ!」
「君が幼児体型ってことだし」
「ムカっ!! それって失礼じゃない!?」
「許可もしてないのに勝手に入ってくるほうも失礼だし」
「セクハラの方がよっぽど失礼だよ!!」
もう平常心なんて知らない! この曲がり切った性根を叩き直してやるんだから! そうしてやんないと学校どころか社会に取り残されるよ湯川君は!
「君はよく噛みついてくるね」
「そりゃそうだよ! あんなこと言われて黙ってらんないよ!」
はっ、で、でもこのまま噛みつき続けていたら、学校に来てくれなくなるんじゃ……私、やらかしちゃってるかも!?
「……そうか、僕のこと何も知らないからだし」
何かを含んでいるような言い方だった。……そっか、性格の悪さも目立つけれど、何か原因があってこうして引きこもっちゃっているんだよね。それが分かれば学校に来てもらえるように言えるのだけど、何とか聞き出せないかなぁ。
「で、結局何の用? まぁ、聞く意味もない位予想はできてるけど」
「学校に来てもらえるように説得しに来たの」
「行かないし」
「即答っ!? 少しくらい話を聞いてくれたって……」
「じゃあ、君は僕のために何をしてくれるの?」
「な、何をって……ほら、学校行っていないから困ってることあるでしょ?」
「ないし」
「で、でも学校行かないとそのうち困ることが……」
「別に、何とかなるし」
「そう言う人こそなんとかならないの! 全部あなたのためなんだよ?」
「僕のため? ふーん、僕のこと何も知らない癖に、自分の価値観が正しいと思って他人に押し付けるの? それって良くないし」
ぬぐぐ……。言い返したいけど、確かに私は湯川君のことを全く知らないのは事実ね。
「じゃあ、湯川君のこと教えてよ! それから君のために私ができることを考えるから!」
ついつい、語気に力が入ってしまう。
「何ムキになってるの?」
湯川君がふん、と鼻で笑う。
「ムキになんかなってないよ!」
「怒鳴って言われても説得力ゼロだし。でも、そんなに僕に学校に来て欲しいわけ?」
「そ、そりゃあ、当然」
私のためにも、湯川君のためにも、そうするのが一番だもん。
「ふーん」
「だからね、湯川君について教えて欲しいの。どうして学校に行きたがらないのか……」
「嫌だし」
「やっぱり即答っ!?」
もう、暖簾に腕押し糠に釘だよぉ……。
「でも、学校になら行ってあげてもいいよ」
そう言って、湯川君が少し腰を曲げた。何かと思うと、私と目線を合わせるためだったみたい。湯川君と目が合う。湯川君の眼はこれまでに見た誰の眼よりも綺麗な目だった。こうして見つめていると、思わずドキリとしてしまう。
「ほ、ほんとに?」
おずおずと聞き返す。それに湯川君は頷いて見せた。
「うん。でも、条件があるし」
私の鼻先に、湯川君が人差し指を突きつける。
「君と付き合うこと。それが条件だし」
「……え? そ、それってどういう意味……?」
「そのまんまの意味だし。僕と、君が付き合ってくれたら学校に行ってあげるし」
唐突で、あまりにも脈絡のない提案だった。おかげで驚いて腰が抜けてしまいそうになる。
「そ、そんなの無理無理無理無理無理、無理だよ!! わ、私湯川君のこと全く知らないし、いいぃ、いきなりそんな……」
「じゃあ、僕は学校に行かないし」
湯川君が急に興味を無くしてしまったみたいに、私から顔を逸らし、座っていた椅子に戻ってしまう。
「そ、それは……」
思いっきり動揺してしまう。学校に来てくれなくっちゃ、困る……で、でも、いきなりあんな提案を受けるのも……。
「簡単な話だし。それだけで君の願いも叶えられるし、君の言い分なら、僕も学校に行けて、ハッピーエンドってことになるし。それなのに、断っちゃって、いいの?」
「うぅ……で、でもぉ……」
「じゃあ、僕は学校に行かないし」
うぅ……確かに、それぐらいなら、簡単に済む話ではあるんだけど……で、でも、学校に来てくれさえすれば、きっとそんな条件だって忘れられるくらい楽しい事あるはずだし、っていうか、私なんかにずっとこだわるようなことなんて早々ないだろうし、こんな簡単に付き合おうって言うような人だもん、きっと私以外にもいい人見つけるよね。
「わ、分かった。私、湯川君と付き合う……わ」
こ、ここは我慢しなくっちゃね。
「じゃあ、決まりだし」
湯川君がそう言ったちょうどその時、下の階からどたどたと足音が聞こえてきた。
「ごめんごめ~ん、電話長引いちゃった~」
若槻先生がやっとのことで、湯川君の元にやってきた。
「で、どうなってるの?」
「えっと……」
「遅すぎるし。話はまとまったし。明日から学校に行くし。じゃ、二人とも、もう用事ないでしょ? 帰って」
私が口をまごまごとさせている間に、湯川君がさらっと説明を終えてしまった。先生はきょとんとしながら、何があったの? と聞いてくる。後で、学校には来てもらえそうだってことは伝えておこう。付き合うとか、あの性格じゃ本気っぽく無さそうだし……。
……なんだか、妙な約束事をしちゃったんだけど、大丈夫だよね……?
ども、作者です。4か月ほど放置していましたが、やっとこさ続きが出来上がって来たので、投稿を再開します。まだ完成してはいないのですがね。といっても、直しだけですので、この章は続けて投稿することができそうです。長丁場にはなるかと思いますが、読んでいただけると光栄です。今年からは木曜更新を目指して、少なくとも6月の頭ごろまではこの話が続くので、よろしくお願いします。




