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第8話 丸の内のトップエリートと、地方中小の平社員(中編)

 大理石のテーブルの上に、トンと音を立てて滑り込んできた分厚い羊皮紙の束。

 紫色の蝋で厳重に封印されたその書類には、王室直属の紋章が刻印されていた。


「……何これ。公文書?」


「宰相の直印が押された特命調査書面だよ。僕の権限で君に開示する」


 アルバートは組んだ指を顎の下に添え、プレゼン前の執行役員さながらの淀みない口調で語り始めた。


「単刀直入に言おう。この国は今、水面下で国家転覆のテロを仕掛けられている」


「……は?」


 穏やかじゃない単語に、私は思わず眉をひそめた。


「戦争、ってわけじゃないんだ。他国の軍隊が国境を越えて攻めてくるような前時代的な侵略なら、あの能天気な王室でも気付ける。……連中が仕掛けてきているのは、経済封鎖を起点にした無血開城(テロ)だよ」


 アルバートは身を乗り出し、机の上の書類をトントンと指先で叩いた。


「隣国の資本が、ダミーの商社や国内の買収された貴族――特にリリアを担ぎ上げている保守派の連中を通して、この国の物流ルートと主要な穀物・鉱物資源を秘密裏に買い占めている。すでに王都のサプライチェーンの要所は、あちこち虫食い状態だ」


「……買い占めによる市場の寡占と、人為的なインフレ誘導?」


 私の呟きに、アルバートはわずかに目を見張った。


「理解が早くて助かるよ。その通りだ。次の冬、あるいは飢饉のタイミングで彼らが流通を一斉に止めればどうなる? 王都は一滴の油も穀物も入ってこず、ハイパーインフレで民衆の暴動が起きる。そこへ『救済』と称して隣国息のかかった軍閥が乗り込んできたら――王室は一撃で瓦解、この国は丸ごと乗っ取られる」


「……えげつないM&A(買収)ね」


「そう。だが、王室の上層部はその危機にこれっぽっちも気づいていない。『他国とは友好条約を結んでいるから安全だ』『不景気なのは平民の努力不足だ』と、呑気に茶をしばいてるよ。君がアレクシス殿下の顔面に突きつけた『金貨四万枚』なんて、敵の資本に踊らされたバカがばら撒いた端金に過ぎない」


 アルバートは感情を一切交えずに吐き捨て、手元の書類をめくった。


「この静かなる侵略に唯一気づいた現宰相から、僕に特命が下りた。水面下の敵の流通ネットワークを洗い出し、国家転覆テロの決定打となるエビデンスを押さえる全権だ。……そこで僕からの提案だよ、エミリア嬢」


 男はニヤリと、獲物を口説き落とすコンサルタント特有の鋭い笑みを浮かべた。


「僕は法整備と政治的圧力、そして上流の資本ルートを塞ぐ。だが、敵が民間取引に偽装して張り巡らせた無数の裏帳簿――不自然に消えた物資や、迂回ルートの伝票の綻びを現場で徹底的に洗い出す実務部隊が圧倒的に足りない。君のその、融通の利かない現場叩き上げの監査能力が必要なんだ」


「……」


「僕と組もう。この国が経済的に窒息させられる前に、敵の資金ルートを断ち切る。国家を救う特命プロジェクトだ。やりがいのある案件だと思わないかい?」


 国家規模の経済戦争。迫り来る見えないテロの影。

 普通の令嬢なら「国のために!」と青ざめて頷く場面かもしれない。

 だが、私の平社員レーダーは、この男の美辞麗句の裏にある「ブラック企業の臭い」を一瞬で見抜いていた。


 私は腕を組み、冷ややかな視線をアルバートの眉間に突き刺した。


「……で?」


「……で?」


 アルバートが怪訝そうにオウム返しをする。


「話のスケールは分かりました。で、肝心の『労働条件通知書』はどこですか?」


「……は?」


「聞こえませんでした? 雇用契約を結ぶにあたって、基本給、想定残業時間、時間外労働割増率、福利厚生、それと有給休暇の付与日数の記載がどこにもありませんけど」


 アルバートの整った顔が、見る間に引き攣っていく。


「ちょっと待ってくれ、エミリア嬢。国家転覆のテロを未然に防ぐ極秘特命プロジェクトだよ!? 国が滅んだら有給も何もないだろう! 愛国心とか、公爵令嬢としての矜持とか――」


「出たよ、やりがい搾取!」


 私はテーブルをバンッと平手で叩いた。


「『国家の命運』だの『やりがい』だの、耳障りのいい言葉で現場のタダ働きを正当化すんな! 地方の中小を舐めんじゃないわよ! 経営陣が『我が社は今、未曾有の危機だ!』ってスローガン掲げて一致団結を求めてきた時が、一番サービス残業の発生率が高いんだよ!」


「くっ……これだから現場のコンプラ至上主義者は……」


 アルバートは額に手を当て、深く天を仰いだ。


「第一に、私は有給休暇を消化中なの。庭で倒れてから一週間絶食して、やっとスコーン食って人心地ついたばっかりなのよ。なんで見ず知らずの他人の経済戦争のために無給で休日出勤しなきゃいけないわけ?」


「休日出勤手当なら出す! 国家予算の予備費から幾らでも――」


「第二に! 国家転覆テロって言ったわよね? 完全に命の危険がある現場じゃない! 労働安全衛生法はどうなってんの? 危険手当は基本給の何パーセント上乗せ? 労災保険の適用外で消されたら、私また自転車事故の二の舞なんだけど!」


 まくし立てる私の言葉に、さっきまでスマートに微笑んでいたエリート官僚は、完全に言葉を失って口元をひくひくさせていた。


「……中道さん、だっけ」


「そうよ」


「君さ……向こうの現場で、どれだけブラックな営業部長に揉まれてきたわけ?」


「締め切り当日に、ポケットからクシャクシャの領収書を三十枚出してきた営業部長を、受領印なしで突き返して泣かせたくらいにはね」


 フンと鼻を鳴らしてソファーに深く腰掛け直す。


「というわけで、労働環境のコンプライアンスが担保されない案件は、平社員として即座にペンディング(保留)です。お引き取りください、エリート様」


 突き放されたアルバートは、しばし呆然と私を見つめたあと、引き攣った笑みのまま深く長い溜息を吐き出した。

読んでいただきありがとうございます!


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