第6話 エリート官僚の独白、あるいは現場叩き上げへのスカウト
僕――大場和人がこの世界に落ちてきてから、丸三年が経つ。
現在の肩書は、アルバート・レイドル・グラフェイル侯爵。
前世で東大から大手デベロッパーの経営戦略へ入り、社内政治の頂点を目指していた僕にとって、二十代で現宰相の右腕に収まるなど造作もないミッションだった。品川駅の東海道線ホームで、同期の無能に背中を押されたあの瞬間を思い返せば、足の引っ張り合いと利権の奪い合いが渦巻く宮廷など、丸の内のオフィスと大差ない。
この国の財政と法務を裏から牛耳り、腐りかけた王室のバランスシートをどう組み換えるか。損得勘定を弾いていた僕の耳に、半月前、信じがたい『ノイズ』が飛び込んできた。
――クロイツァー公爵令嬢のエミリアが、王太子のアレクシス殿下に婚約破棄を叩きつけられた。
――だが、その場で殿下の使途不明金と横領を糾弾し、エビデンスの提出を要求。挙句の果てに遅延損害金を請求して王子を卒倒させた。
(エビデンス……? 遅延損害金だと?)
耳を疑った。
中世ヨーロッパじみたこの封建社会で、そんな単語を使う人間がどこにいる?
まさか、僕以外にも『あっちの言語』を理解するプレイヤーが紛れ込んでいるのか?
半信半疑のまま、クロイツァー公爵邸の第一応接室に乗り込んだ。
そして――扉を開けて入ってきた女を見た瞬間、確信した。
(……いたよ、ビンゴだ)
応接室に入ってきた公爵令嬢。
ドレスこそ華やかだが、ソファーに腰掛ける際の重心の掛け方、何より僕を値踏みする『目つき』が、この世界の貴族のそれじゃない。
あれは、月末の帳簿締め切り直前に、怪しい領収書を握りしめた営業部長を窓口で睨み殺す――地方中小の経理の目だ。
出世レースからは早々に降り、平社員の身軽さを盾に、帳簿の全権を握って居座り続ける現場の門番。役員ですら領収書の不備で小突き回す、あの手合いだ。
僕は探るように、ビジネスの挨拶代わりに罠を仕掛けた。
『直近のロードマップ、リスケが必要なんじゃない?』
案の定、女の口から反射的に漏れ出たのは、『現場に丸投げされても困る』という完璧な拒絶反応だった。
吹き出しそうになるのを堪えるのに苦労した。
オフィスで聞き飽きた現場の愚痴そのものじゃないか。
(なるほどね。前世は地方の中小企業あたりか)
丸の内の本社ビルにはまずいない人種だ。現場の伝票一枚、コンマ一秒の遅刻も許さない、融通の利かない叩き上げの事務職。
だが――今、僕が最も求めているのは、まさにその『泥臭い監査能力』だった。
僕の頭脳と権力を使えば、国家予算のスキームを書き換えることはできる。だが、末端の腐敗した貴族どもが隠蔽している「泥塗れの裏帳簿」を現場で徹底的に洗い出し、逃げ道を塞いでシメ上げる実務部隊が圧倒的に足りていなかったのだ。
僕は懐中時計をパチンとしまい、値踏みするような視線を向けた。
「さて、エミリア嬢。互いの素性が割れたところで、ここからが本題だ。……少し『商談』をさせてもらえないかな?」
目の前の女――元・経理部平社員が、警戒心丸出しで身構えるのが分かる。
いい顔だ。この国を裏から大掃除するための、最高で最悪のパートナーを見つけてしまったらしい。
使えるものは何でも使う。
僕は胸の内にあるえげつない絵図を隠し、作り慣れた営業用スマイルで商談のテーブルに着いた。
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