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第4話 わたし、今日から一生エミリア様についていきます

 わたし、マリー。クロイツァー公爵家に仕えて二年の、しがない下っ端メイドです。


 今日、わたしは人生でいちばん恐ろしくて、そして最高にスカッとする瞬間の証人になってしまいました。


 目の前で起こった出来事を思い出すだけで、まだ心臓がバクバクしています。

 あの傲慢で、いつも私たち使用人を虫けらみたいに見下していた第一王子のアレクシス殿下。そして、その腕にすがりついて「エミリア様がこわぁい」と嘘泣きをしていた、あざとい子爵令嬢のリリア様。


 二人が意気揚々と乗り込んできて、寝たきりだったお嬢様に「婚約破棄だ!」と突きつけた時、わたしはもう絶望で目の前が真っ暗になりました。

 お嬢様は一週間前の庭園で倒れ、高熱でずっと生死の境をさまよっていたんです。そりゃ普段のお嬢様はヒステリックで、わたしたち使用人からも影で『氷の毒婦』なんて恐れられてはいましたけど、寝たきりだったお嬢様に『婚約破棄』だなんてあんまりだ、って拳を握りしめて震えていた、その時でした。


『耳の穴かっぽじってよく聞けバカ王子』

『損害賠償請求するなら領収書を出しなさいよ』

『堤防工事修繕積立金の横領で訴訟起こすぞ』


 ――へ?


 ベッドから立ち上がったエミリア様のお口から飛び出したのは、聞いたこともない単語と、容赦のない怒号でした。

 いつものヒステリックな金切り声じゃありません。

 低く、ドスが利いていて、相手の急所を迷いなく突いていくような声。


 丸めた羊皮紙で王子の眉間をパコーンと叩き込んだ瞬間、わたしは息をするのも忘れて固まってしまいました。

 つ、強すぎる……! なんですかあのお方は! わたしたちの知ってる神経質で泣き虫だったエミリア様じゃない! まるで、百戦錬磨の冷酷な監査官が降臨したみたいだ……!!


 泡を吹いて気絶した王子と、腰を抜かして這いつくばるリリア様が衛兵たちに引きずられていくのを見届けたあと、部屋にはしんと静けさが戻りました。


 お嬢様はベッドの端に腰掛け、「……さて」と呟いて、部屋の中を見回しました。

 そして、壁際で小さくなっていたわたしと――目が合ったのです。


(ひ、ひぃぃ……! 次は、わたしの番……!?)


 いくら敵を撃退したとはいえ、あのお怒りの形相です。「見苦しいところを見られた」と八つ当たりでクビを言い渡されるかもしれない。わたしは慌てて背筋を伸ばし、直立不動で壁と同化しようと試みました。


 すると、ベッドに腰掛けたお嬢様が、じろりと鋭い視線をこちらに向けて――。


「……ごめん、ちょっといい?」


 ひっ、呼ばれた!!

 わたしは震える膝に力を込め、覚悟を決めて前に進み出ました。


「は、はいっ! 何でございましょう、エミリア様!」


 処刑台に向かう兵士のような声が出てしまいました。

 お嬢様は眉間に深いシワを寄せたまま、わたしをじっと見つめてきます。どんな理不尽な命令が下るのか。怒鳴られるのか、物を投げつけられるのか――固唾を呑んで待っていると。


「お腹空いちゃってさ。何日も何も食べてなかったみたいだから、急に固形物はまずいと思うのよ。……というわけで、胃に優しいコンソメか、野菜をくたくたに煮込んだポタージュみたいなスープをお願いしたいんだけど、いける?」


 …………え?


 コンソメ……?

 野菜をくたくたに煮込んだ、ポタージュ……?


「あの、もし厨房が忙しかったら、重湯……薄い粥でもいいからね。無理言って手間かけさせちゃってごめんね」


 し、信じられない。

 公爵令嬢であるお嬢様が、下っ端メイドのわたしに対して「ごめんね」!?

 しかも、厨房の忙しさまで気遣って、一週間ぶりの食事なのに「胃に優しいものを少しだけ」なんて……!


 いつもなら「最高級の肉を今すぐ持ってこい!」とヒステリーを起こして、厨房の料理長と大喧嘩するのが当たり前だったのに。

 今の指示は、あまりにも的確で、合理的で、そして何より……わたしたち使用人に対する気遣いに満ち溢れていました。


(な、なんてお優しいの……!? 一週間も高熱でうなされて、生死の境をさまよったせいで性格が百八十度変わっちゃったの……!?)


 バカ王子を完膚なきまでに叩きのめした直後に、立場の弱い下っ端メイドへ「手間かけさせちゃってごめんね」と声をかける気遣い。

 呆気にとられたあと、胸の奥がじんわりと熱くなりました。


「か、かしこまりました! すぐに厨房へ申し伝えてまいります!」


 声が裏返りそうになるのを必死で抑えながら、わたしは深々とお辞儀をしました。

 部屋を飛び出した瞬間、わたしの足は厨房へと向かって小走りになっていました。


「料理長――っ!! 料理長、大変です!!」


 厨房の扉を勢いよく開けて飛び込むと、仕込みをしていた料理長が包丁を止めて目を丸くしました。


「なんだマリー、騒々しい! エミリア様がお目覚めになって、またご機嫌斜めなのか!?」


「違います! 真逆です!! お嬢様が、厨房の段取りを気遣った上で『無理言って手間かけさせちゃってごめんね』って、わたしに謝ったんですよ!?」


「はぁぁぁ!? あのエミリア様が、粥だと!? しかも謝ったァ!?」


 仕込みをしていた見習いたちの手が止まり、料理長は顎が外れそうな顔で固まりました。


「いいですか料理長! 厨房にある一番いい野菜と、最高のブイヨンを使ってください! お嬢様は一週間も絶食されて、お腹をペコペコに減らしていらっしゃるんです! あと、バカ王子に婚約破棄を叩きつけて追い出した直後なんです!!」


「おいおい、情報量が多すぎて頭が追いつかねえぞ!?」


「いいから作ってください! あのお方の胃袋を支えるのは、わたしたち厨房の仕事です!!」


 わたしはエプロンの紐を強く結び直しました。

 決めました。わたし、マリーは、今日から一生エミリア様についていきます!

 あのお方に、最高の一杯をお届けするんだから!

読んでいただきありがとうございます!


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