第13話 神々の終わり
黒い炎が。
世界境界いっぱいに燃え上がった。
私の炎。
イリスの炎。
二つが混ざる。
真っ黒なのにその中心だけが白い。
『やめろ!』
アルディアの声。
初めてその声に恐怖が宿る。
『生命神!』
「その名前」
私は九輪の花瓶を握る。
「もう私の名前じゃない」
『貴様は神だ!』
「だったよ」
九花が一輪ずつ浮かぶ。
慈悲。
追憶。
誕生。
愛情。
孤独。
恐怖。
後悔。
憤怒。
生。
「でも」
私はイリスを見る。
「人間にもなった」
イリスが笑う。
「はい」
『神が人へ堕ちたことを誇るか!』
「うん」
即答した。
「結構楽しかったし」
電車。大学。コンビニ。課題。
母。父。友達。
全部普通。
でも、私の人生。
「だから」
神々を見る。
「もう終わりにする」
◇
アルディアが両手を広げる。
黄金の光。
世界境界を埋める。
ネレイス。
水。
オルド。
死。
三つの神力が一斉に広がる。
「来ます」
イリスが前へ。
「待って」
腕を掴む。
「約束」
イリスが一瞬止まる。
無茶しない。死なない。
約束した。
「……覚えております」
「なら一人で前行かないで」
「しかし」
「一緒」
私は手を握る。
「今度こそ」
イリスが少し目を伏せる。
そして。
「はい」
隣へ並ぶ。
「一緒に」
黒炎が二人のまわりに広がる。
光と水と死。
ぶつかる。
世界境界が砕ける。
東京の空が一瞬見えた。
人々が空を見上げている。
アメン。
街。森。
アルヴェリア。
全部重なる。
「押されてる!」
「澪!」
イリスが呼び捨てする。
違和感もない。
「神格を!」
「使ってる!」
「もっと!」
「これ以上やったらまたミオになる!」
「では花を!」
九輪が光る。
でも足りない。
三柱。
千年前。
ミオ一人では勝てなかった。
今も。
「どうする」
「澪」
イリスが私を見る。
「一つ」
嫌な顔。
「何」
「方法がございます」
「嫌」
「まだ何も」
「その顔で分かる」
「……」
「絶対嫌」
「聞いてください」
「死ぬやつ?」
返事はない。
「イリス」
「死ぬとは限りません」
「それ死ぬ可能性あるやつじゃん!」
「しかし」
「駄目」
即答。
「別の方法」
「時間がございません」
世界がさらに融合する。
東京のビルとアメンの山が重なる。
「だからって」
「澪」
イリスが私の両肩を掴む。
「私を見てください」
「嫌」
「見て」
見た。
赤黒い瞳。
「私の黒炎は」
「……」
「世界境界を焼けます」
「知ってる」
「魔法も」
「うん」
「神力も」
「うん」
「契約も」
「うん」
「そして」
少し間。
「神性そのものも」
私は止まった。
「……何?」
「私が半神に近い存在となった時」
「うん」
「黒炎は、神と人の境界そのものを焼く力になりました」
「それで?」
「神々から」
イリスが三柱を見る。
「神格を焼き落とします」
「できるの?」
「澪の神格と九花があれば」
「じゃあやろう」
「ただし」
やっぱり。
「黒炎の核に」
イリスは自分の胸へ手を当てる。
「私自身の神性を使います」
「……」
「私が千年前に取り込んだ」
「……」
「世界境界と」
「……」
「ミオ様の神力」
「それ使ったら?」
イリスが答えない。
「イリス」
「私は」
静か。
「人間に戻るでしょう」
「……それだけ?」
「おそらく」
嘘だ。
分かる。
「おそらくって何」
「分かりません」
「千年生きてる体が」
声が震える。
「急に人間に戻ったら?」
沈黙。
「どうなるの」
「……」
「答えて」
イリスが微笑んだ。
「分かりません」
「嘘」
「本当に」
「じゃあやらない」
「澪」
「別の方法」
「ございません」
「探す」
「時間が」
「作る!」
「澪!」
初めての強い声。
私は黙った。
「千年前」
イリスが言う。
「あなた様は」
「……」
「誰にも選ばせず」
「……」
「一人で死ぬことを選びました」
「分かってる」
「私は」
手を握る。
「それがずっと許せなかった」
「……」
「ですから」
「……」
「今度は」
涙。
「私に選ばせてください」
胸が痛い。
「嫌だ」
「澪」
「嫌」
「私は」
イリスは少し笑う。
「生きたいです」
「なら」
「はい」
「死ぬかもしれないことしないでよ」
「それでも」
イリスが神々を見る。
「生きたいからこそ」
「……」
「あなたのいる世界を」
「……」
「残したい」
「それ」
「自己犠牲ではございません」
「同じだよ」
「違います」
「何が」
「私は」
イリスは私を見る。
「自分で選んでおります」
言葉が出ない。
「誰かに命じられたわけではない」
「……」
「世界に要求されたわけでもない」
「……」
「澪に褒められたいわけでも」
「嘘」
「少しはございます」
「あるんじゃん」
こんな時に。
少し笑った。
「それでも」
イリスは手を強く握る。
「私はこれを選びます」
私は泣いた。
「ずるい」
「はい」
「私が止めたら?」
「止めますか」
「……」
止めたい。
でも。
千年前のミオはイリスの選択を奪った。
地球へ送った。
今、また、同じことをする?
「……嫌」
「はい」
「本当に嫌」
「はい」
「でも」
手を離さない。
「一緒にやる」
イリスの目が大きくなる。
「澪」
「一人でやらせない」
「しかし」
「黒炎」
私の腕にも出る。
第八花。
憤怒。
ミオの神力。
イリスの黒炎の源。
「半分」
私は言う。
「私も出す」
「駄目です」
「なんで」
「澪の神格が」
「全部は使わない」
「しかし」
「一緒って言ったでしょ」
イリスはしばらく私を見る。
そして泣きながら笑った。
「本当に」
「何」
「昔より、面倒な方になられました」
「昔の私があなた育てたんでしょ」
「……否定できません」
◇
二つの黒炎が重なる。
私の黒炎。
中心に白。
イリス。
完全な黒。
混ざって灰色に。
いや、色がない。
空間そのものが燃える。
アルディアが初めて後退する。
『何をする!』
「神を」
私は九花を掲げる。
「普通にする」
『何?』
「死ねるように」
イリスが言う。
「老いるように」
ネレイスの顔が歪む。
「病むように」
オルドの翼が震える。
「傷つくように」
私は続ける。
「間違えるように」
「後悔するように」
「人に命令できないように」
『貴様ら!』
アルディアの光。
最大。
でも、黒炎が触れる。
燃える。
光そのものが黒くなる。
『やめろ!』
初めて神が叫ぶ。
九花が回る。
《慈悲》
光神の神格の一部が剥がれる。
『ぐっ……』
《追憶》
ネレイス。
水の輪が崩れる。
《誕生》
オルド。
翼。
人間のものへ。
《愛情》
《孤独》
《恐怖》
《後悔》
《憤怒》
そして。
《生》
九つ。
「神も」
私は言う。
「生きればいい」
『何を』
「世界を管理するんじゃなくて」
神格が燃える。
「自分の人生を」
アルディアの身体が小さくなっていく。
山より大きかった神が人間ほどになる。
「生きればいい」
◇
でも。
イリスの手が冷たくなった。
「イリス?」
返事はない。
「イリス」
見る。
顔が白い。
黒炎が身体から抜けていく。
「待って」
イリスの瞳が赤黒から普通の黒へと変わる。
「……綺麗」
「何言ってんの」
「澪の顔が」
「今それ?」
「はい」
イリスの身体が揺れる。
私はそれを支える。
「まだ終わってない」
「もう少しです」
「黒炎止めて」
「無理です」
「止めて!」
「今止めれば」
神々はまだ完全には人間になっていない。
このままでは神格が残る。
「戻ります」
「じゃあ私が」
「足りません」
「神格使う!」
「それでは」
イリスが私の頬に触れる。
「澪が消える」
「消えない方法探す」
「ありません」
「ある!」
「澪」
優しい声。
嫌だ。
「私」
イリスが笑う。
「今」
胸。
「心臓が」
「何」
「人間みたいに」
手。
自分の胸。
「鳴っております」
触る。
鼓動は速い。
普通。
「戻ってる」
「はい」
嬉しそう。
「ずっと」
「……」
「千年間」
「……」
「ほとんど感じなかった」
心臓。
「懐かしい」
「やめて」
「温かいですね」
「やめてって」
涙が止まらない。
「まだ決まってない」
「はい」
「人間に戻るだけ」
「はい」
「生きられる」
「……」
「ねえ」
返事が少し遅い。
「イリス」
「はい」
「生きて」
「はい」
「約束した」
「はい」
「死なないって」
イリスが私を見る。
少し困った顔。
「……そうでした」
「だから」
「約束を」
笑う。
「破るつもりは」
黒炎。
最後に強く。
「ございません」
神々が叫ぶ。
神格。
完全に。
燃える。
◇
音が全部消えた。
アルディアは地面に。
いや。
世界境界の床へ。
膝をつく。
普通の男だ。
ネレイス。
女。
オルド。
男。
神じゃない。
ただの三人。
『……何を』
アルディア。
自分の手を見る。
『我に』
息が荒い。
「人間にした」
『戻せ』
「嫌」
『戻せ!』
「自分で」
私はイリスを支えながら言う。
「生きて」
アルディアは怒る。
でももう世界は震えない。
「それが」
「人間」
◇
世界境界が崩れ始める。
でも今度は壊れるんじゃない。
ほどける。
地球。
アメン。
二つ。
離れていく。
「できた」
私は笑った。
「イリス」
返事がない。
「……イリス?」
腕の中。
重い。
「イリス」
目を閉じてる。
「やだ」
頬。
触る。
温かい。
まだ。
「イリス!」
目がゆっくり開く。
「……はい」
「寝ないで」
「少々」
「寝ないで!」
「眠いだけです」
「嘘」
「本当に」
呼吸が浅い。
「なんで」
「おそらく」
イリスが小さく笑う。
「人間に戻ったのでしょう」
「じゃあ大丈夫じゃん」
「はい」
「普通に生きられる」
「……」
「ねえ」
「澪」
「何」
「人間の寿命は」
嫌。
「普通」
「はい」
「でも」
「聞きたくない」
「私」
「やめて」
「千年以上」
「やめて!」
「生きてしまいました」
「関係ない!」
「……はい」
「今から数えればいい」
「……」
「今日が一日目」
「……」
「人間に戻った今日から」
「また」
「百年くらい生きればいい」
イリスが笑った。
「欲張りですね」
「うん」
「澪らしい」
「だから」
「はい」
「生きて」
イリスの手が私の頬にあたる。
弱い力。
「……努力」
「約束!」
「……」
「約束して」
イリスはしばらく私を見る。
そして。
「はい」
笑った。
「約束します」
「よかった」
でもイリスの目。
また閉じそう。
「寝ないで」
「……」
「イリス」
「澪」
「何」
「最後に」
「最後じゃない!」
「では」
少し笑う。
「今、言いたいことを」
「……何」
「千年前」
「うん」
「私は」
呼吸。
「あなた様を」
「うん」
「守りたかった」
「知ってる」
「守れませんでした」
「違う」
「そして」
「……」
「千年」
「……」
「探しました」
「うん」
「ようやく見つけました」
「うん」
「でも」
声が小さい。
「見つけた方は」
「……」
「ミオ様ではなかった」
「……」
「澪でした」
涙が一滴溢れる。
「それが」
「……」
「とても」
笑う。
「嬉しかった」
私は何も言えない。
「イリス」
「はい」
「私も」
「……」
「会えてよかった」
目を閉じる。
「本当に」
「……」
「イリス?」
返事がない。
「ねえ」
胸を触る。
鼓動はある。
弱い。
「生きてる」
まだ。
「約束したから」
自分に言う。
「大丈夫」
その瞬間。
世界境界が大きく揺れる。
《神格分離完了》
《神代終了》
《二世界再分離開始》
イリスの身体が光り始める。
文字が浮かぶ。
《地球側存在――天城澪》
《アメン側存在――イリス》
「待って」
《所属世界へ帰還》
「待って!」
イリスの身体が私の腕から浮く。
「嫌!」
掴む。
「イリス!」
目を開く。
「……澪?」
「離れないで!」
世界が二つに分かれる。
私。
地球側。
イリス。
アメン側。
引かれる。
「嫌!」
手を握る。
「一緒に来て!」
イリスが状況を理解する。
「……世界が」
「そんなのどうでもいい!」
「澪」
「来て!」
「私は」
アメン。
後ろ。
「こちらの存在です」
「嫌!」
「澪」
「黒炎なくなったんでしょ!」
「はい」
「じゃあ人間じゃん!」
「……」
「地球来れるよ!」
「境界が」
「壊す!」
「澪」
「また作る!」
「駄目です」
「なんで!」
「せっかく」
イリスが泣いて笑う。
「終わらせたのですから」
距離が少し開く。
手。
指。
「嫌だ」
「澪」
「嫌」
「こちらを」
「嫌!」
「見てください」
見た。
イリスが泣いてる。
「千年前」
「……」
「あなた様は私を地球へ送り」
「……」
「私は勝手に戻りました」
「うん」
「今度は」
手が滑る。
「ちゃんと」
「嫌」
「お別れを」
「嫌だ!」
指まで。
あと、少し。
「また会える?」
聞いた。
言ってから分かる。
答え。
イリスも分かってる。
世界境界。
今度こそ完全に閉じる。
神も。半神も。
境界馬も越えられない。
もう会えない。
イリスが答えようとする。
止まる。
嘘をつかない。
だから泣く。
「……分かりません」
私はもっと泣いた。
「そこは嘘ついてよ」
「申し訳」
「謝らないで」
「……はい」
指先が離れそう。
「イリス」
「はい」
「千年間」
「はい」
「探してくれてありがとう」
イリスの顔が崩れる。
「こちらこそ」
「……」
「生きていてくださって」
声。
「ありがとうございました」
手が離れる。
「イリス!」
「澪!」
何の敬称もなく。
ただ。
私の名前。
「さようなら」
「嫌!」
「澪」
笑う。
涙。
「生きてください」
「イリス!」
世界。
白。
「私の分までとは」
最後の声。
「言いません」
「……」
「あなたの分を」
「……」
「生きて」
光。
途切れる。
「イリス――!」
世界が二つに分かれた。
◇
東京。
黒いアスファルト。
雨。
私は道路の上に倒れていた。
「……」
車。音。信号。人。
東京。
戻った。
「イリス」
呼ぶ。
もちろん返事はない。
「……イリス」
もう一度。
ない。
スマホ。
「……消さないでって」
涙。
画面へ。
落ちる。
「言ったもんね」
私は祈りを込めて写真を開く。
なにもない。
胸に抱いた。
雨が降る東京。
誰も私がどこにいたかを知らない。
誰もイリスを知らない。
でも私は知っている。
千年。
一人で私を探した人。
ようやく会えた人。
そしてまた別れた人。
「……ただいま」
家へ帰ろう。
ママ。
パパ。
会いたい。
それでも足が動かない。
黒いアスファルトの上。
私はしばらく一人で泣いていた。




