第10話 黒い炎
第六門を越えた瞬間。
上下がなくなった。
「……うわ」
足元には東京。
頭上にはアメン。
その間を、無数の光が流れている。
星みたいだった。
でも。
綺麗だと思ったのは、一瞬だけ。
「澪様」
イリスが私の前へ出る。
「来ます」
三つの影。
巨大だった。
一人は知っている。
黄金の瞳。
光神アルディア。
その右。
青白い肌の女。
身体の周囲に水の輪。
左。
顔の見えない男。
無数の黒い翼。
『生命神』
三つの声が重なる。
身体が震えた。
怖い。
第六花。
《恐怖》
花瓶の赤い花が揺れる。
「……誰?」
『忘れたか』
青白い女が笑う。
『水神ネレイス』
黒翼の男。
『死神オルド』
アルディア。
『そして我』
知ってる。
「光神アルディア」
『ようやく思い出したか』
「名前だけ」
アルディアの顔が歪む。
「ごめん」
別に悪いと思ってない。
『相変わらずだな』
「ミオもこんな感じだった?」
『不快なほど』
「そっか」
少し嬉しかった。
ミオ。
神だった私。
もういない。
でも確かに私の中にいる。
『六花』
ネレイスが花瓶を見る。
『人へ堕ちてもなお、九花を咲かせるか』
「あと三つ」
『咲かせてどうする』
「地球に帰る」
三柱が黙った。
それから笑った。
『帰る?』
オルドの声。
『どこへ』
「東京」
『あの檻へ?』
胸がざわつく。
「檻じゃない」
『世界境界に閉ざされた世界』
「守られてるの」
『神秘を失い』
「別に困ってない」
『魔力すらなく』
「電気あるし」
『人は僅か百年で朽ちる』
「長生きする人もいる」
『その身体も』
オルドの指が私へ向く。
『じきに死ぬ』
分かってる。
人間だからいつか死ぬ。
『生命神』
『神格を取り戻せ』
「いらない」
即答。
三柱が止まった。
『……何?』
「いらない」
もう一度。
「私、地球で普通に生きてたから」
大学。
バイト。
電車。
スマホ。
雨。
コンビニ。
何でもない日。
「神様に戻りたいと思わない」
『愚かな』
アルディアの光が強くなる。
『ならばその魂』
『我らが回収する』
「嫌」
『選択権があると思うか』
その瞬間。
イリスの黒炎が世界を覆った。
「ございます」
静かな声。
『……人間』
三柱の視線がイリスへ。
『いや』
ネレイスが目を細める。
『もはや人ではないか』
イリスの顔から表情が消えた。
『懐かしい』
アルディア。
『千年前、境界へ飛び込み』
『我らの妹の神力を浴び』
『人でも神でもない穢れたものへ堕ちた娘』
黒炎。
揺れる。
「イリス」
「大丈夫です」
でも。
声が冷たい。
『まだ生きていたとは』
「おかげさまで」
『何のために』
イリスが私を見る。
「探すために」
それだけ。
『千年も?』
「はい」
『たった一人を』
「はい」
『愚かだ』
イリスは笑った。
「あなた方には」
黒炎が広がる。
「一生、お分かりにならないでしょう」
◇
戦いは突然始まった。
アルディア。
光。
ネレイス。
水。
オルド。
黒い霧。
三つ同時。
「澪様!」
イリスが私を抱える。
黒炎。
爆発。
一瞬で場所が変わる。
直後。
さっきまでいた空間が消えた。
「何あれ!」
「触れれば魂ごと消滅します!」
「先に言って!」
「今申し上げました!」
「もっと前!」
また光。
イリスが避ける。
私は何もできない。
花瓶を抱えているだけ。
「イリス!」
「はい!」
「第七門!」
三つの門。
一番左。
文字。
《第七門》
《後悔》
「あそこまで行けばいい?」
「おそらく!」
「じゃあ行って!」
「承知!」
黒炎。
加速。
でもネレイスが手を上げる。
水。
壁。
世界そのものを埋めるような巨大な水塊。
「無理じゃん!」
「掴まっていてください!」
「もう掴まってる!」
イリスが右手を伸ばす。
黒炎。
小さい。
「え」
今までなら巨大な炎を出す。
でも今回は指先ほど。
小さな黒い火。
「イリス?」
「少々」
笑う。
「本気を出します」
火が消えた。
次の瞬間。
世界から音がなくなった。
水。
消える。
ネレイスの右腕も消えていた。
『……』
神の顔に初めて驚きが浮かぶ。
『貴様』
イリスの瞳。
真っ黒。
「澪様に」
黒炎。
身体を覆う。
「触れないでいただきたい」
『半神風情が!』
「半神?」
イリスが少し考える。
「なるほど」
「イリス?」
「澪様が以前、仰っておりましたので」
こんな時に。
「半分神様みたいってやつ?」
「案外、正しかったようです」
「今知ったの?」
「はい」
「自分のことなのに?」
「興味がございませんでした」
「千年何してたの」
「澪様を探しておりました」
「それしかしてないじゃん!」
「はい」
ネレイスが叫ぶ。
『我を無視するな!』
水。
今度は無数の槍。
イリスの黒炎。
ぶつかる。
「っ」
衝撃。
イリスの頬。
切れる。
血。
すぐ治る。
でも。
「また遅くなってる」
「お気づきになりましたか」
「当たり前でしょ!」
「問題ございません」
「ある!」
第六門で。
アルディアの攻撃を受けた。
まだ完全には戻ってない。
「無茶しないで」
「努力いたします」
「絶対するやつじゃん」
「……」
「イリス」
「第七門へ参ります」
誤魔化した。
◇
門まであと少し。
オルドが目の前に現れた。
『行かせぬ』
黒い翼。
広がる。
イリスが止まる。
『その娘はここで死ぬ』
「退きなさい」
『断る』
「では」
黒炎。
『待て』
アルディア。
「……」
『イリス』
初めて。
名前を呼んだ。
『お前に問おう』
イリスが振り返る。
『その娘が』
アルディアの目。
私。
『九花を集めれば』
『どうなるか知っているのか』
「……」
イリスが黙った。
嫌な感じ。
「イリス?」
『知らぬのか』
アルディアが笑う。
『それとも』
『知っていて隠しているのか』
「何の話?」
『九花は』
「黙りなさい」
イリスが初めて神の言葉を遮った。
アルディアが笑った。
『やはり知っている』
「イリス」
「澪様」
「何」
「今は門へ」
「何を知ってるの」
「……」
「イリス」
『教えてやろう』
アルディアの声。
『九花とは』
黒炎。
爆発。
アルディアの声を。
消した。
「行きます」
イリスが私を抱え直す。
「待って」
「今は」
「知ってるの?」
「……」
「九つ集めたら何が起きるか」
一瞬イリスの目が揺れた。
「はい」
胸が冷える。
「何で言わなかったの」
「澪様」
「何が起きるの」
「今は」
「またそれ?」
思ったより強い声が出た。
イリスが黙る。
「ずっとそれじゃん」
「……」
「千年前のことも」
「……」
「ベルディアのことも」
「……」
「地球に行けるかも」
「……」
「全部」
腹が立つ。
「私に関係あることなのに」
「申し訳ございません」
「謝ってほしいんじゃない」
「……」
「教えて」
イリスは答えなかった。
その瞬間。
オルドの黒翼。
「澪様!」
イリスが私を庇う。
直撃。
「イリス!」
吹き飛ぶ。
でも門はすぐ後ろ。
私たちは第七門へ落ちた。
◇
暗い。
「イリス!」
返事。
「イリス!」
「……おります」
声。
少し先。
走る。
倒れている。
「大丈夫?」
「はい」
「嘘」
背中。
黒翼に切り裂かれている。
血。
治らない。
「なんで」
「神の攻撃ですので」
「またそれ」
手が震える。
「座って」
「しかし」
「座って!」
イリスが珍しく素直に座った。
傷。
私には治せない。
魔法もない。
「どうしたらいい」
「放置で問題ございません」
「治ってないじゃん」
「時間はかかります」
「どれくらい」
「……」
「イリス」
「数日ほど」
「長い」
でも死なない。
多分。
「……本当に?」
「はい」
「死なない?」
イリスが私を見る。
「この程度では」
「約束して」
「……」
「死なないって」
少し困った顔。
「努力いたします」
「約束」
「澪様」
「して」
イリスはしばらく黙った。
そして。
「約束いたします」
やっと息ができた。
「じゃあ」
私は隣に座る。
「話して」
「……」
「九花のこと」
イリスが目を伏せる。
「ここ」
私は周囲を見る。
暗闇。
第七門。
「後悔なんでしょ」
花瓶。
六輪。
「多分」
イリスを見る。
「今聞かないと進めない」
長い。
沈黙。
やがて。
イリスが口を開いた。
「九花が揃えば」
静かな声。
「世界境界の中枢へ至ることができます」
「うん」
「そこまでは、お伝えした通りです」
「その先は?」
「世界境界は」
イリスが私を見る。
「生命神ミオ様の神格と神体、そして魂の大部分を材料として作られました」
「知ってる」
「千年前」
「うん」
「その魂の僅かな欠片だけが境界を抜け」
「地球に落ちた」
「はい」
「それが私」
「はい」
「じゃあ」
嫌な予感。
「九花を集めると?」
「世界境界の中枢が開きます」
「それで?」
「そこには」
一瞬声が止まる。
「ミオ様の神格」
「……」
「神体」
「……」
「そして」
「……」
「失われた魂の九十九・九七パーセントが残っております」
息が止まった。
「……私の?」
「はい」
「じゃあ」
「九花が揃えば」
イリスの声が震える。
「それらを澪様へ戻すことができます」
「それって」
分かる。
「私が」
神格。
神体。
魂。
「ミオに戻るってこと?」
イリスがは答えない。
「イリス」
「……はい」
胸が冷たい。
「天城澪は?」
「……」
「どうなるの」
「分かりません」
「嘘」
「本当に」
「じゃあ何で隠してたの」
「……」
「私が消えるかもしれないからでしょ」
沈黙が答えだ。
「九十九・九七パーセントに」
私は笑った。
変な笑い。
「〇・〇三パーセントを足すんだもんね」
「澪様」
「どっちが残るかなんて」
「……」
「分かんないよね」
怖い。
死ぬのとは違う。
でも同じくらい怖い。
「じゃあ」
私はイリスを見る。
「あなたは」
一番。
聞きたくなかった。
「ミオに戻ってほしい?」
イリスの顔が止まった。
「千年」
「……」
「探してたんだもんね」
「澪様」
「私じゃなくて」
喉。
痛い。
「ミオを」
「違います」
即答。
「でも」
「違います」
強い。
「最初は」
イリスが初めて私の言葉を遮った。
「最初は、そうでした」
胸が痛い。
「千年間」
「……」
「私が探していたのはミオ様です」
「ほら」
「ですが」
私の手を握る。
「三年前」
「……」
「あなた様が地球で生きていると知った」
「……」
「そして」
ルクス。初めて。会った。
「澪様にお会いした」
イリスの声が少し震える。
「あなた様は」
「……」
「ミオ様ではありませんでした」
「……」
「同じ魂」
「……」
「同じ癖」
「……」
「時折、同じ顔で笑われる」
「……」
「それでも」
手。
強く。
「違う方でした」
涙。
「最初は」
イリスが笑う。
「戸惑いました」
「……」
「千年間会いたかった方が」
「……」
「私を全く覚えておられず」
「ごめん」
「謝らないでください」
笑う。
「馬にもまともに乗れず」
「それ関係ある?」
「方向音痴で」
「イリス」
「スマホという魔道具で何度も写真を撮り」
「……」
「王城を燃やすなと何度も私を叱り」
「だって燃やすじゃん」
「はい」
少し二人で笑った。
そしてイリスの笑顔が崩れた。
「気づいてしまいました」
「何に」
「私は」
涙。
「ミオ様に会いたいのではなく」
「……」
「澪様と」
声が震える。
「この旅を続けたいと思っている」
胸が痛い。
「だから」
「……」
「言えませんでした」
「九花のこと?」
「はい」
「私が集めるのやめると思った?」
「それも」
「他には?」
「私が」
イリスが俯く。
「止めてしまいそうだったからです」
「……」
「地球へ帰るためには」
「……」
「九花が必要」
「……」
「それでも」
「……」
「澪様が消える可能性があるのなら」
握る手が震える。
「もう集めなくていいと」
「……」
「言ってしまいそうでした」
「イリス」
「千年前」
涙が落ちる。
「私は間に合いませんでした」
「……」
「あなた様を失った」
「……」
「そして千年」
「……」
「やっと」
私を見る。
「やっと見つけたのに」
泣いている。
「また」
「……」
「失うかもしれない」
小さい声。
「怖かった」
第六門で私が言った、イリスと別れるのが怖いという言葉。
今。同じ状況。
「ごめんなさい」
イリスが泣きながら頭を下げた。
「あなた様の選択を」
「……」
「私の恐怖で奪おうとしました」
花瓶が光る。
第七門。
《後悔》
私はイリスを見る。
「顔上げて」
上げない。
「イリス」
やっと見る。
「怒ってる」
「はい」
「もっと早く言ってほしかった」
「はい」
「これからは隠さないで」
「……はい」
「でも」
私はそのまま抱きしめた。
「澪様?」
「私も」
「……」
「怖い」
声。
震える。
「消えたくない」
「……」
「天城澪でいたい」
「はい」
「東京にも帰りたい」
「はい」
「ママとパパにも会いたい」
「はい」
「でも」
イリスの服を握る。
「世界も壊したくない」
「……はい」
「だから」
「……」
「全部欲しい」
イリスが少し笑った。
「欲張りでございますね」
「駄目?」
「いいえ」
背中へ。
腕。
「とても」
強く。
「澪様らしいかと」
◇
暗闇。
光。
一本の花。
青灰色。
静かな。
花。
――第七花、開花条件達成。
――過去の選択を悔い。
――秘した真実を悔い。
――失う恐怖から他者の選択を奪ったことを認め。
――なお、赦しを求める。
私は花を見る。
「これ」
私じゃない。
「イリスの?」
文字。
《九花は生命神のみの花にあらず》
《人の心より咲く》
イリスが固まる。
「私が?」
「みたい」
イリスは花を見る。
「……私にも」
「人間だったんだから」
私は言う。
「今も多分」
笑う。
「結構、人間だよ」
イリスの目からまた涙。
「泣きすぎ」
「誰のせいですか」
「私?」
「……半分ほど」
「残り半分は?」
「千年分です」
「重い」
「はい」
花。
光。
花瓶へ。
七輪。
《七/九》
――第七花。
――《後悔》。
門が開く。
その向こう。
神々が待っている。
でも私はすぐには行かなかった。
「イリス」
「はい」
「傷」
まだ背中が治ってない。
「ちょっと休もう」
「しかし」
「世界やばい?」
「……かなり」
「じゃあ五分」
「五分」
「それくらいならいいでしょ」
イリスが少し考える。
「承知いたしました」
二人で門の前に座る。
私はスマホを出す。
「……今?」
イリスが言う。
「今」
「なぜ」
「残したいから」
「ひどい顔ですが」
「私も」
インカメラ。
二人。
泣いた後。
後ろ。
第八門。
神々。
ものすごい写真。
「撮るよ」
「はい」
シャッター。
画面。
私は。
保存する。
「消さないでくださいませ」
「言うと思った」
「……」
「消さないよ」
スマホをしまう。
「絶対」
「はい」
五分。
短い。
でも。
今は。
それで十分だった。
◇
第八門。
前。
文字。
《第八花――憤怒》
私は七輪の花瓶を持つ。
イリスが立つ。
傷はまだ残っている。
「本当に大丈夫?」
「はい」
「無茶禁止」
「努力いたします」
「約束」
「……」
「イリス」
「善処」
「約束」
「約束いたします」
怪しい。
でも進む。
第八門。
開く。
その瞬間。
熱。
「っ!」
世界が赤い。
燃えている。
街。
家。
人。
全部。
炎。
でも普通の火じゃない。
黒。
「……黒炎?」
イリスが止まった。
目の前。
燃える街。
見覚えない。
でもイリスにはあるみたいだった。
「ここ」
声が掠れる。
「ベルディア……」
三年前。
イリスが滅ぼした王国。
黒炎。
街を焼いている。
悲鳴。
人々が逃げる。
「イリス」
返事がない。
遠くに王城。
黒炎に包まれる。
そして。
声。
『魔女だ!』
『逃げろ!』
『黒炎の魔女!』
イリスの手が震えた。
第八門。
《憤怒》
ベルディア。
三年前。
私を見つけるその手掛かりを得た日。
そして。
一つの王国を滅ぼした日。
イリスが小さく言った。
「澪様」
「なに」
「一つ」
「うん」
「訂正しなければなりません」
黒炎。
揺れる。
「ベルディアを滅ぼした理由を」
私を見る。
「あなた様に関わることだと申し上げました」
「うん」
「それは事実です」
「……」
「ですが」
燃える街を見る。
「それだけではございません」
悲鳴。
炎。
「私は」
イリスの瞳に黒い炎が映る。
「怒っていたのです」
「……」
「千年間」
声が震える。
「ずっと」
第八花。
《憤怒》
その蕾が花瓶の中でゆっくりと黒く染まり始めた。




