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『婚約破棄されて返した指輪から、亡き王妃の声が聞こえます ~石の記憶を読む地味令嬢、冷徹皇太子の偽婚約者になりました~』  作者: 極楽鳥


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第43話 王冠を直す代価に、誰かの一番大切な記憶が必要です

「私の記憶を使って」


 最初に言ったのはアウレリアだった。


「もともと紅い石を持ち込んだのは私よ。リディアを助けるためにセラフィナを巻き込み、婚約者への気持ちまで失わせた。私が支払うのが当然でしょう」


「駄目」


 扉の近くに座っていたリディアが、青い首飾りを握りしめる。


「姉上の記憶を使うくらいなら、私のものを使って。王冠へ七つも質問したのは私なのだから」


「あなたは、もう十分奪われているでしょう」


「姉上だって、父上が殺された夜の記憶を失っている」


「私の記憶は一晩分。あなたは自分の名前まで奪われたのよ」


「では、私の記憶を使おう」


 ルシアンが言った。


「セラフィナから奪われたものを取り戻すのなら、俺が払う」


「お断りします」


 セラフィナが即座に返すと、ルシアンの眉が動いた。


「なぜ君が断る」


「私のために殿下の大切な記憶を失わせることはできません」


「どの記憶を差し出すかは、俺が決めることだ」


「その言葉は、昨日アウレリア殿下が言いました。ご自分の記憶はご自分のものだと」


「あのとき君は止めたな」


「だから、今回も止めています」


「自分が犠牲になるときだけ、急に他人の選択を尊重するのをやめるな」


「殿下こそ、私のためという理由なら何でも許されると思っていませんか」


「思っていない。失いたくないから、何かを失う覚悟をしている」


「それが、何でも許されると思っている人の言い方です」


「二人とも、少し黙りなさい」


 胸へ包帯を巻いたアウレリアが、額を押さえた。


「刺されたばかりの人間の前で、それ以上面倒な痴話喧嘩をしないで。傷口が開くわ」


「誰が刺したと思っているの」


 リディアが小さく言った。


 アウレリアの顔が強張る。


 リディアは今でも、自分が姉に刺されたと信じている。目の前に包帯を巻いた姉がいても、その記憶だけは変わらない。


「……あなたよ」


 アウレリアは、迷った末に答えた。


「でも、いまのあなたにそう見えていないこともわかっている」


「姉上は、私を責めたいのでしょう」


「腹は立っていると言ったはずよ」


「愛しているとも言った」


「両方よ。何度言わせるの」


「どちらが本当なのかわからない」


「どちらも本当なの!」


 アウレリアが声を荒らげ、痛みに胸を押さえた。


「感情を一つに決めようとしないで。私はあなたを愛しているし、怒っている。失いたくないし、正直に言えば一度くらい頬を叩きたいとも思っている。でも叩かない。思うことと、実際にすることは別だからよ」


「姉上が我慢しているだけでは?」


「そうよ。人間関係なんて、だいたい誰かの我慢で形を保っているの。何も我慢せずに済む相手だけを家族と呼ぶなら、私は今日から一人っ子になるわ」


「極端です」


 セラフィナが言うと、アウレリアが睨む。


「あなたはどちらの味方なの?」


「誰か一人の味方をしなければならない話ではありません」


「そういうところが腹立たしいのよ」


「私も殿下の頑固さには腹が立っています」


「では、少しだけ公平ね」


 工房の中央には、銀の檻へ収められた紅涙冠の中央石が置かれている。


 その周囲を、七つの星を描くように夜星糊が囲んでいた。


 カシアンは両手を鎖につながれたまま、近衛二人に挟まれて座っている。彼を独房から出すことにルシアンは最後まで反対したが、王冠の構造を知る者がほかにいない以上、隔離工房まで連れてくるしかなかった。


「まるで、自分の命を安売りする者ばかり集めた市場だな」


 カシアンが言う。


「誰が一番大切なものを差し出すかで争っている。王冠にとっては、これほど都合のいい光景もない」


「黙れ」


 ルシアンが睨む。


「お前の意見を聞くために連れてきた」


「なら、黙らせるな」


「余計な皮肉を言うなと言っている」


「皮肉ではない。罪悪感から記憶を差し出しても、紅涙冠は受け取らない可能性が高い」


 アウレリアがカシアンへ向き直る。


「自分を罰したいから差し出すのでは駄目なの?」


「王冠が求めるのは、失いたい記憶ではない。失いたくない記憶だ。罪悪感から消えてしまいたいと思っている記憶には、餌としての価値がない」


「ずいぶん悪趣味な王冠ね」


「人間が作ったものだからな」


「あなたなら、どの記憶を差し出すの?」


 リディアが尋ねる。


 カシアンはすぐには答えなかった。


「兄上が、母の手紙を見せてくれた日の記憶だ」


「母親に愛されていたと知った日ですか」


 セラフィナが確認する。


「ああ。紅い石へ『母は私を愛していたか』と尋ねた私は、母の顔を失った。石は一度も愛されていなかったと答えた。兄上は、それが嘘だと証明するため、母の手紙を探してくれた」


「その兄上を、あなたは人質にしたのですね」


「そうだ」


 カシアンはセラフィナから目を逸らさなかった。


「だからこそ、その記憶を失えば楽になれる。兄上が私を家族として扱ってくれたことを覚えているから、自分のしたことが苦しい」


「では、王冠は受け取らないかもしれません」


「そうだろうな。大切ではあるが、私はどこかで失いたがっている」


 カシアンは鎖の音を立てて身じろぎした。


「自分を罰するための犠牲は、見た目ほど尊くない。ただ罪悪感から逃げたいだけの場合がある。アウレリア皇女、あなたも同じだ」


「私は逃げたいのではない」


「では、何を差し出す」


「リディアが生まれた日の記憶よ」


 リディアが顔を上げる。


「母上は難産で、父上は部屋の外を何時間も歩き回っていた。ようやく乳母が小さなあなたを連れてきて、私に抱かせたの。赤くて、皺だらけで、正直あまり可愛いとは思わなかった」


「そこは美しく言ってもよいところでしょう」


「事実よ。しかも突然泣き出して、私の衣装へ吐いた」


「最悪」


「でも、私の指を握った。赤子のくせに驚くほど強くて、絶対に離さなかった。そのとき私は、あなたを守ると決めたの」


 アウレリアは妹を見る。


「その記憶なら、失いたくない。自分があなたの姉になった、最初の日だから」


「駄目」


 リディアは青い首飾りを胸へ抱いた。


「その記憶を失ったら、姉上は私を守る理由まで忘れる」


「理由がなくても守るわ」


「どうして、そんなことがわかるの」


「二十年も繰り返したことは、記憶が一つ消えたくらいでなくならない」


「私に証明しろと言うくせに、自分のことは証明しなくても信じるのね」


「では、あなたは何を差し出すつもり?」


「母上の葬儀の夜、姉上が一晩中そばにいてくれた記憶」


「それこそ駄目よ!」


「私の記憶よ!」


「あなたが、私を信じられる唯一の記憶でしょう!」


「一つしかないと思っているの?」


 リディアの目に涙が浮かんだ。


「ほかにもあった。でも、石に取られた。姉上が馬へ乗せてくれた日も、熱を出したときに眠らず看病してくれたことも、父上に叱られた私を庇って一緒に怒られたことも、もう曖昧なの。残っている中で一番大切なものが、それなのよ」


「だから失わせられないと言っているの」


「姉上はまた、私の代わりに決めるの?」


 アウレリアは言葉に詰まった。


 妹を守りたいという思いが、また妹の選択を奪おうとしている。頭では理解できても、簡単に手を放せるはずはなかった。


「この話し合いは、一生終わりそうにありませんね」


 ノアが呟く。


「終わらせる方法を考えろ」


 ルシアンが言う。


「殿下の得意技ですね。終わらない人間関係を、補佐官の仕事へ投げるのは」


「給金を払っている」


「記憶を差し出すほどはいただいておりません」


 そのとき、工房の扉が開いた。


「だからといって、娘へ払わせるつもりもありませんよ」


 アルド・リードが、大きな道具箱を抱えて入ってくる。


「お父様」


「王宮から工房道具をすべて持ってこいと言われましてね。来てみれば、娘がまた自分を代価にする相談をしている」


「まだ、何を差し出すかは」


「母さんとの記憶を出すつもりだったでしょう」


 セラフィナは黙った。


 考えていた。


 母エリーゼが初めて夜星糊の作り方を教えてくれた日。幼いセラフィナの手へ青い石を載せ、「聞こえたものを真実だと思ってはいけない」と話した声。


 それは修復師としての始まりであり、母から受け取った大切な記憶だった。


「顔を見ればわかります」


 アルドは道具箱を机へ置いた。


「では、私が母との記憶を差し出すと言ったら、セラフィナは賛成しますか」


「しません」


「なぜです」


「お父様にとって、大切なものだからです」


「私も同じことを言っています」


「ですが、これは私たちが始めた問題です」


「そうやって、自分が傷つく理由だけは簡単に見つける。そこは母さんにそっくりです」


「褒めていますか」


「怒っています」


 アルドは珍しく、はっきりと険しい顔をした。


「母さんも、誰かを助けるためなら、自分が払う代償を安く見積もった。だから私は何度も喧嘩をしたんです。母さんとの思い出を娘の中からまで失わせるために、あの人を愛したわけではありません」


「では、どうすれば」


「一人で全部払わなければいい」


 アルドは夜星糊で描かれた七つの星を指差した。


「エリーゼが作った夜星糊には、力を七方向へ逃がす性質があります。宝石の亀裂を一か所だけで支えず、周囲へ負担を分けるためです」


 ギデオンが、はっとしたように銀の檻を見る。


「七つの外石と、七方向の封印……一つの記憶を、七つの残響として組めるかもしれない」


「どういうことですか」


 ルシアンが尋ねる。


「一人から、一つの記憶を丸ごと奪わせる必要はありません」


 ギデオンは紙を広げ、円と七つの星を描いた。


「七人が、それぞれ失いたくない記憶の一部を差し出す。王冠へ流れ込むときに一つの大きな記憶へ編めれば、修復に必要な価値を満たせる可能性があります」


「可能性?」


「試した者はいません。紅涙冠そのものが、記録から消されている技術ですから」


「失うのは、一部分だけで済むの?」


 リディアが尋ねる。


「うまくいけば。思い出したときに、顔だけがぼやける、声だけが聞こえなくなる、その日の一部分だけが抜ける。その程度に分散できるかもしれません」


「失敗した場合は?」


 セラフィナの問いに、ギデオンは答えにくそうに黙った。


 カシアンが代わりに言う。


「つながりのもっとも強い者へ、残りの負担が集中する」


 全員の視線が、セラフィナへ集まった。


「中央石と二度つながり、婚約指輪まで食われた君が、もっとも強い」


「つまり、失敗すれば」


「君が、もう一つ大切な記憶を失う」


 ルシアンが即座に首を振った。


「その方法は使わない」


「では、誰か一人の記憶を丸ごと差し出しますか」


「俺のものを使え」


「それでは先ほどへ戻ります」


「戻っても構わない。君が危険を負うよりいい」


「私は、殿下の記憶を奪う方法へ同意しません」


「君はもう、俺を愛していないのだろう。それなら、俺が何を失っても」


 言いかけたルシアンが止まる。


 セラフィナは静かに彼を見た。


「続きを言ってください」


「……君には関係がないとは言えない」


「言おうとしましたね」


「傷つけたかった」


 ルシアンは認めた。


「君に愛されていないと告げられるたび、理解していても苦しい。だから一瞬、俺が何を失っても君には関係ないだろうと言って、君にも同じ重さを持たせたくなった」


「そうですか」


「怒らないのか」


「少し腹は立ちます。ただ、実際に言う前に止めました」


「止めきれなかった。ほとんど言った」


「では、ほとんど怒ります」


 ルシアンは、困ったように笑った。


「以前の君も、そんな言い方をした気がする」


「比べないでください」


「すまない」


「でも、殿下が立派な人ではないと知ることは、私にとって必要です」


「俺を知る三か月の初日としては、あまりよいところを見せられていないな」


「苦いお茶と、意地の悪い言葉。かなり不利な出発ですね」


「挽回する時間はあるか」


「三か月あります」


 セラフィナは修復図へ目を戻した。


「七人で分ける方法を使いましょう。ただし、全員が何を失う可能性があるかを理解し、自分で同意すること。誰か一人でも嫌だと言えば、別の方法を探します」


「セラフィナ」


「殿下の許可を得るために言っているのではありません。私も当事者として提案しています」


「危険すぎる」


「一人へすべてを負わせるよりはよいです」


「君へ集中する可能性がある」


「なら、集中しないよう修復法を完成させます。私は職人です。危険だから手を引くのではなく、危険を減らす方法を考えます」


 アルドとギデオンが頷いた。


「今夜中に、七つの受け皿を作ります」


 ギデオンが言う。


「夜明けまでに修復を始めなければ、偽りの記憶が持ち主へ定着する可能性が高い。時間はありません」


 そこへ、ソルヴェインへ送っていた使者が戻ってきた。


「アウレリア殿下へご報告いたします。宰相ヴェイロンは、殿下が出国される前日に帝都を離れております。行き先は不明。証拠保管庫を確認したところ、皇帝陛下殺害に使用された短剣も消えていました」


「やはり、あの人が」


 リディアが首を振る。


「先生は、私を助けた」


「助けた人間と利用した人間が、同じであることもあります」


 セラフィナが言った。


「そんなの、どうやって見分けるの」


「時間をかけて、その人が自分へ選択肢を残したかを考えます。ヴェイロン宰相は、あなたへ質問を続けさせ、記憶を奪い、短剣を持たせた。少なくとも、あなたが自分で決められる状態を守ろうとはしていません」


「でも、姉上から逃がしてくれた」


「それは今後、確かめましょう。殿下が受けた親切まで、急にすべて嘘へ変える必要はありません」


 アウレリアは妹へ近づこうとせず、その場で言った。


「私も、あなたにヴェイロンを嫌えとは命令しない。でも、いまは会わせられない。そこだけは譲れないわ」


「……わかった」


 納得したのではない。


 それでもリディアは、自分の意思で頷いた。


 それから数時間、隔離工房では修復の準備が続いた。


 七つの銀製の受け皿が作られ、それぞれに夜星糊で名前と、差し出す記憶の輪郭を刻む。


 アウレリアは、リディアが生まれた日に指を握られた感触。


 リディアは、母の葬儀の夜に姉が歌った子守歌。


 アルドは、妻エリーゼがセラフィナを初めて抱いたときの笑顔。


 ギデオンは、エリーゼから弟子として認められた日の言葉。


 カシアンは、兄アレクシスから母の手紙を渡されたときの記憶。


 残る二人は、セラフィナとルシアンだった。


 準備の合間、セラフィナは材料庫へ銀粉を取りに向かった。


 後ろからルシアンがついてくる。


「監視ですか」


「手伝いだ」


「王太子殿下に銀粉の瓶を持たせるほど、人手には困っていません」


「では、話がしたい」


「何でしょう」


 狭い材料庫には、二人しかいない。


 ルシアンは扉を閉めず、外から見えるよう少し開けたままにした。


「君は、どの記憶を差し出す」


「母が初めて青い石を持たせてくれた日の記憶です」


「修復師としての始まりだろう」


「はい。失いたくありません」


「だから王冠は受け取る」


「殿下は?」


「君が、三か月の婚約を受け入れた日だ」


「私は、その日の気持ちをすでに失っています」


「だが俺は覚えている。君が指輪を見つめ、すぐに返事をしなかったことも、俺の条件へさらに三つ条件を足したことも」


「過去の私らしいですね」


「最後に、君は自分で指輪をはめた」


 ルシアンの声が柔らかくなる。


「俺にとって、初めて君から選ばれた日だ。失いたくない」


「別の記憶にしてください」


「なぜ」


「私が忘れているものを、殿下まで失う必要はありません」


「君が忘れているからこそ、俺だけでも覚えていたい。だが、君の記憶を取り戻すためなら差し出したい。この矛盾ごと、俺の選択だ」


「もし失ったあと、私を恨んだら?」


「恨むかもしれない」


 セラフィナは驚いて彼を見る。


「そこは、恨まないと言うところでは?」


「嘘をついて安心させるなと教えたのは君だ。記憶を失った痛みで、君に腹を立てる日はあるかもしれない。過去の君なら、もっと早く俺を選んだのにと比べるかもしれない」


「それでも、差し出すのですか」


「ああ」


「私が殿下を好きにならなかったとしても?」


「ああ」


「なぜ」


「奪われたものは、君のものだからだ」


 ルシアンは、一歩分の距離を残したまま立っている。


「君の愛情を取り戻して、自分へ向けさせたいという欲はある。だが、それだけではない。俺を愛していた記憶も、愛さなくなったあとで何を選ぶかも、本来は君のものだ。王冠が勝手に決めていいことではない」


 セラフィナの胸に、かすかな痛みが生まれた。


 失われた愛情が戻ったわけではない。


 昨日までの自分が、なぜこの人を選んだのか。その理由の一端を、初めて自分の感情として理解した気がした。


「殿下」


「何だ」


「いまの言葉は、記録帳へ書いてもよいですか」


「構わない」


「あとで忘れても、殿下が教えてください」


「何度でも話す」


 ルシアンは少し迷い、続けた。


「もう一つ、伝えておきたい」


「はい」


「返事は求めない。今の君にとって、重い言葉になることもわかっている。それでも、言わずに記憶を差し出せば後悔する」


 彼は触れようとはしなかった。


 ただ、セラフィナの目を見て言った。


「愛している」


 セラフィナは、すぐに答えられなかった。


 愛情は戻っていない。


 同じ言葉を返すこともできない。


 けれど、彼は答えを催促しなかった。


「私には、まだ同じ言葉を返せません」


「知っている」


「それでも、嬉しいと思いました」


「それで十分だ」


「この記憶は、失いたくありません」


 セラフィナが言うと、ルシアンは泣きそうな顔で笑った。


「なら、絶対に王冠へ差し出すな」


 材料庫の外で、修復開始を告げる鐘が鳴った。


 二人は隔離工房へ戻る。


 七つの銀皿へ手を置き、最後の意思確認が行われた。


 誰も強制されていないこと。


 何を失う可能性があるか理解していること。


 途中で怖くなれば、開始前なら断ってよいこと。


 七人全員が、自分の言葉で同意した。


 カシアンが中央石を見つめる。


「一度始めれば、どの記憶を取るか、最後に選ぶのは王冠だ。差し出した記憶より、さらに強いものが近くにあれば、そちらへ手を伸ばす可能性もある」


 ルシアンがセラフィナを見る。


 先ほど交わした言葉は、まだ新しい。


 たった今生まれたばかりで、過去の愛情を失ったセラフィナにとっては、初めて自分の意思で受け取った大切な記憶だった。


「始めてもいいか」


 ルシアンが尋ねる。


 セラフィナは自分で頷いた。


「はい。七人で決めたことですから」


 ギデオンが中央石へ、最初の夜星糊を落とした。


 紅い亀裂が開き、七人の記憶へ向けて光の糸を伸ばす。


 そのうちの一本だけが、銀皿へ向かわなかった。


 赤い糸はセラフィナの胸へ入り込み、つい先ほど受け取ったばかりの言葉へ、まっすぐ手を伸ばした。


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