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『婚約破棄されて返した指輪から、亡き王妃の声が聞こえます ~石の記憶を読む地味令嬢、冷徹皇太子の偽婚約者になりました~』  作者: 極楽鳥


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第28話 過去を盗まれた皇太子と、偽物の知らない合言葉を作りました

『見つけたな』


 修復室にあるすべての鏡から、カシアンの声が響いた。


『ありがとう、セラフィナ。これで本物の星石がどこにあるのか、私にもわかった』


 次の瞬間、銀盆の表面から白い手が伸びた。


「伏せて!」


 セラフィナが叫ぶより早く、マルタが蜂蜜の入った椀を銀盆へ叩きつけた。


 粘ついた蜂蜜が鏡面を覆い、伸びかけていた手が形を失う。床へ落ちた銀盆を、マルタは靴の踵で何度も踏みつけた。


「何でも映せば上等だと思って。台所の鍋だって、もっと身の程をわきまえていますよ」


「マルタ、下がれ!」


 国王が命じた。


「下がったら、誰がこの子に蜂蜜をなめさせるのですか」


「そういう話ではない!」


「では陛下は、杖をついていることをお忘れなく。格好をつけて剣を抜いても、今の陛下では振り回す前に転びます」


「お前は昔から、国王に対する敬意が足りない」


「敬意で毒が抜けるなら、いくらでも頭を下げます」


 言い争っている間にも、窓硝子の内側から黒い亀裂が広がっていく。


 ルシアンが剣を抜き、窓の前へ立った。ギデオンは作業台にあった夜星糊を銀の刷毛へ取り、窓枠へ七つの星を描いていく。


「鏡だけではありません! 磨かれた金属、水面、光を強く反射する物はすべて伏せてください!」


 ノアが廊下の近衛兵へ指示を飛ばした。


「王宮中の鏡を布で覆え! 銀食器は床へ伏せろ。花瓶の水も捨てさせろ!」


「厨房から苦情が来ますよ」


「王宮が乗っ取られるよりはましです!」


「厨房の料理長は、そう思わないかもしれません」


 国王が妙に現実的なことを言った。


 窓の亀裂から琥珀色の目が覗く。


『隠しても無駄だ。私には星石の位置がわかる』


「本物の位置まで、正確にわかるのですか?」


 セラフィナはカシアンへ問いかけながら、青い星石を指先で包んだ。


『試してみるか?』


「いいえ。教えていただき、ありがとうございます」


 セラフィナは指輪の台座へ視線を落とした。


 星石を外したあとの空の台座には、エリーゼが残した夜星糊の響きがまだ残っている。偽の石へ同じ響きを写せば、カシアンの感覚を誤魔化せるかもしれない。


「ギデオン先生。この大きさに近い青い石はありますか。魔力が弱く、記憶をほとんど持っていないものを」


「王室宝飾局の保管品に、色の薄い蒼玉があります。ただ、星石ほどの透明度は――」


「外見を完全に似せる必要はありません。カシアンは目で見ているのではなく、響きを追っています」


「響きを移すのか」


「表面だけです。母の封印を一層写せば、短時間なら本物だと思わせられるはずです」


「失敗すれば?」


 ルシアンが訊いた。


「両方ともカシアンに見つかります」


「成功した場合は」


「片方だけ見つかります」


「どちらも、安心できる答えではないな」


「殿下は、成功すればすべて解決する作戦をご存じなのですか?」


「知っていれば提案している」


「でしたら、今は職人へお任せください」


 セラフィナは作業台から工具を取った。


 ギデオンが保管箱から持ってきた蒼玉を青い指輪へはめ、夜星糊を薄く塗る。その上へ、本物の星石から読み取った響きだけを滑らせた。


 蒼玉の奥に七つの光が浮かぶ。


 短時間なら、エリーゼの封印を宿した本物の星石に見えるはずだ。


 一方、本物の星石には夜星糊を厚く塗り重ねた。鮮やかな青は隠れ、燃え残った炭のような黒い小石へ変わる。


「どこへ隠す?」


 ルシアンが手を差し出した。


「私が持つ」


「嫌です」


「なぜだ」


「カシアンが最初に調べるのは殿下です。それに、殿下が偽物と入れ替わった場合、星石まで一緒に奪われます」


「また私が偽物になることを前提にしていないか?」


「なった実績がありますから」


「私の責任ではない」


「実績に責任の有無は関係ありません」


 セラフィナは黒く覆った星石を、母から譲り受けた工具箱の柄へ入れた。柄の先端には研磨粉を詰めるための小さな空洞があり、石を隠すにはちょうどよい。


「まさか、それを持って自分も星冠の間へ行くつもりではないだろうな」


「そのつもりです」


「君は足を痛めている」


「歩けます」


「先ほどと同じ会話を繰り返すつもりか?」


「殿下が同じことをおっしゃるからです」


「聞き分けがないのは君だ」


「殿下にだけは言われたくありません」


「二人とも、あとにしなさい」


 言い争いを止めたのは国王だった。


「偽物の指輪は私が持つ」


「父上」


「カシアンは、星石が国王の手に渡ったと考えるだろう。私が近衛隊と玉座の間へ向かえば、あれの注意を引ける」


「駄目です」


「なぜだ」


「お身体が――」


「自分が危険な役目を引き受けるときは責務と言い、父親が同じことをすれば身体を心配するのか。ずいぶん都合のよい息子だな」


「父上が倒れれば、カシアンを退けたあとに国が混乱します」


「お前がいる」


「記憶を戻せる保証はありません」


「それでもお前はルシアンだ。王になるための記録と知識は残っている」


「先ほど父上は、記憶を失った私を空だと言われて怒っていたでしょう」


「カシアンが言うのと、私が言うのでは違う」


「違いません。父上も私を、以前の私へ戻したがっている」


 国王は黙った。


 ルシアンも、言いすぎたと思ったのかもしれない。しかし、言葉を引っ込めはしなかった。


「……そうだ」


 国王は認めた。


「私は、お前に戻ってほしい。母親の話をして笑ったことも、私へ腹を立てていたことも思い出してほしい。今のお前を息子ではないと思っているわけではない。だが、同じだとも言い切れない。父親なら迷わず受け入れるべきなのだろうが、私はそれほど立派ではない」


「父上」


「だから私も、今のお前と話す時間が必要だ。その時間を得るために、ここで偽物の指輪を持つ。親だからではない。国王として、私が最も多くの兵を動かせる場所へ囮を置くのが合理的だからだ」


 理屈を並べながらも、本当は息子を行かせたくないのだろう。


 ルシアンにもそれがわかったらしい。


「無茶をしないと約束してください」


「お前に言われたくない」


「五秒は相談するという決まりがあります」


「それはお前たち二人の決まりだろう」


「今から王家の決まりにします」


「勝手に法律を増やすな」


「では、親子の決まりです」


 国王は嫌そうな顔をした。


「……努力する」


「先ほど私も同じ答えをしました」


「親子だからな。嫌なところは似る」


 ようやくルシアンが引き下がった。


 国王は偽の星石をはめた指輪を受け取り、マルタと近衛兵を連れて玉座の間へ向かうことになった。


「私は陛下の子守ですか」


 マルタが不満そうに言った。


「誰が子どもだ」


「無茶をする人間は、年齢に関係なく子どもです」


「なら、ルシアンのほうへ行け」


「あちらにはリード嬢がいます」


「私は殿下の子守ではありません」


 セラフィナが抗議した。


「似たようなものですよ」


「どこがですか?」


「食事を忘れれば怒り、危険なことをすれば怒り、服に血をつけて帰れば怒る。十分でしょう」


「私は誰にでも同じことを言います」


「本当に?」


 ルシアンが横から訊いた。


「今は黙っていてください」


「やはり私には少し厳しい気がする」


「自覚があるなら行動を改めてください」


 マルタは満足そうに頷き、国王の椅子を押して修復室を出ていった。


     ◇


 カシアンは、ラピスの中にある偽石を通してこちらの声を聞いている。


 その繋がりを断たなければ、どんな作戦も筒抜けになる。


 ギデオンは夜星糊を染み込ませた黒い布でラピスを包み、額に七つの銀星を描いた。


「苦しいところはないか」


「暑い。狭い。おなかすいた」


「元気そうですね」


 ノアが言うと、布の隙間からラピスの鼻先だけが出た。


「ノア、きらい」


「そのように明確な意思表示ができるなら安心です」


「もっときらい」


「声はラピス自身のものに戻っています」


 ギデオンが偽石との繋がりを調べた。


「カシアンからの魔力が切れました。少なくとも、この部屋に反射する物がない間は聞かれないでしょう」


「では、新しい合言葉を決めます」


 セラフィナの言葉に、ルシアンが眉を上げた。


「夜会で使った言葉は、もうカシアンに知られています。これから作った記憶なら、偽石の中にはありません」


「何にする?」


「長くなく、答えを間違えにくいものがよいですね」


「蜂蜜は四つ」


 ラピスが布の中から言った。


「それでは何のことかわかりません」


「ラピス、わかる」


「偽物を見分けるためですから、ラピスだけがわかっても意味がないのです」


「私は、以前の合言葉を変えればよいと思う」


 ルシアンがセラフィナを見た。


「三か月後も?」


 その問いを聞くと、胸の奥が痛んだ。


 偽の婚約から始まった二人が、その先を尋ねるために使った言葉。カシアンに奪われ、偽物を演じるために使われてしまった言葉でもある。


「答えはどうしますか」


 セラフィナが訊くと、ルシアンは少し考えた。


「その先は、二人で決める」


「……殿下」


「王冠にも、契約にも、記憶を盗んだ男にも決めさせない。三か月後があるのなら、そのときの私と君で決める」


「合言葉にしては、少し長いです」


「間違えにくいだろう」


「殿下が忘れなければ」


「忘れたら、君が教えてくれると言った」


「銀貨一枚です」


「それはノアの名前だろう」


「私の言葉は金貨一枚にします」


「高いな」


「大切な言葉ですから」


 ルシアンは、今度ははっきりと笑った。


「わかった。覚えておく」


     ◇


 星冠の間へ向かう廊下は、すでに鏡の迷宮へ変わっていた。


 窓硝子から伸びた鏡晶石が壁と床を覆い、同じ通路をいくつにも分けている。遠くでは剣と剣がぶつかる音が聞こえ、近衛兵たちの怒号が飛び交っていた。


 先頭をギデオンが進み、夜星糊で偽の通路を封じる。ノアがラピスを抱き、セラフィナとルシアンがその後ろへ続いた。


「さっきは私に持たせるのを嫌がっただろう」


 ラピスを抱えたノアが小声で言った。


「緊急時ですので」


「私の腕が抜けても、労災は申請できるのでしょうか」


「ラピス、重くない」


「偽石を食べたぶん、明らかに重くなっています」


「ノア、弱い」


「降ろしますよ」


「ノア、好き」


「態度を変えるのが早すぎます」


 そのとき、前方の鏡から三人のルシアンが現れた。


「止まれ!」


 こちらにいるルシアンが剣を抜く。


 三人とも同じ顔、同じ衣装だったが、夜星糊の印までは再現できていない。ところが中央の一人だけは、本物と同じ七つの星を手首へ浮かべていた。


「セラフィナ、そいつから離れろ」


 中央のルシアンが言った。


「カシアンは夜星糊の印まで複製できるようになった。君の隣にいる男が偽物だ」


「そう言うと思った」


 本物のルシアンがセラフィナの前へ出る。


 二人が同時に剣を構えた。


「待ってください」


 セラフィナは中央にいるルシアンへ尋ねた。


「三か月後も?」


 偽物の口元に、勝ち誇った笑みが浮かんだ。


「今は、そこまでです」


 その答えと同時に、セラフィナは夜星糊の小瓶を投げつけた。


「何――」


 黒い糊を浴びた顔がひび割れ、鏡の破片へ変わる。


 残り二人もルシアンへ襲いかかったが、ギデオンとノアが左右から夜星糊を叩き込み、まとめて砕いた。


「過去を覚えているほうが偽物になるとはな」


 ルシアンが割れた破片を見下ろした。


「記憶を失っていなければ、私も以前の答えを口にしていたかもしれない」


「今の殿下だから作れた答えです」


「記憶を失ったことにも、一つくらい意味があったと思ってよいのだろうか」


「無理に意味をつけなくてもよいと思います。失ったことは失ったことです。でも、そのあとに何を作るかは、私たちが決められます」


「その先は、二人で?」


「……合言葉を普段の会話に使わないでください」


「なぜだ。よい言葉だと思ったが」


「軽くなります」


「では、大切なときに言う」


「今も十分、大切なときです!」


 ルシアンが何か言い返そうとしたが、ギデオンが振り向いて二人を睨んだ。


「話している余裕があるなら急いでください!」


 ようやく一行は、星冠の間へ続く扉へたどり着いた。


 セラフィナが手を触れても、以前のような伴侶の印は浮かばない。


『王家の伴侶にあらず』


 扉が低く告げた。


「わかっています」


 セラフィナは工具箱の柄から、黒い小石を取り出した。


「私は殿下の伴侶として来たのではありません。星冠を直す職人として来ました」


 夜星糊を拭い取る。


 本物の星石の青い光が現れた。


『星核、帰還』


 扉に七つの星が浮かび、重い音を立てて開いた。


 中央には、偽石を失った星冠が置かれている。


 ギデオンとノアが入口を封じる間に、セラフィナは星冠の周囲へ七つの記憶石を並べた。国王、ノア、マルタ、近衛兵、ギデオン、ラピス、そしてセラフィナ。


 それぞれが自分の意思で預けた、ルシアンの記憶だ。


 ラピスを星冠の前へ寝かせると、腹の中の偽石が強く輝いた。


「始めれば、戻れないかもしれません」


 セラフィナは星石を手に、ルシアンを見た。


「記憶が戻ったとき、今の殿下がどうなるか、私にもわかりません」


「それでも、ここまで来た」


「怖いですか」


「ああ」


 ルシアンは隠さなかった。


「だが、君が今の私を覚えていると言った。だから進む」


「殿下」


「セラフィナ。三か月後も?」


 今度は、セラフィナが答える番だった。


「その先は、二人で決めます」


 ルシアンが頷いた。


 セラフィナは本物の星石を、星冠の空いた台座へはめ込んだ。


 七つの記憶石から光が立ち上る。


 ラピスの身体が宙へ浮き、腹の中から無数の声があふれ出した。


「殿下へ戻って!」


 セラフィナが星石へ両手を置いた瞬間、青い光が腕を駆け上がった。


 記憶はルシアンへ向かわなかった。


 石の声を聞く者を見つけ、そこへ流れ込んできた。


「セラフィナ!」


 王妃の歌。国王の怒声。幼いルシアンの泣き声。カシアンの笑い声。


 そして、ルシアンが誰にも言わなかった無数の感情が、セラフィナの中へ押し寄せる。


 星冠が選んだ記憶の帰り道は、持ち主であるルシアンではなかった。


 石の声を聞くセラフィナ自身だった。

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